紙の上にある、わたしだけの孤独。

シキ

第1話 その少女は、主人公

「ふぁ~」


 大きな欠伸と共に、わたしの一日は始まった。


 周りを見回してみると、目の前には透き通った海が広がっていて、後ろには鬱蒼とした森があった。そういえば昨日は海で遊んでいたんだっけ。木造屋根の休憩所に布団を敷いて寝たものだから、枕は塩の匂いが酷い。きっとわたし自身も磯臭いんだろうな。


 周りに気にする人はいないけど、わたしが気になるから、まずはシャワーから。

 一つパチンと指を鳴らすと、砂浜の上に簡易シャワーが現れた。水がどこからきているかって? そんなのわたしの知ったことじゃない。

 熱いシャワーを頭から被り全身を流す。

 今日は何をしようかなぁ……それを考える前には朝ご飯の方が先か。朝は……少し重たいけど、海だったらやっぱり。


 乾いたタオルで髪を拭きながら簡易シャワーを出ると、先程まであった休憩所は綺麗さっぱりなくなり、海の家が出来ていた。テーブルに椅子、熱しられた鉄板の上には、すでに海の匂いに負けないくらいのソースの匂いが漂っていた。

 白いシャツに短パンを穿いて、わたしは鉄板前の特等席に腰をかける。すでに出来上がっているやきそばをお皿に盛り、両手を合わせた。


「いただきます!」


※  ※  ※


 わたしが初めて貴方に気付いた時、わたしには『織華』という名前が与えられた。


わたしは高校生で、三人の友達がいた。『蓮』と『絵美』と……えーっと、あと一人は誰だったっけ? まぁいいや。とりあえず、高校生のわたしは毎日を楽しく暮らしていた気がする。『蓮』はわたしの事が好きで、わたしも結構気になっていた。だから、生活をしていく上で、『蓮』と一緒に行動することは他の二人より多かった。

 そして、そのきっかけは訪れる。いつだったか『織華』が何度も夢に見た、『蓮』に告白されたその瞬間だ、わたしはその時、『蓮』以上に気になる存在が出来てしまった。


 その前に、『蓮』との恋の結果を言っておくと、わたしの『織華』としての恋は最終的には叶う。その先の事はわたしは詳しく知らないけど、そう記されていたから、『織華』と『蓮』はきっと仲良く暮らしていくから心配はしないで?


 話を戻して、わたしが気になる存在っていうのは……最初は『神様』ってわたしは呼んでいた。なんで神様に気づいたかっていうと、それは『織華』としてのわたしがロシア出身だったから。


 いや、ロシア出身になったから、と言った方がいいかな。


 『蓮』に告白された後、『織華』はロシアに一回帰ることになるんだけど……その告白をされる前にわたしがロシア出身をほのめかすような事はなかった。髪も眼も黒いし、日本語が母国語だと思っていた。ロシア語なんてマトリューシカくらいしか知らない。

 でも、『織華』としてのわたしはいつの間にか、ロシア語も話せるし、髪も眼の色も黒じゃなくなっていた。その事実に『織華』はなんの疑いも持たなかったけど、わたしはその時、気付いていけない禁忌に触れてしまっていたのだ。


※  ※  ※


 お腹いっぱいになって海の家から出ると、空からはちらちらと雪が降ってきた。わたしは来ていたスキーウェアのチャックをしっかりと閉める。焼きそばを食べている間に考えていたのだけど、昨日は夏の海で遊んだし、今日は冬の山で遊ぶことにしたのだ。


 雪に立てているスキー板を穿いて、無人のリフトへと向かう。人はもちろんわたし以外にいない。いや、いてもびっくりするんだけど。

 無人のリフトでゆっくりと山を登っていく。辺りは白く染まった木々がひしめき合っている。その更に向こうを見渡すと、大きな黒い影を意図せず見つけてしまった。……今日はどうも懐かしい風景を見るものだ。


※  ※  ※


 禁忌に気づいたわたしが次に目覚めた時、わたしはその場から身動き一つ出来なかった。腕を動かそうとしたけど、腕自体の感覚はなく、眼を開こうにも瞼は閉じたまま。困った状況にあったけど、わたしは周りを見回すことが出来たし、わたしが何処にいてどうしてこんな状況なのかをしっかりと知っていた。


「た、助かった……」


 扉がゆっくりと開き、一人の男が入ってくる。その男は半分雪に埋もれたような格好をしていて、すでに死んでいるのではないかと思うくらい顔色が悪い。しかしその男は小さなマッチを擦ると器用に火を起こし、周りを見回す。


 男がそうしているように、わたしも周りを見回した。そこは氷で出来た城の中だった。ドアから階段から、宙に吊るされているシャンデリアまで全て氷で出来ていた。目の前は真っ暗だけど、わたしにもそう見える。


 男はやがてわたしの事を見つけたようで、おそるおそる近づいてくる。氷の玉座に座り、厚い氷の中に閉じ込められたわたしはなにもすることができず、その様子を見ることもできない。ただ、この先どうなるかは知っていた。ほら、男が氷へと手を伸ばした。

 男が氷に触れた瞬間、氷は男に手を伸ばすかのように男の手を伝っていく。恐怖し助けを求める男だが、その声はわたしにさえ聞こえない。

 五分もしないうちに、男は氷の中に閉じ込められた。玉座に座っていたわたしは氷から開放され、ゆっくりと立ち上がる。男をちらりと見て、そのまま氷の城を出ていった。次の客が現れるまで、次はその男がこの城の主だ。


 氷の城から外に出たわたしが、どうなったのかは知らない。わたしはその女性本人だったけど、『織華』だったわたしは考えていた。高校生ではないわたし、いつの間にか氷漬けにされていたわたし。それは疑いようもなく、どちらもわたしだ。


