後 ループ/ドリーム/反復横跳び

 

 

 目が覚める。

 見えたのは見覚えがありすぎる天井と、伸ばしたままの腕。

 それを認識して、直ぐ後にピピピ、とありきたりな電子音が鳴った。

 その音を発している物体を見る。

 「6月17日」。

 ……………本当に、何だって言うんだ。


 ◇



 「あれ」は本当に予知夢なのか疑わしくなってきた。

 家族の言動や、ニュースなどはやはり同じ。

 でも、なんだよこれ。

 二回目? 予知夢を見た夢で、かつ予知夢だって?

 意味がわからない。

 頭がこんがらがってくる。

 ……予知夢とは別の可能性が頭に浮かんだ。

 ――俺は、ループしているのかもしれない。


 もしそうならば、ループの起点と終点があるはずだ。

 起点は6月17日の朝、俺が目を覚ました瞬間。

 じゃあ、終点は?

 一回目は彼女が自殺した翌日、教室に行って相楽の話を聞いた瞬間。

 二回目は彼女がちょうど自殺した瞬間。

 ……ズレがある。

 取り敢えず、「彼女が死んだ」ということがポイントだ。

 その周辺で、ループする。

 と、いうことはだ。

 彼女の自殺を止められなければ、俺は永遠にループするのではないか。

 やばい。それはやばい。

 発狂するぞ。

 寸分違わず同じ動き、同じ出来事しか起こらないのなら無味無臭だ。

 ……ああ、くそ。

 止める。何があろうと、どんなことをしてでも止めてやる。

 取り敢えず、策を練ろう。

 前回では、、距離が足らなかった。

 悠長に扉の所で立ったまま話をするからいけないのだ。

 次は距離を詰める。

 そして、相手が飛び降りようとした瞬間にダッシュだ。

 手を掴んで、引き戻す。

 それで終了。

 このループも終わる。

 ――よし、いくぞ。



 ◇



「――――ッ、くそ」


 目を開ければそこは俺の部屋。

 目覚まし時計の表示は「6月17日」だ。  

 ……失敗だ。

 考えが足らなかった。


「距離を詰めたら即座に飛び降りるとは……」

 

 ちょっと考えれば予想できることだろうが。

 赤の他人が、何か話しながら近づいてきたら誰でも気味悪く思うし、逃げる。

 ましてや飛び降りようとしているのだ。

 

 まあいい。

 頭を切り換えろ。

 あそこから距離を詰めたら駄目って事は、あそこからダッシュしてなんとか手を届かせなくてはならないということだ。

 二回目ではあと少し足りなかった。

 十五センチ。

 定規一本で足りる距離を、なんとか埋めよう。 

 何をすればいい? 鍛えるべき箇所はどこだ?

 ――瞬発力。

 もっと俺に瞬発力があったのなら。

 届く。絶対に届く。

 鍛えるところは決まった。

 じゃあ何をすればいいのか。

 俺は部活に所属していないので、当然の如く効果的なトレーニングなんて知識の内にあるわけがない。

 俺の知識の範囲内で、瞬発力が鍛えられそうなもの…………。



「――――――そうだ、反復横跳びをしよう」



 

 ◇



 学校から帰って、家の庭。 

 ちょうどいいスペースがある。

 取り敢えずつま先で三本線を引いて、準備完了。

 念入りにストレッチをする。

 いつも運動していない奴が急に運動すると怪我をする。

 怪我をすれば、彼女の自殺を止められない。

 つまり、ループする。

 ならばストレッチを入念にやるのは当然だ。


「さて」


 やるか。

 目標は二十秒間で六十回。

 二十秒でタイマーをセットして……スタート。



 まあ、結果。

 ろくに運動もしていない帰宅部の男子高校生じゃあ六十回などとても無理だということがわかった。

 ……だとしても、諦めるわけにはいかないのだけれど。

 汗でびっしょりと濡れたシャツがうっとうしいが、我慢だ。

 まだ一回。たったそれだけで効果が出るとは思えない。だから、もう一度。

 この俺の貧弱な体力が尽きるまでやっておこう。明日のことなど知るか。

 




