第3話 大人になったころ

 宇宙というところほど、退屈なところはない。

 そこは無限の闇が続くだけで、本当に、本当に何もない、という言葉の意味が、初めてわかるところだ。


 だから、宇宙船の中では、それを微塵も感じさせないようになっている。窓は一つもない。

 つまり、宇宙に浮かんでいる地球に生きている人間が、宇宙という存在を少しも意識しないのと、まったく同じなのである。宇宙船の中が、一つの惑星なのだ。


 巨大な船の中には公園があり、森があり、ビルがそのまま壁に張り付いていることを除けば、違和感を抱くものが極端に少ない。

 これは人間にとって不自然なものでないように、慎重に設計を行った結果だ。


 そんな環境ではけっこう早くに、みんな宇宙生活に適応していった。

 それは日本人が、江戸時代の生活から百年という短い時間で、アスファルトの大地と冷たいコンクリートの建物で一日を過ごすことが当然になったのと、同じようなものなのかもしれない。

 人間は意外とたくましかった。


――――

 あれから俺たちは高校を無事卒業しそれぞれ働いていたが、ハタチになったのを機に、両親より先に宇宙に飛び立つことになった。


 むしろ若い人が先に宇宙に出て行って、人類の最前線を切り拓くべきだ、という世の中の風潮もあったし、俺たちもそれを希望した。


 離れて暮らしていたお互いの祖父母は、この地球に骨を埋める覚悟だと言ったから、今生の別れになってしまうのは悲しかった。

 だけど当人たちは意外とあっけらかんとしたもので、「いつか来ることだよ、心配しないで行ってきな!」と、逆に勇気づけられて送り出されてしまった。


 そして地球を離れる前に俺たちは結婚式を挙げたから、みんな祝福してくれて、お祭り騒ぎみたいだった。


 地球を離れる時も、悲しさはなかった。

 明星はぼろぼろと泣いていたが、むしろそれを見ていた俺がしっかりしなくちゃと、みんなに努めて明るく振る舞った。

 それはムリにやっていたわけではない。俺はこの先、またみなで会える、そのために人間の英知を見せてやる!と、実際に使命感に燃え、意気込んでいたからだった。


 でも、船内の自分たちの家となる部屋に落ち着き、地球が離れて行くのをモニター越しに見た時、今度は俺の方が、ぼろぼろと涙が止まらなくなってしまったのだ。


 そこに残してきたものの大きさが胸に迫ってきて、どうしようもなくなってしまった。


「もう、あの家に帰ることはないんだ。あの部屋に、帰ることはないんだっ・・・!」


 そして今度は明星に、慰められてしまうことになったのだ。

 俺は明星の膝に顔を埋め、赤ん坊のように泣いた。


「大丈夫!これからここが家になるし、その後は、あのマンションよりもいいおうちに住めるよ!」


 その俺を見る彼女の目が、どんなにやさしかったことだろう!

 ・・・ああ、俺は明星なしでは生きてはいけない。どうしてそれに、もっと早く気づけなかったんだろうか。


――――

 しかし、そうは思ってみても、現実はやはり残酷なものだった。


 二年も経つと、何も変わらぬ『日常』は、お互いの関係を、何の『目標』もない状態に引き下ろす。

 二人が共に心を震わせることも、悲しみを慰め合うこともなくなってしまえば、残念ながら、時々そういったことで己の欲情をぶつけ、傷を慰め合うとしても、男と女の根本的な違いが、表に現れてこなければならないのだ。


 お互いの仕事は順調だった。

 俺は現場でたたき上げられて、それなりに昇進して部下も付くようになった。

 明星の方も、担当していた子供たちがなついてくれ、それが評判となりいろいろ頼まれて、小さな子たちも面倒をみるようになった。

 そして今度は正式に教員免許を取ろうとがんばっていた。


 閉鎖され、人々の生活が近接している中でも、それぞれ別の生活ができていた。やがて、俺たちは生活のリズムが合わなくなってくる。

 お互いの違いから、溝がどんどん深まってくる。


 俺は忙しさからだろうか。いつもイライラして、機嫌が悪くなってきた。

仕事に打ち込んでいるあまり、日常でちょっとしたつまづき、いつもと違うところがあると、ついイラッとなって、明星に癇癪をぶつけ八つ当たりしてしまうこともしばしばだった。


