アルの過去③
湿気た土の匂いと、腐った木の葉の匂いがアルの鼻をくすぐる。洞窟から森の中を4時間以上歩き続け、日が暮れた。
暗闇が辺りを包み、焚き火がパチパチと爆ぜ、より静けさを感じるほどだ。
季節は秋に差し掛かった時期、焚き火がないと肌寒さを感じるだろうが、深い森のおかげか冷たい風が吹きつけず、代わりに湿度の高い風がふわりと通り抜ける。
天幕が二つ、その真ん中に焚き火が配置されている。一つは寝ている冒険者二人のものだ。
そして、もう一つはアルだけが使っている。
焚き火の前には長身の男。今晩の最初の見張り役のようだ。
一人だけの天幕の中で、今日の出来事を振り返っていた。
午前中の事だった、冒険者三人が盗賊団のアジトに来たのは。
彼らの人数の四倍、十二人いたはずの盗賊団はほとんどすべてが酒に酔い、まともな戦闘という影もなく、盗賊団は壊滅した。一番初めに反応した馬人族のやつが突撃していったが、三人に同時に攻撃され地面に伏した。
あっけなかった、それがアルの抱いた素直な感想だった。
冒険者の三人はそれぞれ、かなり太っていて身長が低い男が剣と盾を装備したパーティの壁役。
長身で細身のひょろ長い男が槍を使い、壁役の後ろから敵を突く。
その長身の男の真横で弓を扱い、後ろを警戒していた初老の女性。
これら、壮年と言っていいパーティだった。
三人ともがやり手の冒険者なのだろうと分かるくらいの連携だった。
盗賊団が酔っていなかったとしてもいい勝負をしたかもしれない。
ふと、声が聞こえる。
「結局あの子はどうするの? 奴隷商に明け渡すのが最善だと思うけど」
女の声だ。あの弓を使っていた女だろう。
「面倒だぜ? 奴隷商に売り飛ばすにしても犯罪だ。そんな危険な橋を渡る必要もない。ならば、この森に埋めてやるのが一番賢いってもんだ」
酒焼けしてるようなしゃがれた声。あの太ったやつか。
「おい、聞こえてるぞ。大人しく寝とけ。明日決めてガキに説明しよう、面倒は見れないと」
また別の男の声だ。
たしかに、この冒険者達は目的の犬型の化け物の討伐を達成していない。
帰るにしても準備の金が必要だろう。
別に奴隷になったところで、むしろ盗賊団での扱いよりも格段にマシになるくらいなのだが、4歳のアルにそれを理解するほどの賢さはなかった。
次は殺されるまで殴られるのだろうと思っていた。
それが、恐怖でしかなかったのだ。殴られることに対してではない、殺されることに恐怖した。
生きたい、それが四歳の少年のたった一つの願いであった。
しかし、盗賊団を壊滅させた冒険者達に逆らえるほどの力はなかったし、大人しく従うしかなかった。
だが、今の状況ならどうだろうか?
見張りは一人。盗賊団達の荷物から盗んだナイフなら隠し持っている。人間の弱点も知っている。
盗賊たちが実際に殴りながら説明してくれたから、どれだけ痛いかも十分理解している。
油断している今なら一人くらい殺せるかもしれない。
そう、アルは自然と相手を殺すことを考えていた。
二度も人が殺される場面を見てきた。その経験が殺人の善悪の判断がつかないほど、アルの心を壊していた。
決行は真夜中、夜番が交代する時間帯が狙い所。
それまでは寝ておかなければ、そう思い寝る体制を整える。この三か月も同じだった。寝なければうまく動けない。生きる為に戦うのだ、勝たなければ死ぬ。
昨日からの疲れがピークになったアルは生きる為に寝たのだった。
浅い眠りの中だからこそ気付けたのかもしれない。勢いよく起き、飛び退く。まだ眠気が残る視界は歪み、暗闇のおかげで全体像もよく見えなかった。
だが、冒険者の声が聞こえた。槍使いの声だ。
「起きろおおおお、獲物だっ!」
次の瞬間、アルが寝ていた天幕も、冒険者側の天幕も、中央にあった焚き火も、すべてが吹き飛んでいた。
槍使いの男は何かと対峙しているようだ。まだ見えない。
目が慣れず、相手がただただ大きい事しか分からない。大きさは二メートルはあるだろうか、身長が高い槍使いのさらに一回りは大きかった。
目をこすり寝起きのぼやけを振り払う。しかし、まだ暗闇でわからない。
だが、さきほどよりは見えた。
四足歩行のようだ、冒険者達はすでに三人の陣形を組み、すでに戦いは始まっていたので、相手が四足歩行であることは辛うじて判断できた。
そして、月の明かりが木々の合間から差し込み、ようやく理解した。あいつだ。
盗賊団が飼い慣らしていた犬型の怪物。
誘拐された時初めて見たあいつ、女性に体当たりし軽々と吹き飛ばしていたあの怪物だ。
アルは駆け出した、犬の化け物に向かって。
隠し持っていたナイフを取り出し、一直線に走る。
犬面の盗賊が自慢していたことを思い出す。
「人をヤるときはな、自分の全身が武器だと思い込むんだよ。するとな、ちょー気持ちよく刃が通るんだ!」
(そう、全身は武器。僕は刃。刺してやる。斬ってやる。食いちぎってやる!)
それでも、僕らは @umitani
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