第十五話「獄炎」

「昔さ、ばっちゃんに聞いたんだけど嘯き村って知ってる?」

「嘯き村知ってるとかあんた何歳?」

「あ、そういう詮索はマナー違反なので、でさ、昔ばっちゃんにあそこで人食いがあるって聞いたんだよ」

「人食いとかあんのかね? いや戦国時代とかなら食うもの困ってそういうのもあったかもしれないかもしれんけど、どんなに昔でも八十年前でしょ?」

「そうそう、俺もそれ聞いた時ギョッとしたよ。ニュースで嘯き村で行方不明でって大昔に嫁に出た二番目の妹が食われたって、まぁボケが入り始めてたんで家族が皆で妄言だろうって話してたんだけど、神妙な顔というか本気で悲しそうな顔でさ……嘘とは思えないんだよ」

「もしそうなら嘯き村での行方不明って人間が食われてるってこと?」

「かもしれん。でさ、俺最近になって気付いたんだよ」

「え、何が?」

「これ、十四年前にアップされた嘯き村の寺の写真あるじゃん。まぁ小さい寺だし多分この写真に写ってる景色が寺の全体図と思うんだよ。次はこれ、最近の寺の写真、変じゃない?」

「ネットでよく見る写真ばっかじゃん。別になんも変わってないじゃん」

「いや、寺なのに変化が無いのが変でさ、俺も何度も見たんだけど全部同じなんだよ」

「お地蔵さんが無いって昔騒がれて呪われた土地だとかw あ、ネタバレすんませーんw」

「いやそうじゃなくてさ、この村さ、十四年の間、墓が一つも増えてないんだよ。これさ、墓を増やす必要が無いってことだよな……マジで食ってない?」

「……マジだ。どうしてくれんだよ今夜トイレいけねぇじゃねぇか!」



――地方の曰く付きな話を語るスレより。



 俺は今祟り神と鬼ごっこを始めたところだ。

 捕まれば死、同じく反撃すれば祟られ死ぬ。我ながら驚く速さで動いた足は脱兎の如く動いてくれている。

 すべきことなど決まっている。逃走、人は神に勝てないのだ。俺は闇夜の中を駆けた。

「ええい、気持ち悪い!」

 ニチャニチャと粘液が擦れる音を出しながら高速で地面を這いずる。いや、なかなかどうして、鈍足と思っていた祟り神は人の全力疾走と同等の速度で俺を追ってきている。

 鳥居を潜り、村へと出る。奴の軽自動車ほどの身体ではギリギリ鳥居を潜り抜けないだろう。が、俺の期待を裏切り古い鳥居は祟り神に薙ぎ払われベキリと音を立、て簡単に吹き飛ばされ遠く村の中心地まで吹き飛ばされてしまった。

「くっそ、もうちょっと頑張ってくれよ」

 足止めにもならなかった鳥居に取りあえず文句を言って口以上に足を動かす。

 神社に偵察に来るまでにこいつが現れた時の対処法はすでに考えてある。

 まずは逃げの一手、そして次は――。

「こっちだ小鬼ども!」

「ギギャ?」

 餓鬼への擦り付けである。あの祟り神は自分を腐らせたこの村の人間を恨んでいるらしく、俺たちと初めて会った時人間である俺たちより餓鬼に執着を示していた。

 なので擦り付ける。餓鬼が元人間だとかそういう倫理観は捨てた。助けるは寺にいるあの一家と小林さんのみ、俺の手で受け持てるのはそれだけだ。

「ギャギャギャ! ギギャ!」

 俺の声に腹を空かせた小鬼が歓喜する。餌が自ら口に入りに来たのだと、愉快に笑い、その声は後方に控える怪物の姿により止んだ。

 されど、食欲の権化たる小鬼どもは涎を垂らし、爪を立て、目を見開き俺に向かって襲い掛かってくる。恐怖より食欲を、死より血の滴る肉を、餓鬼とはそういうものなのだ。

 闇夜の中、その目を光らせ俺を喰おうと全力で爪を首に突き立てようと飛びかかる。

「強結展安!」

 狙い通りだとほくそ笑む余裕などない。すぐさま口に馴染んだ呪いを口にしながら、京極三長柄の笹の葉を召喚し強化結界を張る。

 そして襲い掛かってくる子鬼ども。あんな毛虫の怪物より俺の方が弱くてごちそうに見えるのだろうから仕方ないだろう。だがこれは想定内だ。

「いや祟り神に喧嘩売ってくれりゃあ楽だったんだがな!」

 贅沢を言いながら笹の葉で、地面を蹴り顔の辺りまで跳んできた餓鬼の腕をすれ違いざまに切り落とす。血の玉が宙を舞いながら、視界の外で痛みに喘ぐ餓鬼の声が耳に入ってきた。

「悪いが餌になってもらうぞ」

 そう言いつつ恐怖と一分間の全力疾走で荒れに荒れた息を整える為に立ち止まり、ついでに後ろを確認する。祟り神はまだ息のある餓鬼をじっと見ていた。こいつはこの村の者を心底恨んでいる。部外者の俺と餓鬼が目の前に現れれば優先して餓鬼を襲うのは通りだ。

「キキキキキキ」

 全身の針を震わせながら鈴虫の鳴き声に似た音を出し、腕を切断された餓鬼をじっと見ている。一方餓鬼は切り落とされた自分の腕を仲間に奪われていた。そしてその腕に齧り付く餓鬼。

