午前零時の山形県米沢市。
「いきなりレールガン女子高生」の酷評レビューを書こうとする女子高生が現れた。
酷評レビュー女子高生はいレ生(一般人が想定する「いきなりレールガン女子高生」の略称を指す言葉。字面がエロい)よりもずっと自分の作品への評価が欲しかったが、女子高生は自作の作品クオリティを上げることよりも人気作の酷評レビューを書く行為に血道をあげていた。彼女はレベルの高い酷評レビューを書くためにいレ生を丹念に読み始めた。時にアンチとは信者よりも作品内容に詳しくなるものなのだ。
だが、なりきりレールガン女子高生が現れて、とにかくすごいあざとさで女子高生にその可愛さを振りまいた。
女子高生はなりきりちゃんのファンになり、代わりにいレ生の二次創作を書き始めた。
『いきなりレールガン女子高生』とは
『いきなりレールガン女子高生』であって
『いきなりレールガン女子高生』以上でも
『いきなりレールガン女子高生』以下でもない。
定型句でもある
『いきなり長いレールガンを持った女子高生がやってきて、とにかくすごい攻撃で撃滅した。』
という印象的な文言で〆られる作品である。
この作品を説明しようとすると、どうあがいても
『いきなり長いレールガンを持った女子高生がやってきて、とにかくすごい攻撃で撃滅』する作品なのであるとしか言えない。
さらにストイックに文字を削れば削るほど
『いきなりレールガン女子高生』に収束していくのである。
『いきなりレールガン女子高生』とは
『いきなりレールガン女子高生』であって
『いきなりレールガン女子高生』以上でも
『いきなりレールガン女子高生』以下でもない。
『いきなりレールガン女子高生』なのである。
唐突に始まり、唐突に終わる。いきなり現れ、いきなり撃つ。この物語はいつだって不条理だ。そこになにがしかの法則を読み取るすべを僕たちは知らない。作者の精神世界から出力された記述を、ただ受け取ることしか僕たちにはできない。そこに何を見出すか。そこから何を得られるのか。それを徹底的に突きつけるのがいレ生だ。物語としての何かを極限までそぎ落としたこの小説は神話の境地にある。神はいつだってきまぐれで美しく、そして不条理で、強い存在だ。ところかまわず現れて爪痕を残し去っていく長井零路は、そういう意味では神なのだろう。かつて天災や疫病といった不条理は人知の及ばぬ現象として定義され、人格を付与され、そして荒神となった。神秘性が失われた現代においてその不条理に人格を見出すのは難しくなってしまった。そこに神として人格を得た長井零路は、現代社会において、本当の意味で天に座する「神」なのかもしれない。