2

 魔王軍の急襲から1週間。

 ジェラルドの率いるアースウォリアの第5軍は、現在、アースウォリアを南下し、アッピア渓谷を行軍していた。

 5万に上る軍勢の先頭を行くのは、騎士団長であるジェラルド。その隣には、寝癖を躍らせた若草色の髪の少年と、燃えるような赤髪の少年が、後続する先輩騎士たちの視線を背に、重たい歩を進めているところだった。

 彼らは今、花の都フリージアへ向かっている。通常7日はかかる行程を3日で行くという強行軍だ。

 ――事は2日前まで遡る。

 アースウォリアの城内。魔王軍急襲の後始末もそこそこに、それぞれがこれから先を憂いていた矢先のことだった。青銅の鎧を身に着けたフリージアの兵士が、援軍を求め、早馬を駆けて飛び込んできたのは。

 四方を森に囲まれ、豊饒な土肥に恵まれた花の都フリージア。この国は、世界でも屈指の農業国として名を馳せ、穫れた作物は大陸を超えて各国へと輸出されている。特に凍土や山に囲まれ、食料の自給が困難な国にとって、フリージアの存在は命綱と言っても過言ではなかった。しかしながら、それゆえに、フリージアは大きな武力を保有しておらず、今回のように魔王軍の侵攻を受けた場合、自力で対処する術はない。

 そこで、古くから同盟国の関係にあるアースウォリアに、いの一番に助けを求めてきたというのが、今回の経緯である。

 同盟国の援軍の要請にまず最初に難色を示したのは、総指揮官であるシウバだった。

 現在、魔王軍からの侵攻を受けているのはフリージアだけではない。西の港町マリーノに始まり、ジュノン大陸の鉄鋼国ウラズール、西の果てでは魔法都市アルカディアと、次々と魔王軍の手が忍び寄り、それぞれから助けを求める声が届いている状況だった。

 いくらアースウォリアが大国とはいえ、自国の守りすら満足に確保できるか怪しい中、その全てに援軍を出すのは容易ではない。港町マリーノが侵攻により封鎖されていることを考えれば、実質援軍に出せるのは2国。それぞれ最小の5万を派遣したとしても、先日滅びたアルラードの数よりも劣る兵力となる。

 この状況で魔王軍の侵攻を受けた場合、自国を守り切ることができるのか。歴戦の戦士であるシウバも、なんとも判断し難い表情を浮かべていた。

 しかし、そんなシウバを中心とした家臣達をよそに、国王ジゼルはあっさりと援軍を決めた。

 マリーノに10万、フリージアに5万。平時ならともかく、現状を考えれば決して少ない数ではない。

 目を見張る臣下たちに、ジゼルは、

「国の絆は大切にしなければ。生き残ったときのために」

 と穏やかに告げた。常日頃から絆の大切さを説く如何にもジゼルらしい言葉に、

シウバもややしばらく目を閉じてから静かに同意した。

 そこからはとんとん拍子だ。シウバのものの数言でジェラルド率いる第5軍がフリージア、フォーレン=ラインハルトの率いる第2軍がマリーノへの援軍として派遣されることが決まった。

 そうして、今現在、ここに至るわけなのだが。

「なぁなぁルド兄、休憩しねぇの?」

「俺、足疲れたー」

 騎士団長としてここに立っている以上、戦に赴くのには全く抵抗はない。しかし、ジェラルドには目下、大きな悩みがあった。

 そう、この左右で文句をたれる新米騎士たちの存在だ。

 アズウィルが魔王軍に引導を渡され、各国で停戦協定を結んだのはもう30年も昔のこと。つまり、現在アースウォリアの騎士として立っている者たちのほとんどが戦の経験がないのだ。無論、ジェラルドも此度の戦が初陣となる。

 それにも関わらず、それにも関わらず、だ。

 シウバはこの新米騎士二人を行軍に加えるよう、ジェラルドに指示をした。

 まともに指揮ができるかすら不安の中、よりにもよって言うことを聞かないこの二人を連れて行くのがどれほど恐ろしいことか。

 それこそ、自分が歴戦の騎士であれば、その背中を見せてやるのもいいだろう。しかし、繰り返すが、彼は今回が初陣であり、初めて騎士団長として指揮を執る。

 彼らの安全を考えるのであれば、行軍に参加させるべきではないし、せめて彼らの初陣は、シウバのような頼れる騎士の下であるべきだとジェラルドは考えていた。

 もちろん、シウバへその想いを伝えてはいるが、彼は屹然と「リュールもクロウも第5軍の騎士である」と彼に告げ、一切の抗議を退けたのだった。

「うるせえ、俺らは一刻も早くフリージアにたどり着かなきゃなんねぇんだよ!文句言うなら、ここに捨ててくぞ」

 自分の中の焦りと不安を閉じ込め、ジェラルドは二つの頭を両手でぐりぐりと押し沈める。

 行軍を開始してから半日。これからの道のりを考えれば、こんなところで疲れている場合ではないのだが、彼らは相変わらず言いたい放題だった。だから嫌だったんだ、と心の中でぼやき、ジェラルドは盛大にため息をついた。

