鬼と狐と団子の話

風呂

第1話

 甘味処きちょう屋。

 そう書かれた暖簾の傍にある長椅子に、私達は座っていた。

 ここは店主で菓子職人であるおばあさんと、そのお弟子さんらしき人達で成り立っている小さい店だ。

 しかしながら評判は良く、静かな雰囲気の佇まいもあり、隠れた名店といった立ち位置のお店だった。

 店内は殆どが調理場になっており、お客は柵で囲われた庭のような場所で並べられた長椅子に座って食事をするようになっていた。確か、大陸の西側の言葉で『おーぷんてらす』と呼ばれているものに近い構造だ。

 その一角で私達は頼んだものを待っている間、雑談に興じていた。

「団子で御座るか、ミズク?」

 私の左隣に座る、一本角の鬼人種の女性が訊き返した。

 武士風で動きやすいように仕立て直した袴姿、後頭部で縛った白く長い髪、そして普段は腰に差していて今はすぐ横に置いてある刀から分かる通り、剣客と呼ばれる種類の人だ。

 彼女が自身の師の痕跡を辿る根無し草の旅をしている途中、ある出来事で天涯孤独になった私と出会い、そのまま引き取り一緒に旅をしてくれている。

 そんな保護者に私は言う。

「うん、トモエ。お団子食べたい」

 三日前に辿り着いたこの街で、ある噂話を聞いたのだ。

「……桃印のきび団子の事で御座るか?」

「うん、そのきび団子」

 買い物に行く先、食事に行く先、仕事を受けに行く先々で、よく聞くのだ。

 曰く、食べれば幸せになれる、この世のものではない美味しさ、天にも昇るような味わい、なんて言われている。

 食べてみたい。凄く食べてみたい。

 どれだけ食べたいかと言えば、狐人種特有のとんがり耳がピクピク動いて、自慢の尻尾が高速で揺れる程だ。

「まあ、拙者も気にならないと言えば嘘になるで御座るが……。しかしどこで売っているのか分からんので御座ろう?」

 額の角の付け根を掻きつつ、彼女は言った。

 そうなのだ。噂話はよく聞くのに、肝心のどこで売られているのかというのが、さっぱり分からないのだ。

 聞こえてくる話にはどれだけの美味しさかは伝わってくるが、何故かどこで買ったかはまるで話に上がらないのだ。

 というより、実際に買って食べた人が名乗り出てこないのだ。それすらあまりの美味に口を噤んでいる、という尾ひれまでつく有様。

 実は噂だけで本当はそんなきび団子なんてない、という話もある。

「どうしても食べたいで御座るか?」

「食べたい。食べたい食べたい食べたい」

「成程、どれだけそのきび団子を食べたいかは分かったで御座る。まあ、意外にすぐに見つかるかもしれないで御座るが……」

「うん?」

 微妙にトモエの言い回しに疑問符が浮かぶが、店の方からお盆を持ったおばあさんがやってきた所為で、すぐにそれは頭の中から消えた。

「お待たせいたしましたお客様。ご注文の品で御座います」

「おや、店主直々にで御座るか。なんだか申し訳ないで御座るな」

「いえいえお気になさらず。たまにはお客様から直接感想を聞きたいと思ったもので」

「ほうほう。しかし拙者ら、気の利いた事は何も言えぬで御座るよ?」

「構いませんよ。食べた時の表情を見れば大体分かる事ですから。ただ、美味しかった、不味かったと、正直な感想さえお聞かせ願えれば、それで満足する事ですので」

 そう言って、店主は私達が頼んだ品をそれぞれ手渡していく。

「お酒の方はこちらで」

「かたじけないで御座る」

 手渡されたものとは別に、小さめのお盆に乗ったお猪口と徳利が私たちの間に置かれた。