「……」

 脚に、腕に、背中に首に虫唾が走った。こいつらが食欲の権化なのは理解していたが、仲間の腕さえ食糧とはんだんするのか。

 だがそれよりも嫌悪感を覚える光景を俺は目撃することとなる。

 腕では“足りない”らしい。周囲の餓鬼は腕を切り落とされながらもヨタヨタと立ち上がる餓鬼を睨んで、誰かが合図することもなく、一斉に弱った仲間を食料に変え始めた。

 人間の声に似た叫び声が闇夜の中響き渡る。聞いただけで呪われそうな怨嗟にまみれた声をまき散らしながら、俺に腕を切り落とされた餓鬼は次々と仲間に食われていった。

「うぐ……」

 吐き気を堪える。欲に取りつかれた者はああも汚くなれるのか、俺は餓鬼に嫌悪感しか抱けなかった。するとそんな俺と同様共食いを静観していた祟り神がゆっくりと晩餐会の最中である餓鬼の大群に近づいていく。

「――っは?」

 小さな、餓鬼など到底呑み込めない小さな口から伸びてきたのは人の腕だ。あれは、最初祟り神と遭遇した時に口からだらんと垂れ下がっていた腕と同じものだろう。

 そしてその手に持たれていた“ボロボロの刀”が二体の餓鬼の頭を貫き、そして瞬く間にすでに命の火が消えた餓鬼を細切れにし、祟り神はその肉片を地面に口に擦り付ける様にして食べていく……これは。

「――まさか、協力しているのか?」

 予想外だ。餓鬼に抱いていた嫌悪感など消し飛び考える間もなく第六感が逃げろと俺に警告を出す。まさかあの祟り神、妖刀使いと手を組んでいるのか! だとするとマズい。

 祟り神に食われたと思われていた妖刀使いとあの怪物がもし意思疎通できるなら――!

「キキキキキ」

 最悪の予想はいとも簡単に現実になる。祟り神は餓鬼を捕食した後、他に逃げる餓鬼など無視し、口からでた細腕が刀を向け指示した俺に一直線に向かってきた。

「――はっ!」

 もはや口から悪態すら出ない。祟り神の中にいる妖刀使いは俺を優先的に潰さなければならない危険分子と判断しているらしい。そしてそれを聞いた祟り神は俺を殺すべく再び全身の針を震わせながら俺へと一直線にむかってくる。

 死ぬ。恐怖心が足から頭に駆けあがってきた。あの人の顔の皮を貼り付けた毛虫の化け物は、まさしく俺の死だ。

「死――」


 ふと、あいつの顔が浮かんだ。

 よく晴れた日、神社近くの雑木林で、特に理由もなく遊びに出掛けた日の記憶だ。

 いつの日か。こんな秋の日に、ドングリを集めて自慢げに俺に見せてきた。

 やけに表面に艶があるそのドングリを、散々俺に見せつけた後俺にあげると言ってきたあの少女を、未だ俺は――。

 まだお互い小さく、幼く、弱くて、何も知らなかった頃の記憶だ。


「――んでたまるか!」

 死んでたまるか! ああ、こんなところで死ねるか! 俺は、俺は、あいつとまた生きて会うんだよ! なぁ化け物、だから俺はお前に殺されはしない、お前は俺の死にはなりえない!

「よもぎ! 蓬!」

 あいつの名前を呼んで自身に喝を入れる。頭を動かせ、足を動かせ、状況を動かせ! 今は取りあえず逃げろ、走りながら何か考えろ!

 寺に向かって走る。その道中何か使える物があるはずだ! 何か無くても何か考えを捻りだせ! 相手はなんだ。 そうでかい、そして全身が針だらけだ。

「なら物体に突き刺さるし狭い所は通れない!」

 実にシンプルな答えだ。だが単純とは総じて作戦に組み込めやすく、融通が利くものだ。

 家だ。どこかの民家に逃げ込むのが単純な解決策だ。

「なぁあ!」

 だが、それを可能にさせない事実に苛立ちの声を出す。

 速い。ここに来て鈍足だと侮っていた祟り神は体を盛大にくねらせ俺の全速力以上で襲い掛かってきている。このままでは十秒もすれば俺は死ぬ。

「えぇい!」

 必死に周囲を見る。暗いが目は闇夜に慣れた! だが田畑、田畑しかない。一番近くにある民家に辿り着く前に俺は祟り神に串刺しか圧死だろう。

 だが、それ以外の物が進行方向にはあった。

「あああ!」

 言葉にならない声を上げ、それに全速力に向かい地を蹴り祟り神にフェイントを仕掛ける。

 祟り神が先ほど飛ばした“鳥居”をすれすれで避け、それを祟り神にぶつける。

「キキキキキキ!」

 獲物を一歩手前で逃した悔しさからか、祟り神と口から手だけを伸ばしている妖刀使いは体の刺に刺さった鳥居を引きはがそうと右に左にはね飛び回る様に暴れ始めた。

「かっ!」

 呼吸が乱れ体が一瞬止まりかけるが、気合でなんとかする。

 なんとかしないと死ぬ。なので肺がおかしくなるのを覚悟して無呼吸で最短の民家に駆け寄る。

 悠長に玄関を開けている余裕は無い。体当たりで壊しガラスの破片をまき散らしながら中へ侵入し、細い廊下に滑り込むように逃げ込む。

 するとすぐさま盛大に塀や俺がぶち破った玄関を更に破壊して、祟り神が家が壊す勢いで突進してくる。俺に追い付き、かけたところで狭い廊下に阻まれた。どうやら間一髪だったらしい。

「たす――」

 と、安堵した瞬間、祟り神の口から伸びている妖刀使いがぎりぎり届く俺の足に、そのボロボロの刀で振り下ろされる。

「かってねぇ!」

 慌てて足を引っ込め、紙一重で振り下ろされた妖刀で脚を切断されずに細い廊下を必死で四つん這いで進む。

「キキキキキキ!」

 祟り神が諦めず狭い廊下になんとかその巨体を滑り込ませようとしているが、全身の針が壁に引っかかって俺を追ってこれない。狙ってやった行為だが、その光景に俺の目は釘付けになった。

