第2話 高校生のころ

 俺たちが生まれる遙か以前から、その異変は始まっていた。


 あと45億年は大丈夫だったはずの太陽が突然膨張し、地球を呑み込む、というんだ。それで当然、世界は大騒ぎになった。それが、俺たちのじいちゃんばあちゃんが生まれるよりも前の話だ。


 すでに恒星航行は現実となり、有人飛行も実現していた時代だったから、人間は思いきって、全人類の地球脱出、旧約聖書の中のエジプト脱出になぞらえて『エクソダス』というようになった、荒唐無稽とも思えることを決断した、というわけだ。

 それから数十年間、人類はすべての労力を、この大計画につぎ込んできた。


 だけど昔の人が考えたのとは違って、技術が極限まで発達しても、またそんなことが起きても、人間の生活はそんなに変わることはなかった。

 相変わらず、普通の一般ピープルは地球上で何も起きてないかのように生き、そんな悲劇など微塵も感じさせない。


 生活自体も大昔と同じで、そんなに変わることはなかった。

 技術と物資はすべて、この計画に費やされているから、むしろ普段の生活はつつましいくらいになったのだった。

 つまり、俺らの故郷は相も変わらず、`ド・イナカ`だった、と言いたいわけだ。


――――

 しかし高校生は昔と違って、ただの『お客さん』じゃなかった。


 彼らはもう、『エクソダス』計画を構成する、立派な社会人なのだ。

 学びながら、人工の大地で人間がいかに生きて行くか、それについて大人の一員として行動していた。

 体育会系の部活も中学までと違って、狭い人工の大地で行うことを前提としたものとなったし、またそれを老若男女に教えることも、重大な仕事になった。


 俺たちは中学生までの子供な生活を抜け出し、急速に大人になっていった。


――――

 俺が明星と『再会』したのは、その頃だ。

 長い、長い旅の途中でも、地球上と変わりなく、いやそれ以上に人間の最先端の研究に打ち込まなければならないエリートたちが通う進学校以外では、授業はそこそこに、各々がそれぞれのやり方で『エクソダス』計画に関わり合うために、午後はほどんど仕事に当てていた。


 俺は通常ではあり得ないくらいに人数が必要な、整備士の仕事を選んだ。

 途方もない大きさの宇宙船の中を、ロボットと協力して保守管理にいそしむ。俺たちは人類の守り神だ。


 学校で昼メシを食べると、同じ整備士志望の仲間と共にオンボロの自転車で、街のこれまたオンボロな工場へ向かい、頑固で職人気質なオヤジさんから、『超弦体ジェネシスエンジン』の動作について叩き込まれる。

 そんな生活は、厳しくも、楽しい日々だった。


 そしてある日・・・俺たちが工場の近くの空き地で自作の小型レプリカエンジンの試運転をしていると、向こうから賑やかな一団が近づいてきた。


「わあ、何かやってるよ!」

「すげー!あれ、超弦ジェネシスエンジンってゆーんだぜ!でっけー宇宙船を動かす奴!俺知ってるよ!」

 それは、子供たちだった。

 そしてその後ろに、彼らをたしなめる見慣れた女の子がいた。


「あ・・・明星。」

「あ・・・リク、ここでやってたんだ。」


 自分の言葉ながら、意外だった。

 俺は直前まで「古奈手さん」と呼ぼうとしていたのに、口から出てきた言葉は、最後にその名前を呼んだ、数年前とまったく同じものだったからだ。


 そして明星の方も、まるで昔からタイムスリップしてきたかのように、自然な呼び方だった。

 もしかして俺が思っていたよりも、明星は俺のことを避けようとしていなかったんだろうか?


「みんなで散歩か?大変だな、こんな大人数で。仕事はどう?」

 そう思うと、後はごく自然に言葉が出てきた。

 明星は、地域の子供たちの教育係の仕事を選んでいた。

 親でもなく、教師でもなく、人々が協力し合うためにまとめる役目。子供好きの明星にはぴったりだと思った。


「そうなのよ~大変、大変、この子たち、ヤンチャでさ・・・って、そう言えば、私たちが言えたことじゃないよねぇ!」

「そういや、そうだな!」


 気づくと、二人で笑っていた。俺たちはすぐに、昔に戻ってしまった。


「あれぇ~!誰、お兄さん?・・・もしかして、明星さんの恋人?」

 ませた女の子たちが、俺たち二人をちらちら見ながらそう茶化してくる。今じゃ、こんなのはカワイイもんだ。


「残念!私たちはね、幼なじみなんだ。昔はよく一緒に遊んだの。」

「えーっ、スゴーい!いいなー!私も、カッコイイ幼なじみとか欲しいなー!」

 女の子たちは目を輝かす。これは一応、褒められているんだろうか?