 ◇


 そうして、次の日も体が痛くならない程度にやって。

 四度目。いや、三度目か。


 ――――――十センチ、届かなかった。 


 

 ◇


 そうして五度目のループに入った。

 駄目だった。

 また彼女の体が地面に打ち付けられるところを見て、リセット。巻き戻しだ。

 反復横跳びの成果は、五センチ。たったの五センチだが、それでも距離は短くなった。

 あと十センチを埋めるためには?

 答えは決まっている。

 反復横跳びをもっとやる。

 


 というわけで、俺は学校から帰ってから反復横跳びをやり続けた。もちろん、疲労対策はばっちりである。

 どうやら、と言うか当たり前だが肉体も巻き戻ってしまうみたいだった。

 だから、一からやりなおしだ。

 そこで俺は思った。以前と――四度目のループの時と同じ量ではいけない。

 もっとやらなければ。量を増やさないと、前と同じ結果になってしまう。

 だが、そこまで割ける時間は――――いや、ある。

 家族全員が寝静まった夜中と、学校での休み時間だ。

 勿論睡眠時間は大事だ。休まねば筋肉は成長しない。

 ならば、学校だ。登校は歩くのではなく走り。ホームルームが始まる五分前までは校舎裏で反復横跳び。そして、昼休みも同じく校舎裏で反復横跳びだ。

 時間を無駄にしてはいけない。

 正直、授業の時間さえ無駄のように思えてきたのだが、これはしょうがない。

 例えその内容が幾度目だとしても、さすがに授業を全て休んで反復横跳びをしているところを見られたら終わりである。

 客観的に見て、ただの変人だ。もしくは狂人の類である。

 


 それから俺は、必死に反復横跳びを続けた。

 例え朝反復横跳びをしているときに、視界の端に人影が映ろうが。

 妹に精神病院を勧められようが。

 父が意味ありげに頷き、俺の肩に手を置いて「失恋か」と言おうが。

 母に真剣に頭を打ったのかと心配されようが。

 バカが一緒になって反復横跳びをやっていようが。

 昼休みにカップルの邪魔をしてしまって罪悪感に駆られようが。

 足の指の皮がめくれようが。 



 ひたすらに、俺は三本の線の間を飛び続けた。


 

 そして当日。彼女が飛び降りる日。

 俺は、屋上に立っていた。

 空は朱く、風にたなびく黒髪がそれに映えていた。

 彼女は相変わらずの無愛想。

 俺が何を言おうが、何も反応してくれない。

 そういえば、気づいたことがあった。うちの学校は学年ごとに色が決められていて、上履きの色が違うのだが――彼女は先輩であるらしかった。

 しかも三年生。受験を控えた大事な時期である。きっと悩みやら何やらも多いのだろう。

 さて、俺は四度目の同じ言葉を掛ける。

 どうせ反応しないので、ただの様子見というか、準備時間というか、そんなものになりはててはいるのだが。

 それでも何か言わないとむずむずする。

 

「どうも、初めまして。その、取り敢えず……こっち来てくれるとうれしいんですけど……」


 先輩であることがわかったので敬語を使う。

 当たり前の如く、無反応。

 大体慣れた。

 これから十三秒後、彼女は飛び降りる。

 だから、俺は十、もしくは十一秒後に飛び出すのだ。

 


 …………七。

 八

 九。


 ――――十。

 

 十一。

 十二。

 十三。

 

 彼女の重心が前に、つまりは校舎とは反対側に傾いて落ちていこうとする。

 それを確認する前から、俺は駆け出していた。

 気が狂ったような反復横跳び練習のおかげで、スタートダッシュは抜群。

 焦る気持ちを抑えて、なるべく冷静に。

 手を伸ばす。

 あと十五センチ。

 十センチ。

 五。四、三、二、一。

 捕まえた。彼女の細い腕を掴む。

 あと少し遅ければ間に合わなかった。現に彼女の体はほぼ空中に乗り出している。

 

