このイカれた世界の片隅に

ロッキン神経痛

オーサワとコザワ

 スイス上空で発生したブラックホールのせいで、地球が十年以内に消えて無くなる事が決まったのは、俺と親友の大沢おおさわが同じ高校に入学したばかりの頃だ。


 何でも人工的に作った安定質ブラックホールを利用したエネルギー炉の開発実験が大失敗したらしく、ニュースによれば今後の復旧は絶望的。スイスを丸ごと飲み込んだ、ガンツの球みたいに真っ黒な球体によって、母なる大地は現在に至るまでシャーベットアイスみたいにゆっくりと舐め取られている。


 最初の数ヶ月間、テレビではどのチャンネルに変えても代わり映えしないブラックホール球の映像が連日連夜中継されて、合間に世界各地で起きた暴動やテロの映像が流されていた。


 その中でも、世界征服を標榜する頭のおかしいテロリストが出現してパリのエッフェル塔が爆破された事件は衝撃的だった。複数人のテロリストに占拠されたエッフェル塔が、爆発音と共に溶かした飴みたいに真っ二つに折れて、中に居た観光客がボロボロと空中に飛んでいく映像。それを物理の若い教師が授業そっちのけで、食い入るように見ていたのを覚えている。


 俺たちが高校二年生になった年――つまり去年は、「そんじゃ人類史の最後に一発かましときますか」みたいな気楽さで、各地で戦争が勃発し始めた。

 結果、夏が始まる前にEUは崩壊して、冬過ぎには北朝鮮と韓国と北海道の大半が中国とロシアの領土になった。札幌防衛線では、今も自衛隊が奮闘しているらしい。後は、中央アジアの何とかスタンって国の独裁政権が国民を虐殺したり、地球上の全人口の1割が自殺したりと、世界が終末をハッキリ認識した年になった。


 そして今年、このイカれた世界の片隅で、俺達は高校三年の夏を迎えていた。


 あのブラックホール事変からは、二年三ヶ月が経つ。どんな刺激的な物事にも人間は慣れてしまうみたいで、最近じゃテレビで話題になる事も少なくなっていた。


 かといって記憶に無かった事には出来ないようで、まるで祭りの翌朝の静けさのように、世界にはゆるやかに死を受け入れる諦めムードが漂っている。


 当初国内であれだけ多かった自殺者も、何なら事変が起きる前年よりも減少しているらしい。どうせ死ぬんだから、と勢い会社を辞める人たちも多くて、鬱病患者の数も激減したそうだ。なんだか馬鹿馬鹿しい話だな、と思う。


 そんな「国民総終活時代」なんてつまらない言葉が流行語になってしまう昨今ではあるが、当の俺と大沢の日常は、人類史の終わりが決まる前から大して変わってはいなかった。


 というのも俺達は、世間の人々が本質に気づく少し前から、このかけがえのない、無気力かつ無意味に紡がれていく日々の尊さを知っていたのだ。


 中学三年生の秋、青春という名の限られたロウソクをガスバーナーで炙るみたいに受験勉強に没頭するクラスメイトを横目に、俺達は残り少ない青春を有意義に使う為、自分の思うままに生きてやることを決めた。


 命短し、だらけよ男子。


 ブラックホールがあろうとなかろうと、既にその覚悟が完了している俺たちの日常は、今日も明日も淡々と過ぎていく。せいぜい世界が終わるまでは。





「ほんでな、今日、隣町のコロッケ屋でもやるらしい。終末セール」


「しゅうまつセール」


 学校の屋上で俺は、会話のリズムを維持する為だけに大沢の言葉を復唱する。復唱しながら、そういえば1限目は数学だったと思い出す。しかし思い出すことに意味は無い。どうせ今日も一日、ここで時間を潰すだけだからだ。


「最近、タダ同然で投げ売りするのが世間で流行っとるってテレビで見たやろ? ほら、アップルストアの前で炊き出しみたいに並んでるアホ共の列。あいつらアホやよなぁ、もうすぐスマホも使えなくなるっちゅうんに……まあええか。ほんでそれに影響されたのか、今度は商店街でコロッケ全種類が九割引って訳よ」


 大沢が言ってるのは、スマホが破格で買えるキャンペーンのことだろう。世界中のアップルストアで暴動が起きる中、東京では延々と順番待ちの列が作られて、日本人は世界が終わるまでルールを守り続けるのだろうか、なんてコメンテーターが話していた。まさかコロッケも林檎マークのスマホと同列に並べられる日が来るとは思っていなかっただろうな。


「九割引ってさ、もうそれ、タダで良くねぇか」


「だよな? 俺もそう思って一人考えてみてんけどな……」


 大沢は鼻の頭を掻きながら続ける。


「やっぱ地球が終わる~! ってどんだけ言われても、現に俺達まだこうして生きてるやんか。やから、どこか懐疑的? みたいな、地球の終わりを認めたくないよ~最後の最後まで生きてたいよ~! って動物的生存本能がおばちゃんの中で目覚めているんじゃないか、っちゅう結論が昨晩俺サミットで可決されたんやわ」


「どゆことよ」


「やから、あの店のおばちゃん、これまで何十年もコロッケ売って銭稼いで生きてきた訳やろ。で、コロッケなんて、あんなもん捏ねたジャガイモ揚げて売るだけの、言うたら一個売って何十円の利益が出るかって世界やんか? それを九割も引いたら、原材料費すらペイ出来るはずないのに、あえてそれを引くっちゅうのは、もう生きてくことを諦めた訳や?  つまり生存権の放棄ってことや?」