 徳利から湯気が出ている事から、どうやら熱燗らしい。

「またお酒?」

「そんな言い方はないで御座ろう? まだミズクには早いだけで御座るよ」

 そんなものだろうか。

 大人は酒好きが多いが、その良さがさっぱり分からない。なんであんな苦いものが美味しいのか。

 前にとても美味しそうに飲んでいるのでせがんで飲ませてもらったが、あまりの味に閉口したものだった。

 しかもその直後の記憶も曖昧で、いつの間にか寝てしまっていたようだし。全く以て良さが分からない。

「トモエは、いくら飲んでも酔わないね」

「そうで御座るなあ。我を忘れる程、というまで酔った事はないで御座るな」

 鬼人種は種族柄、お酒に滅法強かったりする。

 この人もその例に漏れず、かなりの酒豪である。その土地その土地の地酒を飲むのも旅の目的の一つだとも豪語していたし。

「まあ、お酒を嗜むにはもう少し大きくなってからで御座るな」

「…………む」

 その言葉に彼女の一部に目がいく。今更確認するまでもないが、さらしに包まれた部分は確かに大きい。

 いや、だがしかし現状は仕方ないが、まだ負けが決まった訳ではないのだ。私には大いなる可能性があるのだ。悲観することはない。まだまだこれからである。

「今何か、別の事を考えていなかったで御座るか?」

「なんでもない」

 気を取り直して食事である。

 トモエはお酒ときび団子だ。そういえば私にお品書きをあまり見せようとしなかったのは、熱燗を頼む為だったのだろう。今度から注意せねば。

 きび団子の方は綺麗な色合いをしていてとても美味しそうではあるが、桃印のきび団子を食べるまでは他のきび団子は食べないと決めたので極力無視することにした。我慢、我慢である。

 そして、私が頼んだ方はというと、

「これが水餅?」

 私はお礼を言いつつ頼んだもの、水餅を見て言葉もなかった。

 まるで雨粒のように透き通っていて、とても綺麗だった。

 それに、

「プルプルしていて可愛い。このまま食べて良いの?」

「ふふ、気に入ってくれたかい、お嬢ちゃん。それはそのまま食べてもあまり美味しくはないんだよ。一緒にある黒蜜ときなこを付けて食べるんだよ」

 言われた通りに箸に取った水餅をまず黒蜜に漬け、それからきなこを付けて口に持っていく。

「ん? んん?」

 味は、確かに美味しい。

 おばあさんの言う通り水餅そのものには特筆できる味わいはないが、黒蜜の濃厚な甘さをきなこが引き立て、味に彩を添えている。

 だけど、この食べ物の一番の売りは多分それじゃない。

「何この食感? まるで、水を食べているみたい」

 そうなのだ。水を飲む、ではなく食べる。

 噛んだ端から溶けるように消えていく為、食べ物を食べているという感覚があまりしなかった。

「初めての、食感……」

「変わった食感だろう? これはこの店の一押しでねえ。気に入ってもらえたなら幸いだよ」

「うん。食べていて涼しさ? みたいなのも感じられるし、美味しいし。面白い食べ物」

 私の感想が余程気に入ったのだろう。おばあさんは私が食べている姿を眺めて終始微笑みを絶やさなかった。

 私が水餅に大変満足して食べている様子を見て、トモエが話しかけてきた。

「ううむ、そちらも美味しそうで御座るな。拙者にも一口分けて欲しいで御座る」

「駄目。あげない」

「即答で御座るか……」

 私がそのきび団子を食べないと決めた以上、一口ずつの交換等の交渉は無意味なのだ。しかもお酒まで頼んでいるのに不公平すぎる。だから絶対にあげない。どれだけもの欲しそうな眼をしても駄目。