 全身から噴き出す血と白い脂肪が異臭を放つ。鳥居を無理やり体から剥がした際、針ごとからだから抜け落ちたのだろう。

「か、体!」

 慌てて俺は祟り神の呪いを受けてないか体を確認する。しかし異常はどこにも見られない。どうやらあの傷は自滅扱いらしい。必死に逃げた結果だが、一番手に入れたかった情報を知れたことに喜びかけ……。

「キキキ!」

 諦めの悪い祟り神に恐怖心を覚え、家の奥へと逃げできるだけ恐怖心を和らげる為祟り神が視界に入らないように開けた扉を力強く閉めた。

 手短にあった扉を開ければ、そこは台所だった。棚に仕舞われた綺麗な皿と料理器具がまず目に付く。食卓の上には醤油とソースが置かれて椅子は二つ、ここは夫婦の家らしい。

 その日常風景がやけに俺の心に焼け付いた。すぐ外で祟り神が家を破壊する音が聞こえているのだが、ここだけ外の地獄とは別世界かのように、ありふれた人の家だったからだろう。

「……」

 ――言葉が出なかった。理解していた、だが知らなかった。

 あの餓鬼にも、人としての人生があったことを、俺は考えようとしなかったからだ、だからこの光景に痛みを覚えるのだろう。

 ふと、食卓の上に手紙を見つけた。癖は少し強いが年月を感じられる綺麗な字で書かれたそれに目を通す。

 ごめんなさい、申し訳ありませんと、最初に差出人に謝っていた。

 なんでこんな土地に生まれてしまったのかという後悔と、外に旅立った我が子の未来を望む内容だ。どうやらこの家には息子がいて、結婚相手と共に他の地に移り住んだらしい。

 自分達(手遅れ)とは違い、あなたは人を食べていないから、普通に暮らせると、そう手紙には綴られていた。

 そして、息子を本当に愛していたとも。

「……」

 いつの間には祟り神が暴れる音が止んでいた。諦めたのかはたまた外で待ち伏せているのか……俺の体力を考えて、暫くこの家で休憩するべきだろう。

 ああいや、そうじゃないな。体じゃない。少し心を整理しなければならないだろう。俺はなんとなく、隣の部屋を見てみることにした。

「……」

 子供服とおもちゃ、母と父と思われる人物が書かれたクレヨンの絵、何かの賞状だ。信じがたいことにこの村の子供は外部の学校に通っていたらしい。

 それは、残酷なことだろう。村(人食い)の常識か、外(一般)の常識か。この家の息子はその二つの考えにさぞ苦しんだだろう。そして、息子は家族が異常者だとそう、自分で決めたらしい。父と母に対して憎しみと嘆きが、息子の思い出をなぞった品の最後にそれを綴った手紙が置かれていた。

 きっとあの食卓の上の手紙はこの手紙への返答なのだろう。そして、同時に自分たちが人間であったという証明でもあるのだろう。餓鬼化が始まる前に、夫婦で家の奥に仕舞っていた大事な品を、この部屋に並べ、彼ら彼女らは人としての生を終えたのだ。

「ごめんなさい」

 そう親の手紙には最初、そう書かれていた

「貴方を愛しています」

 そう親の手紙には最後、そう書かれていた。

 今まで俺が斬ってきた餓鬼にこの家の夫婦がいたかもしれない。あるいは擦り付けたあの餓鬼に紛れていたか……。

「……」

 だが、俺が元々そうなのか、はたまた京極(陰陽師)の血がそうさせたのかは不明だが、俺の心にあった赤い感情はすぐに消え、氷の様に冷徹となった。

 自分が正義だなんておごりなど無い。生活の為に妖怪を討ち、悪霊を屠る。それが俺だ。俺たちの家の業だ。

「この村は、終らせなければならない」

 よく、過去は変えられないが未来は変えられるなんて言葉が革命的な名言で使われる。

 でも、過ぎ去った不幸など人間には変えられないのは当然だが、それどころか多くの未来も俺には変えられないだろう。この名も知らぬ息子が自らを育てた親を許せるように諭すこともできないし、まだ生きている餓鬼を人間に戻すこともできない。

「けれど……」

 いつもいつも、“全員が幸せに暮らせました”なんでできない。強引に、不器用に、必死に足掻いて血反吐を吐いてなんとか幸せか不幸かわからない結果を出せるだけだ。

「それが、人生で、俺だ」

 それを悟ったのはいつだろう。十五辺りか? よく覚えてないが、元々は完璧主義の気があった俺はそれなりに苦しんでそんなつまらない自分(人間)の限界を当然だと飲み込んだのだ。

 ああ、覚悟を決めた。

「俺は京極家の八手だ」

 陰陽師だ。人と霊、人と妖、人と魔、その天秤が右に傾くことはない、救うはただ人のみ。

 我ながら酷いものだと思う。こんなものを見せられても考えが変わるどころかその基本理念を再確認するのだから。

「はっ」

 渇いた笑いが口から落ちた。ああ、俺もあの糞爺のこと言えねぇや、いっぱしの人で無しになっているらしい。

「夏穂、耐えろよ」

 自然とあのとにかく見た目の中身の年齢があっていない相棒の名前を口にしてた。きっとこの悲しい家族の果ての空間の中にいたからだろう。俺は、今一番近い家族に聞こえる筈のない鼓舞する言葉を贈るのだった。



 私は今不安と戦っている。

 八手が外に行ってからどれくらい経ったのかわからないし、知ろうとも思わない。もう私物のデジタル時計を見るのを止めたからだ。だって何度も何度も見ても時間が思ったより進んでない。

 辛くなるだけなので見るのを止めて、外の警戒と中の警戒を一緒にしている。そう、中の警戒、親の腕の中で苦しそうに息を乱しているあの子を観察している。

「……八手」

 餓鬼化が始まったら無理やりにでも外に放り出せ。八手はそう私に頼んだ。私はすかさずそれを承諾したが、今になってそれがどんなに重いことなのかじわじわと実感してきている。