 片眉を上げつつ、ずいぶん穴だらけの論理で大沢が言う。こいつ生存権って言いたいだけじゃないだろうか、と思いながらも俺は黙って頷く。


「つまり、既に九割方おばちゃんは生きていく事を諦めてる訳。死ぬ気満々マンや。それなのに一割分の代金を頂こうっていうのは……」


「いうのは?」


 大沢は指を一本立てて言う。


「九割死ぬ気満々やけど、一割分だけ生きるのを諦めたくないっちゅうおばちゃんの本当の気持ちが現れてるってことや! つまり大嫌い大嫌い大嫌い……大好きってこと!」


「やけに古いな、そしてお前は天才だな」


 天才だな。これは俺の口癖だ。自動再生応答音とも言う。滅茶苦茶なことを言う大沢に対して、適当な返事の思いつかない時に流れるビープ音。いいねボタン。もちろん本当に天賦の才をこいつが持っているだなんて思っちゃいない。俺達は、普通に人類史最後の青春を過ごす普通の高校生なのだから。


「そうやろ?」


 言って大沢は自慢げな顔になり、タバコを吹かす真似をする。ちなみに俺達はサボリ魔ではあるけれど、不良ではないからタバコは吸わない。だから大沢は指を裏ピースにして口の前で前後させる。肺に煙を吸い込み、一度間を置いてからゆっくりと細く吐き出す仕草は、遠目から見れば、完全に喫煙者のそれだ。実際、彼は二階の職員室の窓からそれを見ていた体育教師に誤解され、吸い殻もないのに生活指導室に連行されたこともある。


 まあ、そもそも授業をサボるという行為を不良的行為であると言われては立つ瀬がないが、今の世の中じゃ善悪も道徳もあらゆる物事の境界が曖昧になってしまっているのだから、飲酒喫煙暴力その他法令違反をしなければ不良じゃないという俺たちの控えめな定義くらい、世間は受け入れてくれるはずだと思う。


「吸い方の模倣も天才的だ。それで喫煙経験がないとは誰も思わないよ」


「まあな、ベランダに立つ親父を撮ってめっちゃ研究したからな」


 その時風が吹いた。大沢は目を少し細めてからエアタバコの灰をちょんちょんと落とすフリをする。同時にチュンチュンと、雀が俺達の足元にやってきてパンくずを拾い始めた。俺達の朝は、こいつらへの餌やりから始まっている。菓子パン片手にじっと見ていると、三羽の雀が更に寄ってきて、大きな欠片を合計五羽で奪い合い始めた。


「チュンの数、今日は多いな」


 俺は手元の菓子パンをちぎり投げながらそう呟く。すると大沢が肩眉を上げて言う。


「……お前さ、前から思ってたんやけど、雀のことチュンって言うのな」


「言うけど?」


 俺は眉間に皺を寄せている大沢の顔を見つめた。


「いや、それが何かって顔されてもな。まあ、俺もこれに何か物申したいことがある訳やないから、別にいいんやけど……」


「チュンチュン鳴くからチュン。別におかしい所ないと思うけどな」


 ふうん、と生返事をして大沢は、何を思ったのか灰を落としたはずのエアタバコを無造作に胸ポケットに入れる仕草をした。こいつの親父の胸ポケットは携帯灰皿にでもなっているんだろうか。


「いや、それはおかしくねぇか」


 今のは俺じゃなく、大沢の台詞だ。


「何がだよ」


「チュンチュン鳴くからチュンなら、犬はワンワン鳴くからワン。猫はニャンニャン鳴くからニャンになってまうやろ?」


 俺は少し考えてから、答える。


「ウチでは猫のこと、ニャンって呼ぶけどな」


「いや、そういう事じゃねーよ」


 大沢は手の甲を使った古典的なツッコミをしてくる。


「……そんな事言ったら俺のニャンよりも、お前のエアタバコの方が変だろ」


 ちょうど、聞こえるぎりぎりくらいの声で俺は呟く。


「はぁ、何が?  何がです-?」


 語尾を上げてわざとらしく、大沢は顔を歪めた。なんていやらしい顔をするんだろうか。


「だって、タバコの吸い殻をポケットにしまうのは、おかしいだろ」


「はい残念小沢おざわくん! これは、電子タバコでした!」


 待ってましたとばかりに大沢は胸ポケットからエア電子タバコを出す。そしてもう片方の指で、タバコよりも若干大きめのシルエットをなぞって見せつけてくるのだった。


「いや、地面に灰落としてただろ」


「……あっ」


 自分で気づいていなかったらしい。今後は電子タバコ利用者を撮影しないとな。

 雀はチュンチュンと鳴きながら、パンくずを食べ終えて青空へと飛んでいった。


「まあ、あれは電子タバコを使い始めたばかりの喫煙者がやってしまう癖を再現した訳や」


 言って、ドヤ顔で大沢は立ち上がるとエア電子タバコを握りしめ、屋上から遠くに投げ捨てた。


「なるほどお前……天才、だな」


 俺は息を細く長く吐く。通称ため息。

 一限目の終わりを告げるチャイムと一緒に腹が鳴った。





「コロッケうめぇな!」


「ああ、美味だな」


 隣町の商店街を、俺達はコロッケを頬張りながら歩いている。


 途中、青白い顔をした中年警官とすれ違ったけれど、平日に学ラン姿で出歩く俺達を見ても顔色ひとつ変えなかった。多分おまわりさんも、残り少ない人生を学生の補導なんかに使っている暇はないんだろうと思う。


 ブラックホール事変の前からシャッター通りだった商店街は、今ではコロッケ屋以外の店がひとつもない有様だった。


 ちなみに終末セールを開催したマルモトコロッケのおばちゃんは、店を畳んで余生を一人息子とのんびり過ごすことにしたらしい。ヤケクソ自殺セールじゃなく、単なる在庫処分だったようだ。


 落書きだらけのシャッター街を大沢と二人、ふらふらと歩いていると、商店街のゲートの下で今度は若いおまわりさんと目が合った。俺達が軽く会釈しつつ通りすぎようとすると、今度は呆れ顔で引き留められた。


