第二話 錦森美矢は、争い事を好まない。 二

 俺はいつものように『双子に対する微かな罪悪感』を抱きつつ、その横を通り過ぎて家の前の道に出る。

 すると、ちょうど朝夕の姉の錦森にしきもり美矢みやが家から出てきたところだった。

「おはよう、美矢」

 俺が先にそう挨拶すると、美矢は、

「……おはよう」

 と、微妙な間を空けて挨拶を返してくる。そして、そのまま二人で通学路を歩き始めた。

 俺は幼稚園の頃から、通学は基本「徒歩で」と決めている。小学生までは自転車通学そのものが認められていないのでもちろんなのだが、自転車の利用が認められている中学校の間も徒歩で通した。

 そもそも恵名市は坂の多いところで、しかも俺の家から学校までは上りが続いており、自転車はあまり効率的ではない。それに冬には雪も降る。もろもろ考えると、徒歩のほうが常に同じ時間で行き来でき、時間が読みやすい。

 まあ、だいたいそんな理由で徒歩だった。その点は美矢も同じで、幼稚園の頃から二人で同じ道を通学していた。

 そして、いつも俺が僅かに右前方を歩き、美矢が俺の左後方を従うように歩く。これは幼稚園の頃から、いつのまにか身についてしまった俺と美矢の位置関係で、一緒にいる時には自然にこの配置になっていた。

 二人とも別に意図してそうしているわけではない。にもかかわらず、気がつくとそうなっている。お互いにそのほうが居心地がよいのだ。

 美矢は俺と同じ岐阜県立恵名高等学校の一年生で、部活も同じ文芸部である。そして美矢は長いまっすぐな黒髪と切れ長の涼しげな瞳から、いかにも文学少女に見える。

 ただ、それは彼女の一面でしかない。

 実際のところ、彼女は幼い頃から剣道と新東無念流杖術の修練を続けていて、小学校までは全国レベルの剣士として知られていた。ところが中学生になって以降は、表立って大会に出場することがない。

 双子からは、

「姉様は人と争うのがお嫌いなのですよ」

 と聞いていたが、それを本人に聞くことはしなかった。まあ、聞いても無駄だから、というのが本音である。

 美矢は黙って後ろに従うように歩いている。近所の人と道ですれ違う時も、

「いつも仲がいいわね」

 と声をかけられることもある。確かに一見すると、控えめに後を追っているようにも見えるが、実のところそうではない。

 俺は通学途中、背中に美矢の視線を感じていたし、それが決して甘いものではないことも熟知していた。どちらかといえば、武道家が相手のすきを窺っている視線に近い感じがする。油断すると後ろから襲われそうな雰囲気を感じることもある。

 別に彼女に恨まれるようなことをした覚えはないし、双子の件は不可抗力である。だから、どうして彼女がそんな風に後ろで隙を狙っているのか分からない。

 しかしながら、寝たり理由を訪ねても無駄だし、やめてくれと言っても聞かないだろう。彼女はとても無口で、真面目で、しかも融通の利かない性格をしている。自分が納得しない限りやめない。

 そのせいか、ぱっと見「美少女」なのに友達が少なかった。

 ――変わっているよな。それに……

 俺はゆっくりと脚を前に進めながら、もう何度考えたか分からない疑問を、その時も繰り返していた。

 俺の両親と妹、それにうちへの出入りが激しかった朝夕姉弟が、俺の『声』に依存するようになったのは当然のことである。むしろ、美矢――俺と同じ年齢で幼馴染でもある彼女が、全く影響を受けていないことのほうが不思議だった。

 まあ、美矢はあまり社交的な性格ではないし、どちらかと言えば一人で黙々と何かをしているほうが性にあっているほうだったし、俺と常時一緒だったわけではない。それゆえ「影響を受けにくかった」という考え方もできるが、俺はそれを支持しなかった。

 なぜならば、彼女には『声』自体が効かないからである。

 そのことは、私が自分の転生前の正体――魔王キヴァルディスであることを自覚した後の、意識的に、必要な時に限って『声』を使うようになってからのことを考えても、明らかだった。俺が意図的に、選択的に『声』を使ったとしても、美矢にはその影響が及ばなかったのだ。


 *


 途中で、同級生の篠崎しのざき菖蒲あやめの家の前を通る。

 古い日本家屋で、周囲に塀がめぐらされていて、入り口に大層な門のある――要するに豪邸だった。

 彼女はいつも、その豪邸の門の前に立って、俺達を待っていた。

「おはよう、一郎君、美矢ちゃん」

 くせ毛を背中で三つ編みにし、眼鏡の奥にある大きな瞳を輝かしながら、屈託のない明るい声で挨拶をする彼女は、美矢の唯一の親友である。

 菖蒲も幼稚園の頃からの付き合いだが、なぜかいつも美矢と一緒だった。社交的な性格で、親しいクラスメイトも多数いるはずなのに、気がつくと美矢の近くにいる。しかも無口な美矢に一方的に話しかけている。

 そして、美矢のほうもまんざらではないらしい。菖蒲が合流すると、後ろからの殺気を感じなくなるからだ。

 俺は、後ろから聞こえてくる菖蒲の明るい話し声を聞きながら、ちいさく息を吐いた。

 ――いつもの穏やかな日常だな。

 

 しかし、そのような平凡な日常は俺の周囲に限り、長くは続かないようになっていた。

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隠居魔王と自重しない勇者達 阿井上夫 @Aiueo

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