 人を殺すという行為。それがいざ目前に迫って、全身の筋肉が硬直してしまっていたのだ。

 もしそうなってしまったら、私は不安で心が押しつぶされそうになっていた。

 あんなに騒いでいた夫婦が黙りこくっている、耳に入ってくるのは結界を張ってからずっと仏様にお経を唱えるお坊さんの声だけだ。

「――お母さんお腹減った」

 その一言を、頭で理解するのに何秒か掛かってしまった。

「……」

 聞きたくなかった。聞こえなければよかった。

 八手は、子供が空腹を訴えるのが餓鬼化の前兆だと言っていた。

「我慢して、お願い」

 母親が子供の頭を撫でながらそう頼む。

「お腹減った。お腹減った! 痛い痛い痛い痛いよ痛いって痛いんだ痛いって痛い痛い痛いんだよ! お腹痛いぃいいい!」

 ヤバい。あれはヤバい、全身の肌に鳥肌が走って考えるより体が先に動いた。

「どうしたの和希!?」

「愛華、和希がどうかしたのか!」

「わからないわからないわよ! なによ。なんでこの子がなんでよ、ねぇ!」

 腕の中で暴れ回る子供に夫婦が泣きそうな表情で私とお坊さんに助けを求め視線を送る。

 しっかりしろ私、でも、でも外に子供を放り投げるなんて……。

「待ってください。水を飲ませます!」

 できなかった。できるはずがなかった。覚悟はしていたと思ってたのに、土壇場で私は子供を助ける方を選んでしまった。

「この水を飲ませます!」

 八手が置いていった霊山の水を取りあえず子供の口に流し込ませる。すると子供はそれをすごい勢いで飲み始めた。空腹だ。空腹で口に入る物を凄い勢いで胃に入れようとしているんだ。

「すみません、飲ませた水を吐き出させます!」

 そう言って私はどうしていいかわからず涙を流す母親から子供半ば強引に奪い取った。

 この前テレビでやってたお年寄りなんかが喉にお餅を詰まらせた時にやる方法をする。足取りの覚束ない子供をなんとか立たせ、背中に回りお腹をギュッと押す。なんとなくテレビを見ていたら八手が「これ覚えとけ、役に立つ」とか偉そうに言っていたので文句を言いながらやり方を覚えていたのが本当に役立った。

「一、二の――」

 お腹を押す位置はへそより上、みぞおちより下の部分だ。そして自分で掛け声を掛け。

「三!」

 パンパンに膨れた子供のお腹を勢いよく押す。

 すると口から勢いよく水が吐かれ、白い腕が陸に上げられた魚みたいに暴れていた。

「ひぃ!」

「なんだ、それ!」

 と、幽霊が見えない筈の夫婦がそれに驚く。まさか、見えている。

「えーと、お子さんの中から悪い物を出してます!」

 次は背中を叩いて異物を吐き出す作業だ。確か患者を寝かせるか座らせるかして背中の肩の骨当りを手の付け根で叩いて異物を出させるんだったっけ。

「おえ、おえぇえ! おえぇー!」

 何度も何度も子供の背中を叩くと、それと同時に嘔吐し動く白い手を吐き出し続ける。

「た、助かるんですか?」

「――助かります!」

 嘘だ。助からない。霊水はもう後先考えずこれで全部使ってしまった。

 でもこう言わないと夫婦が我が子を活かす為に助けを求め外に出てしまうかもしれない。

 どうしよう。どうしよう! ああもう、八手、どうし――。

「私も手伝いましょう」

 ふと、お坊さんがすぐ私の横に来てそう言った。

「お坊さん……」

「私は、未熟者ですが、それでも御仏は子供を見殺しにされる方ではありませぬ。それだけはこの愚僧であれ断言できます。この歳になっても仏を感じられず、また修行も足りぬ身ではありましょうが、力を貸してくださりましょう!」

 心底心強かった。地獄に仏だってけ? 今はそんな気分でお坊さんの助けが嬉しくて。

 そしてお坊さんは自然な動作で子供の背中に手を当て、すうっと息を吸い――!

「喝っ!」

 思わず私と夫婦が体をビクンとのけぞらせるほどの大声と共に、グッと子供を背中を押す。するとこれまで見たこともない量の手が子供の口から吐き出される。この小さい子の中に納まりきらないほどの量の手だ。

「効いてます!」

「そこのお二人、手を合わせてください! 仏様に祈ってくだされ、それがいまお二人にできることです!」

 そう言って夫婦に手を合わせるよう頼むお坊さん、すると小声で私にこう言った。

「これでお二人がこれ以上取り乱すことはありません。人間緊急時、やることがあればそれに注視するものですから」

 理にかなった行動だった。夫婦がこれ以上恐慌状態にならないようにする配慮だったらしい。

 それから、それから何時間経っただろう。ひたすら子供の嘔吐する声とお坊さんの念仏が耳にこびり付いた頃、待ちわびていた者が来た。

「……朝日だ」

 そう言ったのは夫婦の旦那さんだった。いつの間にか、朝になっていた。山から日の光が顔を覗かせていた。それと同時に子供の嘔吐も収まり、同時にあれだけ苦しそうにしていた表情が穏やかなものとなっていた。

「失礼! 京極家の者です」

 と、助かったのかまだ続いているのかと考えていると、結界の外からそんな声がした。放心状態でその声の主を地獄の様な一夜を過ごした全員で見る。

 黒服の……誰?

「様子が変ですので、結界を解きます」

「え、結界って外から解けるんですか?」

「簡易的な道具を使ったものなので緊急時ならば術者なら簡単に解除できる物ですから、それよりも中の人を助け出さないと!」

 そう言って結界を簡単に解除して、黒服の人と誰かもう一人が建物に入ってくる。ああいや、私、あ、守らないと、この人たち守らないと!

