第十四話「因習」

「一目惚れをしました。人を探してくださいますか?」

「いいですよ。どんな方なんですか?」

「着物とボロボロの布で顔を隠して街を徘徊しておりました。風変りな見た目で、人目を避けてるみたいでしたが、すれ違った時ちらりと顔を見たのですが、もうそれで一目惚れをしてしまいました」

「着物で顔を隠しているんですか……どこで見ましたか?」

「大阪の道頓堀辺りです。あ、似た感じの人の画像を貼りますね」

「失礼ですが、悪戯か、もしくは貴方、薬をやってませんか?」

「ええ、信じてもらえないと思いますし理解も不要です。私が異常なのは理解してます。今まで親からも奇異な目で見られてきました」

「わかりました。道頓堀周辺を探してはみますが……ここまで酷いと如何せんもう亡くなっている可能性もあるので……」

「お願いします。良ければ報酬も払えますよ」

「いえ、この探し屋サイトは私の趣味でしてますから、タダでやりますよ。逆にそうでないと我が身が危ないですし。しかし、普段は復讐とか一方的な復縁で使われるのに純愛で利用される方がいて嬉しかったのですが……」

「ええ、こんな性癖ですからこの闇サイトを利用させて頂きました。親もね、腐乱死体になってから愛せるようになりまして――」



――とある人探し専門の裏サイトから。



 俺は今祟り神を前にしている。

 祟り神、そう、祟り神だ。予測だが断言できる確信が持てる。あれは、呪いに身を腐らせた祟り神だ。

 さっきから脳みそがあれを見るなと何か変な物質を出している。あれに関わるなと。

 相手との位置関係は距離、五十メートル。対象との間に障害物無し。姿は遠目で細部はわからないが、一言で言えば車ほどの大きさの毛虫だ。それが餓鬼を倒しては貪り食っていた。

 そう、祟り神の周囲には餓鬼が数体おり、無謀にも襲い掛かっている。餓鬼とは食欲の権化だ。俺たちに襲い掛かるのもその飢えを満たすことが理由と予測できる。だから各上の相手でも危機感より食欲が勝りあれに襲い掛かっているのだろう。

「夏穂……逃げの一手だ」

「了解」

 冷や汗が背中に流れるのを感じながら、相棒と目を合わせ意見を合わせる。

 じわりじわりと後退して後ろにいるお三方に仕草で寺に逃げ込むように指示を出す。移動手段が潰れた以上、今はとりあえず籠城するしかない。

 俺は満足に結界術など使えないが、立地が寺で、その為の準備もある。

 そして相手に気づかれずゆっくりとその場を離れようとした瞬間、耳慣れない音が鳴り響いた。

「キキキキキキキキキキキキキキキキキキ」

 やばい、感づかれた。祟り神は自ら向かって来る食材を片付け終え、どこについているかもわからない目で俺たちを見つけてしまったらしい。

 そして歓喜からか、はたまた警告なのか、その発せられた鳴き声は虫の鳴き声に似ていた。高い音程を何度も繰り返したその雄叫びは、生物とは思えない奇怪な音を出しながら、毛虫の様に体をくねらせながらこちらに近づいて来る。

「ひぃ!」

 後方から怯えた声が聞こえてきた。祟り神が近づいたことにより

よりその姿が鮮明に視認できたのだ。

「八手、あれ人の顔か?」

「ああ、らしいな……」

 それしか言えなかった。

 祟り神、伝え聞いたその姿は一貫性が無い。人の姿に似ていたり、怪物としか言いようが無い姿であったりと今回は後者のようだ。

 芋虫を思わせる巨体と太く黒光りする刺、顔の辺りには一見仮面に見えるがあれは多分皮膚を張り付けているのだろう。人の顔が叫んでいる様な表情でついており、その下に鮫みたいに大きな口が付いており……その口から人の手が一本出ており一振りのボロ刀を握っていた。

「八手、あれさ。もしかして祟り神に妖刀使いが食われてない?」

 俺が今思っていることを夏穂が代弁してくれた。が、今はどうやって逃げるかを考えるべきだ。

「……皆さん、寺の本堂に向かってください。そこで結界を張ります」

 返事は無い。やはり皆異形の怪物を前にしたショックで俺の声など聞こえていないらしい。仕方ない。

「寺の本堂に逃げこめ! 死にたくないだろ!」

 大声をあげ喝を入れる。すると小林さんがはっと生気が宿った顔に戻り、放心状態の若夫婦を引っ張り寺の中へと入って行った。

 小林さんが一人だけ逃げなくて本当に助かった。さて、後はだ。

「キキキキキキ!」

 逃げれば追うのが生物の本能だ。祟り神もその例に漏れず小林さんの後を追う。

「夏穂!」

「わかってる!」

 この怪物の相手は夏穂にしかできない。その事実をわかっていたのか、夏穂は容赦無く祟り神を黒炎で包んだ。

「殺すなよ!」

「え、手加減なんかしたらこっちが死んじゃうって!」

「違う呪いだ! 祟り神を見たり見られたりしただけでも呪いで死ぬ場合がある。殺せば祟り殺される可能性もあるんだ! 迂闊に殺せないんだ!」

 それが祟り神の一番怖いところだ。視認しただけで呪い。殺せば祟る。傷を負わせても危ないが、今はそうするしかない。

「取りあえず俺たちもこのまま寺の本堂に逃げ込む! 走るぞ!」

 夏穂にすぐさま指示を出す。今は撤退あるのみだ。

 ふと、この緊迫した状況で俺はどうでもいいことが目に付いた。非常事態に脳が周囲の情報を集めさせたからだろう。

 日が落ち、茜色の光が地面についた大小それぞれの血痕を照らす異様な光景が、やけに目蓋に焼き付いた。

 ああ、まるで、違う時代に来てしまったような現実味の無さと虚無感が心に沈んでいく。まるで夢の中にでもいるかのような感覚の中、俺は無意識に唇を噛んで、死なないが為に頭を動かしていたのだった。



 私は今なんか和製ホラー映画の世界に来ている。

 うん、和製でいいのかな? なんだかゾンビみたいなのが出てきたし、アメリカ要素が入ってるかもしれない。それにおまけに毛むくじゃらの変な怪獣まで出てきたし文句なしのパニックホラーだ。

「八手、もう夕方だ」

「ああ、夜に寺に籠ることも考えないとな。しかし、嫌な景色だ」

 時間は夕方、八手に言われふと周囲を見渡せば、見慣れない村は夕日で血が塗られたみたいに染められて不気味で仕方がなかった。

「これからお寺で救助を待つの」

「ああ、一晩持てば助かる算段だが……詳しいことは後で話す。今は色々と準備しないといけない」

 そういってお坊さんたちが避難したお寺へと駆け足で向かう八手、私も走ってこいつの後ろについて行く。ふと後ろを見る。私が燃やしたあの怪物が付いてきているのではないかと不安になったからだ。

「……」

 いない。何も私たちを追ってきてはいない。なのに不安がこの胸から消えない。駄目だ。私怖がってる。

「八手、さっきの、祟り神だっけ……あれってヤバいのか?」

「ああ……詳細はわからないが、おおよそこちらが攻撃を加えれば呪い返しでこちらにもダメージが入る仕組みらしい」

「それ倒しようがないじゃないか」

「いや、一応祟り神の対策は知識として知っているが、あれにそれが通じるか少し調べないとならんが。呪い返しにも種類があるんだ……そうだ。お前体に異常は無いか?」

「別にどこも痛くないけど……顔は大丈夫?」

「ああ、顔は平気だ。他は?」

 八手に急かされお寺に上がり込む前に、玄関で長袖をめくり体をチェックする。

「……腕が変だ」

「ああ、黒くなってるな」

「八手ぇ……これやばいの?」

 正直自分の腕が異様に黒くなって、内心泣きそうになりながら八手に聞いてみる。一方八手は冷静に顎に手で挟んで私の腕をまじまじと観察しだす。

「……人間なら少しヤバいが、お前ならその霊力でこの程度の呪いならばすぐに弾くだろう。腕も一時間か一日かわからんがすぐ治る。だがこれであの祟り神に攻撃を仕掛ければ問答無用でカウンターを喰らうのがわかった。次から迂闊に手は出せんな」

 人が泣きそうなのに冷静に分析してんじゃねぇよ! もう少し心配してよ馬鹿八手!

