ワーキング・デッド

 膨大な奨学金を抱え込んだこのモラトリアム生活も、四周目を迎えた頃のこと。

 水無月とは名ばかりの湿っぽい梅雨模様に、私は暗く沈んでいた。

「就活が終わらない……!」

 無尽蔵に積み重なったエントリーシートの山。

 ハンガーに掛かった拘束具紛いのリクルートスーツが、視界の端で揺れる。

 親しい友人は大抵、何故かもう内定を獲得している。卒業旅行と称して乱痴気騒ぎを催し、最後の機会だからと法に触れかねないハメの外し方さえしている輩もいるが、しかし彼らには内定があり、私にはない。この事実一つで正義は如何様にでも逆転し、翻って私は社会性如何を問われる。

 ペンは剣よりも強し、という言葉がある。こと現代日本社会においては文筆業も傭兵業もなべて食い扶持になるものか馬鹿者め、飢えてくたばれ。

 もはや半ば八つ当たりのような感情を至極当然のように振り回しながら、その遠心力を以てして、私はどうにか次の応募書類に筆を走らせた。

 もはやフォーマットと化したこの行為に、今更特別感はない。

 例え、資格欄に特異な、それこそ他の学生と差別化を図れるようなタイトルを持っていたとしても。事ここに至るとその肩書きの有名無実化には、異論の余地はないだろう。

 しかし、このアイデンティティは心の支えでもある。

 今でもこの事実を書き記すときは、ほんの少しの誇らしさと自尊心が触発されるようで、きもち書体が流麗になるのを感じる。

『資格、遺体管理衛生士一級』

 無論、これはれっきとした国家資格だ。取得者率は極めて低く、また同様に、関連企業の求人倍率も限りなく低い。というか、そもそも受け入れ先が見つからない。

 読んで字の如く、この資格は国家公認の死亡者を衛生管理の面で扱うことが許された、いわば危険物取扱者的なものに近い。

 衛生管理とは名ばかりで、彼らは如何様にでも利用し得る。

 それこそ、人材リソースとして。

 人材不足の嘆かれる小売業などを初めとした非正規雇用者枠は勿論のこと、数あわせのサクラにスタントマン。果てには実験モルモットまでオールラウンドに努められる彼らの社会的価値は非常に高く、それを管理する立場にありうる私はいわば派遣業の元締めのような存在に近いわけであって、その有用性に疑いの余地はない。

 ……まあ、有り体に言葉をまとめると、アレだ。

 私は、いわゆるネクロマンサーだ。


       ・・・


「え、九石さん、まだ内定持ってなかったんですか……?」

「そんなの私が聞きたい……いやまあ、なるべくしてなったんだけども……」

 午後三時のスターバックス。かたやスーツの私を尻目に、目の前の彼女は至ってカジュアルなファッションに身を包んでいた。黒のスキニーに肩出しセーター、そして添えるようなキャスケット帽。グレーを基調とした装いが、この頃の湿った空気に映えている。

 悠墨知咲。私の同期であり、理解者であり、また同時に、内定共和国の人間でもある。

「確か、ネクロマンサー……でしたっけ? あんな珍しい肩書き、絶対にどこかしらでは通用すると思ったんですけど。また、一体どうして」

 あれだけ壮大に語っておいて何だが、前述のネクロマンサーのメリットは、概ね就職活動には活かすことができない。

 何せ、死体を動かせてしまうのだ。主に倫理と社会規範が、大いに邪魔立てする。

 まずこの概念が登場した当時、世間からの風当たりはそれはもう冷ややかなものだった。悪魔だの人権侵害だの、墓を荒らしてもいないうちからそれはもう好き勝手言われたものだ。この国の思想の自由はどこにいったというのか。

 具体的な話をすると、まず以て飲食店業には一切流用できない。膨大な人材リソースを確保できることは確かに強みだが、ゾンビの作る飯を誰が食いたい? いやまあ、私は食えるんだけれど……ともかくとして、ゾンビと食事文化は掛け合わせることができない。昨今の一大グルメ漫画ブームにおいても「ゾンビ飯」なる作品が世に出ていないことが何よりの証左だ。

