PhaseⅠ act2-1
神奈川県綾瀬市
厚木基地
July 25.2024
中国の大規模軍事演習に伴う南西方面の軍事的緊張の高まり、そして領空侵犯に対する警告射撃事件から防衛省は南西方面へ、航空護衛艦を含む海上自衛隊の艦艇を複数展開させることを発表した。併せて航空自衛隊と陸上自衛隊の高射部隊の一部が転地訓練を行い、海上自衛隊の輸送艦で海上輸送される。
厚木基地所属の第101飛行隊もまた南西方面へ展開する航空護衛艦《いずも》へ移動することとなり、朝から長距離
笠原は救命装具室でいつものようにヘルメットを被って酸素マスクをレギュレーターで点検し、耐Gスーツと
私物の入ったヘルメットバッグを背負うように後ろ手に担ぐと笠原は黒江の到着を待って列線事務室に入る。
『二十五日から三日間の日程で行われる日本と中国の閣僚級会談では緊張の続く中国・台湾の対立問題の対応が焦点になる模様です――』
列線事務室に置かれた情報収集用の液晶テレビを眺めながら書類をまとめていた整備小隊長の
「928号機、行きます」
笠原が声をかけると江入はコーヒーをすすりながら手を挙げて応じた。
笠原たちはエプロンへと出る。整備班やその他飛行隊の地上要員を空護に連れていくための艦上航空隊空輸隊のCV-22Jオスプレイ多用途輸送機がエプロンで準備されつつあった。
空輸隊の任務はその名の通り、人員や物資の輸送だ。その他に空中給油や搭乗員の救難任務にも当たる。空輸隊が運用しているCV-22Jオスプレイは、米海兵隊が運用するMV-22Bをベースとする陸自のV-22と異なり、米海軍が採用するCMV-22Bをベースとしており燃料タンクが大型で航続距離が伸びており、空中給油装置付きの外装燃料タンクを装備する。
そのため灰色迷彩だけでなく、洋上迷彩が施された機体もあった。
黒江と無言で分かれ、今日も自分がアサインしている928号機の元へと向かう。渡辺が笠原に敬礼してくる。それに答礼した笠原は外部点検を終えてサインし、射出座席の後ろの電子機器室に私物の詰まったヘルメットバッグを押し込み、コックピットに乗り込んだ。乗り込むと素早くハーネスで体を射出座席に固定し、ヘルメットとマスクを装着して準備を整える。
今回の展開は通常の
忘れ物が無いか心配になってきた。先ほど列線事務室に寄った瀬川がバイクにシートをかけ忘れたのを思い出して、基地にいる知り合いに頼み込んでいたのを思い出した。全く、これからフライトだというのに気が緩んでいると鼻で溜息を吐く。イヤーマフを付けた整備員とインターコムとハンドサインでやり取りしながらエンジンを始動。動翼の動きなどをチェックし、最終点検する。
最後の点検を終えると列線員が
『アツギタワー、シーウルフ01、離陸準備完了』
二機のラファールが滑走路の端で離陸準備を整えて飛び出すタイミングを窺う獣のように構えている。タキシーウェイにはそれに続くラファールがまるでエレファントウォークのように列をなしていた。
基地に残していく機体の方が少ない。航空護衛艦への展開は飛行隊総出のイベントだ。
『シーウルフ11、こちらタワー。ランウェイ01へのタキシングを許可』
「ラジャー。シーウルフ11、ランウェイ01へタキシング」
笠原にもタキシングの許可が下りる。ランウェイ01を目指して機体を進めていく。後ろにはシーウルフ12のコールサインが与えられた黒江機が続いていた。
厚木基地より次々に第101飛行隊のラファールが飛び立っていく。笠原も続いて離陸すると今井一尉が編隊長を務める四機編隊に加わった。
今井とウィングマンを組んでいるのは
今井が位置情報などを報告している。移動中も訓練をしない手はない。航法訓練の他に編隊飛行課目を実施し、編隊を散開してから組み直す訓練を実施した。
まず笠原と黒江は二機編隊を維持したまま、今井と須崎の編隊からバンクを振りながら離れる。
その後、合流して
黒江は離れてもすぐに笠原を見つけ出し、今井達に合流しようとする笠原にぴったりとくっついて編隊を維持していた。
藤澤がシザーズ機動で振り切ろうとした時、動きを読んだようにぴたりとくっついていた黒江を思い出す。彼女は笠原とコンタクトも取らずに自分に追従している。