※  ※  ※


 いちいちリフトに乗るのが面倒くさくなってしまったわたしは、坂しかない山に創り変えた。滑っては休み、滑っては休みを繰り返し、さんざん滑り尽くしたわたしは、また指先一つで世界を作り変える。

 そこは、わたしの家。いや、わたしが一番最初に『織華』として住んでいた家だ。


 冷蔵庫の中には冷凍食品が沢山詰まっていた。本当は食べなくても生きてはいけるけど、美味しいものを食べるのは好きだ。食べれるなら食べたい。

 『織華』時代にもよく食べていた冷凍パスタの袋を開け、電子レンジに放り込む。あとは座って待つだけだ。


 わたしは電子レンジの中でゆっくりと周るお皿を眺めながら、またわたしのことを思い出す。


※  ※  ※


 三回目にもなれば、わたしにもある程度の体制は出来ているつもりだった。

 だけど、急に一糸まとわぬ女性が目の前に現れることは予想していなかった。だけど、驚くこともなく、わたしは重たい眼を擦る。


「起きたぁ?」


 甘ったるい声が、わたしの耳を撫でた。目の前にいる女性は、シーツで身を隠すこともせず、むしろ見せつけるように、体をくねらせる。だけどわたしはそれにあまり興味を示さず、ベッドから抜け出す。


「……すぐにバイトだから」


 わたしの口から出た声は、思ったよりもずっと低かった。まるで男性……いや、男そのものだ。


「まる君冷たいー」


 ふてくされた声がわたしの背中に刺さるけど、めんどくさそうにわたしはシッシッ、と手を振る。


「昨日散々相手してやったろ。いい加減自分の家に帰れよ」

「帰っても親が煩いしー」

「俺だって暇なわけじぁねぇんだぞ」

「うん、わかってるよー。だからあたしが家の事をしてあげてるんでしょう?」


 こいつがいるおかげで、家の現状が明らかに改善されたのは事実だ。チャラそうな外見の癖に家事は上手いんだよな。……って危ない危ない、わたしの中に男の意識が急に侵食し始めてきたから、わたしは氷の城で景色を見ていたように、その男の意識とは完全に壁を立てて二分化する。心の中でわたしと男の意識を分けることは思ったより簡単に出来た。


 宙から二人の様子を見守る。女性とわたしだった男はいくつかの会話をしながらも、どうやら女性が変えることになったらしい。


「じゃあね、また来るから」


 女性がドアノブを捻り、こちらを心配そうに見る。男はそれに気付いていながらも、それを見ないフリをした。


 あっ、この女の人、死んじゃう。


 不意に、彼女の死が頭の中ではっきりとした現実味を持って生まれた。彼女はアパートの階段を降り、小さな道路を一本渡り、次の信号を待っている時に、居眠り運転で歩道に飛び出してきたトラックに跳ねられて死んでしまう。

 でも、それはあくまでわたしの頭の中に浮かぶ情景で、男にはそんなこと少しも予想していないだろう。男は一つ欠伸をして、また布団に潜り込んだ。


 もちろん、少し離れたところで起こる事故など、知るよしもない。


※  ※  ※


 チン

 小さな電子レンジの音だったけど、わたしは飛び上がるほど驚いた。いつのまには眠っていたみたい、パスタが出来る短い時間は五分程度のはず。だけど、体感的には、1時間も2時間も夢を見ていたような気がする。……いや、本当は時間なんて、あってないようなものなんだけど。


 電子レンジを開けると、ちょうどよく温められたパスタが出来上がっていた。

 手を合わせて、わたしは誰ともない人に感謝する。きっと、わたしと同じようにパスタを食べているような気がする、神様に。


※  ※  ※


 わたしは何にでもなったし、何でもした。


普通に恋愛することもできたし、人を殺したり、はたまた魔法を扱うこともあった。その全てが、わたしであってわたしじゃない。わたしには意思があったけど、自由になれることはなかった。でも、わたしには自由なんていらなかった。だって、こんなに楽しい人生はないもの。心ときめく恋愛だって何度も出来るし、鋭利なナイフの輝きは忘れることはない。指先一つで炎を出すことも、ドラゴンと戦うこともスリリングで楽しかった。


 だけど、そんなわたしにも一つだけ知りたいことがあった。


 それは神様がどんな人か、ということ。


 わたしが何者にでもなれる魔法をかけたのは、どんな人なんだろうってこと。


 だから、わたしはある時、神様にメッセージを残した。


 それは、砂に文字を書いて旅人に伝えるというシーン。その書いた文字は旅人には伝わらないのは分かっていた。そして、その文字だけは自由に書けたのだ。


『神様、貴方はどんな人ですか?」


 そのメッセージは、物語が終わった後、わたしの世界を変えた。


 神様は、わたしに自由をくれたのだ。なんでも描ける、なんでも自由にできるこの世界を。私は、信じられなかった。この世界には私の全ての記憶があって、全ての想いがあったそしてなにより、わたし自身がここにいた。


 結局、神様がどんな人かはわからない。でも、わたしの言葉に答えてくれたのなら、それで満足だった。だって、わたしの神様はそこにいて、わたしはここにいるから。


※  ※  ※


 目の前のパスタは無くなり、わたしは真っ白の部屋に立っていた。目の前には一つのドアがある。


また、新しい物語が始まるみたい。今度はどんな物語だろうか、わたしはドキドキしながらドアノブを握る。


 そして、そのドアの向こう側は――。

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紙の上にある、わたしだけの孤独。 シキ @kouki0siki53

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