「なあ君たち、学校は?」


「「開校記念日です!」」


 俺達はぴったり合った息でそう返す。


「はぁ、じゃあなんで学ラン着てるの」


「……まあ、その、今日はそんな気分だったんで」


 これには大沢が気まずそうに返答する。休みの日に学ラン着たい気分がどんな気分なのかは俺も知らないけれど、女子高生だって制服着てディズニーランドとか行ってるし、意外に的外れな回答ではないとは思った。しかし若いおまわりさんは納得しなかったらしく、ため息を尽きながら学生証の提示を求めてくる。


「「あっ、忘れてきました」」


 コロッケを片手に、もう片方の手で制服のポケットを探る真似をする。今度も二人の息はぴったりだ。もし世界が終わるまでにゴジラの次回作が出たら、モスラと一緒に妖精役で出演出来るくらいぴったり同じ。身長も2センチくらいしか変わらないから適役だと思う。ちなみに若干背が高いのは大沢の方だ。


「そのコロッケ……そっか、セールも今日までだったな。なあお前らコロッケ好きか?」


 何故だか神妙な顔でおまわりさんは言う。


「大好きです。あ、もしかして、これあげたら見逃してくれますか?」


 そういって俺がコロッケを差し出すと、彼はもう一度深いため息をつく。首を大きく振って、やれやれとでも言いたげだ。


「はあ、おまわりさんも仕事とはいえ大変ですね」


 俺は心から共感を込めて言う。共感は世の中でやっていく上で大事な要素だ。


「なら、学生の仕事を果たしてくれよ」


 確かに、もっともだと思う。


「でも俺達、さっきお兄さんの上の人に見逃してもらいましたよ」


 何が「でも」なのか分からないけれど、大沢はそう言って商店街の奥の方を指差す。すると、大沢の指の先を見た若いおまわりさんの顔色はみるみるうちに変わっていった。


「それって、鼻の横にイボのある人?」


「ああ、確か右の方についてましたね。髪はこう、白髪交じりの」


 大沢は、両手で髪の毛を後ろにひと撫でする。


「うわぁ……勘弁してくれよ……」


 ため息をつき、あからさまに落ち込んでいるおまわりさんに事情を聞くと、どうやらさっきの中年警官は既に1ヶ月前に死んでいるはずなのだという。それも、拳銃で自分の頭を撃ち抜いて。


「うっわ、痛そう」


 大沢は右のこめかみを押さえながら、どこかズレた反応をした。


「最近多いですよね、幽霊」


 俺は思い出し、小さくため息をつく。


「俺達、霊感とか全く無かったんですけど、今年に入ってからは毎週のように見てますよ」


 そう言って、両手を腰の前で垂らしてみせる。ひゅーどろどろ、幽霊のポーズ。


 巷で幽霊の目撃情報がやたらに多くなったのは、やっぱり例のブラックホールの影響だと言われている。昨日見たテレビでも、色んな説が挙げられていた。特殊な磁場が幻覚を見せているだとか、あの世とこの世が逆転する前触れだとか。


 でも俺は、幽霊だって地球最後の日くらいは、人目を気にせず楽しく過ごしたいからだろうと思っている。死にゆく俺達と既に死んだ彼ら。どっちも同じ地球に依存する仲間なのだ。最後に舞台裏の彼らが表に出てきたって良いじゃないか。


「幽霊差別じゃないけどさ、荻野さんが歩き回ってるとなると、しばらく商店街は通れないなぁ。ほら……知ってる人の幽霊ってさ、人となりを知ってるだけに尚更怖くない?」


「怖いっすね、しかも拳銃自殺っすもんね」


「そうそう、いくらこの世の終わりだって言っても、よりによってあんな悲惨な死に方しなくてもいいと思うんだよ。しかも第一発見者、俺だよ? 巡回から帰ってきたら交番が血の海になってんの。マジでトラウマになるって。今でもたまに夢に見るしなぁ……」


 幽霊トークをきっかけに、まるで友達に話すみたいな口調になった若いおまわりさんは、そのままなあなあで俺達を解放してくれた。中年幽霊は高校生を救う。ありがとう鼻にイボのある荻野さん。その魂よ安らかであれ。


 気づいたら、空は紫色に変わり始めていた。


『大沢君、小沢君』


 すっかり冷めてしまったコロッケを手に家路に着いていると、住宅地の真ん中で小さな声に引き留められた。俺達が同時に振り向くと、そこに青白い顔をした女の子が立っていた。


「小沢……これってさ」


「たぶん」


 また幽霊だろう、とは本人の手前言わなかった。


 足は見えるけど影が見えない。そこに居るけど存在感がない。俺達と同じ高校のセーラー服を着た彼女の胸元には、赤く歪んだ水玉模様の描かれたシャツが覗いている。そしてそれが、彼女自身の血染みである事に気づくまでいくらもかからなかった。


小豆島しょうどしまさん……」


 今目の前に見える彼女、三年二組の小豆島さんといえば、先月凄惨な殺人事件に巻き込まれた被害者として有名だった。


『二人に、私を殺した犯人を探して欲しいの』


 口を半開きにして、暗い瞳をこちらに投げながら彼女は言う。

 そのこめかみには、黒くて丸い穴が空いていた。白い肌は、蝋を塗ったみたいに無機質だ。その肌に、穴から赤黒い液体が流れていくつも筋を作っていく。


『私、突然、背ろから撃たれて……見て、それからずっと頭が痛いの。ねえ、私を助けて?』


 報道では、彼女は何者かの手によって、夜中、部活帰りの通学路で射殺されたという話だった。凶器が凶器だけに、すぐ犯人は捕まるだろうと思っていたけれど、最近の警察は辞める職員と発生する事件の数が比例して増え続けているせいか、その事件に進展があったという話は聞かない。また、事件直後から彼女が成仏出来ずに往来を彷徨っているという噂もあったのだが……どうやらそれは本当だったらしい。