「まぁ対策は一つあるか……」

「え、攻撃したら呪われるのに対策とかあるの?」

「まぁな。呪いにもルールがある。呪いは陰陽の基本だ。俺の家も幼い頃から強化結界と呪いに対しての対策を仕込まれる。俺も例外ではない」

「だから倒せる方法もわかるの?」

「ああ、祟り神とは戦ったことは無いが対策の知識はいくつか知っている。だが今はあれより小林さん達の安全の確保だ」

 八手は人命を優先する方針らしい。私もそれには大賛成だ。死人なんて出したくない……村の人たちが妖怪に変わったのは防げなかったが、だからこそお坊さんやあの家族だけは助けたい。

「ではまずは荷物だ。来い夏穂」

 と、八手は玄関で靴も脱がずに土足でお寺に上がり込む。

「八手、靴脱げよ!」

「いや、確かに行儀は悪いが非常時だ。いつでも逃げれるようにしておかなければならん。お前も小林さん達の靴を持て」

「ああ……そうか。うんごめん」

「構わん。お前はまだ経験が浅いからな」

 八手はそう言いながら玄関に脱ぎ捨ててある靴を拾う八手。確かに敵に襲われる時に裸足なのは逃げるのに不便だ。

「まぁ経験不足なのは俺も同じだ。これから結界を張る」

「結界? お前強化結界しかできないだろう?」

「ああ、だから道具を使う。さっき子供に飲ませた霊水があっただろう。その他にも糞爺から色々と道具を買い取った……まぁ、財布が軽くなっちまったがな。その中に結界札があるんだよ」

「へぇ」

「まぁ、簡単に設置できる分それほど強力なものではないんだが、今夜一晩凌ぐなら十分だ。結界の構築は不慣れだが強化結界を使えば俺にも扱える代物だからそこは安心してくれ」

 そうか、結界を張る道具も武器に含まれるから強化結界を使えばそれも使いこなせるのか。こういう時に八手の能力は便利だ。

遠くからお坊さん達の声が響くお寺の廊下を歩きながら、八手は一度荷物を置いた部屋に向かう。その動きは迅速で、すぐさま自分のリュックを拾い上げると声がする方へと足早に向かう。

「……夏穂、一ついいか」

 と、さっきまで誰かと競争でもしてるのではなかと思うぐらいテキパキと動いていた八手が動きを止め、私の顔を真っ直ぐ見据えてきた。

「えっと、何?」

「その、なんだ」

 やたら神妙な顔つきの八手に私は戸惑いながら、珍しく言いよどむ八手の言葉を待つ。

「……もし、あの夫婦の子供が餓鬼に変わったら結界の外に放り出してくれるか」

「それは……」

 八手が言いよどんだ理由がよくわかった。それはあの子供を見捨てるのと同義だからだ。

「すまん。説明の順番を間違えた。まず本堂で結界を構築して俺は一人で外に出る。お前は本堂で小林さんたちを守ってくれ」

「それは、その作戦は無茶だ! お前、目の黒い忍者にやられた時のこと忘れたのか、一人で背負い込むな!」

「忘れていない。妖刀使いをやる時は俺とお前が揃っている時だけだ。戦闘は避ける。それに餓鬼ならば俺でも倒せるし、祟り神は鈍足だ。十分に逃げられる」

「でも!」

「……頼む。この現象が、人間が妖怪に変質する現象がもしここにいるかもしれん妖刀使いが原因なら、少しでも調査して情報を集めておきたいんだ。次の犠牲者を出さない為にも」

「……逃げるだけなんだな」

「誓う、戦闘は餓鬼との必要最低限だ」

「なら、うん、わかった。無事で帰って来いよ八手、そうじゃないとどうやって蓬に合わせる顔が無くなるからな」

 お互いわかれての単独行動、私としては絶対にやりたくない行動だが、でも、次犠牲者が出るかもしれないのなら……命を危険に晒してそれを阻止しなくてはならないのだろう。

「ああ……それとだ。いや、今言うべきことじゃあ……いや、言っておこう。もしだ。子供が餓鬼に変質したら、燃やして殺すな。絶対に結界の外に放り出すだけにしろ」

「なんで。状況によってはそうした方がいいだろう」

「ああ、子供を外に放り出したら高確率で親がその後を追い二次災害が起きる。だからその場で処理……すまん、言い方が悪かった」

「いい、わかってる」

「……その場で介錯してやるのがベストだ。だが、お前に人殺しの経験を積ませる訳にはいかん。妖刀使いも俺が処理する」

「……あのさ、前から聞こうと思ってたんだけど、なんでお前は私に人殺しの経験をそこまでさせたくないんだ。居合いを使ってくるお坊さんを竜馬と石榴と一緒に戦った時私には荷が重いって言ったけど、ずっとそう言ってられないだろ?」

「……そうだな。自分か相手の命からどちらかを選ばなくてはならない、そういう事態になったら自分の命を取れ。だが、今はそういう事態じゃない……なぁ、夏穂、なんで優一先輩が俺にお前を預けたか、考えたことはあるか?」

「それは……お前が信頼されてるからだろ」

「いや、それは違う。お前は優一先輩にとって子供みたいなもんだ。だから面倒を見てもらう相手はあの人の彼女の恵さんが道理だろ」

「うん……そうだけどさ」

「あの人は、俺が陰陽師と知って家を訪ねてきたことがあるんだ。で、まぁ俺の実家の様子は知ってるだろ?」

「妖怪だらけだな」

「そうだ。人ならざるものと過ごした俺だからこそ、優一先輩はお前を俺に預けた。あの人は、どうしてもお前を人間じゃないお前も人として育てたろうし、お前も自分がどういうものか知ってるが人間としての価値観を持っている」

「話が長いぞ八手」

「あー……お前に長話は悪手だな。要するにだ。優一先輩はきっと、俺に夏穂という存在を人ではないものとして接してくれることに期待したんだろ。これから先俺が禿げた爺さんになって死んで、親しかった人間が死に絶えて、きっとお前は自分が人間じゃないと初めて実感するんだろう」