 余裕がなくなって、これが計画の最初から懸念されていた、閉鎖的な環境が精神に与える影響だ、ということにも、気づけなかった。


「どうして、こんなことができないんだ!俺だって、自分の生活があるんだ!」

「・・・どうして?どうしてそんなことを言うの?リクはそんな人じゃなかった!」


 これがまた、カチンと来る。

「そんな人じゃなかった!?今の俺が、俺なんだ!昔の俺とか、おまえが思っている俺は、俺じゃないんだよ!」


 お互いに譲り合えなかった。お互いが、お互いの『正しさ』に逃げ込んで、誤解が誤解を呼び、すれ違う。


 でも、若くて不器用な俺たちには、それがどんなに『贅沢』なことか、それを知ることはできなかったんだ。


 本当に、本当に、人間って奴は・・・!


――――

「行って来ます。」

「おう・・・」

「大丈夫?頭痛かったら、ちゃんと薬飲んでね。」


 その日も気分がよくないまま、俺は仕事に出かける明星を見送った。今日は俺は非番だった。

 明星の方はもう何とも思っていないように、いつも通りだった。でも俺は何もやる気が起きず、部屋の中でごろごろと過ごしていた。


 すると突然、船内にけたたましい警報が鳴り響いた。


「何だ!?最高度警戒レベルじゃないか!」


 これは一大事だった。

 船体・・・俺たちの命を乗せている『惑星』に、重大な障害が発生した、ということを意味していた。

 俺は、冷や水をぶっかけられたように飛び起きて着替え、急いで担当部署に駆けつけた。


「六山さん!・・・中央コア燃料タンク、大破・・・だ、そうです・・・」

 高校を出たばかりでこの船に乗り込んだ部下が、言いにくそうに告げてくる。彼はまだ幼い顔に、不安の色をありありと浮かべている。


「何だって!?原因は!?」

「小惑星の衝突です!信じられますか・・・?こんな天文学的確率が当たるなんて・・・!」


 宇宙船は、通常空間と亜空間の狭間、というようなところを飛んでいる。それで空間は大幅に短縮できるわけだが、通常空間にも少し頭を出している形になるので、他の天体と衝突する可能性は、常にあった。

 しかし普通宇宙はスカスカで、他の天体と遭遇することなんて、まずあり得ないと、誰もが信じていた。

 だが実際には、それが起こってしまった。


「ここはその天文的の世界のど真ん中じゃないか!起きたことはもう仕方ない!とりあえず、気密を確保することを最優先だ!」

「はい!」


 俺たちが覚悟を決めて第2グループ区画を奔走していると、しばらくして、『第1~4グループ区画と第5~10グループ区画、分離』という知らせが飛び込んできた。


「第7グループ区画がっ・・・!?」


 俺はその知らせに雷に打たれたようになって、危うく本当に船内第98-45基幹配線の高電圧に、身を焦がしそうになった。


「何やってんスか、六山さん!・・・って、第7グループ区画って、奥さんが働いてる学校があるんじゃないですか!」

「すまん!後でいくらでも仕事代わってやるから!」


 部下が言い終わる前に、俺は工具を放り投げて駆けだした。

 人々を乗せる超航法次元転移船は、万一のトラブルに備えて複数の区画に分かれ、それが完全に独立運用できるようになっている。

 どれかが大破しても、人々は無事な方に乗り移れるようになっているのだ。

 今回のトラブルはその中間を繋ぐ、中央コア燃料タンクの大破だ。これならば住居区画はほとんど影響を受けないが、爆発を防ぐためタンクを分離する際に、分離する区画同士は、大きく軌道を離れてしまうことになる。

 亜空間では素粒子干渉の影響で、分離してしまうと、お互いは違う軌道を取らなければならなくなるのだ。


・・・つまり、二つの船はもはや合流できず、別々の目的地に離れて行かなければならないのだ!


(ウソだろっ!明星、明星!)


 明星と、もう会えないかもしれない・・・!


 その衝撃に、俺の頭はどうにかなりそうだった。

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