 ドロドロと血を吹き出す小豆島さんの幽霊の前で、顔をしかめながら俺は大沢の方をじっと見た。俺達の考えは、まず一致しているはずだ。


 ……すると大沢は、頬を不自然にぐいっと上げて、口元だけでにっこり微笑んだ。


 だから俺も、それに同じくらいのわざとらしい笑みを返す。

 

 それは、楽しい青春を脅かす面倒事に巻き込まれた際、俺達が最も多用する合図だった。


「はい!」


 大沢が少女の足元にコロッケ(食べかけ)を置く。


「これやるから成仏してくれよな……じゃっ!」


 そして腕をビシッと直角にして別れを告げた。


「犯人捜しなら、まっすぐ進んだ先に交番があるから、そこでおまわりさんに聞くと良いよー!」


 その背後で俺は、既に一足先に走り出していた。


「うわっ、小沢ずっる!置いてくなって!」


「あはははっ、悪い!今度コロッケ奢ってやるよ!」


「もう店がねえっての!」


 全力ダッシュで走りながら後ろを見ると、幽霊の小豆島さんは、固まったまま地面のコロッケを見つめていた。きっと、その内誰かが助けてくれるだろう。それが俺達じゃなかっただけだ。


 地球の最後にうっかり生まれてしまった俺達の青春は、卒業を待たずして終わりを迎えるのかもしれない。


 そんな残りわずかな平凡で無気力な楽しい毎日を――例えそれが死んだ元クラスメイトだろうが――誰にも邪魔されたくはなかった。





「なあ小沢、覚えてる? こないだの幽霊」


「……商店街のおっさん?」


「いや違う、その帰りに会った女子の方な。血だらけの小豆島さん」


「あーあー、居たな」


「あの子、こないだ街で見たわ。ニコニコ顔でさ、おまわりさんに取り憑いてた」


「どゆこと」


「いやだから、あん時『私を殺した犯人を探して』とか言ってたやん」


 大沢は妙に高い裏声で小豆島さんの真似をする。


「言ってたっけ?」


「言ってたよ、記憶力ねぇよなお前」


「興味無い事に対してはな」


「……まあ、いいんやけどな。きっとあの子、お前に言われたとおり交番に行ったんだわ。で、あのおまわりさん。優しそうな兄ちゃんだったから協力することにしたんじゃねーかな? そのまま取り憑かれて、犯人探しをしてるんだと思う」


「交番……?あー、言ったっけ、そういや」


 殺人事件の犯人探し。確かにそんなことを言われて、アドバイスを返したような気がしてくる。聞けば大沢が先日見た時には、小豆島さんは肩車のような形でおまわりさんに乗っかっていたらしい。


「でもな、おまわりさんめっちゃ顔色悪かったから。生気をちゅーちゅー吸われてんじゃねーかと俺は思う」


 大沢はストローを吸う真似をしてみせる。ズココココー。人間の生気とはオレンジジュースのように吸い取られるものなんだろうか。いや、そもそも生気とは何だろうか。


「……まあ何にせよ、逃げて正解だったのは間違いないな」


「だよな? 人を銃殺するようなヤバい奴を探すなんて、高校生には無理っしょ」


「そのとおりだ」


 しかし、とっさの方便だったとはいえ幽霊を押し付けることになってしまい、少しあのおまわりさんには悪い事をしてしまったかもしれないと思う。今度、機会があれば謝っておこう。


 そのまま大沢と、人の生気とは何かと言った議題から始まり、世界情勢や昨日の夕食に至るまでを熱く話り合いながら通学路を歩いた。


「例の林檎マークの最終型スマホ、重大な欠陥で全回収になったらしいで」


「ああ、言わんこっちゃないよな。タダより高いものはこの世の終わりにだってないんだ」


 朝のニュースで、今日のブラックホールのコーナーの後に、その話題が上がっていた。スマホ所有者の個人情報やメールの内容が、勝手にネットへ放流されるバグが発生しているのだという。


 そのせいで野球チームが作れるくらいの人数と不倫をしていた政治家のスキャンダルが暴露され、テレビはその話題で大賑わいだ。


 今日も下半身事情を追いかけているこの国の平和を確かめつつ、俺達が学校に到着したところ、何やら校舎の一部に人だかりが出来ているのが見えた。


「あれは一体、何じゃらほい?」


 二人でふらふらと体育館前の人だかりへと近寄ってみれば、ドーナツのように人で出来た円の中心に、見覚えのある人物が三人立っていた。


 向かって左側には二人。

 さっき話題に上がっていた例のおまわりさんと、その横に立つ血まみれ小豆島さんの幽霊。

 

 向かって右側には、商店街で彷徨う鼻のイボが特徴的な自殺警官こと萩野さんの幽霊。


 双方は微妙な距離を保ったまま、睨みあっていた。


 息を呑んで見守るオーディエンスの表情から察するに、あまり楽しい話をしていた訳ではなさそうだ。


『どうして、私を殺したの……?』


 小豆島さんが、小さくもよく響く声(幽霊に声帯ってあるのか? テレパシー?)でそう言う。その小豆島さんの前に一歩出たおまわりさんは、前に見た時とは全く印象が変わっていた。


 具体的には、おまわりさんの右目には梵字の描かれた眼帯が巻かれていて、はだけた制服の首元には禍々しい蛇のタトゥーが刻み込まれている。おっと訂正。よく見ると蛇がうねうねと身体の中を動いているから、どうやらタトゥーではなく、もっと非科学的で月刊ムー的な何かだろう。


「荻野……! 俺はあずさを殺したお前を許さない!」


 先輩警官だったはずの荻野さんに向かって酷い言葉を投げつけ、ゆっくりと眼帯を捲りあげるおまわりさん。その下には、黒目と白目が反転した不気味な瞳が覗いていた。おええっ、精神的ブラクラじゃん。