 いやまあ正直、いつか出そうな気がしないでもないが、それはさておこう。

 次に、ならば危険物処理や被検体として、使い捨てとしてのゾンビ運用はどうなのかという話だが、これについては人権団体が金切り声を上げる。死してなお周囲に決定される当事者の人権問題について、果たして人間の知性体としての死はいつどこで定義すべきなのかという議論が、一時物議を醸した。どうせ後少しもすれば、死生観なんてAIや人工知能が散々掻き乱すのだ。リビングデッドからリビングネットへと、時代は推移する。まあ、そもそもにおいて、ゾンビが幅を利かせた時代など終ぞなかったのだが……何より、幅を利かせてしまえばそれはもう人類滅亡だ。

 そう、文脈がちょうど符合したのでもう一つ付け加えておくと、ゾンビの人材メリットは、いまやAIに基づくオートメーション化に立つ瀬がないというのもある。メソッドさえ確立してしまえば無尽蔵に確保できるという点においては並ぶが、しかし純粋な衛生面、倫理面を考慮した際に、その差はもはや圧倒的だ。

 以上のことを、私は悠墨に伝えた。

「なるほど……ネクロマンサー社会も、そう易々とはいかないんですね……」

「そうなんだよ……結局書きはするけれど、何かに活かせるわけでもなし……でもなまじ珍しいから、一切関係のない職にいくのも嫌で……もう、完全に迷走してる……」

 ここで悠墨が、あっと声を出す。

「そういえば、あそこはどうなんですか。ネクロノミコンバレー」

「ああ……あそこはなあ」

 ネクロノミコンバレーとは、カリフォルニア州はサンフランシスコ――ではなく、

コーリンガ。土ホコリとタンブルウィードが彩る枯れた土地に、その地域は存在する。ご存じの通り、語源はシリコンバレーであり、それに著名なSFホラー作家ラヴクラフトの創作物「ネクロノミコン」を混ぜたものだ。私のような超常的現象を扱う人材が多く集まり、日々グローバルだかグロテスクだかあまり区別のつかない活動に精を出しているのだが、いわばその筋のエリート集団と言えるので、私のような人間にはうってつけの舞台なのだ。

 正直、何度も渡米を考えた。そういう舞台が存在するからという意味だけではなく、そもそも日本という土地には、ネクロマンサー活動を行うにあたっての致命的な欠陥がるのだ。

 それは、日本には海外のような土葬やエンバーミングの文化が全くないということ。火葬処理の普及率は九割九分を越える上に、酸性質の強い土壌を持つ本国においては、よしんば土葬したとしても数ヶ月で骨までもが土に還る。防腐処理を施すこともないため、遺体が地中に残らないのだ。一応、湿った土壌では体内の脂肪が死蝋に変質することで遺体自体は残るのだが、如何せんヌルヌルしているので、ビジュアル面では最悪と言えよう。

 いわば日本は、ネクロマンサーにとっては酷く住みにくい国なのだ。

 ここまでの条件下で、私が尚、ネクロノミコンバレーに足を伸ばさない理由なのだが……。

「……私、英語できないんだよね」

「欧米文化のゾンビを操っておいて、それは今更過ぎませんか……?」

 悠墨の指摘が突き刺さる。返す言葉もない。

「それだけ自身のアイデンティティに対して深い洞察を持ちながら、どうして自己実現の為の些細な努力ができないんですか……ジョージ・A・ロメロに申し訳ないとは思いませんか?」

「確かに、御大には頭が上がらない……けれど元々、ロメロが『ゾンビ』で描いていたのは無知で怠惰な消費社会なんだよね……ただ目の前にぶら下がった餌を咥えるだけの中流層を皮肉で描いていたわけだから……そういう意味では、現代の消費社会に寄与しないのはロメロの精神を継いでいるとも言えるわけで……」

「手に職もないと、いずれ餓死してあなたがゾンビになっちゃいますよ?」

「それはごめん被る!」

 私を認知してくれ消費社会!

「正直な話、いざとなればどこかしらの中小企業に身を落ち着けるか……就職浪人で英語学習、っていうのもイマイチイメージ湧かないしなあ……」

「中小なんてダメです。九石さんの独自性は社会に貢献すべきものですし、何より一度身を埋めてしまえば、あなたの性格上、そのなあなあの企業で死ぬまで腐り続けるでしょう?」

「うう……耳が痛い……」

 しかし、悠墨の言は尤もなものだった。重々分かっていたつもりだったが、流石に事ここに至って焦燥を覚えたのだろうか。どうやら私は誰かしらに背中を押してもらいたかったようだ。

