第2話 渋い男

 彼は渋い男と有名だ。


 何が渋いってとにかく渋い。

 酒はウィスキーをロックでしか飲まないし、吸っている煙草はいつだってソフトケースがくしゃっとなっているラッキーストライクだ。

 服装はオーダーメイドの三つ揃い、ベージュのハットは欠かさないし、寒くなってくればトレンチコートに足元まで届きそうなマフラーを纏う。もちろん、都会の隙間風に襟を立てることも忘れない。

 口を開けば、ハスキーヴォイスと共に深い人生経験を匂わせる謹言をため息交じりの吐息と共に吐き出すし、憂いを帯びた瞳は明日をも知れぬ我が身を思うのか、あるいはこの悲しき世界に暮らす人々を想うのか、とにかく夜の街へ繰り出す女達の興味を惹かずにはおれない怪しい輝きを宿している。

 歩幅はせせこましくなく、かといって大股開きでのしのし歩き回るような恥知らずでもない。周囲を威圧するわけでもなく、かといって過敏に人との接触を恐れるような臆病な態度を取っているわけでもないが、皆彼を正面にすると自然と道を譲ってしまうのは、偏に彼の渋さのなさる技だろう。


 今日もまた、彼は孤独に繁華街を闊歩する。

 彼がどこから来てどこへ行くのかは誰も知らない。彼の行きつけの店のマスターも、彼の名前すら知らない。

 そう、「渋い男」と言うだけでこの街の全ての人が彼を指していると理解できるほどに、彼は渋いのだ。


「よう、渋い旦那。いつものかい」

「あぁ、今日は少し強めに頼む」

「相変わらず渋いねぇ」


「あぁそれと」


 彼はそこで言葉を切り、少し溜めた後お決まりの言葉を放った。


「今日もツケで頼む」

「徹底してるね、まったく」


 そう、彼は金払いも「渋い男」なのだ。

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