伺候する《三》


「何? それは如何なることか?」


 雅晴まさはるの言った言葉が余りにも予想外であったのだろう。今上きんじょう御門みかどは、すぐに詳細を話すようにお促しになる。


「はい。先ほど簀子で話をしていたボン……失礼、殿上人たちの会話を小耳に挟みまして。実は大納言さまには、年頃の姫がいらっしゃるそうです」


「それは誠か? 余も初めて聞いたぞ」


 どうやら初耳だったらしい。

 今上の御門は、驚いたお顔をなさる。


「主上。大納言さまから入内させたい姫がいる、などのお話をお聞きになられたことはございますか?」


「いいえ。少なくとも私は聞いたこともありません。僭越ながら、それは主上も同じかと存じます」


 今度は、今上の御門のかわりに治信はるのぶが雅晴の問いに答えた。

 今上の御門の側近中の側近である彼の仕事の一つに、今上の御門の日々の生活の管理というものがある。そして彼は、専属執事の如く、ごくわずかな例外を除き、常に今上の御門のお側に控えているのだ。それが、近侍でもある彼の役割であった。 

 そんな彼が知らないというのなら、本当に主上もご存じないのだ。

 そう確証を得た雅晴は、話の続きを言う。


「幸い、私には許嫁や恋人もおりません。これまで、どこぞの公達のように浮名を流したこともございません。大納言様の目には、きっと良い娘婿候補と映りましょう」


 さりげなく、自分が適任だと売り込む。長年、そこそこの中流貴族(ビンボー神にも憑りつかれている)として生きてきた雅晴は、ここぞという機会を逃しはしなかった。


「しかし……それで良いのか、そなたは。いくら貴族の結婚のほとんどが政略結婚と言っても、余の都合で結婚などして欲しくない。ましてやそなたは、余の大切な臣下。できる限り幸せな結婚をして欲しいのだ」


 どこか悲しそうなお顔をなさる主上。

 その表情や言葉から、自分を心から思い、ご心配なさっていることがよくわかった雅晴は、自然と深く頭を垂れていた。

 ああ…………。この御方は、お優しい。

 至高の位である御門におなりあそばしても、それは変わらない。

 このように素晴らしい主を持つことができた自分は、何と幸せなことだろう。

 雅晴は、万感の想いで両手をついた。


「主上。もったいなきお言葉。なれど、私は家の跡取りにございます。どのみち嫁をもらい、子をなさねばなりません。それは治信殿も畏れながら主上におかれましても、同じことかと存じます」


「まあそうですねぇ…………。そう言われてみれば、私たちの立場って、あまり変わりませんね。位や身分に差は多くあれど、皆お家の跡取りですから。結婚は避けられませんしねぇ」


 治信が、どこか気の抜けたような声で賛意を表す。かく言う彼も、早く結婚してくれ! という老いた両親たちの催促に、日々疲弊しているという事情があった。


「それはそうだが…………」

 

 一方。

 まだ渋るようなお顔をなさる主上。

 顔を上げた雅晴は、そんな主上に、ご安心ください。というように、にっこりと笑って見せた。


「それに……そろそろ嫁をもらおうと思っていたところにございます。少しばかり予定が早うなってしまっただけのことです。…………主上。どうかお気になさいますな」


「しかし…………」


「主上。ここまで雅晴が申しておるのです。やらせてみては、いかがでしょうか?」

 

 ここで、雅晴の味方をするように治信が進言する。その言葉を聞いたのだろうか。

 主上は、瞑想するかのようにしばし両目を閉じられた。

 それから、ゆっくりと目をお開けになると。そこには、雅でありながらも凛々しい一国の君主の表情かおがあった。

 主上の双眸には、もう、迷いは一切見られなかった。


「…………相分かった。少納言藤野雅晴よ、そなたに大納言の姫君との接触を試みるように命ずる」


「ははっ!! 心得ましてございまする!!」


 主上のご命令を承りまった雅晴は、勢いよく平伏する。


「雅晴。くれぐれも、こちらの思惑を大納言様に知られないように。心して当たってください」

 

 一方、やる気満々の雅晴に治信はきっちりとくぎを刺す。優秀だが、まだまだ若い彼が、万が一暴走しないとも限らないからだ。

 それに大納言は、即位して数年しか経っていない今上の御門の後見でもない。まだ態度を決めかねているようで、日和見状態というのだろうか、未だに主上の膝下に下ることもない。どうやら当分の間は明確な立場を取るつもりもないようだ。

 そんな大納言に、こちらの動きや思惑が露見などすれば、これからの政もやりにくくなることは確実だ。おそらく若造の部類に入る自分たちと大納言は、ギクシャクした関係になってしまうだろう。

 それに、ただでさえ若くて経験の浅い自分たちには、色々と足りないものが多すぎる。だから、この企みがバレることはすなわち、弱みを握られることと一緒なのだ。

 そんな治信の考えを察したのだろうか。


「わかっております。治信殿」


 雅晴は真剣な表情でしっかりとうなずく。

 それから、御簾の向こうにいる今上の御門に対し、深く頭を下げた。


「主上。では私めは、御前を辞させていただきます」


「ああ。頼むぞ」


「はい」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳳麒凰麟伝外伝〜藤少納言と大納言の姫君〜 ゆきこのは @yukikonoha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