 かくして一連の啓発を受け、言うが早いか、私は帰りがけに英会話教室を探して回った。


       ・・・


 「ふう……」

 悠墨とも別れた後、一通りの用事を終えた私は家路についた。

 先にも挙げたが、ネクロマンサーにとって日本は肩身が狭い場所だ。

 特別手当や控除などの制度が設けられているわけでもなく、国家資格という名目上の定義は整えているものの、実質存在するのはネクロマンサー諸氏への抑制行為ばかりだ。

 AI文化との代替性が人材リソースを活かせない最大の要因と先にも言ったが、それに加えて、日本ではゾンビを個人が所持、作成することがそもそも認められていない。私のような国家資格を得ても尚、ゾンビ作成には多くの手続きと制約が伴う。取り分け、一番厳しいのはその存在に税金が発生するという点だ。それもそうだ。無償で労働力を、しかも際限なく獲得できようものなら、私は一種の小国家を築けてしまう。故にこそ、ゾンビの所持と利用には多くの法整備がなされ、もはや「ゾンビを操るネクロマンサーを操る国家」という歪な主体が完成している。

 その図式に人々は、宜なるかな、ゾンビの軍事的利用性を危惧した。

 非核三原則やロボット工学三原則に続いて、いよいよゾンビ三原則かとワイドショーが騒ぎ立てた段で、日本における遺体確保の難点が指摘され、SFへの扉は儚くも瓦解したわけだ。

 元来フィクションに飼い慣らされているせいか、ネクロマンスが社会通念の中に取り込まれる日は早々に来た。マイノリティを自負し論壇に上がった数名のネクロマンサーが各種メディアに取り上げられ、その認知は瞬く間に広がった。

 だからこそああやって、私は堂々と往来の下でコーヒーを飲めているわけで、悠墨にも忌憚なく接してもらえている。ただ彼女については、仮に私がアウトローだとしても気兼ねなく接してきそうな胆力を感じるが……その話はまあ、ヤボというものだろう。

 ともかく、今回だって彼女に檄を飛ばしてもらい、どうにか気持ちを落ち着けることができたのだ。思えば私は、とにかくどこかに、社会のポケットの中に収まろうと躍起になっていたのかもしれない。物珍しい肩書きの上に胡座をかいて、どこかで自分は人と違うんだぞと、内心で慢心していたからこその、今があるんじゃないだろうか。

 そうじゃないだろうと。

 できることを、じゃない。

 やりたいことを、でもない。

 やるべきことを、やろう。

 自己実現としての就職活動を、これからは念頭に置いていこう。

「さて、と……」

 とにかく今日は疲れた。どれ、映画でも観てゆっくりと休もう。

 DVDプレイヤーの電源を点け、お気に入りのウィスキーを一つ――いや、似つかわしくない。そう思い直して、私は冷蔵庫からビールを二、三取り出した。

 さて、今宵の演目はスプラッタ。とはいえコメディ色の強い、死をスナック感覚で摂取していける滑稽な映画だ。ネットの事前調査では賛否両論、「賛2否8」といったところだが、まあ私の中では概ね賛否両論と言えるだろう、うん。

 そんな見え透いた地雷作品のアバンタイトルをぼうっと眺めながら、少し物思いに耽る。

 私の短い生涯のAtoZは、今はそれこそHかIがいいところだ。たった今観てる映画はC級もいいところだが。(冒頭で「ゾンビ発電」なる謎の単語が登場した。不穏だ)

 ここからどう転ぶか、はたまたどういった展開になるか。まあ、ある程度は見え透いている気がしないでもないが、そこはそれ。

 せめて私の物語では、私は胡乱としたゾンビではなく、メインキャストでありたい。

 今はそう、切に思う。

「メインを張れるだけの設定は、持ってると思うしね……」

 独りごちて、ビールを思うままにあおる。

 肝心の映画はと言うと、あまりのくだらなさに舟を漕いでしまったので、内容はほとんど覚えていない。


       ・・・


 翌日の床で、私は自身が下戸であることをしかと思い出した。

 頬に当たるフローリングの冷たさから、自らが倒れ伏して動けないことを理解する。

 目の前には二、三――否、明らかに片手の指では足りない缶ビールの山がある。

 酔いに任せて悠墨でも呼んだのだろうか。おぼろげとした記憶は辿ることもできず、それならばと思考を止めて行動に移そうとしたところで、直立もままならないことに気付いた。