「夏穂! 落ち着け俺たちだ!」

「……八手、八手なの?」

「ああ、俺だ」

「でも、偽物が来て、えっと」

「合言葉は鰻だ! 帰ったら食べるんだろ?」

「……八手、八手ぇえ!」

 泣いた。みっともなく八手に抱き付いた。疲れ切った頭で合言葉なんてわかるはずがなかった。でも、言葉を交わしてこれが本物の八手であると理解できたんだ。

 私は乗り切ったのだ。長い夜を。

「皆さま憔悴していますが無事ですが、お子さんが脱水症状をおこしていますのですぐに病院に送ります」

 いつの間にか黒服の人が子供にお札を張って外のとめてあった車へと運ぶ準備をしながら八手に伝えていた。

「ええ、頼みます」

 よく見れば黒服の人には見覚えがある。星降り島に行く時船で私たちを送ってくれた人だった。

「八手様は?」

「……夏穂、お前戦えるか?」

 八手がそう聞いてきた。よほど私が酷い顔をしていたのだろうか?

「うん。いける」

「残ります。決着を付けなければならないので」

 八手は黒服の人とそう話を付けた。

「八手さん。この方は?」

「小林さん、もう安心してください。京極家、おれの家の者です。日は昇りましたし動く車もありますから、助かるんです」

「……ああ、良かった。本当に良かった! 良かった――」

 そう言ってお坊さんはその場で泣き崩れた。あれほど頼りになったお坊さんの姿を私ただ、見ることしかできなかった。

 それから数分もせず、子供の容体も考えてそのままお坊さんと夫婦と子供は車に乗って村の外へと出て行くのを見送った。

 そして車が見えなくなって、私は八手と言葉を交わした。

「……八手、これから何するの」

「戦う、祟り神いたろ。あれな、どうやら妖刀使いと手を組んでいるらしい」

「どうやって勝つの? 祟り神に攻撃したら呪われるんだろ?」

「色々あってわかったことがある。あの祟り神を直接攻撃しなければ呪われないらしい。つまり間接的にだ。簡単に言えばだ、俺がお前に祟り神を攻撃しろと命じたらお前は呪われるけど俺は呪われないんだ」

「……それ、私死ぬじゃん馬鹿」

「いやいや、怒るな。実際にそうする訳じゃないからな」

 焦った。一瞬本気でこいつの揉み上げ引きちぎってやろうかと思ってしまった。

「でだ、切り札を使う。獄門を開くぞ」

「……ああ、使う条件は揃ってるのか。この村に人はもういないんだから」

 納得して私は昇った朝日を眺め目を細めた。あれを使うなら、決着はすぐだろう。



 俺は今夏穂と共に荒れた村の真ん中でのたうち回る祟り神に歩み寄っていた。

 もはや餓鬼などいない。全てあれが平らげたのだろう。

「……こいつ、呪いで苦しんでいるのか?」

 あの餓鬼に成りかけた子供の体内に蓄えられた蠢く白い手は呪いだろう。ならば餓鬼と成った成体の中にある呪いはいかほどか、それを全てあれは喰い体内に収めたのだ。

 この地の神は自らを切り捨てた人を呪い、この地の神は自らを堕とした人を殺し尽し、その果てに、苦しんでいた。

「……いや違う」

 これは、違う。これは、ただ苦しんでいるのではない。

「八手、あれ多分」

「ああ、あれは、中から何か出るんだろうな」

 針だらけの身体がぼこぼこと変形してきている。まるで中から何かが叩かれてるかのように、鳥の孵化を連想させた、ならばその殻が生きているならば苦しむのは通りだろう。

「……強結展安」

 笹の葉を出し構える。いつあれがこっちを襲ってくるかわからないからだ。

 すると、血を噴き出しながら祟り神の身体がブクブクと膨れ、破裂した。

「……」

 にたりと、その祟り神の死体から這い出てその女は笑った。

「ねぇ兄さんや、ちょっちょっちょ」

「何者だ」

「話をしましょう? そこのお兄さん」

「無駄だと思うが……」

「そう?」

 顔を髪で隠したその細身の女は気安く俺にそう話しかけてきた。えらく艶のある声だった。男を誘うような媚びた声、だが手にはボロボロの刀が一振り、相手が倒すべき相手なのは理解できる。あれは、祟り神の中にいた妖刀使いか?

「……俺は、陰陽師だ。あんたら妖刀使いを倒す者、といえばわかるか?」

「ふふ、それは、男というのはいつの世も女を犯す側なのね」

「あんたの目的は? なぜ祟り神と一緒にいた」

「利害の一致、あの神様はこの地に復讐を、そしてあちきはここの人間を殺し尽すこと、復讐よ」

「……そうか」

「ねぇお兄さん、交渉しましょ? このいかれた村の住人はあちきが殺すわ。そうすればあちきは満足するから、自刃して消えるから……見逃してくれない?」

 その提案に夏穂は心底驚いた顔をした。目的さえ果たせば自ら死ぬと言うのだから。

「……確かに、この村の餓鬼に変容した者は殺さねばならん。村に出す前に……だがそれは、あんたと手を組んでいた祟り神が殺し終えただろう?」

「そうね?」

「なら、これからあんたは何をしでかすのか、答えなんぞ簡単に出せる。この村の生き残りの始末だ。だが方法がわからない、何かあるのか?」

「ふふ、ふふふ、うふ、ふふ」

 何が可笑しいのか、体をくねらせて妖刀使いは小さく笑いだす。

「あんたの復讐対象、言い当ててやろうか? この村から出た若者もそれに当てはまるんだろ? この村で餓鬼に変わった連中だけじゃない。この村の血を引いていれば殺す。そうだろ。で、その方法はどうするんだ? どうやって判別する」

