第4話 愛のころ

 規則では一応、自分たちの所属する区画の中で、仕事も生活も完結させるように、という建前だったが、人間関係はそうもいかない。


 人の縁が人の縁を呼んで、あっちこっちから、ここで仕事をしてくれ、と頼まれる。

 すると、そんなまず起きないことに対する準備よりも、人の縁の方が優先されるようになる。この建前は早々に無力と化した。

 普通の考えならば、これは人間の縁が広がって行くことで、すばらしいことだったのだ。

 しかし、いまやそれが、すべて裏目に出てしまった。


「神様っ!俺が悪かったっ、あやまる、あやまるからっ!」


 すべてのわだかまりが吹き飛んだ。

 俺はただ明星の姿を求めて走る。


 俺は廊下の非常用の宇宙服をかっさらい、それを身につけながら、タンクとは離れたところにある、分離予定の渡り廊下に船内エレカを飛ばした。


――――

 分離箇所では、怒号や悲鳴が響いていた。


 当然だろう。俺たちと同じように、最愛の人との突然の別れを突きつけられた人々が、押し合いへし合いしていた。

 もうすぐここは真空にさらされる。

 そのためにすでに宇宙服を着込んでいた作業員は、パニックに陥りそんなことに耳を貸さない人々を排除するのに、怒声や暴力も使わなければならなかったのだ。


「くそっ、聞き分けのない奴め!おまえも死ぬんだぞ!」

「いやだっ!あの人と別れるなら、死んでやる!」


 見覚えのある人間が、俺たちより少し上の女性と格闘している。彼女はもちろん、宇宙服など着ていない。

 俺は腰から銃を取り出すと、制圧モードにして、その女性の後ろ、至近距離から撃った。


「うぐっ!」

 喉の奥から奇妙な音を出して、女性は気を失った。

 その身を別の警備の人間に渡し、彼は彼女と共に、急いで常圧ハッチの中に消えて行く。

 すでに、気圧は半分まで低下していた。


「ジョン!」

「リクじゃないか!・・・そうか!確かワイフが第7グループ区画に!」

「・・・俺に閉鎖作業をやらせてくれ!頼む!」


 俺は『向こうに行かせてくれ』とは頼めなかった。さっきの女性の言葉が、身に刺ささったからだ。

 伴侶に会えなければ死んでやる、そこまで言った彼女がついに会えず・・・いや、行動できなかった多くの人をも差し置いて、俺が明星と会う、そのことに、どうしようもない恐れを感じたのだ。


「何だって?・・・さあ、行け!」

 しかしジョンは、んなことに構わず早くあっちに行け、という合図を目でよこした。

「戻ってくるなよ!他の連中の分まで、行ってこい!」


 そして、俺も気を取り直して、それに甘えなければならない、という気になってきた。

 俺は善人にはなりきれなかったのだ。


「グッドラック!マイブラザー!」

 ジョンはそう言って、満面の笑みでサムアップした。

 今度いつ会えるかわからない。それでも、別れは明るく、それが彼の信念だ。

 そう、もう会えないわけじゃない。生きている限り、また会えるのだ。


 だけど、いまは、明星を手放したくない。


 あのすれ違いの日々、それを思いっきり後悔し、打ちのめされながら、俺は幾重もの閉鎖壁の廊下を走った。

 もう重力は効いていない。


「おい!そっちはもうダメだ!」

 俺は作業員を無視して、飛びながらがむしゃらに走った。


『リク!』


 するとどうだろうか!

 あの声が、聞き慣れたあの声が、宇宙服の中に響くではないか!近距離のみで作動する船内用の宇宙服の無線だった。


「明星!」

『この通路にいるの!?よかった、私もいま、そっちに向かってる!』

「本当か、よかった!」


 俺はさらに脚を早めたせいで、つまづきそうになるけど、そんなこと関係ない。早く、早く!


「今行くからな!いつまでも一緒だ!・・・ゴメン!いろいろ!」

『うん!』


 明星の声が涙ぐんでいる。

 ああ、この魂を、俺は守らなきゃならない!


 見ると、最終隔壁、二つの区画の運命を分ける最後の門・・・その向こう側に、明星が宇宙服を着ているのが見える!

