セパレイト

木野春雪

××××のいた教室

 「嘘、人間食べたの?」


 騒動はリエンツの悲鳴から始まった。

 夏休み明け、久々のクラスメイトと、どこへ行ったの何をしたの語らっていた最中である。みんなぴたりと話すのを止め、リエンツと、リエンツに詰め寄られているボーデンに注目した。ボーデンは肩を窄めてすでにもう泣きそうだった。


 「た、食べたけど」

 「嘘!信じられない、みんな聞いて!ボーデン人間のお肉食べたって!人間食べたんだって!」


 わざわざ言われなくてもみんな聞いていた。

 反応は様々だ。えー、嘘でしょ。酷い。残酷。と批判する者もいれば、へー。と無関心な者もいる。色物の出現に、笑いを立てる者もいる。


 「人間食ったってさ。どう思う?」


 セストがにやにやしながら僕に言った。


 「別に。海外では人間を食べる文化もあるって話だよ。ボーデン、海外旅行したんでしょ」

 「でも食べることなくね?」

 「国によっては採血で一度に全部抜いて、残りは産業廃棄物として捨てるってところもあるけど」

 「マジで?うわーそれはグロい」


 グロいと連発しながらも、セストはやっぱりにやにやしている。こういう物好きはまだいい。問題は道徳主義の女子たちだ。


 「人間を食べるなんて、どうかしてる?」

 「人間の血は飲むものだけど、肉は食べないの。そんなことも知らないの?」

 「サンは人間を飼ってるんだよ?」

 「人間食べたなんて、よくもサンの前で言えたわね!」

 「サンが泣いてるじゃない!謝りなさいよ!」


 サンはクラスの生物係で、動物好きで有名だ。捨て猫は必ず拾い、怪我をした野生のスズメには治療を施す。家で大型の人間を三匹飼っている。先月までは四匹だった。一匹寿命で死んだのだ。サンはショックで一週間欠席し、復帰後も突然授業中に泣き出したりして厄介だった。突発性思い出し泣き―――つい先日やっと治まってきたというのに。


