epilogos

Epilogos/事件の終わり

 小澤の傷や汚れを処理したのはフェルミだった。高層階から転移、和久田共々合流した武藤に、貸しができましたね、といやらしく笑いかける。時らも数か所骨折するなど一方ならぬ手傷を負っていた者がほとんどだったから、その夜は彼女はフェルミのいるアパートに運ばれることとなった。貸しが二つできた。

 フェルミがケルペルKoerperを展開、小澤を担いで飛んでいき、武藤もその足で家路についた。和久田は携帯電話を取り出し、西門からの連絡を待った。しばらく二人きりにしてほしいという彼に応えて小澤の方に行っていたが、高層階から波風を立てずに地上に降りることはドミトリの空間転移装置が必要で、和久田は待機要員として残っていた。

 彼は駅のロータリーに向かった。夜がいやましに深まり、暗い中でも、街の明かりは強く、鮮やかで、往来の顔の諸々を染めつつ照らしていた。救急車のサイレンの光に陰の深い顔が曝されて赤い。和久田がロータリーに到き、街灯の柱に体を預けて、しばらくしたところで、救急車は負傷者を乗せ去って行った。彼はマリヤの最期を思い出していた。それは初めて目にするパルタイの完全な死だった。斬られた体がゆっくりと不自然な速度で扇状に広がって落ち、体組織がスペクトルの色彩に染まり、次第にその異次元の色彩を失い、どこからともなく崩れ、大気に溶け、消えた。

 肩口の数字を見ることは出来なかった。ゼロになっていたのだろう。

 和久田は、無言のままに武藤の叫びを聞いた気がした。

 一陣風が吹く。灌木の枝を揺らし、葉を揺らし、海鳴りの音がして、礼服は揺れなかった。

 灰色の男が立っていた。赤い瞳の、そこだけ揺らぐ色に、ぎょっとして、和久田は一歩距離をとって彼を見つめた。

『しばらくぶりだね、徹君』

「どうも」

『今回のこれは、マリヤがやったのだろう? 操られていたのは武藤君の顔見知りだったはずだね』

「ええ、まあ」

『安心するといい。小澤由佳が縄目の恥を受くることは、絶対にない』

「なんですって?」

 灰色の男、インテリジェンス、都村、《ビオス》、は、腕を組み、足を組みして、ぼんやりと往来をながめた。和久田もつられて雑踏の流れを見ると、同時にその声も聞こえてきた。

「さっきの救急車何?」「猿に襲われたんだって。動物園から逃げてさ」「えーこわーい」「何それウケる」「もしもし? うん、ごめん、なんか脱走した? とかで」「髪引っこ抜かれた女の人もいるらしいよ」「え、おっさんじゃないの?」「動物に人が襲われたとかなんとか、大騒ぎでさ」「これ血の痕?」「多分……」

 卒然とビオスに向きなおった。拳が震えていた。

「何を?」

 そうとしか聞けない。だが、和久田にもおおよそ答えはわかっているのだ。明らかに強い超常の一である都村は、超常でありながら、あの独特の波動を一切漏らさないまま、どうということもなく答えた。

『パルタイにかかわる事件の加害者まであの教室から出たとなると、いよいよ武藤君の身辺が危ない。嗅ぎ回られる可能性もないではない。だから先手を打った。ニュースサイトでも見れば何が起こったかはわかるさ』

 和久田は凝ッとビオスの燃える目を見ていた。が、懐の携帯電話が震えたので、取り出すと、先回りするように都村が言った。

『行ってやったらどうだね』

 公共放送のニュースキャスター曰く、夢見ヶ崎の動物公園から猿の一種が脱走、狂暴化しており、交通を乱したのち武蔵小杉駅で三人ほどを襲って、その後捕らえられた、という。

 ほんの三四カ月ほど前に生まれた生物に戸籍を捏造し、一連の行政手続きを矛盾なく行い、制服その他十人並みの生活必需品を用意する《インテリジェンス》、パルタイという種の往来における擬態に一役買っている《ビオス》であるから、今度の協力も、単純に人間という種に助力しているということではないだろう。むしろ都村自らが受けた仕事を完遂するまで「十人並みの日常生活を維持する」という武藤に課した条件を外部から乱されないようにという、きわめて個別特殊的な事情に根ざしていることは明白だった。

 だが、その個別特殊的な配慮のために、先手を打つ、先手を打つということのために、ここまで大規模な現実の改変を行う。行えてしまう。《超人》などとは比べ物にならない、《機械仕掛けの神απο μηχανης θεος》と呼ぶに充分な、それは権能だった。


 間美羽が最後に何を願い、かなえようとして、西門光生がそれにどのように答えたのかは、おそらく、ここで述べる問題ではない。



 九時を少し回った頃に家に着いた。家の前にフェルミがいて、和久田の部屋にまであがりこんでくる。人一人担いで飛んできたのだ、労らうこともやぶさかではなかった。

 ベッドに座るフェルミに缶のコーラを差し出すと、とび起きて、半ば奪いとるように赤い缶を掴み、ごくごく飲んだ。

 和久田は入れ替わりにベッドに腰かけ、自分もプルタブを開ける。と、ちょうどそのとき玄関の戸が開き、「ただいま」と吞気な義兄の声が届く。手がいちどきに缶をとりおとした。床に落ち、倒れて、開いた口からこぼれる。代わりに拾ったフェルミが、ハンカチを水たまりに落として一息ついても、尚和久田は動かなかった。その場に五体が縫いとめられて、和久田は足の先まで凍りついていた。

 氷の太刀が心臓を一突きするような悪寒が押し寄せてきた。義兄の声に引き寄せられて、思い浮かべる事柄が、二つあった。一つはいつかの喫茶でのフェルミの言葉、もう一つは……

「フェルミッ」

 彼は絶望的な心持でその名を呼んだ。その目は丸く光っていた。歯の根の合わなさや、拳の震えは、悪寒に由来する震えだった。フェルミを見上げて、

「おれは」

 と言うが、顔を上げたままでは言葉が継げなかった。彼女に視線を合わせたまま、その言葉を言うのが恐ろしくて、和久田は、ついにふたたび俯きながら、

「おれは、おまえの弟を、見殺しにしてしまった……」

 最後まで声に出して言っていたか定かではない。しかし、その後の反応を見るに、多分全て言っていたのだろう。フェルミは隣に腰かけた。肩の位置がわずかに高かった。

 沈黙。

 彼女はそのまま何も言わなかった。時計の針の音も聞こえなかった。どれだけ時間が経ったかわからなかった。

 それが動いて、両腕から、下を向いていた和久田の胴に潜り込んだ。腕が胴に巻きつく。フェルミは斜めから和久田の鳩尾の上わたりに顔をうずめて、じっと動かなくなった。顔は見えなかった。

「だっこして、頭でもなでてください。疲れたので」

 言われるままに背に腕を回して、あやすように頭を撫でる。フェルミはべったりと、和久田に泥のようにまといついた。

「言ったでしょう、弟分みたいなものであって弟そのものじゃないって。気にしませんよ、そこまで」

「でも」

 そこまで、ということは、気にしないではないということではないか。

「子供の方が大事です。私には」

 パルタイの進化のために。フェルミ自身の自己複製Selbstreplikationのために。

 和久田は、そうか、と言ってきり、白い花のような広い肩を撫でて、自分も亜麻色の頭にくちづけし、またひきつけてわずかに、強く抱きしめた。

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GANGSCHATTEN 金村亜久里/Charles Auson @charlie_tm

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