「俺は六山陸生って言うんだ。リクって呼んでくれていいよ。よろしく!」

 一応俺も好感度を上げておく。

「はい、リクさんよろしく!」


「ほら、そこいっとあぶねぇから、おまえら、どいたどいた!」

 オヤジさんがそう怒鳴った。

 けど、これが口癖のようなもので、決して悪い人ではない。


「あっ、すみませーん!ほら、みんな、邪魔になっちゃうから、もう行こう!」

「ごめんなさーい、おじさん!またね、リクさん!」

 そう言って、賑やかな一団は去って行った。


「ごめんなさい、オヤジさん。」

 しかしオヤジさんはその厳しい顔を崩し、ニヤッとする。

「・・・なかなかいい子じゃねぇか、とっぽい顔して、やるなおい。」

「え、ええ。」


 俺は自作のレプリカをセッティングしている間にも、晴れやかな気分でいた。

 いったい、これまでの数年は何だったんだろう?

 いままでの時間は、針に少し触れただけで破裂する風船のような、ただそれだけのものだったんじゃないだろうか?


 つくづく人間というものは、少し踏み出せば容易にできることを、本当に長い間うじうじと悩み、躊躇するものだな、と思ったり。



 それから俺たちは、ごく普通に話すようになった。

 これまで知らなかったお互いのパーソナルナンバー(中学に上がる時に発行されるもので、これがあれば、携帯に連絡もできる)も交換した。


 子供の頃と変わらず『エクソダス』のことは話せなかったけど、お互いの仕事のことは、いろいろ話した。

 そうすれば、間近に迫ってくる運命の時も、不安に感じることがなかったんだ。


――――

 太陽の活動活発化は、しかし不思議なほど地球に影響を及ぼさなかった。

 本当に、この地球が太陽に呑み込まれてしまうのだろうか?

・・・誰かの仕掛けた、ドッキリなんじゃないだろうか・・・そう思いたいこともあったが、さまざまなデータが、それが紛れもなく事実であることを告げていた。

 普段の変化は、まあ、夏が長くなったことくらいだろうか。


 そんなくそ暑いある日、俺は学校帰りにある急な上り坂を、オンボロ自転車のペダルを必死にこいでいた。


 実用自転車とか言う、二十世紀の骨董品だ。いまのママチャリよりも、10キロ以上重い代物だ。先に旅立つ先輩から貰ったものだ。

 すでに『エクソダス』は段階的に開始されていた。自分たちの知っている親戚、先輩たちも、次々に二度と帰らぬ旅に出て行ったのだった。


「あれ?リクじゃん・・・何やってるの?押せばいいのに。」

「ん?そりゃそうだけどさ・・・」


 横に並んだのは、明星だった。明星がツッこむのもムリはない。俺は急坂を必死で立ちこぎしているが、それは歩くよりも遅かったからだ。


「いや、今のうちに体力つけとこうか、と思ってさ。宇宙船の中じゃ重力は効いているけど、思いっきり体を動かすようなことも、しばらくできないだろうしな。だから旅立つまでに、この坂をこのチャリで上りきれるようにしたいんだ。」