 「謝れ!」

 「ひ!」


 ボーデンは頭を抱えて、机の下に潜った。


 「委員長、どうにかしろよ」


 セストが茶化すように僕の肩を叩く。


 「すぐ先生が来るから放っておくよ」

 「ボーデンが気の毒だ。さっき俺に言ったことを言えばいい」

 「人間の肉を食べる文化もあるってことを?」

 「そう」

 「それどころか血液以外は産業廃棄物として処理される国もあるってことを?」

 「そうそう」

 「寧ろ人間を愛玩動物として飼っている文化は僕らの国だけだってことを?」

 「そうそう、ってマジ?」

 「僕らの国だけっていうのは大袈裟かもだけど」


 僕は一度、唾を飲み込む。


 「グローバルな観点で見たら、人間を室内で飼ったり服を着せたり、ペット霊園で埋葬したりするのはずっと数が少ない」

 「へえーすげーな。痛い!」


 セストの頭に筆箱がヒットした。投げたのはリエンツだ。


 「そこの男子!無神経なこと言わないでよ!」

 「るせぇ暴力女!」

 「委員長も!サンの気持ち考えて!」

 「事実を言ったまでだよ。そういう文化がある事実とサンの気持ちは関係ないでしょ」

 「言う言わないもまた別でしょう?そういう話をするなら、サンのいないところでしなさいよ!」


 なるほど。正論だ。正しい話も「不快」と思う人の前ではすべきでない。

 それから、セストとリエンツの言い争いは続いて、僕は間に入って適当に二人をいなす。すっかり蚊帳の外のサンは、まだぐずっている。


 やがて先生がやって来て、教室のカオスな状況に驚いたものの、「朝の会を始めるぞー」の一言でみんな席に着いた。

 朝の会後、先生は何があったのかと聞いた。みんな僕を見ていたから、起立して説明した。


 「なるほど、ボーデンは人間の肉を食べたのか」

 「先生!それは残酷でいけないことだと思います!」


 リエンツの挙手を無視して、先生はボーデンに優しく言った。


 「いい経験をしたな、ボーデン」

 「先生!」

 「あまり怒るなよ、リエンツ。美鬼びじんが台無しだぞ?」


 みんなは一斉に吹き出した。

 先生は考える仕草をした。みんなは先生の言葉の続きを待った。


 「みんなはもう六年生だったよな」

 「当たり前でしょ!」


 セストがずっこけ、みんなまた笑う。


 「みんなもう大人だな。じゃあ言おう。先生も、人間の肉を食べたことがあるんだ」


 女子の大半が目を丸くした。

 先生は気にせずに続ける。


 「さて。みんなは何の肉が好きかな」


 みんなが―――道徳主義の女子たち以外は―――一斉に手を挙げる。


 「豚肉!薄切りに焼いて、摩り下ろした生姜と和風ソースをかけて、白いご飯と食べるのが好きです!」

 「牛肉!ミルフィーユ層になったほろほろの柔らかいやつが、ビーフシチューに入っていると幸せです!」

 「鶏肉!ローストチキンのサラダが好きです!酸っぱいソースをかけてしゃきしゃきのレタスと食べます!」

 「そうか。分かった。みんなお肉が好きなんだな。取りあえず、手を下ろそうか」


 先生はチョークを黒板に走らせ、『く』の字形の絵を描いた。


 「みんな手羽って知ってるかい。鶏の羽の部分のお肉のことだけど、ごま油でしっかり焼いてから大根と一緒に醤油とみりんで煮たやつが好きだ」

 「あ、僕は甘辛いやつが好きです」


 僕は思わず発言していた。


 「そうかそうか。その味付けで、人間の手羽を先生は食べたことあるぞ」

 「人間の手羽?人間に羽はありませんよ?」

 「羽の有無は関係ない。人間の肩から肘にかけてが、鶏でいう手羽元になる。肘から指先が手羽先だ」


 先生は人間の腕の絵をすらすら描いて、その横に鶏の翼の絵も描いた。輪郭だけでなく、内側を透かした骨格もすらすらと。


 「人間の腕と鶏の翼。一見、全く違うように見えるが、ほらこうやって………」


 先生は黒板消しで、鳥の翼をきれいに消して、人間の腕の輪郭も消した。


 「羽をなくせば、人間の腕と骨格がよく似ている。人間のような五本指は鶏にはないが、そんな違いは微々たるものだ。我々、鬼以外の陸上生物の体の構造は、実は似たり寄ったりなんだよ」

 「だから人間も、鶏と同じように食べていいっていうんです?」


 リエンツが言った。声のトーンがいつもより低い。


 「人間の体の構造が他の家畜と似てるからって、人間をペットにして可愛がってるひとは大勢いるんです」

 「だけどリエンツ、我々は人間の血を主食として生きているじゃないか」

 「でもお肉を採るために殺しません」

 「人間も、豚も牛も鶏も同じ命なんだよ?人間だけ特別扱いするのはどうして?」


 リエンツと先生の議論は平行線だ。僕は最近見たニュースを思い出していた。食糧不足問題。異常気象が続き、例年家畜の出荷率が下がっている。餌代も値上がりし続けているから、国内のお肉の値段も比例して上がっている。近い将来、豚や牛や鶏などのお肉は一握りの金持ちしか食べられなくなるかもしれないと、評論家とインテリ芸鬼げいにんが言っていた。

 血液とは違い、必要不可欠な栄養素というわけではないが、文化鬼ぶんかじんの嗜好として、お肉を食べない選択肢はない。豚や牛や鶏が採れない。でもお肉は食べたい。じゃあどうすればいいか。自明だ。他のお肉を食べればいい。