 というか、顔面を打ち付けるようにして前に倒れ込んだ。

「ああ……これ……ダメだ……」

 昨日申し込んだ英会話教室の体験学習は、敢えなくキャンセルとなった。


       ・・・


「で、知咲にもらった折角のアドバイスも不意にして、結果としてはまた元の木阿弥にと、そういうことでしょ? 全く、どっちがゾンビだかわかりやしないね」

「仰るとおりで……」

 大学のカフェで、私は知人に会っていた。

 先日の昼行灯な行いに、悠墨が不満を漏らしたそうで……それは一も二もなく頷けるのだが、しかしそのことが、面倒な人の耳に入ってしまったのだ。

 その人が今、対面に、アイスラテを片手に座っている。

 悠墨は私の個性を前にして、社会貢献と資本獲得モデルの両立を訴えたわけだが、多角的な分析はいつだって欠かせない。ここでケース2といこう。

 眼前の彼女は、占見のな。内定共和国の人民でこそないものの、大学院というサナトリウムに籍を置く彼女は、これまた私とは相容れない変人だ。ボサッとした無造作な黒髪に、不摂生と人格破綻が色濃く投影されている。

 占見は悠墨と違い、社会の中に私の役割を見出そうとは思っていない。

 彼女はあくまで学問の俎上で私を解体することにしか興味はなく、お前も変わり者なんだから院に入れと絡まれるのが茶飯事だ。英語すらまともにできない私に入れるとでも思っているのだろうか。その上文系の院生に、それこそ学問狂でもない限り未来などありはしないのだということは大変よく知っているので、私は毎度謹んでお断りしている。

 ちなみに彼女も例に漏れず文系なのだが、何故かキャンパス内では常時白衣を身に付けている。一体何の必要性があるんだと訊いたことがあるのだが「何かカッコよくない?」とおよそ学問のエリートとは思えない回答をいただいた。ぶっちゃけ本職にしたって何となく着てる、みたいな話も聞くけども。

「まずさ、境ちゃん。ゾンビというものは、そもそも何だろね?」

「何だろう、といわれましても……自分としては、なまじ印象が強いだけに切り捨てがたく、けれどこの日本社会では活用の術がない、プライドと社会性の狭間に生まれた異物といいますか……」

「ああ、いや、その手の話は既に知咲としたんでしょ? ならもういいじゃない。君はネクロノミコンバレーに視野を据えて、これから頑張る。それだけなんだから。九石境という個人には、私は興味がないよ」

「そう、ですか……」

 そう、こういうところだ。あくまで私を物種としては面白がっても、その実目はこっちを向いていない。話し方こそ平易で親しみやすさを感じはする――何なら、私や悠墨の方がお堅いくらいだろう。けれど、この人とはそもそも芯が違うということを、ひしひしと感じる。

 人間という感情を持った面倒な情報媒体から、いかに効率的にデータを引き出しうるのか。彼女の人当たりの良さや直截な態度は、そのような徹底した研究倫理によって構成されている。

「まあ、当事者の君のことだしね。一家言はあるでしょ。現に、さっきの話の中でもゾンビ史に対する一定の知識は窺えたことだし、ね」

「ええ、まあ……」

「そこで訊きたいな。境ちゃんの好きなゾンビ映画って、何?」

「……」

 しばらく、押し黙る。彼女からはついさっき、私個人への興味はないと三行半を突きつけられたばかりなのだ。故に私は今、彼女にとって興味深い個性を有した「研究対象」という立ち位置にある。

 つまり私がここで挙げる映画は、実際にゾンビと触れ合う立場である私が得た知見がどうこうというものではなく、研究者占見のなの講釈――解釈の糸口でしかないのだ。

 それを踏まえた上で、私は一つのタイトルを挙げた。

「バイオハザード4ですかね」

「……ふうん」

 そんな紙背を読んだ皮肉も理解してか、彼女は別段指摘はしなかった。

「確かに、最高傑作と名高いだけはあるしね」

「ええ。今でもたまにプレイしますよ」

 あまりにも名高い作品だけあり、既知の人は多いことだと思うが、バイオハザード4にはそもそもゾンビは登場しない。あくまでゾンビのような存在「ガナード」が、死して尚知性を有したまま徒党を組んで襲いかかってくる。