 すると、荻野さんが肩を揺らして笑い出した。


『クッ……クククッ! 悪霊をその身体に取り込んダのか、丸本。お前はもう、マトモな人間には戻れないぞ……いいのか? その女にはお前が命を賭けるような価値はないぞ? そいつは生前、俺のことを裏切ったんだ。笑顔でいつも俺を誘ってくるから、期待に応えてやろうとしたのに……こちラを、振り向きもしなかった。ダからこの銃で、殺してやったんダ。俺も続イて死ネバ、あの世で一緒になれると思っタのにィ……、でもアア、ほら、またそうやって俺を裏切るのカ』


『誘ったなんて嘘よっ、私は、通学路の途中に交番に居たこいつに挨拶をしただけ! まさか、それがこんな最低のクズ野郎だったなんて……!』


 どうやら話から察するに、この中年クソ警官が小豆島さん殺しの犯人だったらしい。あの野郎、怪しいと思ってたんだ。そう言っている間にも、萩野の様子がおかしくなってくる。


『クズ、だなんて。嘘だロ……? 君はいつもボクに優しく笑って、くれたジャないか……?ねえ、ねえ、ねえ、はやく、一緒に、なろう、なろう、ナロ、ナロロロロロロロロロ!!!!』


 直後、荻野の鼻のイボが激しく膨張し、本体を包み込んだかと思うと、見上げる程の大きさの、モンゴリアンデスワームに巨大な手足を生やしたような化物がその場に姿を表した。慌てて逃げ惑う生徒数人を鷲掴みにして、その鋭い歯が無数に生えた口に放り込む。生徒の悲鳴が遠くなり、荻野の喉がゴクンと鳴った。モンゴリアンデスワーム荻野の身体が、脈打って更に大きくなる。


「くそっ! 罪もない命を、これ以上殺めさせはしないぞ!」


 おまわりさんが右手の甲を顔の前に突き出し、怒りを露わにしている。


「臨兵闘者皆陣裂在前!」


『だ、駄目よ! その奥義を使ったら、健一けんいちの身体が保たないって、お師匠様も言ってたじゃない!』


 両手を腰の前で不思議な形に組んでから叫ぶおまわりさんこと丸本健一さんに、小豆島梓さんがすがりついた。


「いいんだ、梓」


 丸本さんが小豆島さんの頬を撫でる。


「もし天国があるのなら、そこで一緒になろう! ……変身ッ!」


 地面が揺れて、空気がビリビリと張り詰めた。ついに周囲には誰も居なくなって、俺と大沢だけがその場に取り残されている。 


「なぁ、あのおまわりさん、健一って名前なんやな。ウチの父ちゃんと同じやわ」


「いやいや、気にするべきはそこじゃねーだろ」


 逃げ出すことも忘れた俺達の前で、おまわりさんの身体は金色に輝き出した。放射状に後光が差し、髪の毛はぐりぐりパンチパーマに。服は破けてゆったりとした着物になった。


「顕現ッ! 阿弥陀如来! いざ、強制成仏!」


 そしてゴールデン丸本さんは両手を合わせた。合掌。


「うわー、格好いい! ニチアサやん!」


「そうかぁ? 確かに神々しくはあるけど……」


 大沢は子供のように目を輝かせていた。

 そして金箔を貼り付けたような姿のゴールデン丸本さんは、合わせた手を正面に突き出した。


『ココココ……コロコロコロコロコロスススススゥゥゥウゥ!!!!』


 鼻イボから産まれたモンゴリアン荻野は、タンクローリーのように肥大化した両腕をそのまま丸本さんに叩きつける。


 凄まじい風圧が起きて、俺と大沢は思わずその場でしゃがみ込んだ。


「प्रज्ञापारमिताहृदयसूत्र! कमीनागंदागाँडकुत्ता! ॐ शुक्लाम्बरधरं विष्णुं शशिवर्णं चतुर्भुजम्।

प्रसन्नवदनं ध्यायेत् सर्वविघ्नोपशान्तये॥……शुक्लाम्बरधरं विष्णुं शशिवर्णं चतुर्भुजम्।प्रसन्नवदनं ध्यायेत् सर्वविघ्नोपशान्तये॥ॐ ह्रीः गः हूँ स्वाहा।!」


 するとサンスクリット語で何かを叫んだゴールデン丸本さんとモンゴリアン荻野の間に、眩い光の衝撃が生まれた。それは周囲を包み込み、七色の輝きを三千世界にもたらす。時空が歪み、あの世とこの世の境目が曖昧になる。あれ、猫?ミケニャン?


「お、小沢……俺……今、死んだ婆ちゃんと話してるよ……」


「奇遇だな、俺も昔ウチに居たニャンの頭を撫でてるところだ」

 

 ――気づけば俺達は、校庭で大の字になって倒れていた。手には柔らかな毛並みを撫でた感触が残っている。ああ、ミケニャン。一筋の涙を流しながらゆっくり立ち上がると、さっきまで戦いが行われていた場所の地面が大きく窪んで、その中心にほとんど裸になったノーマル丸本さんが倒れていた。


 その側で涙を流しているのは、小豆島さんだ。


「嘘……起きて、起きてよ、健一! 私にもう一度、あの笑顔を見せて!」


 俺は大沢を揺さぶり起こして、二人でその巨大な窪みの中央に歩み寄る。窪みは中央に向けてすり鉢状になっていたから、ここから出る時には気をつけないと転んじゃいそうだな、気をつけよう、と思った。


「う、うう……ここは……?」


「健一! 生きてたのね! 良かった」


「あ、梓!」


 がばっと抱き合う二人。直後に二人は顔を見合わせて叫んだ。


「梓……き、君」


「健一……わ、私」


「「生き返ってるー!?」」


 よく見れば小豆島さんの額に空いた銃痕は塞がっていた。顔色も良く、影もはっきりと見える。仕組みはさっぱり分からないけど、仏の力でモンゴリアンデスワーム荻野は消滅して、小豆島さんは生き返ったらしい。どうやら一件落着ハッピーエンドみたいだ。そしてハッピーは祝福されるべきだ。