「ふーん・・・子供の頃から変わらないのね・・・」


 明星はあきれた顔になったが、何かを思いつき、次の瞬間にはニシシと笑った。


「よーし、じゃあ、私の体力を見せてあげる!ほら、変わって、リクは後ろに乗って!」

「ええ?・・・ってか、もう急なところは終わりじゃねーか!もう緩やかになってる!ずるいぞ!」

「上り坂であることに変わりはなーい!」


 明星は強引に俺を押しのけ、サドルに座る。俺はしぶしぶ、後ろのハブに脚を掛けて立ち、明星の肩に手を載せた。

 上りはすでにほぼ平坦となり、明星は快調にペダルを踏み込む。俺たち以外には誰も通っていない。


 静かだった。

 それは確かに不思議だった。セミはうるさいくらいに鳴いているのに。でも俺にはその音は耳に入らなかった。


 いまでは世界の人口もけっこう減ってしまって、臨終の時を安静に構えている地球は、人間が征服する前の、不思議な静けさが戻っていた。


 眼下には海が見渡せ、道の上に枝を伸ばす緑が、心地よい日陰を作っている。

 本当に久しぶりの、二人だけの時間。



 しかしその時を打ち破る轟音が、遠くの空から響いてきた。

 シャトルの打ち上げの音だった。

 そういえば今日も、地球の周回軌道にある宇宙船に向って行く人々がいたことを思い出した。あの中には知っている人も、けっこう乗っているのだろう。

 やがて姿が見えたシャトルは一瞬で、煙を残して空に消えていった。


 俺たちは止まって、その光景を凝視しなければならなかった。

 俺たちも間もなく、ああして宇宙に飛び立って行くのだ・・・なじみのある、すべての風景を、愛する人々を後に残して・・・

 本当は俺には、それは死ぬことと同じにしか思えなかった。


「・・・俺たちも、ああいう風に行かなきゃならないんだよな・・・」

「うん・・・」


 明星は機械的に走り出した。道はすでに緩い下りにさしかかって、漕がずともゆっくり、ゆっくり、チャリは進んで行く。

 二人とも言葉はない。

 その地球上での『死』と同じ意味を持つ瞬間が、自分の身に迫っていることを痛感していたからだ。


 やがて、俺は口を開いた。

「・・・ホントにいいのか、明星は。昔さ、ガキの頃・・・一緒に星を見た時にさ、宇宙に出るのはイヤだって言ってたじゃないか。」


 明星は少し笑った。

「何?そんなこと覚えてたんだ・・・そう、今だって、本当はイヤだよ。でもさ、仕方ないじゃない。リクだってそうだと思うけど。そうしなきゃ生きて行けないなら、そうするってだけの話でね・・・でもいまは、先に行った友達とか、先生とか、親戚とか、もういっぱいいるから、その人たちにまた会えるんだから、いいんじゃないかな?ってカンジでさぁ。」


 でも、その小さな肩は震えていた。

(明星・・・)

 いつの間にか、俺の方が背丈をずいぶん追い越してしまったことに、今更のように気づく。

 

 明星の体温と、汗の混じった制汗剤のにおいが、俺の感覚を刺激する。そこにいたのは昔からの懐かしくて、今日見つけたばかりの新鮮な、一つの魂。

 俺の心は決まった。


 次の瞬間、俺はその肩を、後ろから抱きしめていた。


 明星は一瞬驚いたようだったが、しかし抵抗もせず、俺の吐息が首筋にかかるままにしてくれた。

 しばらく無言の時が続く。自転車はゆっくり、ゆっくり、カラカラと音を立てながら進む。


「・・・なあ。」

「ん?」

「明星はさ、いま彼氏とかいるの?」

「・・・こんなことしといて、いまさら聞くの?」

「いや・・・もしいたら、そいつに悪いかなーって思ってさ。」


「へえっ!リクって、言葉より先に手が出ちゃうタイプなんだぁ~!知らなかったぁ、イヤラシぃ~!これは今後、気をつけなくちゃなぁ~!」

 明星は笑って、ペダルを漕ぎだした。

「のわっ、っておい!」

 俺は振り落とされそうになりながらも、明星の肩にすがりつき、笑った。

 何がそんなにおかしいのかってくらいに、笑った。


 なぜ初めから、こうしなかったんだろうか。

 そうすれば、あの15センチの心の壁なんて、存在しなかったのに。


 なぜ、素直になれなかったんだろう。なぜ古いものを見下して、新しいものに引かれていたんだろう。

 実際には、古いものにこそ、本当に新しい、みずみずしさがあったっていうのにな。


 こうやってこの日から、俺と明星は、人生の苦難と喜びを共にすることになったんだ。

 だけど、愛は平坦じゃない。俺たちの未来には、まだまださまざまのことが横たわらなければならなかった。

 俺たちは、やっぱり主人公とヒロインじゃない。

 

 あんなことになるなんて、想像もできなかった。

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