 何でも過去作品に比べてアクション性の向上した本作において、従来の鈍重なゾンビ像では似つかわしくないと制作チームが判断してのことらしい。

「ふむ、ふむ。ここでバイオ4を挙げるなんて、やっぱり境ちゃんはユニークだね。それに、うん、良いパスだ」

 そうして少し考え込んで、私の皮肉をゆっくりと咀嚼し、嚥下するように。

 占見のなの歪んだ口角が、にちゃりと音を立てた。

 ああ、また始まるぞ、この人のいつもの悪い癖が……。


       ・・・


「話を戻すと、まずゾンビって何なの? って話なんだよね」

 前提条件の確認。冒頭に振った話題を、事ここに至って再配置する。

 私は今から、彼女に一方的に解体されていく。

「境ちゃんがけなげにも持ち出した非ゾンビ的存在ガナードは、確かに作中においては高知能で、何なら武器だって使える。それは確かに黎明期のゾンビモデルからすれば「こいつは一体何なんだ?」ってくらいのものかもしれない。しかし八十年代、バタリアンにおいて既にゾンビが力の限り野を駆けていたように、モデルというものは――焦点は時代に伴って変遷するんだ。さあ、そこに目を向けようか」

 もはや体面を取り繕うための柔らかい話し方はどこへやら、彼女はいまや知的探究心に突き動かされる一体のゾンビだ。

「ゾンビはそれこそ広義な存在だよ。知能の有無、感染力の有無、発生原因――主にバイオテロ、死者の蘇生、放射能汚染、あるいは胡乱な生者をゾンビと揶揄する――の四つだね。取り分け現代においては、四つ目の形が一番多いんじゃないかな。墓を荒らさずして、生者というリソースをそのままそっくりゾンビへと転換してしまえる――こんなことが実現できたなら、君はきっと就職難なんかにはさらされなかっただろうね? おっと、そう睨まないでくれると嬉しいな。展望もろくにない大学院生からの言葉なんて、痛くもないだろう? さて、次は感染力の項だが……医学によって生まれたゾンビはすべからく感染力を持つけれど、どうして墓から掘り起こされただけに過ぎない腐った肉の塊が伝染しえるのだろうね? 私はそれが甚だ疑問でね。疑問だね。ああ、疑問だとも。例えば地中で何かが培養されているとして、仮に地中でそのような成分が生産されうるなら、今頃世界は土に還り損ねた動物らのお陰でゾンビパニックだ。だからまあ……ここはフィクションの力と割り切ってしまおうか。では最後に知能だが、これについて、さあ君はどう思う?」

 矢継ぎ早に繰り出される彼女の論考に、口を挟む隙間も気力もないとして、私は半ば項垂れながらに耳を傾けていたのだが――ここで、意見を求められた。

「……ご考察の通り、ネクロマンスは日本においては役に立たないものです。だからこそ私は、ネクロノミコンバレーへの就職活動を視野に入れたわけですし……」

「話が逸れていない? 私は君個人に興味はないといったはずだよ?」

「私はゾンビを使役こそすれ、ただあなたの話に相槌を打つだけのゾンビに堕するつもりはないんですよ。人の――人間の話は、最後まで聞くべきだと思いますよ」

「ふふん、中々洒落てる。続けて?」

「要するに、ですね。使えないものに対して、関係を構築し得ない有名無実化したゾンビに対して、私は知性がどうとかは、考えたことがないですね」

 そう、目を向ける必要がなかった。私はゾンビをパーソナリティとして、一つの現代社会におけるスキルとして解釈した為に、その部分には考えが及んでいない。

 悠墨に放ったようなロメロ等への言及は、あくまでゾンビ史の上澄みと言えるだろう。それこそ、ゾンビ映画ファンなら知っていて然るべき「事実」の部分でしかなく、そこに私個人特有の考察などは含まれていない。