「よく理屈は分かんねぇけど、おめでとな、小豆島さん」


「本当凄かったよ、二人共おめでとう」


 パチパチパチと、二人分の拍手が寂しく校庭に鳴る。


「ありがとう! 大沢君、小沢君」


 小豆島さんは泣きながら笑んでいた。

 彼らがここに至るまでの経緯は知らないけれど、悪いことばかりが起きるこの世界の中で、幸せになれたのならそれは良いことだと思った。




 朝から凄いものを見たせいで、ちょっとテンションの上がってしまった俺達は、その後、珍しく屋上ではなく自分たちの教室に入っていった。


 すると、あまり見ない顔が入ってきたせいか、やけにクラスメイト諸君はざわついていた。彼らに、やあやあと挨拶しながらも自分たちの席に着く。


 カーテン側の最後尾が大沢、その一つ前が俺の席だ。夏の熱風が窓から吹き込んできて、暑い。机の中から地元銀行のマスコットの描かれたうちわを取り出し扇いでいると、いつまで待ってもHRが始まらない事に気がついた。


「なあ、一体いつになったら佐々木は来るんだ」


 佐々木とはこのクラスの担任教師の名だ。


「ねえコザワ、マジで知らないの?」


「はあ、何を?」


 コザワとは俺の教室でのあだ名だ。大沢と小沢おざわ、二人の名字の音が似ているせいで、俺の方が犠牲になった。酷い話だと思う。


 俺をコザワと呼んでくる名前の思い出せない眉毛のない女子は、俺が何かを知らないという事実にいたく驚いたのか、憐憫にも似た表情を浮かべている。


 はて何の事かと首を傾げていると、大沢が助け船を出してくれた。


「俺達いつも青空教室に居るからさ、下界の出来事を知らねぇんだわ」


 言って大沢が屋上を指差しながら柔らかく微笑むと、眉無し女子も照れ気味に少し笑って事の次第を教えてくれた。ちなみに大沢はモテる。こういうさりげない仕草ってやつを、さりげなく出来るが故にモテるのだと思う。


「えっと、佐々木がさ、ここんとこめっちゃヤバかったんだよね、ほら昔、エッフェル塔のさ、動画あったじゃん――」


 ……眉無し女子は説明が非常に下手糞だった。


 理由は、女の子にありがちなどうでもいい感嘆詞がふんだんに盛り込まれており、彼女がどう感じたか、というどうでも良い部分に焦点がずれて話が左右に小刻みに脱線するせいだ。


 ここで彼女の15分にも及ぶ話を要約しよう。


 二年前、物理の授業中にテロリストによってエッフェル塔が爆破される中継映像を生徒そっちのけで見ていた物理担当の佐々木教師(のちに我がクラスの担任となる)は、あの日以降言動が怪しく頻繁に学校を休むようになっていたのだが、2週間前についに無断欠勤をして以降は誰も連絡が取れず、校長と教頭が大変困っていた。それが昨日、突然顔面に白塗りメイクを施し赤マントを羽織ってHRの時間に現れた佐々木は、「この町に冥府の門が開かれるのだ」等と意味不明な言動を繰り返した挙げ句「生徒諸君、明日のこの時間にまた会おう!」と高笑いをして二階の窓から飛び去っていったのだという。うわー、やっべーな佐々木。


「――でさ、今校庭に佐々木が来てるみたいなの」


「「それを早く言えよ!」」


 大沢と二人で手の甲を使った古典的なツッコミを入れる。道理でHRの時間にも関わらず全クラスメイト達が窓際に集結している訳だ。


 立ち上がって窓の外を見ると……おお、いるいる。


 校庭の真ん中で赤いマントの男が何か叫んでいるのが見えた。


「私を虐げてきた世界よ、その報いを受けよ!」


 見た目にぴったりな悪役台詞を叫び。


「ククク……ハハ……アーッハハハハハ!」


 そして百点の悪役高笑いを上げている。


 俺達が屋上に居る間に佐々木がこんな面白いことになっていたなんて、たまには授業にも参加しないとな、と反省する。


 廊下では、教師達が眉毛を八の字に曲げて相談しているようだった。仕事とはいえ、遅めの春を迎えた同僚の世話をしなきゃいけないなんて、大変だと思う。


 ……さあ、面白い見世物も見たし、ぼちぼち青空教室に戻りますかね、と大沢と二人窓に背を向けたその時。地面がぐらりと小刻みに揺れて、机の中から物が落ち始めたのだった。


「地震だ!」


 誰かが叫んで、キャーだのワーだのと教室中がうるさくなる。足元のバランスを取りながら、俺はふと振り向いて、そこで何かを見つけた。


「……おい、大沢」


「何だよ!」


「見てみろ、窓の外」


「うわっ、やべえってこの地震、早く避難しようや!」


「いいから見てみろって!」


 逃げようとする大沢の肩を掴んで、そのままぐいっと窓の方へ向ける。初めは困惑していた大沢も、それを見つけて固まっていた。


 いつの間にか地震は止んでいて、パラパラと学校の外壁が落ちる音が遠くにしている。クラスメイト達も、言葉を忘れたまま立ちすくんでいた。そりゃそうだ、こんなものを見てどう反応すればいいってんだろうか。


「うわー、でっけぇ」


 小学生並の可愛らしい感想をどうも。

 

 声の主である大沢の方を数人が振り返って、沈黙。また窓際に目線が集中する。


 その窓の向こうには、禍々しい姿をした怪獣、としか言い表しようのない何かが立っていた。


 全身が真っ黒で、校庭が半分見えなくなってしまうくらいに巨大な体躯を持っている。胸がゆっくりと上下している事から、呼吸をしている生き物である事が分かる。


 太い脚には真っ白な太い爪が四本。長い尻尾が空中で上下していて、まるで何かを待っているみたいだった。そして、何よりその怪獣の肩には……


「あれ、佐々木よ!」


 眉無し女子が叫んで怪獣の肩を指差す。同時に息を取り戻したようにざわめくクラスメイト達。

 