「……」

「長い寿命、とお前の場合は言っていいのかはわからないが、そういった存在は強い倫理観を持っている。人間の法ではない、自身で決めた倫理観だ。超えてはいけない一線を持っている。そこを歯止めが効かなくなるからだ。一度、禁を犯せば時間が経つにつれ徐々に罪悪感が麻痺してくる」

「それが私にとって人殺しであると」

「ああ、人間なんていくら長生きしても百年ちょっとだ。だがお前は違う。この世が終わるまできっと永遠に存在しているだろう。意志あるものは時間と共に変化する。善に、悪に、お前もいつか人を襲う側になるかもしれない。お前が永劫人の味方であると俺は保証できない」

「……うん」

「夏穂、いいから、嘘ついてわかったふりしなくていい。俺だって共に過ごしてきた妖怪を見て憶測で語ってるんだ。だけど、千年先、もしお前が怪物になって人を襲えばその時代の人間がお前を退治するかお前が人間を駆逐するだろう。これは確実だ。長生きした人食い妖怪でも皆やりすぎない程度人を喰らって今まで生きてきたんだ」

 八手の言葉は果てしなく重かった。今仲良くしている皆、八手も優一も、蓬も恵も、人じゃない知り合いも消えた世界……想像できなかった。想像しようとして、ぞっとした。

 怖いから、泣きそうになるから想像しようと、私の奥底がそれを拒んだ。

「今数人を救う為に千年後の都市に住む数万人の命を脅かせない。だから俺はお前に人殺しを禁じる。理解はしなくていい、俺だって千年存在するってのがどれだけ辛いのか想像できない」

「……でも、八手は私のこと考えてそういってるんだよな」

「ああ」

「わかった。よくわからないけど、わかった」

 何度も頷いてみせる。うん、八手の言ってることは凄く難しいしわからないことだらけだ。

 でも、それが正しいってことはなんとなく理解できた。

「時間を消費したか、夏穂、さっきお前に禁を犯すなといったばかりでこんなこと言うなんて身勝手なんだが、子供が餓鬼に変化したら躊躇わず結界の外に放り投げろ。異様に空腹を訴えたら危険だから注意しておけ」

「空腹……わかった……なるべくは助けたいけど」

「それは……俺も同じだ。子供が死ぬのは辛いからな」

 八手が悲痛な表情をして私の考えに同意する。異様な空腹が危険サインっか。

「夏穂、辛い役を押し付けるが――」

「うん。八手も、頑張って」

「最善は尽くす……さて、スマホが県外だったからこの寺の電話を使わせてもらいたいのだが」

 そうか、スマホ県外だったっけ。公民館で異様な姿の村人たちを見た後八手が確認してたっけ。

「……やはり県外か」

 念の為かもう一度確認する八手。そのまますたすたと荷物を置いた部屋へと小走りで到着し、すぐさま私の荷物を拾い上げこっちに投げてくる。

「次は小林さん達の声のする方だ。さっきから喧嘩でもしてるのか騒がしい。恐怖で混乱しているか話し合いが困難かもしれん。俺が対処する」

「う、うん」

 一秒も無駄にしない動きだ。早歩きで次はお坊さん達の声が聞こえる方へと八手は向かって行く。

「やはり電話が繋がらない!」

「停電よこれ! ブレーカーどこなの!」

「隣の冷蔵庫は動いてんだから電話線だろ!」

 声が近づいてきてわかったが、喧嘩というより電話が繋がらなくて混乱しているらしい。

「お三方、とりあえず落ち着いてください」

「あんた今までどこ行ってたのよ!」

「あの黒いもじゃもじゃの怪物の対応に追われてました」

「倒したの! だったらここからすぐ逃げましょう! あんたら炎とか出してたじゃない! もうなんでもいいわすぐに――」

「倒せてません。ですがあれは追っ払えたようです。今のうちにできることをしましょう。ここの電話は使えないんですね? 安心してください。私が責任を持ってあなた方を守ります。生存を約束します」

 混乱しいる夫婦の奥さんに、あくまでも冷静に話しかける八手。

 静かに、迅速に、確実に、八手は一手一手進める。

「まず、夫婦の方々は結界で守ります。ですが一般人の方にそんな不思議な力だけでは納得できないでしょう。先ほど見せた黒い炎を操れるこいつを、夏穂をそちらのボディーガードに付けます」

「それなら……まぁ」

 よし、祟り神に私が攻撃したのを目撃しているお坊さんと若夫婦はそれで不満はありそうだが、一応は納得した様子だ。

「では、ここから先は京極家の陰陽師、この八手が預かります」

 改まった自己紹介と共に、八手はこの場の指導権を握ったのだった。



 俺は今小林さんと共にお寺の施錠をしている。

 これは餓鬼の侵入を少しでも防ぐ為である。ガラスの窓や扉に鍵をし、タンスやらソファーを置いているがまぁ気休めだ。

 すでに伝書鳩の式神は飛ばした。夜を超えれば実家から派遣された人間がここに来る手はずだ。

 やるべきことはした。後は想像したくないがすでに餓鬼がこの家に侵入していることも想定し、夏穂は本堂であの夫婦の護衛に回ってもらって、施錠作業と共に寺内部の点検を行う。

「ここは、物置ですか?」

「ええ」

 なので普段人が入らなそうな場所まで点検している次第だ。屋根裏、物置部屋、押入れの中。隅々まで探索する。今は物置を探索していた。

「その、私も手伝いますよ」

「もし餓鬼が息をひそめていたら危険ですので、この部屋なら隠れれる場所は多いですし」

「ですね……八手さん、私は夢を見ているんでしょうか?」

「いえ、残念ながら現実です」

「八手さんは、怖くないんですか?」

「勿論、自分を簡単に殺せる怪物への恐怖心はありますが、仕事柄命が危険に晒されるのは馴れておりますので」

「……この仕事をなされて後悔は無いのですか?」

「ありますよ。救えなかった命があります」

「いえ、そうではなく、もっと別の仕事をしていれば良かったとか、別の家に生まれていれば良かったとか……そういった後悔です」

 うむ、確かにあんな孫の稼いだ金を持っていく糞爺がいない家庭に生まれたいと思ったことはあるが……。

「まぁ理想の人生を夢想したことはありますよ。誰だってそうでしょう。ですが完璧な家族、完璧な自分は現状が変わればそれに合って変わるでしょうし、人間なんて石油王の息子に生まれても自由が無いとかで自分の人生に不満を感じるものでしょう。いやまぁ、憶測ですが……石油王の息子に知り合いはいませんので」

「では、どんな人生を歩んでも後悔が生まれると」

「私はまだ若いですし経験も浅いですがそう考えます。だから現状で満足、とまでいかなくても納得できるぐらいには不満ばかりの人生の中で足掻いてますかね。仏教にも諦観という言葉があるじゃないですか、小林さんの方がお詳しいでしょう? 完璧を求めても疲れるだけ、少しくらい諦めて生きていかないと人生先に進めなくなるんじゃないのでしょうか?」

「確かに……その通りですな」

 いやはや、なんともありきたりな意見だ。優一先輩ならばそれはもう人の心に深く浸透する含蓄のある言葉を残せるのだろうが、俺はまだまだ若輩だ。今は小林さんの問いにそんな言葉を返すしかできない。

 と、そうだ。ここが物置なら何かこの村に関しての資料があるかもしれない。見渡せば随分年代物の壺やら埃をかぶった箪笥が目に付く。古い地図でもあれば昔からあるものを探れるのだが。