 彼女はビックリしたように此方を振り向いて。

 俺は安心して笑みを漏らして――――


「―――あ」


 

 走ってきた勢いと彼女の体重、それに少しの位置エネルギー。

 それらによって、俺の体勢は崩れた。

 前方向に。

 そうすれば当然、彼女は落ちる。勿論、俺が手を離さなければ。

 ――だが。

 彼女は空いた手で、自分の腕を掴んでいる手を殴った。グーで。

 女子のパンチだ。それほど痛くもない、が。

 驚きと、何よりも俺の腕の貧弱さが、耐えられなかった。

 手は離れた。

 彼女は落ちていく。

 幾度も見た光景だ。

 そして。

 ああ。

 こんどはリセットが遅くて。

 いやに視界は明瞭で、無駄に良い自分の視力が仇となった。

 落ちていく。

 まるでコマ送りのようでいて、それでも速く。

 彼女はこちらを見ていた。笑っていた。

 口元が、あの朱い唇が動いた。

 

『さ よ う な ら』

 

 それが最後の言葉。

 そして、彼女が砕け散って、地面が赤く染まってから。

 俺の意識は暗く染まっていった。


 ――――――次は、必ず。





「―――離さない」


 俺しかいないこの部屋で、一人呟いた。

 失敗? 失敗だ。それも限りなく成功に近い。

 掴んだ。手は届いたんだ。

 なのに。

 離してしまった。

 反射神経は十分だった。

 ……ああ、己の非力さが恨めしい。

 俺の腕の力が、握力が足りなかった。

 

 何をすればいい。

 肉体は戻っているから、反復横跳びはまたやらなくてはならない。

 でもそれじゃあ不十分だった。足りなかった。

 じゃあ。

 俺に足りないモノは。

 ……そう考えて、もうわかっているじゃないかと苦笑する。

 ああ、そうだ。

 筋肉が、右腕の筋肉が足りない。

 それに、体勢を崩さないような体幹もだ。


 鍛えるべき箇所がわかったのなら、次は方法だ。 

 腕力はダンベルで良い。握力もそれと似たような器具があるはずだ。

 体幹は? インナーマッスル。それを鍛える方法は。

 何だ。何をすればいい。

 ………ああ、そうか。

 あれだ。正式名称は知らないが、うつぶせになって両腕とつま先だけで体を支えるヤツ。

 あれをやろう。

 ダンベルと握力用トレーニング器具は学校帰りに買おう。

 その二つは場所も取らず、ちょっとしたできる。

 そう、授業中でも。

 ダンベルの方は無理だろう。だが、握力はどうか。

 机の中に隠してしまえばバレない。それに、授業を聞く必要は無いので握力を鍛える方に集中できる。

 そして、反復横跳びとも平行できるのではないだろうか。

 うん、いい。

 やろう。


 


 


 それから例の如く、俺の筋トレが始まった。

 取り敢えずはいつものように反復横跳びをして、必要な器具を買ったらそれらも使用する。

 勿論無駄な時間など無い。

 睡眠時間を大きく削らない範囲で、俺が使える時間を最大限利用した。

 朝は早く起きてダンベルを持ち上げ、学校の空いた時間は反復横飛びに使った。

 授業中は机の中で隠れて握力を鍛え、昼休みには校舎裏でダンベルを持ちながらの反復横跳び。一分ごとに握力用のものに持ち替えた。

 学校が終われば直ぐに帰宅し、夕食までの時間をほぼすべて体幹トレーニングに費やした。

 夕食後は自分の部屋で握力を鍛え、ダンベルで腕力を鍛えた。

 校舎裏でやっているときに、誰かが視界の端にいた気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい。……しっかり確認する暇もなかったので、アレは気のせいだ、うん。