 「みんな、明日から人間を飼うぞ!」


*****


 先生が連れてきた人間は、18歳メス。年齢もさることながら、肌艶や肉付きからして、間違いなく高級品だった。

 なぜ一介の公立小学校にこんな高級品を?と僕は首を傾げたが、背中の焼印の方が気になった。


 『K3401U』


 白い背中に、そんな文字列がある。

 先生が説明した。


 「整理番号だよ。どのタイプの交配で生まれたのか分かるんだ」

 「その人間は採血用ですか?」


 僕は聞いた。先生は首を振って、


 「元々はペット用に交配されたんだ」

 「その子を飼うのね!」


 リエンツが声を上げた。


 「元々って言っただろう。その交配施設が倒産して農場が買い取ったんだ。だから今は、食用だ」


 リエンツは黙った。

 リエンツだって知らないはずない。

 人食の文化は何も、海外のものだけじゃないことを。牛や豚や鶏を食べるのは当然。けれども、時には犬も猫も食べることもある。牛や豚や鶏と食べる割合と比べたら少なく、好みの差異が激しいだけで。


 「その人間を、調理実習で食べるって言うんですか」


 リエンツが憮然と言う。


 「そうだな。先生はそうして欲しい。けれど、無理強いはしたくない。牛や豚や鶏が苦手だって奴もいるんじゃないか?」


 いねぇだろ!と言うセストを無視して、先生は挙手を促す。遠慮がちに挙手した者が、数名いた。


 「うん。ありがとう。ほら、セスト。牛や豚や鶏でさえ、苦手だって思うひとはいるんだ。だったら人間は、食べるのにあまり馴染みがないし、ペットとして可愛がっているひともいるから、無理に食べさせることなんて出来ない」


 先生は食糧不足問題の概要を話した。みんな初めはつまらなそうに聞いていたけど、徐々に顔が青ざめてくる。みんなの脳裏には、飢え死にや好きなものが食べられなくなる苦悩が渦巻いているのだ。


 「脅しじゃない。まだ可能性の話だからな。だから想像力を働かせて欲しい。いざ飢えたときに、ペットとして飼っていた人間を食べるか、食べないか。今日から一ヶ月、この教室で人間を飼う。一ヶ月共に過ごした後で、人間を食べるか否か、みんなが自分で決めて欲しい」


 つまり模擬実験。あるいは心理実験だ。僕は、この一ヶ月の記録が、どこかの研究機関にでも引き渡されるのか少しだけ考えた。

 それより、クラスメイトたちだ。みんなは最初、目に見えて戸惑っていて、僕の指示を待っていた。けれど意外なことに、サンが動いた。サンがまず、人間のつるりとした頭皮を撫でて「名前を決めなきゃ」と言ったのだ。授業を一コマ潰して、みんなで名前を考えた。もう一コマを潰して、首輪を作った。ペット人間は犬と同様、首輪とリードが義務付けられている。皮で首輪を作った僕たちは、名前と一緒に学校名と『六年一組』と書いた。名前が決まると、よそよそしさもなくなった。

 それからみんなは、


 ××××とサッカーをして、

 ××××と水浴びをして、

 ××××と木陰で昼寝をして、

 ××××に芸を仕込んだり、躾たりした。


 一週間後にサンが手編みの服を持ってきた。

 寒くなるこれからの季節にぴったりな、背中から臀部まですっぽり隠れる毛糸の服だった。


 「こんな服着てたら、サッカー出来なくなるだろ!」

 「いいの!××××はメスなんだから、あんまり外に出さないのが常識でしょ!」


 きちんと躾なくては、癇癪を起こす人間が多い中、××××は大人しく賢い人種で、授業中はいつも教室の後ろで大人しく座っているか、眠っているかしていた。


 「ほら。こっちにおいで、××××」

 「こっちにおいで、××××。私の方が好きでしょ?」


 ××××は教室の中心になった。それはもう一ヶ月後に、食うか食わないかの決断をしなきゃいけないことを、忘れるくらいに。

 一ヶ月の間、先生は××××の飼い方について何も言わなかった。それがちょっと不気味だった。先生としては、生徒が「食べる」の決断を出してくれなきゃ、困るんじゃないか。だから、一ヶ月の間に世論形成をするべきなんじゃないかって。


 けれど僕も、そんな疑問はすぐに忘れた。賢く懐っこい××××は可愛い。悪意のない生き物は可愛い。僕に動物を愛でる趣味はなかったはずなのに、僕も××××を好きになった。