「では、僭越ながら私の意見を話そうか。無論拝聴に徹しろとは言わないし、適宜意見があればくれるといいよ」

 そこで思い出したように、アイスラテで舌を湿らせる占見。

 きっと今頃は脳内で、「ああ、どうして人は口述なんていう面倒なプロセスを経なくてはならないのだろう」だなんて偏屈なことを考えているんだろう。

「さてさて、話は知性のフェーズに突入した。ゾンビに果たして知性は必要なのか――ではないよ。果たして知性が必要なのはゾンビなのか? という話をしている。人と同じように生き、遜色ない文化的生活を送るも、その内面には一切の情動や思考が存在しない架空存在を指して、哲学的ゾンビと呼ぶのは知っているね? うんうん、結構。では同様に、かつてロメロが批判した消費社会における中流層――ただ怠惰に口を広げ、次から次へと放り込まれる娯楽の数々に堕した人々も、同様にゾンビとされた。後継作のショーン・オブ・ザ・デッドにおいては、ゾンビがゾムコムという企業によって首輪付きで管理され――あわや共存が実現している。本作中で着目すべき点は、専らゾンビへの親近感と言えようか……自堕落な生活に溺れるニートのような存在は、ゾンビと果たして言葉の上で差別化する必要があるのだろうか、みたいなことを、要するに伝えてくるわけだ。生者とゾンビにそこまでの垣根はなく、だらしなさこそが彼らの存在を定義するとされたわけだね」

「だらしない、と言えば……ソシャゲ最盛期の現代なんかは、それこそゾンビの飽和状態と言えるのでは?」

「うん、うん。かの文脈に則れば、それらも十分にゾンビ的だね。そしていつまでも重い腰を上げない君もほぼほぼゾンビかもしれない。ともかく何が言いたいかというと、結局ゾンビというものは内側ではなく外部から、誰かからの認識によって発生する概念だということなんだ。無論、認識ありきの世界構築というのは言葉という文化には常に付きまとうものではあるが、ゾンビの場合フィクション上の被造物だけあって、その傾向が顕著だね。「ゾンビは誰か?」ということではないんだよ、境ちゃん。私たちの世界に普遍的に存在する要素を切り取った上での「誰がゾンビなのか?」という問い、これこそがゾンビの本質なんだよ。ゾンビは世界のアップデートファイルではなく、種別にファイリングされただけの既存データに過ぎない、というわけだ。それは私が議論を嫌う領域においても相違ないので、言い加えておこう。現在、この国においてネクロマンサーとは死語――ネクロマンサーだからって死語だなんて……何だかちょっと恥ずかしいな――ともかく、社会領域において活用し得ない分野だ。君の有する行使権利は国家によって事細かに拘束され、死体畜生にありもしない人権問題で、メディアは賑わう。ちょっとした人形遊びさえもままならない、そんな現状。死体を動かせるだなんて特異な立場にありながら、こうして現代社会の波に淘汰されんとしているのが良い証拠だね」

「……で、それを私に滔々と語って、一体何をどうしたいんです?」

「はは。いや、何、これはあくまで意思表明というか、ともかく現時点で私が持ちうる知見を披露したに過ぎないよ。君個人に興味はないと言いはしたが、君個人が研究サンプルを提示する権利を有していることには、強い関心があるわけだ。で、あればこその、長々とした前提条件の解説と、その確認だ。まどろこっしい話は無しだ、単刀直入に言おうか」

 ここで、占見の目が据わった。

「この腐った世界の、アップデートファイルになってみたくはないかい?」


       ・・・


 テロ等準備罪の成立は、あの女への対抗策として存在したのだろうと、私は日本政府の先見の妙に深く感心した。

 この世界の内側に閉じ込められたゾンビモジュールを、外部へと飛び出す無限遠点としてやろうじゃないか。そんな占見の戯言は、言葉尻を取ればファンタジーの領域でこそあれ、立派な世界への反逆だ。あの女のことだ。知人を集めれば、そんな研究にも精力的に取り組む学徒がわらわらといることだろう。