 あちらは常圧ハッチとの距離が近いので、いま来たばかりなのだろう。


 まさに、奇跡だった。


 しかし、もう時間がない。

 すでに隔壁は自動システムによって永遠に閉ざされつつあり、こちらは向こうよりも距離があった。


「明星!走れ!」


――――

 そう言った瞬間だった。


「ママぁ!」


 明星の後ろに、ひょっこりと現れたのは、一人の幼い男の子だった。


「翔太君!?」

 男の子はもちろん、宇宙服など着ていない。

 すでに気圧は3分の1にまで低下している。危険な状態どころじゃない。

 実際に男の子の顔には、チアノーゼの症状が出ていた。


 その時のヘルメット越しの明星の顔を、俺は一生忘れない。


 本当に一瞬だけど、明星は俺の目を見た。

 それで、すべてが通じた。


 ああ・・・本当に、本当に・・・この人と一緒になれてよかった。


 明星は振り返って俺に背を向け、男の子を抱えて、常圧ハッチの中に急いだ。


「せんせぇ・・・ママが、ママがあっちにぃ・・・!」

 弱々しい声で少年は泣く。


「大丈夫!ママも言ってたでしょ!ママと会えなくなったら、先生をママだと思いなさいって!しっかりして!だってすぐに、弟か妹ができるんだからね!」


――――

 俺の目の前で、最後の隔壁が閉まった。


 酸素がなくなれば、音は響かない。不思議なくらい静かな廊下。


 俺は呆然として、隔壁にもたれかかる。

 ただただ、失った存在の大きさに、打ちのめされた。


「明星・・・」


 俺のヘルメットの中が涙であふれた。

 隔壁を指でなぞる。もうすぐ完全分離が完了して、向こうは離れて行ってしまう。

 手の届かぬ、無限の宇宙の虚空へと。


『・・・情けないなぁ、しっかりしなさい!お父さん!』


 通信だ。


「明星!明星!そこにいるのか!?」

「ごめん、戻ってきちゃった!」


 隔壁越しに、確かに気配を感じる。


「それに・・・いま何て?」

「妊娠したみたいなの、言い忘れてたのよ!ごめん、ごめん!」


 明星はそう言って笑う。その様子は、普段とまるで変わるところがない。


「ほ、ホントか!?・・・はははっ!」


 こんな状況なのに、なぜか笑いが出てきた。

 それは、子供ができたということよりも明星が明るい声だった、ということなのかもしれない。


「だからね、今のうちに、名前を決めようよ!じゃあ、男の子だったら、七緒ななお!女の子みたいだけど、陸生りくおの長男だからね!ほら、リクが女の子の名前を決めてよ!」

「うん、じゃあ・・・女の子だったら、美星みほしだな!俺はちゃんと、『星』も発音させるぞ!ずっと、そう決めてたんだからな!」

「あはははっ、お父さんが聞いたらショックだろうな~」



 その瞬間、俺たちの『愛』が、新しい段階に入るのを、ひしひしと感じた。

 

 いままでの愛はけっきょく、自分の欲望、自分自身の感情でしかなかった、と気づいた。

 相手を愛しているように見えて、自分を愛していただけだったのだ。


 本当の愛、それはあの時、俺と明星が結ばれた、あの夏の日に感じていたものだった。

 だけど現実の中でさまざまのことに悩まされ、相手に求める内に、俺はそれをすっかりと忘れていたんだ。


 もう、相手に求めることもしない。

 だけど明星も、愛してくれている。

 お互いの献身が、俺たちの愛を最高の頂にまで登り詰めさせる。


 それはさらにさかのぼって、あの星を見た夜の関係だったのかもしれない。

 あの時には幼さ故のバカさの裏に、どんなに純粋な感情を持っていたことだろう。どんなに明星の喜ぶことをしてあげたかっただろう。明星の喜ぶ顔を見たかったことだろう。


 あの夜の『愛』に、俺たちは再び帰って行くのだ。


 ふと、この隔壁の厚さは、俺たちの部屋を隔てていたのと同じ、15センチだったと思い出す。


 そうだ、あの15センチ越しに、数年間も俺たちは離ればなれだった。


 だけどいまこうして、15センチを隔てても、お互いに触れ合っている。

 彼女の手が、隔壁をなぞる感触が伝わってくる。

 それに合わせて、俺も隔壁をなぞる。


 俺は、隔壁を思いっきり殴りつけた。

 それに一瞬遅れて、お返しが来る。

 そしてお互いに、死にそうなくらいゲラゲラと笑う。


 そうこれは俺たちの部屋15センチの壁、そのものだ。

 それが無限の距離になったって、何の違いがあるものか!


「大丈夫だ、明星!ちょっと部屋の壁が厚くなっただけだ!数年だろうが、何十年だろうが、俺たちはまた会えるさ!そのことを実際に経験しているカップルなんて、そうはいねぇぞ!」

「あはははっ!そうだね!」

「じゃ、俺のガキによろしくな!オヤジはスゴいイケメンだって、教え込んでくれよ!なんたって、明星が選んだ男なんだからな!」

「リクこそ、浮気しないでよ!それまで、できるだけ若くいるからね!」

「ああ!」


 俺は明星の手を取れなかった。

 やっぱり俺たちは、物語の主人公とヒロインじゃなかった。

 でも、最後にはその手を取り、そうなってやるんだ。 


 二つの船体はゆっくりと離れて行く。


 宇宙船は進む。

 無限の虚空をどこまでも。

 人々の苦しみと悲しみと、それにあらがう強さと『愛』を乗せて。


 星のかなたで俺はこれからも、明星と生きて行く。


(終)

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星のかなたで明星と生きて行く 森 翼 @serrowwe

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