「すみません小林さん。少しここも物を見させてもらっても宜しいでしょうか」

「え、ええ大丈夫ですよ」

 小林さんの了解を貰い物置の物色を始める。しかし埃っぽいな。マスクがあれば良いのだが贅沢は言えないか。

「ああ、それで小林さんはどう考えますか?」

「はい?」

「いえ、さっきの話の続きですよ。人生との向き合い方、小林さんはどう考えますか?」

「そんな、私の意見など……私は色々と間違えてきましたから」

「そうなんですか? まぁ、人間大なり小なり間違えるものですが、そんな取り返しのつかない間違いをしたんですか?」

「子供の頃勉学に励みませんでしたし、未だって親の仕事をただなんとなく継いだだけです。その結果こんなことに巻き込まれて、ちゃらんぽらんに生きたツケが回ってきたのでしょう」

「そうですか? 聞いてる限り俺はそう思えませんが、まぁ、さっきの言葉だけで俺より長く生きた人間の人生は図れませんからね」

「ええ、それに、私は人が嫌いです。多くの人と出会いました。そしてそのほとんどが、傲慢でした。最初は親、次は教師、友人すらも……傲慢だと、見限りました」

「見限った?」

「はい……昔から私は臆病でして、他人の言うことを聞き従うことでしか社会に入れませんでした。自分の意見を持たなかったのですよ。だから、周囲が付け上がらせてしまったんです。私は、坊主などになるような人間ではないんですよ」

「……いやぁ、なんでそうなるんですか?」

「はい?」

「さっきも言いましたが、その言葉だけで小林さんの人生の全てを理解した訳ではないですし、貴方にこの言葉がどう受け止められるかはわかりませんが、貴方は心底の善人なんでしょう」

「ですが、それは他人と付き合う打算でしたことです」

「さっきの言葉に嘘偽りが無く、小林さんが人間嫌いなら貴方は人間という生物に嫌悪感を抱きながらも山中で見も知らずの私たちを車に乗せました。これは変えようのない事実です」

「それは、そうして下手に出ることで人間と付き合ってきたから――」

「後々、私たちと小林さんの接点はありましたか? 確かにあのまま歩いて村に来たら顔ぐらいは合わせたでしょう……ですがそれだけです。それだけの人間相手に、貴方は手を差し出した」

「それは……」

「あー、いえその、小林さんが言うまぁ、臆病で他人に媚びる人間ならあそこで俺たちに足を提供するのはどうかと思うんですが、これでは小林さんは納得できませんか?」

「はい……私はそう頭が良くないので、後先考えて行動など」

「じゃあ、そうですねぇ。この村の異常に気が付いて俺があの若夫婦の元に連れて行ってほしいと話を持ち掛けた時、見捨てるという選択肢では無くなぜ助けるという選択肢を選びましたか?」

「……それは後々で若夫婦を助けないと、責められるでしょう。貴方に、それに死んだら罪悪感を覚えますから」

「だったら、小林さんは後先考えれるじゃないですか」

「いや、それはその時はたまたまそう考えただけで、結果論です」

「ですが人生の大一番で貴方はそれを選んだ。普通の人生で中々自分の命と他人の命を天秤に掛ける状況にはなりません。だから貴方は筋金入りに坊主に向いている。あの時村人たちに恐怖し、自分の命が危ないという認識はあったはずだ。人間追い込まれれば地が出ます。大体は醜いものですね。ああいった状況でまずは自分を確実に助けてくれと縋(すが)り付いてきた人間を私を私は多く見てきました」

 さっきまで幽霊なんぞ馬鹿らしいと笑っていた人間が、神などいないと断言していた人間が、俺は善人だと言っていた人間が、時には親が子を見捨て、子が親を見捨て、友や恋人を捨てて、助けてほしいと懇願してきたことは一度や二度ではない。

「正直俺も小林さんと同じ意見です。人間なんて大嫌いですし、自分の未熟さも嫌いです。まだ妖怪の方が義理堅いし道徳的だとすら考えてます。でも、自分もそのくそったれになる訳にはいかない。貴方は他者を貶めることで優越感を得ようとしなかった、その一線を越えてない。それは立派ですよ。断言します」

「そんなことは、ないですよ」

「ああー、あの、別に俺は小林さんを褒めてる訳じゃないです」

「……それはその?」

「別に同情心から貴方は立派だから胸張って生きろとか励ましてる訳じゃないんです。逆に不幸な人間はいくらでもいるから頑張れなんて言いません。さっき言った通りです。貴方の言う通りだと」

「……」

「人間、一回楽すれば付け上がります。俺の祖父が良い例ですよ、孫から金毟り取って生きてる屑です。ああ、別に不幸自慢してる訳じゃないですよ。俺の方が不幸だ恵まれてねぇってマウント取る気はありません。俺が言いたいのは貴方の言う通りだと言いたいだけです」

「それはまた……」

「卑屈でしょう? 貴方と同じ考えを持つ人間はそう、卑屈なんです。でもそれが悪い訳じゃないです。そう、断言します、貴方と同じ考えを持つ俺は悪くありません。小林さんは俺が悪いと思いますか?」

「そんなことは……決して」

 ああ、しまった。つい悪い癖が出た。

「失礼、幼稚な誘導尋問してしまいました。小林さんもそう思ったでしょう。そう言わされていると」

「……正直、確かに無理に言わされてると感じました」 

「すみません。商売柄、口で相手に引っ込みつかなくさせるのが癖でして、どうも上手くいきませんね……私の先輩なら相手に心底納得させる空気と言葉を考えて喋れるんですが、どうも俺は口が悪くて攻撃的で、気分を害したのなら謝罪します」

「いえいえそんな! 全然平気ですから!」

 必死にそう俺に伝える小林さん。年下相手に顔色をうかがいすぎていると思うのだが、まぁこれがこの人の性格なのだろう。

「ああでも、俺は自分が悪いだなんて本気で思ってませんよ。人間の醜さを知るってのはリアリストの始りだと思うんですよ。良し悪しはその後、それを言い訳にして他人を攻撃したり文句を言い続けるか、人間そんなものと諦めて自分だけでも少しでもまともになるかですよ。それだけ、で小林さんはまともになろうとして……俺の見立てではまぁ最初の方で苦しんでるところですかね」

 それが俺の心からの意見だ。なんだろう。随分と熱く語ってしまって少し気恥ずかしい。それに本音だったので、口調が砕けてしまった。

 弁に熱が入ったことを後悔しながら目ぼしいものを探していると、思いがけない物が出てきた。

「これは……地図?」

 古く黄ばんだ紙に、筆で書かれた地図だ。

「少しだがツキが回ってきたか、小林さん。この地図お借りしてもよろしいでしょうか?」

「えぇ……そんなものが役に立つならばいくらでも使ってください」

 俺は思いがけない収穫を手にして希望を見出していたが、小林さんは少し訝しんだ表情をしていた。

 さて、では家の調査もこれぐらいで良いだろう。そろそろ本堂にいる夏穂たちの元に向かうか?