編隊飛行はパイロット自身が持つ操縦技量を誤魔化すことが出来ない飛行だ。ブルーインパルスのように
最後にスプレッドを組んで錬成を終了し、はるか西の《いずも》を目指して飛んだ。
高度三万五千フィートの空は静かだ。四機編隊で空を占有しているかのような錯覚を覚える。天候は雲の少ない穏やかな晴れ。全国的に天気が良いが、太平洋の南の方では台風になる恐れのある低気圧の動きがあった。日本列島を太平洋沿いに飛び、経由地である築城基地に途中で降りて給油を行う。
瀬戸内海周防灘に滑走路を飛び出させた福岡県の築城基地は西部航空方面隊の第八航空団が配置されており、F-2戦闘機を運用する第6飛行隊と、嘉手納に移駐した以前のF-15Jを運用する第304飛行隊に代わって、三沢から同じくF-2部隊の第8飛行隊が移駐しており、F-2部隊の基地となっていた。
F-2は
防空のための邀撃任務を負う戦闘機と、艦艇や対地目標を攻撃して地上部隊や艦隊を空から「支援」する支援戦闘機に以前は分類されていたが、支援戦闘機も状況に応じて航空脅威の対処に当たるため、邀撃任務をこなす。そして制空専門だったF-15戦闘機の多くがマルチロール機に改修され、現在は全機種を多用途戦闘機として要撃と支援の区分が廃止された。
着陸するとF-2のそばに先に降りた隊長らがいて、第八航空団の古参パイロット達と話していた。的場は飛行教導群出身で、F-2に乗っていた経験もある。気にはなったが、近づきがたい雰囲気なので笠原は築城の整備隊と若手のパイロット達の相手を相手にした。
「いらっしゃいませ」
「ハイオク、満タンで頼むよ。支払いはカードで」
「了解!請求書は厚木に送っときます!」
ヘルメットを脱いだ時は緊張されたが、冗談を交えて給油を依頼すると整備隊の腕まくりをした田舎の少年のように肌を焼いている活発そうな
黒江の機体を二人はそのまま整備し、
「仕事が好きなんだな、あの二人は」
話しかけられたのかと思って驚いて振り返ると黒江は秋本を見ていた。笠原はわずかでも期待した自分を恥じて顔を機体に戻す。
その間にも続々と第101飛行隊のラファールが到着し、築城の空を震わせていた。
築城を飛び立ち、《いずも》に到着したのはその日の一六二〇頃だった。雲の上は西日が眩しく、高度を落としても海面も反射して眩しいだろう。
先に隊長たちの編隊が着艦を開始し、無線のやり取りが聞こえてきていた。今井一尉が《いずも》に対し、これから接近しアプローチをとることを先んじて通報する。
今、《いずも》の直掩についているのは最新のはるな型ミサイル護衛艦の二番艦である《ひえい》だ。はるな型
陸上型イージス防空システム、イージスアショアの配備が一時期検討されたが、数年前の朝鮮半島での極東有事は日本の防衛環境を大きく変化させた。弾道ミサイル防衛に焦点を置きつつも、航空護衛艦を中心とした機動部隊となる護衛隊群の防空能力を強化するため、イージス艦の増強が決定し、はるな型が導入された。
航空護衛艦の管制圏への進入手続きは非常にシビアだ。進入に必要な各種手順や手続きを間違えれば航空護衛艦から要撃機の出迎えを受けることになる。もし事前通報とIFF信号なしで無線にも応答せずに接近すれば問答無用で直掩艦が空護を守ろうと実力を行使するはずだ。
今も《ひえい》からIFFによる呼びかけが行われ、笠原のラファールもそれに応答していて、照射された対空レーダー波が機体を叩いて電子戦システムが反応している。あれがもし自分たちに牙を剥いたら対艦ミサイルなしに射程圏外まで逃げ切る自信はなかった。
『シーウルフ04、こちらグロリアスクラウド
空護《いずも》の
ちなみに同型艦の《かが》はホワイトベース、あかぎ型《あかぎ》はナイアッド、姉妹艦で艤装中の《あまぎ》はタラッサだった。
『レーダーで識別した。艦は方位250で航行中。海面風は方位070から10ノット、相対風は245から9ノット。ピッチング、ローリング共に1度。
『シーウルフ04編隊、管制圏に進入、ゲート到達後、タワーとコンタクト。サンクス』
今井が独特な