「――そりゃもう、手当たり次第片っ端から始末すれば、当たりを殺せるでしょ?」

「ああ、やはり無駄だったな」

 無差別殺人をすると言い放つ妖刀使い。狂っているのはこの村の宿業だけでなく、この女もらしい。

「ちょっちょっちょっ、なんで? なんで駄目なのさ? この村を出たあの夫婦、あれも殺さないと駄目だろう? 陰陽師さん、倒すべき相手わかってないんじゃないの?」

「わかってる。俺はあんたをここで仕留める」

「なんで」

「関係無い人を殺すからだ」

「関係無いなら知ったことじゃないじゃない? 人の気持ちを考えてよ、お兄さん悪人?」

「大人ってのは子供は守るもんだ。あんたの願いは聞けねぇな」

「ねぇ、あちきがこの村の連中に何されたと思う? 白拍子(旅娼婦)としてここに来て、夜お勤めに外に出たら襲われたのよ。鎌で鍬で殴られ斬られ、ここの神社の隠し部屋に逃げ込んで、そこでこの土地の神様と出会ったわぁ」

「あんたには同情する、だが、やろうとしていることは止めるしかない」

「は、まぁなんと頭のお堅い。兄さん術師というより堅物の武士様って感じさね。いや、生業と運命が合ってないのはお互い様かぁ。白拍子っては元々は全国回る巫女様のことだからかねぇ、なんの皮肉か娼婦の私が神様と会話できるなんて、ねぇ」

「生前に、か……」

「そう、地獄に堕ちて、あのお侍さんに助けられて……あちきは復讐する機会を得た」

「お侍さん? 誰だ?」

「さぁ、名前なんてしらないさね……地獄の鬼相手にひょいひょいとしてた良い男さ。ねぇ兄さん、現代はいいわね。大阪、だったかしら? まるで夢の世界のよう、高くて光る建物なんて昔は想像もできなかった……ああ、羨ましい、妬ましいわ、あちきも今に生まれたかった」

 心底愛おしそうに、遊女はそう日が昇った天を見上げ笑う。

「楽しかった。見て回るだけでも、賑やかで艶やかで、でもねお兄さん、あちきはここに戻ってきた。あちきが死んだ時からほとんど変わってないここに、復讐の為に、生前の個々の村の連中を呪い殺したいっていう約束を律儀に守ってくれてあちきを待っていたあの神様と協力して……でも、足りない。神様の方は満足してあちきに力を渡してくれたがぁ……足りないのさ」

「……」

 無言で笹の葉の刃先を遊女に、いや怪物に向ける。気になる情報は得られたがやはり対話は無駄だった。

「ああ足りないの、なんの為に地獄から這い出てきたかわからないじゃないのさ!」

 そう言って猛る妖刀使い。すると更に祟り神から何かが這い出てくる。

「さっきの会話は時間稼ぎか!」

 時すでに遅し、相手が何かを仕掛けてくるか警戒している場合ではなかった。あいつ、これが這い出てくるまで時間稼ぎをしていたらしい。

「あは、あはははは! ねぇ、ねぇ知ってる。知ってるわよね? 陰陽師なんだからがしゃどくろをさぁあ!」

「がしゃどくろ! あいつ呪いを集めてがしゃどくろを作ってやがったのか!」

「これはあちきと同じ食われた人間の骨さね! この村の連中も肉は喰っても骨は近くの沼に捨ててたのさ! そこに怨念が溜まり溜まってこの有様、さぁさこいつに殺されな!」

 巨大な骨の腕が祟り神の死骸から這い出てくる。おおよそ軽自動車ほどの大きさの祟り神に収容できないほどの巨体がだ。あきらかに物理法則を無視している。

 がしゃどくろ、戦死者など無念に死んだ人間の骸骨や怨念の集合体だ。陰陽師の間ではがしゃどくろとは一体の妖怪ではなく現象として認識されている。大量の死者が出た時、環境が重なると出現する本物の怪物だ。

 歴史にて戦国での戦、江戸での飢饉、その後の大戦のおり何度か観測された化け物。何百という陰陽師が一丸となり倒すしかない天災なのだ。

「……でかい」

 その巨体で太陽を隠すがしゃどくろ、生者を簡単に握りつぶし食うと言われている。奴の身体を構成しているのはそのほとんどが人骨だという。一本の腕の巨骨は千の腕の骨、一つの頭の骨は万の骸骨の集合体だ。

 ゆえに攻撃しても骨さえあればすぐに欠損部を修復できる。がしゃどくろが発生する場所は自然死体が多のでその全ての死体を消費させるか一気に消滅させるしかないと聞く。

「……だが」

 あのがしゃどくろ、それだけではないだろう。

「あら、何を怖がってるの?」

 あの妖刀使いはさきほど自分に神は力を託したと言った。だが祟り神の力なぞ人の霊体が背負える訳がない。その力を別の者に譲渡できるならばそうするはずだ。

 それにがしゃどくろの下で顔を髪で隠した娼婦が笑っている。あれは明らかな挑発だ。あのがしゃどくろ、確実に祟り神の性質を引き継いでいると考えていいだろう。

「夏穂、あのがしゃどくろだが――」

「うん、なんか嫌な感じがする。攻撃しない」

 俺は推理で、夏穂は勘でそう判断した。

「あら、気づいちゃった? 男を騙すことには自信があったんだけど」

「あからさまな挑発だったからな、戦いは素人だなあんた」

「まぁいいわ。攻撃すれば呪われ何もしなければ握り食い殺される。さぁ、どうするのかしら?」

 絶対的優位からか、娼婦は高らかに笑った。

 確かに厄介だ。だがやはり相手は戦いの素人だった。戦闘において情報とは最大の武器になり得る。相手の特性を理解していれば対策法を練れる。それをこの妖刀使いは知らなかったらしい。