「小林さん。他にどこか確認しておく所はありませんか? なければ本堂に戻りますが」

「ええ、ありません。屋根裏まで確認しましたしもういいでしょう」

「わかりました。本堂に戻りましょう」

 小林さんとも話し合い、次の行動に移ることに決めた。さて、では本堂の結界張りをするのか。

 台所から一応一晩分の食糧を持って来て本堂に戻る。そこには我が子を懸命に見ている奥さんと、顔を押さえてピクリとも動けない旦那。そして野生動物の如く周囲を警戒する夏穂の姿があった。

「夏穂、ミーアキャットみたいになってるぞ」

「ミー……猫?」

「いやあれは猫ではないと思うが、いや、猫科なのかあれ?」

 いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。取りあえず結界を張る。と言っても本堂の四隅に札を張りしめ縄を引くだけの作業だ。これならば俺どころか一般人にもできる作業が、一応強化結界で道具の特性を理解して結界札を最適解の高さで張る。

「ねぇ、ねぇってば! 私たちは大丈夫なの!」

 と、作業を終え、奥さんが俺を睨んで突っかかってきた。

「考えられる最善は尽くしております」

「嘘よ! 私達全員ここで死ぬのよ!」

 うむ、どうやら考える時間を与えたことで色々と考えて、俺たちに対して不信感を抱いたらしい。

「私は貴方が信用できないわ!」

「何分、陰陽師などという商売は一般の方に受け入れてもらえないでしょうが、それでも今は私たちを頼って頂く他ありません。どうか信じてもらえないでしょうか?」

「だったらどう責任を取るのよ! 死んでも私たちを守りなさいと誓いなさい! それができないなら今すぐ私と主人とこの子だけでも逃げますよ!」

「ええ、約束しましょう。ですから貴方はその命に代えてもその子を第一に守ってください。その為に、今一度私たちの力を借りず、ここから出てあの餓鬼を倒せれるかどうか考えてください」

 俺に言われて、奥さんが腕の中の我が子を見る。

「……ごめんなさい、混乱して乱暴なことを言いました」

「構いません。この状況で正気を保つのは誰にだって難しいでしょう。貴女はよく頑張っています」

 なんとも我ながら事務的と言うか役所仕事的な励ましだったが、効果はあったようだ。

 さて、では村に出るか。

「夏穂、寝るなよ」

「寝るか馬鹿」

 俺が外に出る準備をしながら夏穂にそう伝えると、小林さんがこちらに歩いてきた。

「八手さん。どうしても行かれるのですか? ここにいれば多少なりとも安全でしょう?」

「はい、行かなくてはなりません。実は私たちはここに……いえ、多くは語りません。ですがここで私が動かなければまたこんなことが起きる可能性があるんです」

「……わかりました。そうおっしゃるならば私には止められませんな」

「では、夏穂が守りますので」

「どうか、どうか……どうか。お気をつけて、自分より若い人に死なれるのは、堪えます」

 過去、そういう経験があったのだろうか。小林さんはそう言って、袈裟の布が擦れる音を出しながら仏前へと歩き、正座をし経を読み始めた。

「……やはりこの村、神社捨てたのか」

 荷物をまとめてから、ここで見つけた地図を見おえ俺は一つの今まで考えていた推測から一番可能性がある案を導き出す。

 あの祟り神、地図に書かれた神社跡と言う文字、そして突然の村日の餓鬼化、おおよそ、この村は蠱毒の術式でも使われたのだろう。

「では外に出る。夏穂、頼んだ」

「うん、任された。」

 夏穂と一緒に結界の外に出て廊下の窓に近づく。一度大きく深呼吸をし、鍵を外し外へと出た。

「鍵、頼んだ」

「うん」

 かちりと音を立てて鍵が施錠される。され、ここからはサバイバルだ。

「ああそうだ。夏穂、帰ったら何食べたい」

「えっいきなり何?」

「まぁ合言葉として決めとこうか。あの祟り神が俺に化ける能力を持っていないとも限らない」

 それと、こいつの緊張を解(ほぐ)す為に他愛のない会話を交える。

「じゃあ……うーんと、鰻食べたい」

「おい、そこはもうちょっと安いのでさぁ……」

「えぇー、えぇー、えぇー!」

「わかったよ、藪蛇かよクソ!」

 思わぬ出費に悪態をつく、お前鰻なんて俺この二年食べたことねぇぞちくしょう!

 まぁ自分の苦学生ぶりは今に始まったことではない……でも鰻かぁ。この前見たらスーパーで千円ぐらいだったよなぁ……高いなぁ。

「はぁ、じゃあ行ってくる」

「うん。死ぬなよ」

「死ぬか馬鹿」

 最後、心配そうな目をしている相棒に馬鹿と行って村へと歩みを進めた。寺周周辺に餓鬼はいない……水分を失い固まった血の水たまりとその匂いしかない。

「……さて、どうしようか」

 まずはここに来た時から気になっていた鬼門にある沼の方へと向かう予定だ。この村で一番怪しい場所だし、何かしらの収穫はあるだろう。

「取りあえず移動だ」

 できるだけ物陰に隠れながら移動を始める。持ってきたスマホのカメラをズームさせ、双眼鏡代わりに使う。この寺は少し高台にある為ある程度村を一望できた。

「あいつら、手当たり次第食べてやがる」

 スマホに映った餓鬼は道端の雑草を、家の壁を、それでも肉が良いのか、祟り神に殺された仲間の死体を食べていた。

「俺は新鮮なご馳走かね」

 一体一体は脅威ではない。だが数がある。囲まれて襲われれば、連戦となれば俺はあいつらに骨まで食われるだろう。

「……ふぅー」

 最悪の事態を想像し肝を冷やすが、怖気づいている暇は無い。幸い鬼門の沼は寺の近くにある。

「行くか」

 すでに日が落ちた村の中を進む。暗闇に紛れて隠密を行う算段だ。

「まぁ、餓鬼に通用するかはわからんが」

 元は人間とはいえ、妖怪化の特徴は獣に近づくパターンが多く嗅覚が発達し匂いだけで位置がバレる可能性がある。その為村の真ん中を突っ切ることはしない。

「肌寒い」

 秋が深まったから、ではない。勘だが先ほどから感じている寒気は霊障、霊的要因によるものだ。

 暗い山道を歩く、土地勘も無い。人によってつくられた道に沿いながら、茂みに隠れて沼を目指す。

「う……」

 唐突に吐き気が襲ってきた。なんだこれ、なんだ、これ。毒? 違う。そんな上品なものじゃない。空気が腐っている。

 口を手で押さえながら先に進む。細い木の枝を折り、逆にズボンを引っかけ破けさせながら進む。足が止まりそうになる。駄目だ。一度止めたらもう進めない。必死に石みたいになった足を動かす。

 鼻孔はもう潰れた。肺が腐りそうな空気の中を進む。目に沁みる刺激に耐えられず左手は瞑りっぱなしで、右目からは涙が溢れた。

「……」

 そして遂に、目的地と思われ鵜場所に辿り着いた。言葉など出なかった。息を吸えば死にそうな空気の中、霞む右目でしっかりと……びっしりと、沼と思われる場所から白い腕が大量に孵った幼虫の様に蠢きひしめいて・いた。