 そう、怪獣の肩には赤いマントを羽織った白塗りの担任教師が立っていたのである。相変わらず悪役高笑いをしている佐々木は、俺達の方を指さしてこう叫んだ。


「蹂躙せよ! 冥界の最終兵器、ヴォギュラドトスよ!」


 言葉の意味は分からなくても、この後の展開は多少予想がつく。俺達は一斉に反転して我先にと廊下を目指した。


 怪獣が歩く度、地面が大きく揺れる。


 背後から怪獣の足音が近づいて、同時に飛行機が飛び立つ時のような巨大な音がした。するとそれ以降、歩行音が聞こえなくなった。


 窓枠に張り付き、足をばたつかせている数人の女子生徒の背中を踏み台に廊下に出ようとしていた俺は、その沈黙に振り返る。そして、また言葉を失った。


「すっげー、カッコイイ!」


 大沢、ありがとう。


 そこには、確かにカッコイイと形容するにふさわしい巨大ロボットの後ろ姿があった。背中に付いた4つのアフターバーナーが下向きに青い炎を出して、ゆっくりと地面に着陸していく。その高熱を受けたせいか、窓ガラスが変形してカーテンが黒い煙を上げた。


 巨大なカッコイイロボは、轟音と共に怪獣の方へと前進していった。ガシャガシャと身体を揺らし、右腕を大きく振り上げる。すると肘の後ろに付いたジェットエンジンが火を噴き、加速した強パンチを佐々木の怪獣に食らわせる。顔面直撃。黒い怪獣は緑色の血を噴出させた。すげえ、こないだ見たパシフィックリムみたいだ。


 佐々木は怪獣の腕に必死にぶら下がったまま、何かを指示している。それに応えるように怪獣はロボットの左フックをかわし、そのままロボットの左腕を根元から噛み千切った。ケーブルがバチバチと火花を上げ、よたよたとバランスを崩したカッコイイロボットは尻餅をつく。


「一体、何が起きているんですかこれは……」


 目の前で繰り広げられるスケール1分の1ヒーローショーに固唾を飲んでいると、今度は廊下側から震え声がする。振り返って見れば、そこにはバーコードハゲの校長と、鼻眼鏡の教頭が立っていた。


「校長……私は夢を見ているんでしょうか」


 中年二人組は目を白黒させながら教室に入ってくると、俺達と一緒に口をぽかんと開け、規格外の戦いを観戦し始めた。


 怪獣は爪を立てて腕を振り下ろす。しかしそこにロボットの姿はなく、空振りした攻撃は校庭に大きな亀裂を作った。素早くローリングして立ち上がったロボットは、残った右手で腰の巨大ナイフを抜くと、怪獣の首にそれを突き立てる。ギャオオオと野太い絶叫が響き、怪獣はのたうち回った後で口から勢いよく火球を吐き出してから倒れた。


 怪獣が放った火球は、炎に包まれたマグマのようだった。それが不幸にも真正面からロボットに命中し、そのままロボットは飛ばされて校舎に激突した。俺達が叫ぶより先に、衝撃が全身を襲う。


 女子の悲鳴と瓦礫の崩れる音が響き、遅れて風が吹き込んでくる。とっさに瞑っていた目を開けると、そこには窓側から半分が崖みたいに崩れ落ちた教室と、校舎にもたれかかるようにして止まっているロボットの姿があった。校舎は半月状にえぐれてしまっている。俺達のクラスは左肩の先にあったので、ぎりぎり助かったらしい。


『パイロット両名死亡。機能停止。臨時登録受付開始』


 カッコイイロボットの目の部分が点滅し、そんな機械音声が流れた。恐る恐る壁の吹き飛んだ崖から身を乗り出してみると、マグマを正面から受けたせいか、ロボットの分厚い装甲が溶けてコックピットらしき空間が半分剥き出しになっていた。中には二人、ヘルメットを被ってぐったりとしたパイロットの姿も見える。

 

 機械音声の言う通りなら恐らく死んでいるだろうパイロットを見ていると、コックピットの奥の方からその穴をくぐり抜け、球体状の何かがこちらに向かって飛んできた。驚いて身を引くと、ふわふわと宙に浮いた黄色い何かが、教室に滑り込んで来る。


 数歩下がる。瓦礫に足を取られて倒れそうになった所を大沢が支えてくれた。


「なんやこいつ……めっちゃ浮いてるやん。なんかさっきから展開が早すぎて頭が追いつかんわ」


「ドッキリじゃ、なさそうだな」


 黄色い球体は、パカンと二つに分かれた後、ガシャンガシャンと変形して羽の生えた妖精のような見た目に変わった。スカートの下からバーナーの上げる青い炎がチラリと覗いている。これで宙を浮いているのだろう。


『『私たちと一緒に、戦ってくれませんか』』


 2体の妖精型ロボットは手を繋ぎ、目をカチカチと点滅させながら言う。


『『私たちは、別の世界線の地球からやってきました。冥界の最終兵器ヴォギュラドトスは、この世界線の地球の兵器では対処の出来ない、恐ろしい超進化生命体です。』』


 明らかに俺達二人に向かって語りかけている妖精型ロボットは、くるりと半回転して瓦礫にもたれかかるカッコイイロボットを指さした。


『『彼、セイブアースは超進化生命体と戦う為に生まれた人型決戦兵器です。でも、彼には命令を下す人間が二人必要なの。それも、心を通わせ合い、友情という深い絆に結ばれた男子二人が……』』