「夏穂、できるか?」

「うん。わかってる」

 すぅっと、夏穂の息が深く吸われた。



 私は今切り札を切ろうとしている。

 優一、つまりこの妖刀使いの退治を頼まれた私のお父さん代わりのあいつはその頼み事を受ける際、こう言ったらしい。

「その依頼を受ける代わり、そちらの力も貸しては貰えないでしょうか、閻魔様」

 優一は地獄の支配人である閻魔にそう返したらしい。うん、あいつのことだ。ニコニコとビビりもせずに。

 その態度を気に入ってか、はたまた頼み事をする立場なのだからと思ったのか閻魔様は優一の願いを聞きその地獄の力を私に授けた。

 条件一、周囲一キロ圏内に人がいないこと。

 条件二、誰かから監視されている状態での使用は私の正体がバレルので使用禁止。

 条件三、これを使う相手は死ぬ為、相手を弱らしたり生け捕りにしたりする目的での使用禁止。

 そんな地獄由来で条件付きの力を受け取った時正直かなり面倒だと思っちゃったけど、今は感謝しないといけないな。何が役に立つか本当にわからない。

「――獄門、開錠」

 それがそれを使う呪(まじな)いだった。

 後方から地響きが鳴り巨大な鎖に巻かれた門が現れる。

「……ひっ!」

 この門に見覚えがあったのか妖刀使いからそんな恐怖を感じさせる短い悲鳴が上がった。

 これは地獄の門、地獄とは八層それぞれエリアがありこれは上から七番目の大炎熱地獄に繋がっているらしい。極熱にて地獄に堕ちた者を焼く業火うねる階層だ。

「なんでそれが、なんでそれがある!」

 発狂だ。先ほどの余裕などない、妖刀使いは恐怖で慌てて門から逃げようと軛を返し、村の中を逃げ走る。

「なんで、なんでそんな物を呼び出せる! あんたは妖怪なんだろう! 陰陽師の式神なんだろ! そんなのが、こんな反則できる訳がない!」

 責める様に、妖刀使いは私にそう叫びかかる。さっきまで八手に懸命に話し掛けていた彼女は初めて私を脅威と認識しらしい。まぁ、だからせめて、私は彼女の問いに答えてやろうと思ったのだ。

「うん、だって私は神様なんだもん」

「――は、え?」

 意味がわからないと言った顔で私をみる彼女、もう遅い。すでに開錠と言ったのだ。

 巨大な南京錠が門から落ちその重みで地面を抉り、鎖が門に擦り付けながらその縛りを解いていく。さぁ、地獄の門が開かれたのだ。

「た、助け――」

 何か、禍々しいとかそういうものを凌駕した物が門から出てくる。青黒い炎はまず門前にいる私達を飲み込み津波の様に村へと放たれる。

 その広がりを私は制御できない。いや、これも炎、ある程度ならば操れるがそもそも質が違うのだ。

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 燃やす、何もかも、がしゃどくろも、村の家も、田畑も、山の木々もあの寺も、そして妖刀使いも、天を劈(つんざ)ぬく悲鳴と共に妖刀使いは獄炎の中踊る様に苦しみ暴れた。

「……」

「夏穂、炎を絶対に操るなよ。一瞬で苦しまずにやってやりたいが、あの祟り神の呪いでカウンターをくらうからな」

 その悲鳴に心を痛めているのを見抜かれてか八手がそう私に言い聞かせる。

 八手と私はこの炎に焼かれない。閻魔はそう言って優一にこの力を託したらしい。太陽の日を通さない青黒い炎に包まれながら、私は隣にいる八手をじっと見て手をきつく握った。

 地獄の炎は残忍だった。一瞬で妖刀使いを塵も残さず焼き切れるのにあえてじわじわと妖刀使いの身体を焼いていく。だからこそ祟り神の呪いを私は受けないのだ。私の意思ではなく地獄ががしゃどくろを焼き消滅させたのだから。

 ただ、罪人に罰を与えるのが地獄だからそういう性質なのか、ここで倒しても輪廻から消える存在に地獄の業火はありったけの苦しみを与える光景は本当に、見るに耐えなかった。

「もうしません許してお願い殺して消させてぇえええええ! あああああああああ!」

 ――それから一時間、その悲鳴が続いた。そうか、これが本物の地獄なのかと理解させられた。目の前にいるのは一人の罪人なのに、それを私は思い知らされてしまった。

「……終わったか」

「うん、終った」

 散々暴れた炎が門へと戻って行き、何もかも無くなった焦土に、砂になりかけた妖刀使いが横たわっていた。

「あ、あああ、ああ」

 もう、無限の苦しみで言葉なんて忘れてしまったのだろうか、そんなうめき声を発している炭の塊に、私たちは歩み寄る。

「か、み、様、水を、くだ、さい」

 驚くことに、まだ女は言葉を発せられた。だが、私たちを敵だともう認識できないらしい。髪が無くなり目と口しかない顔で、私を見てそう言ってきた。

「……できない。あなたはもう、この世にいちゃダメだから」

「か、みさま、神様」

 生前も、最後そう何かに助けを求めながら死んでいったのだろうか?