 思考より先に脳が判断して、俺に踵(くびき)を返させた。もういい、あんなもの正気を保ってもう見られない。

「……お……えぇええ」

 空気がまだまともな場所まで逃げてきたら、胃が捻じれ俺は腹の中の物を出した。

「蠱毒、馬鹿か。違う。あれは違う。あれは、溶岩だ。呪いの溶岩だ」

 俺は先ほどまでこの村は巨大な蠱毒の様なもの、つまり閉じた空間で呪いを育てているのだと考えていた。その予想はあれを見て確信に変わっている。村人が妖怪化した仕組みは単純だ。沼に何かしら呪いを発生させる行為を行い、たまった邪気を村に流し込んだだけだだろう。

 だが、あれほど酷い呪いを貯めているなんて思いもしなかった。何百年、いや、下手をすると千年単位で呪いを貯めている。

「だが何故あれほどの呪いを、肉体を変質させるにしても強力すぎる。この村の連中は馬鹿なのか?」

 思わずそんな悪態を口にするぐらいさっきのは異常だった。正直見ただけで、今でも指が細胞から死滅して腐ってないか不安になるほどの悪霊の塊だ。

 沼、だったのだろうか? 白い手の塊でよくわからなかったがあんなものを作り出すなど正直人格が破綻していないと不可能だ。

「ともかく、あれはヤバい……夏穂なら焼けるか?」

 もはや俺の知識と経験だけで測れる事態ではなかった。だがそれでもやることは変わらない。

 とりあえず呼吸を整えて、混乱ぎみの頭をゆっくりと動かす。

「次は……村長の家に行くか」

 寺で見つけた古い地図を見ても、家の位置はほとんど変わっていなかったので、ここの村の代表の家も大昔から変わってない……と判断したのだが、しまったな。念の為小林さんに確認したら良かった。何事も思い込みはいけない。

「まぁ、間違えた時は間違えた時だ」

 自分にそう言い聞かす。ミスをした時ひどく落ち込んでしまうからな、そうしないと生きていくのがしんどくなる。

 まぁ、いつの間にか身に付けた処世術で自分を鼓舞しながら森の茂みに身を隠しながら、村へと向かう。

 しかし、秋の夜長に虫の鳴き声一つ聞こえないのは不気味だ。あんな呪いで汚染された一体があるのならば、ここに近寄って来る生物なんてそうそういないだろう。

「だが、小林さんの話だとここいらにも動物が出て村人が食べていると言っていたか、そもそもあんなもの、なぜ今まで発見されなかった」

 移動しつつも今までの情報と照らし合わせて矛盾点を頭で整理する。

 嘯き村、実家の糞爺はここは本物の霊能力者を追い返し霊能力者を偽る詐欺師を祀り上げると言っていた。

 存在しない怪物を信じてきた嘘つきの集まる村。ただ怪物は存在した。あの祟り神だ、しかし長年ここにきた陰陽師たちはあれに気が付かなかったのか?

「可能性は低い、ならこの村の目的は神を変質させる為に?」

 しかし結果、餓鬼に変容した村人はその祟り神に殺されている。

「わからん……村長の家を探るしかないか」

 いい加減頭が痛くなってきたので推理を止める。と、草の茂みをかき分け、村長の家が見えた。

「でかいな」

 村の端に建設されているが、周りの家より二回りほど大きく、この村の権力者であることを示すように少し高台に造られていた。

「村の入り口から正反対に作られて、沼に近い場所、か」

 とりあえず塀を乗り越え侵入、落ち葉は多いが、そこそこに綺麗な庭園へと侵入する。

「餓鬼は居ないようだが、硝子を割って鍵を開けるのもなぁ……」

 そう言いながら玄関のドアに手を掛け引くと、あっさりと開いた。

「……罠? いや、田舎だから鍵を掛ける習慣が無かったのか?」

 まぁ、事が順調に運ぶのはいいことだ。俺の場合仕事が上手くいったら後で痛い思いばかりしてきたので、素直に喜べないのだが。

「とりあえ……」

 とりあえず倉庫らしい部屋とでもと言いかけて、言葉が止まった。

 玄関の上り口? いや、上がり框(かまち)だったか、そこに鉄格子があって……頭蓋骨で判断できる。中に人の骨が転がっていた。

「腕の骨が無ねぇのか……」

 スマホの懐中電灯の機能を使い中を見てみる。俺も専門家ではないが、腕の骨が無いのだけはわかった。腕、変質前の村人から穴という穴から生やしていたが、それにあの沼にも腕が生えていた……。

「……」

 ここにきてぷつぷつと体に恐怖が走り、鳥肌が足跡となって全身に刻まれる。

「とりあえず、何か資料か何か探さねぇと」

 一瞬呆気にとられたが時間が惜しい。土足で家に侵入し、目ぼしい部屋を探す。リビング、トイレ、台所。そして……。

「あった」

 その部屋は別に隠されている訳では無かった。間取りも子供部屋か寝室でもあるような場所で、ただ、少し古い引き戸を引けば、そこにはカビの臭いが鼻にこびり付く、古い古い石の部屋。そして――。

「こびり付いた血と、骨、座敷牢、人を解体した時の写真と日付か」

 部屋の中には牢屋、玄関にあった鉄格子は後に造られたものか、捕らえた「食料」を一時的に詰める部屋だったのか……。

 そう、食糧だ。だって、この部屋には拷問器具では無く、調理器具が所狭しと置かれていたのだから。

「この村の業人食いか!」

「そのとおりじゃて、若い陰陽師」

「……驚いた。まだ餓鬼化してない村人がいたとはな」

「ははは、まぁ、この目で先祖代々の宿願見たく、まだ、な」

 後ろから、枯れつつも嬉しさで弾んだ声が聞こえてきた。

「で、これを説明して貰おうか? ここはなんだ?」

 会話をしながら部屋を見渡す。長物を使うには狭い、武器にするならば懐の十手か。

「そうさな、見ての通り。だけでは足りんかな?」

「足りねぇな。あんたらなんの為に人を喰らってた?」

「ひゃは、ひゃはははは、わからんかわからんかね! 人ならぬ身に近づく為よ」

「それが餓鬼だと?」

「そうさねそうさね。ありとあらゆるものを喰らい、飢えに苦しみながらも飢え死にはしない」

「……あんたら、いつからこんなことしてる」

「戦乱の世からよ」

「回りくどいことを言うな」

「はは、はははっははは、わからんかわからんかね。戦国の世からよ」

「……戦国時代から、だと」

 ありえない。いや、常識や価値観に捕らわれるな。あの沼の惨事、それが証拠だ。あの呪いの量は確かにそれだけの年月を経たのだろう。

「我らは飢えてきた。隣の村から、将に、国に奪われ、ここに住まう悪しき神が我らを呪った。人を喰い、かの壺沼を離れず村の場所を変え、村から逃げ出す者を粛清し繋いできた。さぁ、褒めよ称えよ。我らは成し遂げたぁ! 成し遂げた成し遂げた成し遂げたぁあ! ぎゃひ、ぎゃひひひひ! ぎゃはははは! ひゃへ、ひゃひひゃへひゃほはほは!」

 こいつ、餓鬼化が進んでやがる。腕の良い祓いの技術を持つ者ならば助けられるが、本人がまずそれを拒否するだろう。

「き、きゃけ、事の始りはわからぬ。ふらり寄った陰陽の者が沼に呪を貯め我らを変質させる為の術式を教えたという。人を喰らいてその腕を沼に捨てよと、だがいく年経ても成果は出なかった。食う人の質を変えた。霊能力者を喰らった、ひひ、は、そしてついに、ついにそれが成った。成ったのだ! だから貴様もこの偉業に力を貸せ、義務だ義務だ義務だ義務だ義務だ! あの忌まわしい祟り神を殺せ。その命引き換えてでも殺せ! 殺せ! 殺せぇぇえええ!」