『グロリアスクラウド
『シーウルフ04編隊、こちらグロリアスクラウド・タワー、ラジャー。
『ラジャー。シーウルフ04編隊、ベースで報告する』
四機は編隊を組んだまま誘導に従って飛ぶ。《あかぎ》の指定する
海はすでに夕暮れが迫り、波が陽の光を反射してミラーのようにきらきらと光っていた。その海面に大型艦の
いずも型
いずも型以前のひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦はあくまで対潜作戦中枢艦の位置付けで、F-35B戦闘機を運用できる能力は付随的なものだが、いずも型はヘリコプターや戦闘機等計三十機を搭載可能で、艦隊の中核となるプラットホーム運用に徹しているために搭載する兵装も個艦防護の自衛用に限定された本格的な航空母艦を目指して建造された。
まるで単艦で大海原を漂っているように見えるほど、《いずも》を旗艦とする第1護衛隊の四隻の護衛艦は各艦の間隔を開けている。最も近いのが《ひえい》だった。
ラファールが手順に従って次々に着艦していく。笠原は四機の中で最後の着艦だった。
ファイナルコースに乗り、
『艦尾変わった!』
パワーを一気に絞り、主脚が飛行甲板を叩いた。突き上げる衝撃に耐え、左手でフルスロットルへ。アフターバーナーに点火され、再び加速を始めようとする機体は、アレスティング・ワイヤーを捉えたフックの働きによって急減速し、飛行甲板に繋ぎとめられる。
『
「ラジャー、パワーカット」
無線に弾んだような声を送ってしまった。心の中ではガッツポーズだ。やっと二番ワイヤーを捉えられた。思えば初めて「Tai l hooker」のワッペンを手に入れたのもこの《いずも》での着艦だった。彼女とは相性が良いようだ。
指示に従いつつ、機体を駐機スポットに収め、エンジンをカットし、コックピットから出る。飛行甲板には先発して到着していた第101飛行隊の整備小隊の隊員たちがすでにいて、先に降りていた機体をタイダウンしていた。
飛行甲板上に並ぶ機体の中に濃い灰色の塗装が施されるステルス戦闘機のF-35Bの姿があるのを認めて笠原は思わず足を止める。
「二番ワイヤーを捉えたな」
そこへ腕組みをして待っていた今井一尉がにやりと口元を緩めながら近づいてきた。
「ええ、スノーさんはどうでした?」
「三番だ、ちくしょうめ」
その悔しそうな言葉を聞いてから二人は笑った。そこへ黒江と須崎がやってくる。黒江が近づくと笠原は緊張と喉の渇きを覚えた。
「スーモ、腕が落ちたんじゃないか」
今井に言われた須崎は後頭部を掻いた。黒江は笠原とは目線すら合わせなかった。
「うーん、シャドウに負けてらんないなぁ……」
「ところで、あれ」
笠原が見ていたF-35Bを見て今井が意外な物を見た顔をする。
「珍しい爆弾積んでるな。
「しかもGBU-
F-35導入後に自衛隊に配備された小直径爆弾であるGBU-39精密誘導爆弾はF-27にも適応したため、実射したことはあったが、GBU-40はさらに自動目標識別式の赤外線誘導シーカーを備え、高精度な終末誘導を行い、熱を発する移動目標も攻撃出来る。
「実弾だな、これから飛ぶのか」
「最近対地兵装の配当が増えたが、本当に空自が陸自の
「そのための空母だろ?」
「滅多なこと言うなよ。敵地攻撃が可能っていうのは政治的にセンシティブだ」
そんなことを言いながら四人は艦橋構造物のハッチから艦内に入る。艦内の乗員たちは忙しそうだ。新造艦や長期間のドック入りを終えた艦が部隊配置に就く前に行われる練成訓練を、厳しく指導・評価する
空護は一年に一度、定期的な整備を受ける。そのため、日本は四隻の航空護衛艦を装備したが、現在就役しているのは二隻で現在常時展開出来ているのは一隻でもう一隻は定期整備に入っていた。
これからこの《いずも》は《かが》と入れ替わる形で長い任務に就く。長くて一か月は港に寄ることなく、連続不断で訓練と任務を続けるのだ。
エンゲージ――交戦宣言―― 小早川 @illegal0209
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