その17 記憶力ほど信用できないものはない

 今思い出したので記事にしてみるが、昔「宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」というSFがあった。現代と西暦3000年を行き来して女子高生たちが大冒険を繰り広げたりコンビニみたいな名前のマッドサイエンティスト(いやエンジニアだが)が出てきたりと、銀河スケールの物語が繰り広げられる。

 さて。この作品、現代も舞台にする以上風俗も出る。(1990年代のだが)。主人公である山本洋子はゲーム、特にシューティングやアクションを得手とする女の子だ。彼女が7巻にて、ゲームセンターで対決するシチュエーションがある。この時対戦に用いられたのが「電脳戦記バーチャロン」である。

 当時(高校生だった)私には、対戦風景がさっぱり思い浮かばなかった。もともとゲーセン自体通ったことがない。さらにバーチャロンというゲームについての知識がさっぱりなかったのである。漠然とロボット同士が戦っているということ、片方がヒロイックで片方が下半身がたる型かつ両腕が切り離し可能な砲になっている、ということ、あとで少女型ロボが出たことくらいはわかったが。説明が不適切だったか?いや、あくまでもゲームの内容ではなく、それを挟んだキャラ同士のやりとりがメインに据えられていたのであろうことはわかった。

その場でさらっと流され、そして何年も経ってようやくバーチャロンというものを知った私はあのシーンに得心が行ったわけである。同時に、ようやくあの時どのような戦いが繰り広げられたかも知ることができた。

さて。ではここで何が問題なのか。

 それは、私が何年も後まで該当シーンを覚えていた、ということである。視覚化できないのにあとでそれを補完できたのだ。キャラのやり取りを含めた全体を記憶していたのである。

 客観的に見てあのシーンは悪手だったろうと思う。何しろ具体的イメージができなかったのだから。されど、それですら全体を記憶できた。

 ではここで、何が大切だったのだろうか?

 読み飛ばさなかった。これは大前提。読みやすかった。これもある。高校生でも読み取れたのだ。そして、何度も読み返した。そう、本全体を。そんだけ面白かったわけである。

 極論すれば、読者に分からない部分があってもカバーすることはできる。あくまでもできる、というだけでおすすめはしないが。

 必要であればそれを実現してみよう。読者の知らないものを出す場合でもそれを補えるものを出すのである。

 今回はこの辺で。

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