 これはもはや人間じゃない。道徳という概念がドロドロに腐っている。人殺しを、人食を誇っている。この村の人間がどういう教育を受けてきたのかは知らない。だが、今目の前にいる人間は狂人のそれだ。

「断る。あんたらは間違えた。飢え死にだと、この時代に何を言ってやがる。住所があり畑がある。外に行けば働けるだろう」

「……お前も偽物か」

 ふと、先ほどまで狂気に支配されていた老人は付き物が落ちたように静かになり――。

「じゃあ、『肉』よな」

 俺に最小の動作で、腰に隠し持っていた包丁を構え小走りに駆け寄ってきた。

 がきんと、鉄と鉄が重なりぶつかりもう一つ大きな音がする。老人が持つ包丁を俺の持っていた十手で防ぎ折ったのだ。

 動きは素人のそれ、だがためらいが無い。それに恐怖を感じた俺は必死になって折れた包丁を持つ老人の手首を叩き、蹴っ飛ばしてその部屋から離脱する。

「くそっ外道共が!」

 狂気の村へ思わずそんな悪態をつき、すぐさまこの家から脱出する。

 玄関から出て、とりあえず塀から外に出ようとし……。

「腹減った、減った減った減った減った! 食わせろ食わせろ!」

 でっぷりとした腹、犬の様に変形した顔。そして異常に伸びた犬歯。

 やや数が多い。外に出たとはいえ屋敷の庭、木や灯篭が多くまだ長物で戦うには地形が不利だ。

「……五体、か」

 相手を刺激せず、静かにリュックから夏穂から貰ったスナック菓子の服を出してみると、相手は食いつくようにそれを見る。これが食べ物だと理解したらしい。

「……そら!」

 それをできるだけ遠くに投げ、尻尾撒いて逃げる。恐怖心か好奇心か、よくわからないが後ろで何が起こっているのか確認した。

 獣の喧嘩だ。我先にと餌にありつく為に同族に牙と爪を肉に刺す。

 そんな姿を尻目に、俺は家の敷地から脱出し、とりあえず村の外れまで走り草むらの茂みに隠れた。

 息が上がり、心臓の鼓動がやけに耳に響く。少し落ち着いてから行動した方がいいだろう。

「ああくそ、引き上げるか、それとも神社か……」

 大方の欲しい情報は手に入れた。やはり沼、あれがこの村人の餓鬼化の原因だとわかった。

「……神社だな」

 だが、まだこの村には秘密がありそうだ。あの祟り神、あれは神道の存在だろう。収穫は得たが、まだあれについて何もわかってない。

「欲の出しすぎは良くないが……あれが神道の存在ならば神社に何か手掛かりがあるはずだ」

 どうする。あの祟り神、あれだけがこの状況で不可解な存在だ。

 俺たちを襲いもするがここにいる餓鬼へと変わった村人をも貪り食っていた。つまり第三勢力と仮定できる。

「……なら、俺は――」

 身の安全か情報か。俺は生唾を飲んでから決断を下した。



 私は今結界が張られたお堂でじっとしている。

 八手がここから出て大体一時間ぐらいかな? 不安と心配でもうどうにかなりそうだけど、私はなんとか自分の仕事をこなそうと挫けずに周りを注意深く観察している。

 聞こえるのはお坊さんのお経、そして小声で刺々しい夫婦の口喧嘩の音量がたまに大きくなっていた。

「だからここに来るの反対だったのよ……」

「そんなこと言ってないだろ」

「言ったわよ! 誤魔化さないでよ!」

 正直怒鳴り声とか喧嘩の声というのはそれだけで気が滅入る。ここの空気は最悪だ。いつもなら八手に着いて行きたかったと弱音を吐きたくもなるが、今は私がしっかりしないといけないのだ。

「……大丈夫かな」

 夫婦の子供を注意深く観察する。体調は悪そうだが妖怪になる気配はなく、お腹が減ったなどといった声も聞こえてこない。

「時間がゆっくりだ」

 最近八手が私にくれたデジタルの腕時計を見る。いつもならば寝てる時間、夜の二時ちょっと。さっき時計を見た時は一時五十分ぐらいだったのに、それがもう大分前に思える。

「ちょっちょっ」

 と、少し眠気でぼうっとしてた時に、変な声が聞こえた。

 夫婦を見れば怯えて外の方を見ていて、お坊さんの御経の声が一段と大きくなっていたのがわかった。

 まさかあの元村人の妖怪がここに集まって来たのかと警戒しながらガラス越しに外の様子を伺う。

「なんだ、八手か」

 そこには見慣れた姿があった。あの無駄に長い揉み上げ……ふと、寒気がした。

 確かに八手らしき人間がガラスの扉を叩いている。確かに見覚えある背格好の人間がこっちを見ている。

 でも、でもさ、八手はさ、あんな口が釣り上がる様な笑い方なんてしない。

「あ、あの人じゃない。早く入れてあげないなさいよ、あんた」

 夫婦のお母さんの方からそんな指示を受けたが、嫌な予感が頭から離れない。生還して帰ってきて喜んでいる顔なのか、あれ?

