日々の生活で、ふとたちどまり、
何かを本質的に問う習慣を身に付けるのは、簡単ではない。
なぜならそれは単に"メンドクサイ"ことであったり、
"ストレス"を感じる過程を、伴うから。
それでも。それでも、である。
ケンカに関わる当事者双方が、どんな理由があろうとも
"悪く"、即ち、『喧嘩はだめ』と言い得てしまうこと。
それは、当事者以外の人間の"迷惑"という観点からの、最も近い
結論かもしれなくて。
そこではつまり、
『ケンカとは何? 何故、人はケンカするの?
ケンカしないなら、どうすればいいの? 話し合いって何なの?』
ということを、考えない、ということなのだ
『考えない』ことを、学校で"教わる"。これはとても怖い。
そして私たちは一体どこで、"人付き合い"を、学ぶのだったろう?