 

  

 初めてのインナーマッスルの筋肉痛に、はじめて握ったダンベル。

 数日前の俺とは全く違う。

 前なら、こんなことをやる自分を想像することさえあり得なかっただろうに。

 それに、思考が何だかポジティブになってきた気がする。

 筋トレのおかげか。

 体中に自信が満ちあふれている。今なら何でも出来そうだ。

 そう、彼女の飛び降りを防ぐことくらいは。




 

 そんなこんなで運命の日がやってきた。

 相変わらず朱い空の下で、俺と彼女は相対していた。

 掛ける言葉はいつも通り。この言葉に何ら意味は無く、ただ注意をこちらに向けさせるためだけのモノだ。


「どうも、初めまして。その、取り敢えず……こっち来てくれるとうれしいんですけど……」


 すっかり覚えてしまった台詞を、演技のようにおずおずと言う。

 それで彼女はこちら気づいて、興味を失ったように顔を戻す。

 ……これで最後にしよう。

 信じろ。自分がこの時までにやってきた全てのことを信じるんだ。

 いつでも飛び出せるように体を準備する。

 前駆姿勢で、できるだけ速く反応できるように。

 彼女の重心が前に傾いた。来る。

 ――来た。

 それを視認するが速いか、俺の体はとっくに走り出していた。

 近づいていく。近づいてゆく。

 今まで何度も繰り返し見た光景。

 手を、伸ばす。

 彼女の体はほぼ空中に投げ出されていて、届きそうなのは手のひらくらいだ。

 手を、伸ばす。

 思いっきり。ここで届かなかったら、自分も死ぬくらいの勢いで。

 手を、伸ばした。

 柔らかで、はかなく消えてしまいそうな手を、掴む。

 届いた。

 でも、まだこれで終わりじゃない。

 彼女が驚いたように、けれどもこちらを向いた。

 そして、右手を振りかぶる。俺の右手を、彼女の手を掴んでいる右手を殴ろうとする。

 ああ、でも。それは知ってる。

 だから俺は思いっきりに手を引っ張り上げた。

 いくら女子と言っても、それなりに重い。しかも片腕だ。

 右腕が震えて、負けそうになる。離してしまいそうになる。

 でも、まだ。

 諦めない。

 何回ダンベルを持ち上げたと思ってる。 

 このくらい、余裕で持ち上げられる。

 歪んだ鉄柵に左手をついて、右手は決して離さずに。

 彼女を、屋上へと引っ張る。

 彼女は抵抗する。

 そこまでして死にたいのか、と思って、苛立つくらいに。

 でも、諦めない。

 何回目だ? 五? 六?

 どうでもいい。

 終わらせる。これで、終わらせる。

 全力で、体中の力を振り絞って、体全体を使って。

 飛び降りようとしていた先輩女子バカを屋上に引っ張り上げた。

 俺も彼女も屋上を転がった。

 空を仰いで、その朱さに目を細めた。

 

「……んで」

 

 その時、か細い声がした。


「…………なんで」


 彼女の声だ。多分。

 聞いたのはこれが初で、中々綺麗な声をしているな、と思った。


「なんで、助けたの」


 その声は湿っていて、感情が籠もっていた。

 怒り、だろうか。それとも。


「私はあなたを知らないし、あなたも私を知らないのに」


 確かにそうだ。俺と彼女は他人で、今日はじめて会った。


「なんで、私を――」

「うるさいな」

「――!」


 理由なんか決まってる。当たり前だろう、一つしかない。


「あんたが死んだら終わりなんだよ。それは、俺が困る」

「な―――に、それ」

 

 彼女は驚愕しているような表情をしている。

 そして、数回瞬きしたあとに、笑った。

 目尻から流れる涙を拭いながら。

 つられて俺も少し笑う。


 そらは、相も変わらず朱色をしていた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この手が届くまでの道のりについて。 雨露多 宇由 @gjcn0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