「ははは、若いですなぁ」

 と、突如背後からかかった声に、ジェラルドは思わずピンと背筋を伸ばす。

 緑のマントの合間を縫って、後方より赤い鎧を身に着けた老騎士が姿を現した。整えられた白髪を後ろで束ね、顔には深い皴が刻まれたその男、年は既に70近くに思えるが、溌溂としたモスグリーンの瞳は、彼の若さを窺わせるに十分な輝きを帯びていた。

「ゼル殿」

 ジェラルドがそう呼ぶと、老騎士は柔和に微笑み、ジェラルドの隣に並んだ。そして、不満げに口を尖らせる少年達を順に見つめ、もう一度豪快に笑う。

「鍛え方が足りませんぞ、リュール殿、クロウ殿。私なんてもうそろそろ60ですが、3日くらいなら休みなしで歩き通しできますからな」

「3日って」

「ぜっっってえ、無理」

「あっ、こら、お前ら!」

 相手が年上でもお構いなしの二人に、ジェラルドは咄嗟に二人の襟元を正させるが、ゼルと呼ばれた老騎士は、気になさるな、と彼を制する。

「私も昔はやんちゃでしてね、行軍の度に愚痴の一つも漏らしたものです」

「いや、でも」

「いいではありませんか、今の我々は目的を同じくする同士。いわば仲間です。仲間同士軽口を叩けるのはいいことです」

「ほら、ゼルさんもいいってさ、ルド兄」

 朗らかに笑うゼルに調子づいたのか、若草色の寝癖の少年――リュールが隣でケラケラと笑い、赤髪の少年――クロウが、同意するようにニヤニヤとジェラルドを見る。

 そこにゼルが、一緒になって笑うとなると、正直ジェラルドには対抗する術がない。

 もちろん、ジェラルドが少年たちの無礼に対し、ここまで慌てているのには理由がある。

 彼、ゼル=シグウェドは、その成りからわかるようにアースウォリアの騎士ではない。

 今回、フリージアの援軍にはジェラルド率いる第5軍の他に、5千、別の兵が同行している。

 フリージアの援軍要請と同日。はやって来た。

 は自らを義勇軍と名乗り、魔王軍を倒す為に満を持してこのアースウォリアの地に訪れたという。

 揃いの真紅の鎧と、数多の戦を経験してきたであろうの姿に、シウバを初め、アースウォリアの熟練の騎士たちは一様に息をのんだ。

 30年よりも昔、各国の騎士達が憧れた真紅の鎧。当時を知る者達は、一目で彼らがなのだと理解した。

 かつて"不死鳥の騎士団"と呼ばれた、最強を誇った騎士大国アズウィルのグランナイト。

 彼らが、30年の時を経て、再び戦場に戻ってきたのだと。

 ジェラルドからすれば、不死鳥の騎士団はおとぎ話レベルの伝説の存在である。そんな相手が目の前にいるとなれば、さすがの彼も緊張を隠し切れないようだった。

「お前ら、この方がどんなにすごい人かわかってるのか」

「知ってる知ってる、あのアズウィルのグランナイトでしょ」

「めっちゃすげー人だよなぁ」

 褒めているのか無礼なのかわからない物言いの少年達にもう一度注意しようと口を開きかけたところ、

「それは褒めすぎですな。ただのジジイですよ、ジジイ」

 やはり朗らかに笑うゼルに、ジェラルドは諦めてがっくりと項垂れるしかなった。

 直後。馬の蹄の音が、色とりどりに重なる岩の壁に反響し、彼らにその存在を知らせるように降りつもる。

 後ろを歩いていた騎士達の隊列が、一瞬で左右に割れ、逞しい栗毛色の馬に道を開いた。

 一騎の馬が一直線にジェラルドへと迫り来るのを確認し、ジェラルドは自分の位置を知らせる為片手を上げた。向かってくる騎士は真紅の獅子の旗を上げ、身に纏う外套は黄金色をしている。これが意味するのは――。

「ジェラルド様!」

「どうした!」

 やってきた騎士は、顔に焦燥の色を浮かべ、ジェラルドの前で滑るように馬から降り、そして、息を乱したまま、懐から取り出した書状を彼に手渡した。

 黄金の獅子の印。――国王ジゼルの書状である。

 まさかアースウォリアに何かあったのではと、ジェラルドは慌てて書状に目を通すと、

「……まじかよ」

 片手を目に当て、嘆くように天を仰ぐのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

闇に謳えば 藤宮ちかげ @yamiuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