最終話 追伸

「兄貴、俺、退学になったよ」

 寮の公衆電話の前で、蒼介は肩を落としていた。

 すぐ隣のベンチに座っていた章太郎が、その様子を見ながら笑っていた。

 受話器から蒼介の兄のため息が出てきそうだった。

「まだ一ヶ月も経ってないな。何があった」

「ほら、ちょっと問題が起こったって言ったろ。

 そのせいでさ、ろくに授業に出てなかったし、テストもさぼったし、無断外出も校則違反も」

「……後は?」

「公衆の面前で女の子にキスした」

「蒼介、今度こそやばいぞ。母さんに殺されるかもな」

「助けてよ」

「無理だな。自業自得だろう。

 それより、お前が着払いで送ってきたPCだけどな、ロック解除出来たぞ」

「あぁ、それか。もういいんだ。それより助けてよ」

「なんだと」

「あ、ううん。送り返して、お願いします」

「あぁ、でもな、中身は空っぽだったぞ。初期化されてた」

「じゃあなんでロックなんか」

「一応、消去されたデータの復旧もしてみた」

「さすが兄貴。なんか、気になるものはあった? 兄貴の勘で」

「あったよ。一番最近のファイル、遺書じゃないか?

 読みたいか?」

 蒼介はスピーチをしていたときのアカリの吹っ切れたような表情を思い出した。

 いい事だけ思い出にとっておく。

 そう彼女は言ったっけ。

「いいや。読まない」

 もう、皆、前に進んでいるから。

「珍しいな。好奇心ばっかり旺盛なお前が。

 じゃ、復旧データは全部消去しておくな」

「いや、ちょっと待って。やっぱ送って、その遺書っぽいやつだけ。メールで」

「そう言うだろうと思ってもう送ったよ。じゃあな。母さんによろしく」

「あ、待って……。切れた。ったく、参ったな」

 蒼介は受話器を置くと、章太郎の隣に座った。

「お前さ、前の学校も女が原因で辞めたんだって?」

「何で知ってんだよ」

「呉木から聞いた。それで、お前、真田の事が好きだったのか?」

「え? いや、あれはなんていうか、衝動かな。

 健気に耐えてる真田がすっごく愛おしくなっちゃって」

「俺、初めて見たぜ。あんなに気持ちよくビンタされたやつ」

「あぁ、気持ちいいくらいバチンときたな。

 超痛かったよ。

 なぁ、章太郎。真田のことよろしくな」

「なんでお前が頼むんだよ」

 章太郎は八重歯を見せて笑った。

 と思ったら、深刻な顔つきになった。

「あのさ、真田のことだけど、その、単なる好奇心なんだけどさ」

「なんだよ」

「真田はさ、宮河先生は男だったって言ってたよな」

「言ってたな」

「あれってどういう意味だと思う?

 真田は先生とやったのか?」

「そんな感じの発言だよな」

「でもさ、先生は胸の除去手術しかしてないんだろ?

 だとしたら、真田はなにを根拠に男だったって言い切ったんだろう」

 蒼介は悩む章太郎を見てなんだか微笑ましくなってしまった。

「あのさ、真田は宮川先生が初めてだったんだよ。

 だから、次に経験した時に分かるんじゃないか?」

「え、どういうこと? 謎かけ?」

「卒業したら、フィルタリングされてないパソコンで調べてみろよ。

 世界は広いぞ」

「なんだよ、ぜんぜん分かんねぇよ」

 章太郎は頬を膨らませてふてくされる。

 子供じみた年下の先輩に、蒼介は癒された気持ちになる。

「それからさ、不思議なんだけど、女の匂いってあるのか?」

「ある。知りたければ女を知るんだな」

「絶対言うと思った」

 二人は顔を見合わせてクスクス笑った。

「今度は東京で会おうな。上京するんだろ?」

「大学合格したらな。ほら、餞別」

 章太郎はコーラの缶を蒼介に渡した。

「卒業までに小林さんとやっちゃえよ」

 章太郎は蒼介にローキックをかました。

 痛てえな、と言いながら蒼介はコーラの缶を開けた。

 たちまち泡が溢れて出て来た。

 章太郎は腹を抱えて笑っていた。

 蒼介も笑うしかなかった。

 二人を見ていた通りすがりの生徒たちも笑っていた。


 



 件名:復旧したファイル

 from:由井善

 to : 蒼介



 このままでは自分が自分でなくなってしまいます。

 自ら命を絶つ事をお許しください。


 僕は以前から彼に興味があった。

 教師としてなのか、個人としてなのか。

 いずれにしても、彼に対しては注意が必要だと本能が知らせていたように思う。

 それなのに僕は彼の誘惑に負けてしまった。

 負けてしまった今では、もしかしたら誘惑されたいがために自らきっかけを作ったのではないかと思ってしまう。

 彼はこう言った。美しさに男も女も関係ない。先生は美しい、と。

 僕は男であることに必死すぎたのかもしれない。

 自分の女の身体を嫌悪し、自分のものであると認めたくなかった。

 でも、彼にそう言われた時、ほんの少し心が軽くなったような気がしたのだ。

 彼は、僕が拒絶している女の部分に無理やり入って来た。

 その時に、僕の心は真っ二つに割れてしまった。

 悪魔を拒絶する僕と、悪魔に魅せられた僕。


 かつて僕は自分の心と身体と倒錯した性に悩み、自暴自棄になったことがあった。

 ペニスのない身体を痛めつけるように、無茶苦茶なセックスを繰り返した時期もあった。

 それを乗り越えて、ようやく今の自分にたどり着いた。

 それなのに彼は、僕が必死で作り上げた僕という殻をいとも簡単に突き破った。

 男でも女でもいい、という彼の言葉は媚薬のようだった。

 望めば、あぁ彼は、僕を男として求めたのだ。それはかつて無い経験だった。

 僕が差し出せば、彼は経験した事のないような快楽を与えた。

 次第に僕は、彼に求められている自分が、僕が望んでいた自分の姿なのかと倒錯していった。

 どんどん自分が分からなくなっていった。


 そんな時、彼女の存在が僕の支えになってくれた。

 彼女は僕を慕ってくれていた。

 彼が悪魔なら、彼女は天使だった。

 彼女の思いが僕が僕であることをつなぎ止めていた。

 そして彼女が僕に身を預けてくれた時、彼女を抱いて彼女の中に入った時に分かった。

 彼女が求める僕こそが僕なのだと。


 しかし遅すぎた。

 妊娠は血迷った僕への罰なのでしょう。

 この小さな命に罪はないけれど、もうこれ以上迷わないために。

 自分を見失わないためには、自ら命を絶つ以外ありません。

 

 悪魔の誘惑に抗えなかった僕をお許しください。


                              完

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血みどろ遊戯 深乃ふか @hukahuka

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