第3話 はつこい は おとな かも

 初恋の人が結婚するらしい。

 お腹には、新しい命がいるそうだ。


 人伝いに聞いたなら、きっとそこまでの衝撃は受けなかっただろう。

 しかし、僕は本人から直接その話を聞いた。

 そのことを告げる彼女の顔ときたらそれはもう嬉しそうで、おそらく彼女の人生で最も幸せな瞬間と言って過言はない感じだった。


「実はさ、今度結婚するんだ!」

「そっか、おめでとう」


 僕は努めて冷静に、微笑みを浮かべながら賛辞の言葉を述べたと思う。心中はどうあれ、端から見たら知己の婚姻を祝うただの若者にしか見えなかったろう。

 正直な話、そこらの俳優なんかよりもアカデミー賞ものの演技だったと自分では評価している。


 何を隠そう、僕は彼女に告白をして振られている。

 小学生の頃から、なんの縁なのか妙に仲良くなって、義務教育が終わるまではしばしば一緒に遊んだり、学内で顔を合わせては親しく会話を交わしていたと思う。

 彼女は僕より一つ年上で、お互い住んでいたのが学区の端っこの方だったこともあって、同級生の友人たちは、なぜ僕らが仲がいいのか不思議に思っていた。

 実際、かなり目立つ美人であった彼女と、コミュ力くらいしか取り柄のなかったスクールカースト下位層の僕が親しくしているのは妙な光景だったろう。現に、僕らが付き合っているみたいな噂を立てられたこともあった。

 言葉面では否定していたものの、その勘違いは実際僕にとって心地いいものだった。なぜって理由は簡単で、僕が彼女のことを好いていたからだ。そうなればいいのにという気持ちがどこかしらにあったからだ。

 けれど、それを表に出すのはひどく格好が悪い気がして、僕はなんにも気にしていないような顔をして、あえて彼女との付き合いに変化を起こすような真似はしなかった。

 彼女はといえば、そんな噂なんか微塵も気にしていなかったように思う。学年が違うからハナから知らなかったのかもしれないし、僕のことは弟くらいにしか思っていなかったということの証拠なのかもしれない。なんにせよ、彼女はどんなに噂されようが僕への態度を変えることはなかった。


 彼女の笑顔が好きだった。

 僕のくだらない話にくしゃっと笑う彼女の笑顔が好きだった。

 彼女の声が好きだった。

 決して美声という訳ではなかったけど、はしゃいだ時にかすれるハスキーな声が好きだった。

 彼女の性格が好きだった。

 さばさばしていて、僕の冗談をくだらないと流してくれるところが好きだった。


 彼女に嫌いなところなんてなかった。


 彼女が中学を卒業して、僕らの交流は終わりを迎えた。

 卒業式の数日前、彼女と一緒に帰ったことを思い出す。


「高校どこ行くんだっけ」

「あー、○○だよ」

「そっかー」

「うんー」


 その先になんて言っていいかわからず、僕はなんとなく黙ってしまった。

 その少し前に、彼女の友人から「好きなんでしょ?告白しなよ、待ってるよあいつ」と言われていたことを強烈に意識していたものの、僕は踏み出せなかった。


 なんで踏み出せなかったのか、今となってはよくわからない。

 あの時の僕には、度胸も無謀さも足りなかった。

 数年後の僕であったら、とりあえず当たって砕けてみたであろうと思う。

 だけど、結局僕はなにも言えなかった。


 1年後、僕はなんの勝算もなんの契機もなく彼女に告白をすることになる。

 結果はもちろん玉砕。彼女はその時にはもう好きな人がいて、それが今や彼女の旦那さんである。


 正直な気持ちを述べれば、彼女が今幸せな家庭を築いていることは、素直に喜ばしいと思っている。

 生まれて初めて恋というものを意識して、強烈に恋い焦がれた大切な人が、僕が彼女を思っていたように好きな人に出会い、幸せな関係を築けているというのは喜ばしいことだと素直に思える。


 だが同時に、僕は大事なタイミングを逃してしまったのではないかと頭をよぎる瞬間がある。

 あの時、彼女が中学校を卒業する時、彼女の友達が言っていたように、本当に彼女が僕のことを待っていてくれたとしたら?

 僕が気持ちを告げたら、恋人同士になれたのではないか。

 青春の一ページに、二人で過ごした時間が刻まれたのではないか。


 もちろん、大人になった今、そんなことを考えてみたところで無意味なのは理解しているし、中学高校で付き合えたとしてもその彼女と添い遂げられるにちがいないと思うほど純粋な訳でもない。

 当然、途中でダメになって別れる可能性の方が高いだろう。


 でも考えずにいられない瞬間があることも確かだ。

 あの時こうしていたら。


 人間は、こういう小さな後悔を積み重ねて生きて行くものなのかもしれない。




 初恋の人が結婚して、もう何年になるだろうか。

 僕は、数年前に自分がくだらないことを考えていたな、と思い出した。


 実にくだらない小さな思い出の話。

 しかし、その時の自分には大きく、大切な思い出だ。


 相当好きだったんだな、と自分のことながら苦笑をこぼさずにはいられない。


 初恋の人がSNSにアップした、彼女の息子の写真にいいねをつける。

 彼女によく似て目が大きく、将来ハンサムになることは間違いないだろう。


 数年前の自分なら、複雑な気持ちで見ていたであろう写真をもう一度眺め、僕は頭を掻いた。

 大人になるというのは、こういうことなのかもしれない。


 少なくとも僕は少し鈍感になり、大人がどういうものなのか少しわかった気がした。

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徒然なる短編集〜あるいは思いつき ばね @natto

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