 私は通報こそしなかったが、あなたの研究狂いには付き合えない。呼び出された時点でおかしいと思ってたんだと捨て台詞を吐いて、カフェを後にした。

 占見のくつくつとした笑いが、今でも背中にこびりついているような感覚さえする。

「個性を捨てた地方就職か、持ち味を活かす海外就職か……あるいは、新世界の開拓か……いやいや、指数関数的にスケールが肥大化してるじゃないか……」

 私は頭を抱えた。もうちょっとまともな奴はいないのか。

 いや、悠墨はまともだったんだけれども……私にちょうどいい、とても楽で都合の良いまともモデルはないものか……。

「……ああ、そうだ」

 やっぱり、必要なのは等身大の意見だ。

 そう思い直して、私はとある場所に向かった。


       ・・・


「で、久々に会いに来て、一体どったの」

「うん、うん……あの、聞いてほしいんだけど……」

 私は彼に、事の顛末を話した。

 悠墨知咲の役割理論と、占見のなの危険思想。

 私を取り巻く、様々な思惟について。

 彼は、ふぅんと関心がなさそうに相槌を打つと、静まった。

「え、いや、ちょっと」

「何よ」

「あんた、何かないの? こう、アドバイスだとかさ! 仮にも人生の先輩として、というか……」

「人生の、ねえ……それを騙るには、ちょっと手遅れなんじゃない?」

 自嘲気味な彼は、依然無表情のまま。

 それに、セリフに似合わず声音も平淡――どころか、そもそも声が出ていない。

 だって彼は、元々土に字を書きつけているからだ。

『俺、もう死んでるんだもの。人生の先輩どころかOBだよ』

「そういう方便はいいの! とにかく、こうして久々に土の底から引っ張り出してやったんだから、少しは気の利いたことも言えばいいの!」

 ここは私の地元――幼い頃にネクロマンスを修練した、山間部の墓地だ。

 鬱蒼とした森の中。ここの土は湿っていて、土葬された遺体は死蝋と化して形を保つ。日本全国の中でも有数のネクロマンススポットだ。

 彼は岡田誠三。この墓地でも比較的保存状態が良好な中年男性で、よく私の話し相手となっている。享年は三十三だったか、生きていた頃は流麗な美男子と囁かれていたそうだが、体表面があますところなくでろでろになっている今となっては見る影もない。

 いくら高品質な死体とはいえ、頻繁に呼び出すわけでもなく、無論人体の駆動系は機能していない。声帯も同様だ。故にこそこうして筆談のような形を取っている訳なのだが、平然と喋り出すゾンビも存在するので、真面目に考えるのは馬鹿らしくなってくる。

 この時点で、私のような非研究者(あるいは被研究者とも言える)からすれば、占見のなのようなモチベーションを到底維持できる気がしない。幼い頃から触れ続けてきた不可思議に、今更楔を打ち立てようという気になれないのだ。……勿論、その楔を世界に対して向ける気も一切ないわけだ。

 では、耳を傾けるべきは悠墨知咲の言葉か。

 そう、考えはしたのだが……。

『まあ、昔から絡んできたのと言えば俺くらいだもんな。この国ほとんどゾンビ呼び出せないし。海外就職ったって、そこまで意識高くなれるだけの材料がないわな』

「そう、そうなんだ! 私はグローバルな人材になるには、中身が伴ってない! いやまあ、悠墨に最初は乗せられこそしたけれど、結局英語ができたところで伝えることがない!」

 だってこの国、死体弄くり回せないんだもの!

『ネクロマンサーも英才教育や海外留学ありきか……何だか、ファンタジーなようでいて意外と生活臭のある話だな……』

「今から留学なんて、できるはずもないしね……ああ、なんて無駄スキル……私は日本教育によって個性を剥奪された模範例だ……」

『ネクロマンサーさえもゾンビ化させる日本教育、ある意味一大ゾンビ国家だな』

 結局こうして帰省しても、私にできるのは地元の中年ゾンビと歓談に興じる程度。何ならそこらのバーに立ち寄ればいつだって出来てしまうようなことだ。

 門外漢に啓発されて、唆されて、果てに行き着くこの墓場。

 私の原点と言えるここに、そもそも殆どの含蓄がないのだから、今私が将来に対して動きあぐねていることは、そうなって然るべきだったのだろう。

 ネクロマンサーという立場に、胡座をかいた覚えはないけれど……というかかかせてもらえなかったけれど、それでも心のどこかでうじうじと引っ張ってしまっていた自分がいたことは、否めない。

 結局、悠墨の言葉にも、占見の言葉にも、頷けるだけのウェイトが、私には備わっていないのだ。その意味では占見の「君個人への興味はない」との言は非常に正鵠を射ており、何者にもなれないまま成熟して今に至る私は、さしづめゾンビを操るだけのメタ・ゾンビだ。

 そうして思考も煮詰まり、夕日も暮れてきた頃のこと。

 帰る前に、私は一つ問い掛けた。

「……ねえ」

『何?』

「…………お腹、空かない?」

『空く腹も、入れる胃もない』

 分かりきっていた答えに、私は少しはにかんだ。

「私は空いたから、帰るね」

『またな』

 そう残して、岡田は土に潜り直した。

 動物に荒らされないよう、きちんと上から土をかけてやる。

「ふう……」

 折角帰ってきたことだ。

 今はゆっくり、祖母の作った故郷の味でも楽しんでおこう。

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