「お願いします。おねが、おね、が……お、ね……」

 風が吹いた、それが止めだった。サラサラと砂が舞い上がる。復讐を成し、さらなる復讐を重ねようとした女は、ここに消えたのだ。

「……しかし、これほどとはな。なーんにも無くなった」

 八手が暗くなっている私の意識を切り変えようと、わざとらしくそう話題を振った。

「念の為に小林さんに貴重品持たせておいて良かった」

「え、いつの間にそんなことしたんだ」

「いや、寺にバリケード作った時、なんとなくな……」

 黒焦げた地面の上で、天を見上げる。皮肉なぐらいの快晴だった。

「私、神様なのにあの人を助けらなかった」

「そりゃぁ……お前、神様でも無理なことなんていくらでもあるだろうよ。なんでもできたら優一先輩だってお前の面倒見てなかったし、俺に預けもしなかったさ」

 確かにその通りだ。神様だからって何もできない。人とは違う強大な力があっても、大切なことはなんにもできないのだから、不便なものだ。

「さて、長居は不要だ。国の連中に感づかれる前に逃げるぞ夏穂、で、まぁ帰りに鰻食わせてやるから、泣くなよ」

「え?」

 言われて気がついた。私、どうやら泣いてたらしい。

「気に病むなとは言わない。全員は救えなかったが、お前は確かにあの子を助けたんだ」

「あ、えーと、その、私、八手の言い付け守れなくて、あの子空腹を訴えたのに外に放り出さずに、その、ご――」

「謝るな。絶対に謝るなよ夏穂……確かに結果論かも知れない。でもお前は、俺の予想以上の成果を出したんだ。だから誇れ、だから、それは罪じゃないんだよ夏穂」

 いつになく優しい八手の声が、しっかりと心に届いた。ああうん、そうだ。私は今、あの子供をすくったということを喜ばなくてはならないのだろう。

 秋晴れの空の元、こうして嘯き村での地獄の日々は、いや、長い長い人食いという因習と苦難は、今この時、確かに幕を降ろしたのであった。



 俺は今バスに揺られながら嘯き村での出来事を振り返っていた。

 あの娼婦、妖刀使いの名前は竹という。いや、確証は無いが、あの朽ちた神社で呼んだ木簡(もっかん)に似た木に殴り書きされていた字にその名前が書かれていたのだ。

 あの娼婦は戦国時代、あそこに訪れ体を売り、そして神社のあの隠し部屋まで逃げた。木簡に書かれていた内容と同じである。同一人物と判断しても良いだろう。

「だが一体、あの村に訪れ最初に村人に術式を教えたのは一体どこの陰陽師だ」

 餓鬼化する直前の村長が言った内容を思い出しメモを取って行く。

 壺沼、そうあの村長は言った。あの鬼門の沼がそういう名前だったのかは不明だが、壺と言ったのだ。そしてその沼に、彼らは被害者の骨を捨てていたらしい。

「……動物の死骸もそこに?」

 この村に訪れた時聞いた小林さんからの情報、刀傷のある動物の死骸、あれは妖刀使いががしゃどくろの材料にする為に動物を殺し骨を集めたのだろう。

「除外だ。それじゃない」

 何か他にヒントはあるか? 見落としたことは。

「壺、呪い、蠱毒」

 ――呪いの名家であり蠱毒を得意とする、古道家。

「……いや、判断材料が少ない」

 これ以上頭が回らない、疲れた。投げやり気味にメモ帳を鞄の中に戻し、変わりに美大の課題である絵を取り出す。

「……」

 忙しい身、こういう移動時間に課題を片付けておかないと留年してしまうのだ。

 だが、集中できない。何かやり残したことがあるような……。

「ああ、そうか」

 ペンが数分間動かなかったので、指が動かない理由を探していると、あいつへのお礼を言ってなかったのを思い出した。

 ああ、うん。こういうのは勢いでやった方がいいだろう。俺はすぐさま通話禁止の張り紙を横目に、客が俺たち以外いないことをいいことにスマホを弄り出す。まぁ、少しマナーを破っても、命からがらあの地獄から這い出てきて、単純にあいつの声が聞きたかったのだ。

「あーっと」

 少し照れくさくなって、指が止まるのを恐れて手早くスマホを操作する。

 季羽 蓬の名前、大切な名前だ。

 コールが鳴る。一つ、二つ、三つ、そして八回ぐらいの後、目的の人物は電話に出た。

「ありがと函くん。えーっと、なんでしょうか八手君」

「もしもし、八手だが」

「あ、はい、もしもし!」

 律儀に電話での挨拶をやり直す蓬。なんだかその面白い反応に、無事に生還できたと今実感できた。

「あー、函に電話の操作して貰ったのか?」

「えっと、慣れなくて」

「スマホ、使いこなせとは言わないが電話ぐらい一人で出れるようになれよ」

「もう、八手君は嫌味ですね」

「ああいや、そうじゃないその、なんだ。無茶してな」

「怪我したんですか!」

 悔い気味にそう聞いてくる蓬。いやあまりにも大声だったので体が反射的に跳ねてしまった。それに耳も痛い。

「いや! してない。でもまぁ死にかけて、んでお前の顔思い出して……ありがとよ」

「ごめんなさい意味がわからないのですが」

「あーもう、わからなくていいからお礼言わせてくれ! な?」

「むむぅ」

「何がむむぅだ……まったく、お前と話すと安心するよ」

「それは良かったです。あまり無茶しないでくださいね」

「ああ、じゃあ、またな」

「はい、また」

 再び話す約束をする。それがくすぐったくて、嬉しく、小さく笑ってしまう。

「……で、お前は何笑ってるんだ夏穂」

 バスに揺られ疲労から涎垂らして寝ていた相棒が憎たらしくこっちを見てニヤニヤしていた。

 おう、一回ぶん殴ってやろうかな、こいつ。

「べっつにー」

 からかう風な言葉を発しながら顔を引っ込める夏穂。まったく……俺たち、生きて帰ってこれたんだな。

 激動から緩やかに日常へと戻る。その完全な切り変えは自分ではできない。どうか、未来永劫、その切り替えがこんな風にできますようにと、俺はバスの天井を見ながら祈り、気づけば意識を落としていた。

 微睡みの中、再びあいつとの思い出(再開)を夢見て――。

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ネットロア 緑八 縁 @ryokuha-enishi

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