 そして、一ヶ月後がやってきた。


*****


 「先生。決が採れました。満場一致で『食べない』に決定です」


 僕が言うのを聞いて、先生は難しい顔をした。


 「先生!食べませんよ。私たちみんなで決めたんです」


 リエンツが言う。勝ち誇ったようではなく、信念を持った強い口調だ。

 セストが言った。


 「俺も、散々サンたちには、食用もペット用も変わらないって、全部同じ肉だろって思ってたけど、やっぱり一ヶ月も一緒にいると、今更食べるなんて無理かなって」

 「はっはっは。セスト、情が移ったか」


 情。

 きっとそれが、食用とペットの違いなのだろう。ペットといっても、例えば他鬼たにんのペットなら、別に死んだってなんとも思わないし、ましてや最初から名前すらない家畜になんて。お肉として食べても、心が痛まないわけだ。


 「みんなは××××を食べれないか」

 「はい!」


 リエンツが元気よく言った。


 「どんなに飢えていても、××××を食べるなんて出来ません!」

 「どうして?」

 「一ヶ月一緒に暮らしてきた××××は仲間だからです!どんなに飢えていたとしても、クラスメイトは食べませんよね!」


 リエンツの言葉に、みんな少しだけ笑った。僕は新たな着想を得た気がした。クラスメイトを食べる。なるほど。豚や牛や鶏も、人間も同じ命なら、僕たちだって同じ命だ。僕らが僕ら自身を、食べる選択肢だって存在するのだ。


 「つまりリエンツ、君は××××が一ヶ月間一緒に暮らしてきた仲間だから食べられないって?」

 「そうです!」

 「じゃあ、一ヶ月暮らしてこなかった仲間じゃなければ食べられると?」

 「食べられるとは言いません。でも食糧不足なんてまだない可能性のために、今、仲間を食べたくありません」


 じゃあリエンツは、いざ食糧不足に陥ったとき、まずは名もなき家畜から食べて、次に他人のペットを食べて、次にサンのペットでも食べるのか。リエンツは何のペットも飼っていないんだっけ。


 「リエンツにとって、仲間って何?」

 「顔を知っていて名前を知っていて、思い出があることです」


 先生は徐に××××の服を捲って、背中を露わにした。

 ××××の白い背中、そこには『K3401U』の焼印があるはずだ。

 あるはずだった。


 『H5435I』


 と焼印はあった。


 リエンツは言葉をなくした。

 みんなもだ。


 「前提条件として言っておく。焼印は生まれてすぐ付けられるもので、消すことは出来ないし、見ろ。この白い背中には、どんな加工痕もないだろう?」


 それはつまり、教壇にいる十八歳メスの人間は、一ヶ月前にこの教室に来た人間とは別人のわけだ。

 きっとそのメスが二代目ってわけじゃないんだろうな………先生と目が合うと、先生は「ご名答」とほくそ笑んだ。


 「最初の二週間は同じ人間だった。でもその後は四回入れ替えたぞ。誰も気付かなかったな。いや、サンは気付いていたのか」


 みんな一斉にサンを見た。


 「どうして言わなかったの?!」


 リエンツが叫んだ。

 サンは泣いておらず、鬱蒼とした森のような気配を湛えていた。顔を伏せている。もう何も信用できないと言わんばかりに。


 「だってみんな気付かないんだもん………」


 搾り出されたサンの声は、悲しみより怒りが勝っていた。今まで声を荒らげたことすらないサンの怒りは、みんなの湧きかけた怒りを沈ませるには十分だった。


 「これで分かったろう。ひとと人間の違いを。みんな、罪悪感は持たなくていい。この人間はみんなとは三日も一緒に過ごしていない。仲間じゃないんだ」


 先生の声は変わらず明るかった。

 僕はふと最初の人間と、これまでの三人が今どうしているのかを想像した。最初の人間は確かに高級品だった。僕はその味を想像して、唾を沢山湧かせていた。

 僕は唾を飲み込む。

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セパレイト 木野春雪 @kinoharuyuki

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