 クラス中の注目が、俺と大沢に集まった。ごくりと、固唾を飲んで見守っているのが分かる。ふと窓の外を見ると、校庭で怪獣がゆっくりと立ち上がっているのが見えた。


 俺は真剣な表情で、大沢の顔をじっと見た。


 すると大沢は、わざとらしく頬をぐいっと上げると、口元だけでニッコリと笑った。





「なんかな、ここ、怪獣記念館になるらしいわ」


「かいじゅうきねんかん」


 学校の屋上。パン屑をひょいひょい投げながら、俺は大沢の言葉を復唱する。足元には十数羽のチュン達がうごめいていて、流石にちょっとキモい。


「最初は校舎も全部取り壊すって話やったけど、国のお偉いさんの命令があって、例のロボットのレプリカを置いて、超進化生命体との戦いを記録する記念館にするんやってさ」


「ふうん、そりゃ良いね」


 言いながら、俺は手に持った黒い筒の蓋をかっぽんと外す。中には卒業証書が入っている。


 俺達の輝かしくも楽しい青春は、悲しいくらいあっという間に終わってしまった。この後待っているのは、いわば世界が終わるまでのロスタイムだ。


 校舎が半壊したのをきっかけに、俺達の学年で学校は廃校になる事が決まった。だからこれは、この高校で発行される最後の卒業証書になるのだろう。


 意外にも、卒業式では少し悲しい気分になった。授業に参加してなくても、ここが俺達の居場所だった、って事だろうか。


 二人とも進学の予定はなく、というか国内の大学は軒並み潰れているし。数年内に世界が終わるとなれば働く気にもなれないから、俺達はスウェットとジャージでも着て、明日からも変わらず、どこかで延々と駄弁っていくんだろうと思う。


 無感動な目つきで筒の中を眺めた後、また蓋をする。


 大沢は、片方の手でぽんぽんと筒を叩きながら、青い空を見ていた。


「おー、やっとるやっとる」


 ドカンと空気を振動させ、花火のような音が青空に響く。


 空を見上げると、親指の爪くらいの大きさで怪獣とロボットが戦っているのが見えた。最近の怪獣は、大きな羽根が生えているらしい。


 それに対抗するように、先月からフルアーマーに換装されたらしいカッコイイロボットことセイブアースは、背中に積まれた二基の巨大バーニアで飛行機雲を形作りながら飛び回っている。


 平凡で退屈な青春。


 その最後の日々を邪魔されまいと心に誓う俺達は、当然あのロボットには乗り込まなかった。


 代わりにあの中には今、校長と教頭が乗っている。


 二人が操るロボットが多弾頭ミサイルを肩から発射し、それを怪獣が口から吐くレーザーで撃ち落とす。もはや見慣れつつある、この町の新たな日常風景だった。


「仕事とはいえ、大変だな」


「でもな、案外二人とも結構楽しそうやったぞ。年齢的にも良い老後の趣味が出来たんと違う?」


「まあ……趣味があるってのは良いことかな」


「やろ?」


 大沢がエア電子タバコを吸って、空にエア煙を吐き出す。そして少し歪んだ屋上の手すりに身体をもたれかけ、二人で空を見上げる。


 ちょうどロボットが、鋭く旋回して巨大な銃を撃つ所だった。とびきり大きな音と共に、羽根と胴体を貫かれた怪獣が力なく落ちていく。それを目で追って


「「あちゃー」」


 二人でため息をついた。


「あそこに落ちてもうたら、今日の終末セールは取りやめやな」


「店舗解体の手間も省けて良かったんじゃないか」


「不謹慎やで」


 大沢に言われて、俺は肩をすくめる。

 巨大な怪獣が落下してしまったデパートの方を見て、何の気なしに視線を下に向けると、校門の方から誰かが走ってくるのが見えた。


「大沢見ろよ、あれ」


 まだ空を旋回する校長達を見ている大沢の肩を叩いて、俺は下を指差す。


「うっわー、また面倒臭そうな展開やな」


 見れば全身が真っ白な女の子が、黒いスーツとサングラスをした男達に追われながら、人気のない校舎に駆け込んでくる。


 俺の見間違いじゃなければ、黒服の男達は手に拳銃らしきものを握っていた。これは、確かに面倒臭そうだ。


「……なぁ小沢、どうして俺らこんな時代に生まれてしまったんやろな」


 すると唐突に大沢が言う。


「俺な、もっともっと早く、それこそ百年も早く生まれてたら、大人になる心の準備も出来たと思うんやわ」


「嘘こけ。仮に俺らが百年前に生まれたとしても、こうしてぼんやり空を見てると思うぞ」


「うーん、それもそうかもしれん」


「だろ? だから嫌々にしろ、大人になるならこれが良いタイミングなんだよ、多分」


「大人になれっかなぁ……」


「なれなかったら、またここに戻って来ればいいよ」


 そう俺が言うと、大沢は少し顎に手を当てて考える仕草をしてから呟いた。


「準備運動、しとくわ」


「そうだな、それがいいと思う」


 そうして屈伸を始める大沢の隣で、俺は手に持った菓子パンの残りを無造作に千切ってチュンの群れに投げ込んだ。


「今日で最後だからな、皆しっかり食べとけよ」


 その後二人でアキレス腱伸ばしをしていると、バタンと校舎のドアが開いて、中から真っ白な髪の少女が顔を出した。


 病院の患者服のような衣服に身を包まれ、顔のあちこちを怪我した少女は、後ろ手にドアを閉めるとハァハァと肩で息をしながら、その場にしゃがみ込む。


 その手には、林檎マークのスマホが握られているのが見えた。それを彼女は胸の前で包むように持ち直す。


 そして、俺たちの視線にやっと気づいた彼女は、こちらを見てビクリと身体を強ばらせた後、少し躊躇った素振りをしながら口を開く。


「……お願い、助けて」


 卒業証書入りの筒を手に握り、同時に少女の方を向いた。

 強い風が吹き、チュンの群れが飛び立つ。

 大沢はエア電子タバコを地面に落とした。

 もう確かめるまでもない。

 俺達は、ごく自然に微笑んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

このイカれた世界の片隅に ロッキン神経痛 @rockinsink2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