 ああ、そういえばこんな時の為にあいつが用意した合言葉があったんだ。

「なぁ、八手、お前がここを出る時にさ、私何が食べたいって言ったっけ?」

「……」

 八手から返答は無い。あの無理やり笑っている顔でドアを叩く音が強くなるだけだ。

「あんたちょっと……いいから早く開けてやりなさいよ」

「……なぁ。お前、誰?」

 私の言葉に夫婦は恐怖した。きっとお坊さんも背中にぞくりとした恐怖を感じたのだろう。言った私だって鳥肌がたっている。

「ちょっちょっちょっちょっちょっちょっ」

 と、八手らしきものが何かを繰り返し言い始め卑しい笑顔を浮かべたまま手招きする。違う。これは八手どころか人間でもない。

「お前は誰だ!」

 完全に外にいる奴が八手ではないと確信して、そう怒鳴る、と。

「あはははははっははははははははっはははは!」

 爆竹みたいな笑い声の後、すっと……八手に化けた奴の姿が消えた。

「……なんなのよ! もう嫌よ! なんなのよ!」

「落ち着けって!」

「落ち着ける訳ないでしょ! さっきのなんなのよ!」

「俺が知るかよ!」

 恐怖から騒ぎ出す夫婦、正直私もパニックになりそうだが、感情任せに騒いだら駄目だ。私は八手の式神なんだから、一番しっかりしてないといけない。

 こんな時あいつならどうするか? 怒鳴るか、違う。緊急時あいつはまず感情的にはならない。

「落ち着いて、あれはここの中に入ってこれない」

「だから何なのよ!」

「ここにいる限りはあれに襲われないってことだから、えーと、だから、うん大丈夫!」

「……大丈夫って、どこにそんな確証があるのよ! もうこんな所嫌よ! 出して! すぐに出して!」

 う……私じゃ、私じゃ八手みたいに上手く諭せない。どうすれば、どうしよう。どうしよう――。

「――喝ッ!」

 すると、突然お坊さんが人間が出せるのか疑問に思う程の大声を出し、一瞬で私達三人の口論を止めた。

 さきほどまで絶え間なく唱えられていたお経を唱えていない。その変わりに、布を擦る音を出しながらお坊さんが両手を合わせながらこちらに歩いてくる。

「夫婦双方、自身の子供を見なされ」

 お坊さんに言われ、若夫婦はただ喚くのを止め自分の子供に目をやった。

「苦しむ我が子を見なさい。こんな容態の子を抱えて貴女はあんな怪物が徘徊する外に出るのですか?」

「それは……」

「我が子が一番、そう、自分よりも大事でしょう」

「……はい」

 母親がお坊さんに説得された。

「そうだぞ、少し冷静になれ」

「貴方もです、一家の柱たる父ならば容易に怒鳴っては駄目です。柱が簡単に揺らいではいけないのですよ」

「……え……はい」

 続けて父親も説教された。二人は顔を見合わせ、母親の腕に抱かれた我が子へと視線を落とす。

 静寂に包まれる。どうやらお坊さんのおかげで若夫婦は落ち着きを取り戻したらしい。

「皆の者、気を確かに……全員で生きてここから出ましょう」

 そう言ってからお坊さんはお経を唱える作業へと戻る。日はまだ昇らないけれど、私たちを照らすものは確かにここにあったのだった。



 俺は今、嘯き村の神社へと来ている。

 小林さんの寺で見つけた古い地図にこの神社の場所が記されているのを見つけた時、ツキが回ってきたと思ったのだが、その考えは間違っていなかった。ここは、手掛かりの宝庫だ。

「村に地蔵が無かったが……こういうことか」

 朽ちかけた鳥居をくぐり神社の敷地内に入ると、砕かれた地蔵がそこらに散乱していた。

「呪いを村に貯める為に、道祖神(村の守り神)と同じ性質を持つ地蔵を砕いてここに集めたのか。……仏教のものである地蔵が領域に放置されたらここの土地神は怒るわな」

 頭の中で情報を統合し、この村の惨状がなぜ起きているのか解明していく。村人が餓鬼と化したのはこの村の先祖代々の上から逃れるという狂った願いの果てだ。

 ではあの祟り神は何か? 古くにこの神社で嘯き村を守護していた神様なのだろう。だが、村の狂った儀式により居場所を失い穢れを貯め祟り神と成り、今現在その“復讐”の為に餓鬼と化した村人を襲っているのだ。

「ここの村人もそれは予想外だったらしい……それで俺にあの祟り神を倒せと言っていたのか」

 先程村長の家であの老人が言っていたことを想い返す。「祟り神を殺せ」と、飢えから逃れ生きることが目的だというのに宿願が果たされた直後に祟り神に食い殺されるなど本末転倒にもほどがある。

「なら、この村の連中を殺せば祟り神が村の外に出て人を襲う可能性は低いか」

 復讐を済ませばあの祟り神はこの呪われた地に根付くだろう。この辺りの土地は死に絶えるが、人が住む町に被害が及ぶこともないだろう。一番知りたかったことを知れた。なら後はこの村から脱出するだけだ。

「しかし、この社はいつから放置されてる?」

 ただ雨風で朽ちているだけではない。異様な臭いが鼻にこびり付く。カビかはたまた呪いの類か? 境内には嘯き村以上に動物の気配が無い。いや、奥で多足の虫が蠢いているのではないかという不気味さはあるが……。

 警戒心から重い足を引きずりながら神社の奥にある本堂に辿り着くと、これ見よがしに怪しい物を発見した。

「嘘だろ」

 思わずそんな感想が漏れる。というのもあまりにもあからさまというか、意味ありげな地下への扉を見つけてしまったのだから許してほしい。

「……調べるか」

 餓鬼が来ないうちにここも調べてみるとしよう。境内の地面にある扉を開けてみる。施錠されてなかったが如何せん古く、少し開けるのに苦戦したが大きな音も出さずに三分ほどで奈落へと通じる階段を拝めた。

「はぁ」

 思わずため息が出てしまう。いや、いくらなんでもあからさまだ。実はこれが手の込んだ罠だとしても納得ができる。

 しかしこの奥にさらなる手掛かりがあるかもしれないので、不安な気持ちを何とか言い負かし石階段をゆっくりと下っていく。

 スマホを懐中電灯に使いながら短い階段を下りきると、そこには質素な祭壇と境内で散乱していた以上にどっちからった地蔵の残骸が霧散していた。儀式の後か? なんにしせよここは普通の神社ではなさそうだ。

「餓鬼になる為の儀式でもしてたのか? いや、別件だなこれは、神に祈りを捧げてるなら土地神が祟り神なんぞになり果てなかっただろうし、それに古い……豊穣の為に生贄を捧げる部屋かなんかだな」

 見るからに怪しい部屋だが、今回の事態にはあまりかかわりのない部屋だろう。何か手掛かりになる物があるだろうと期待したが、おおよそ餓鬼になる儀式が行われる前に行われた生贄信仰の名残なのだろう。

「……これは」

 だが、その部屋の散乱する地蔵の残骸の中に、何やら見慣れない物を見つけてしまった。それは木の板で、乱暴に、怒りが切りつけられていた。

「……文字か」

 木の板に荒々しく掘られていた字、現代のものではない。だが実家で先祖の巻物と睨めっこしていた俺には何となくだが内容が理解できた。

 被害者の怒り、この村の因習に巻き込まれた一人の恨み辛みが込められていた。地下にあった為か、字が読めなくなるまでの損傷を逃れたらしく、保存状態は良好だ。

 昔、この村で身体を売る為村を訪れ、夜に攫われ、食肉にされかけ腕を落とされながらもここに逃げ込んだ一人の女性の物語りだ。

 誰にも知られることもなかった歴史の一ページを目の当たりにし、俺はここで初めてこの村の狂った因習が古くから続けられているのを実感してしまった。

「何人殺したんだ」

 大戦前から、維新前から、江戸幕府ができる前からか?

 悍ましさと嫌悪感を腹に貯めながら階段を昇る。ではそろそろ寺に戻るか、夏穂は無事だろうが、あの餓鬼化が始まっていた子供は今頃どうなっているだろう……。

「夏穂、待ってろよ」

 そう言って階段を昇り社の境内に戻る。後は餓鬼に気づかれず村の反対側にある寺にも――。

「……」

 ドスンと、何か背後で落下する音が聞こえた。そしてニチャニチャと粘液が擦れる音を発しながら“ソレ”は得物である俺を見つけ笑っているらしい。

 悪寒で頭が変になりそうだ。人間には勝てない存在がいる。銃を持ってしても近距離で猛獣には勝てない。銃口から放たれる弾が届くより、爪と牙が皮の下にある肉と血管をズタズタに引き裂く。

 それが武器も無い人間の背後にそれより恐ろしい者が存在しているのだから後方を確認するまでもなく脱兎の如く駆けだした俺の判断は正しかっただろう。

 姿など見なくとも判る。古巣に迷い込んだ侵入者を嗅ぎつけてか、嘯き村にて餓鬼を喰らう祟り神、それが俺の命を刈り取りに来たのだった。


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