「……そちらの方は、お気に召しましたでしょうか?」

 と、おばあさんはトモエにも感想を尋ねてきた。

「うむ、流石きちょう屋のきび団子。言葉にできないくらい美味しいで御座るよ」

「それはそれは」

 おばあさんはトモエの言葉に深く頷いた。

 それからおばあさんはふと思い付いたように、トモエに質問をした。

「しかしお客様、私の記憶違いでなければここに訪れるのは初めての筈ですよね? どなたかから当店の話を?」

「その通りで御座る。我が師が生前ここに訪れて食したものが大変美味だったと言っていたのを思い出したので寄ってみたで御座るよ」

「失礼ですが、生前、という事はその方はもう?」

「そういう事で御座る。……刀を提げた大柄な異国人に覚えは?」

 おばあさんは少し考え込んだが、すぐに思い至ったようで、

「その方でしたら、ええ、覚えておりますとも。そうですかそうですか。あのお方のお弟子さんでしたか。どうりで所作にどこか懐かしいものを感じると思いました」

 と、そう告げた。

「……そう、言って頂けるで御座るか」

 その言葉にどこか遠い目をしていたトモエが、お猪口に注いだ酒を一口煽る。

 それからおばあさんは、トモエのお師匠さんがここに来た時の話を語ってくれた。

 その時一騒動があったらしく、流石は師匠、とトモエも苦笑交じりに聞いていた。

「……いやはや、話を聞かせてもらって感謝するで御座るよ。お陰で酒も団子も、より美味しく頂けたで御座る」

「こちらこそ。私も懐かしい話ができて、楽しかったですよ」

 存分に語り合った二人はそうして笑いあっていた。

 私は直接その人に会った事があるわけではないが、前々からトモエから話を聞いていたのもあるので、それなりに楽しめた。

 そうして楽しく食事をし、出されたものも食べ切ったので、店を出ることになった。

「それではそろそろお暇させてもらうで御座るよ」

「ご馳走様。美味しかった」

「そうですか、またのお越しをお待ちしております」

「勿論で御座る」

 うん、とても美味しかった。それに水餅なんて初めて見る和菓子も食べられたし、食事関連ではここ一番の満足感を得られた。絶対にまた来よう。そう私は心と胃袋に誓った。

 それから暫く、もう少しで空が茜色に染まりそうなのを見上げながら二人で宿に向けて歩く。

 そんな中でトモエが何かを思い出したように、私に話しかけてきた。

「そういえば、良かったので御座るか?」

 何の事だろう? そう思いつつ返答する。

「何が?」

「いや、きび団子の事で御座るよ。食べなくて良かったので御座るか?」

「ん。桃印のきび団子を食べるまでは他のきび団子は我慢する」

 私の言葉にトモエは、額に手を当てて空を仰いだ。

「あー、やっぱり気付いていなかったで御座るか。あの店のきび団子が、件のきび団子で御座るよ」

「…………、え?」

 何を、言っている?

「これは拙者も悪かったで御座るが、お品書きをちゃんと見ていなかったで御座るな? 実はあれにはきび団子は載っていなかったで御座るよ」

 なんだって?

「所謂、隠れ商品や裏商品という奴で御座るな。通にしかわからない特別品で御座るよ。多分あの味から察するに仙桃が材料に使われている筈で御座るから、少数生産しかできないので御座ろうな」

 仙桃というのはこの国と海を挟んで隣接している大陸東部から伝わって、この国でも少ないながらも育てられている特別な桃の事だ。入手困難ではあるがその味はお墨付きという高級食材である。

 いや、今の問題はそこではない。

「でもそうと決まった訳じゃ」

 思わず掠れた声で否定するが、トモエはそれに頭を振り、

「仙桃だけでも十分で御座るが……、あの店の屋号を思い出してみるで御座る」

「名前?」

「そう、きちょう屋。『き』はそのまま森林の『木』、『ちょう』は数字の桁の『兆』に漢字変換するで御座るよ。それをそのままくっつけると……」

 トモエは空中に指でそれらの漢字を書く。

 そうして分かるのは、『木』『兆』で、『桃』だ。

「分かったで御座るか? あの店の本当の屋号は『桃屋』で御座るよ。『桃印のきび団子』とは、『桃屋印のきび団子』が正しいので御座るな」

「なんでそんな」

「字名に真名を隠す。名前に意味や力があるこの世界では珍しくないで御座るよ。案外、店の成り立ちにあの有名な御伽噺が絡んでいるのかも知れないで御座るな」

 トモエの説明に呆然としてしまう。しかしそれでも私はなんとか言葉を絞り出す。

「じゃあトモエは初めから全部知っていて?」

「いや、師匠から聞いていたのは今の説明の半分くらいで御座るよ。まあ食べてみてすぐに得心がいったで御座るが、すぐに思い出話に花が咲いてしまったで御座ろう? それですっかり教えるのを忘れていたで御座るよ」

 いやあ面目ない、とトモエは笑いながら頭をかくが、ちょっとこれは許せない。戦犯である。

「トモエ……」

「な、なんで御座るかな?」

「戻る! 今すぐ戻る! きび団子買う!!」

「ま、待つで御座る。今戻っても迷惑なだけで御座るよ! もう店仕舞いの時間で御座ろうし」

「嫌! 買うの! 食べるの! 食べたいの!!」

 今すぐ戻ろうと駆けだした私ではあったが、数秒もしない内にトモエが後ろからこちらの両脇を持って抱きかかえられて拘束された。

「こんな天下の往来で泣き叫ばないで欲しいで御座る。普段静かな筈のミズクはどこに行ったで御座るか……」

 そんな事は知らない。悪いのは全部トモエじゃないか。

「うわああああああん!!」

 その後なだめすかされて大人しくなった私ではあるが、暫く大変機嫌が悪いままだったのは言うまでもない。

 翌日、すぐに例のきび団子を食べに行った。

 そして肝心のきび団子の味であるが、それは勿論とても美味しかったと言っておく。あれはまさに至宝と言って過言ではないと思った。

 しかしそれで溜飲が下がるかどうかは別の話であり、一週間は食事の度にトモエに無理を言った。

 大人げないとは自分でも思うが、私はまだ子供だから許されると思う。でなければやっていられない。食べ物の恨みは怖いのだから。

「まさか団子一つでここまでとは、鬼で御座るか」

「鬼はトモエだっ!」

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