学習指導要領解説についての解釈を求められたので検証してみた

 学習指導要領解説についての解釈を求められたので検証してみました。



 以下、学習指導要領解説の掛け算に関する記載の抜粋。


「5個のまとまり」の4皿分を加法で表現する場合,

5+5+5+5と表現することができる。

また,各々の皿から1個ずつ数えると,

1回の操作で4個数えることができ,

全てのみかんを数えるために5回の操作が必要であることから,

4+4+4+4+4という表現も可能ではある。

しかし,5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である。

そこで,

「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を乗法を用いて表そうとして,

一つ分の大きさである5を先に書く場合5× 4と表す。

このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,

すなわち累加の簡潔な表現とも捉えることができる。

言い換えると,

(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)

と捉えることができる。

また乗法は,幾つ分といったことを何倍とみて,

一つ分の大きさの何倍かに当たる大きさを求めることである

という意味も,併せて指導する。

このときも,一つ分に当たる大きさを先に,倍を表す数を後に表す場合,

「2mのテープの3倍の長さ」であれば2× 3と表す。

なお,海外在住経験の長い児童などへの指導に当たっては,

「4×100 mリレー」

のように,表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する。

ここで述べた被乗数と乗数の順序は,

「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」

という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである。

一方,乗法の計算の結果を求める場合には,

交換法則を必要に応じて活用し,被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。



 言葉を少なく簡潔にしたのが以下。


  5個の塊が4つ分を数える時は 5+5+5+5になる。

  しかしトランプを配る時のように数えると4+4+4+4+4になる。

  ほとんどの人は普通前者のように数えると思う。

  前者を使って掛け算に直すと5x4。

  掛け算とは同じ数を何度も足す時に使うものと言ってよい。

  要するに 塊x個数=総数と言える。

  掛け算は「何が何倍ある」という意味もあると教える。

  それを踏まえると「2mのテープの3倍の長さ」の時並びは2x3と書くのが自然になる。

  しかし「自然」は日本人の感覚で、外国では違うので注意。

  皆が順序をバラバラに書くとめんどくさいから統一する事は大切だ。

  でも逆にして計算しても答えは同じだからね。


 私が「読解」するならこうですね、というものです。

 解釈したものをまとめるなら、

 「掛け算とはこういうものであるという説明と、順序が自由だから統一性も指導した方が良い」

 というものでしょう。



  少しそれますが、これが、

  「式という言葉が2種類あってそれぞれ別物である」という説明だ、という新説があったのですが、

  こうしてみてもどこをどう解釈したらそうなるのかサッパリ分かりませんね。



 ハッキリ言ってかなり稚拙な文章で、ヘタな小説を読むと吐き気がするような気持ち悪さがあるが、それと同じものを感じた。


 この文の伝えたいことを要約すると、


  掛け算というのは、「何を何倍するもの」と考えて差し障り無い。

  基準とする数字を被乗数にした方が自然だし、統一した方が都合が良いからそうするべきだ。

  でも文化によって自然の認識は違うから一方的な押しつけは駄目だよ。

  当たり前だけど逆にしても良いんだからね。


 これだけですね。

 これを数字を踏まえて詳細に書いたものが元の文というわけですが、

 あくまで個人的な感想ですが、掛け算の順序を固定したい人が、なんとか指導要領に書かれている事を「順序を固定しなくてはならない」と捉えられるようにできないか、と四苦八苦したもののように見えますね。

 その結果いびつな文章に仕上がった。

 当たり前ですが嘘を書くことはできませんので、嘘にならないようなんとかして誘導しようと頑張った、という跡が見えますね。


「大切にすべき」


 大切にした方がいいのか、よくないのか。


 そりゃいいんでしょう。


 どんどん大切にしてください。止めませんので。

 間違いなく言えることは「間違ってない」ものを「間違っている」とする事は大切にすることではない。



 ではどこを稚拙だと思ったのか、具体的に検証していきます。


「1皿に5個ずつ入ったみかん」

 入ったって何だ? その表現は自然ですか?


「一つ分の大きさである5を先に書く場合5× 4と表す」

 この文を別のものに置き換えると、

 1、2があって、1を先に書く場合12と書く

 と書いてあるだけです。

 何を当たり前のことを。先に書いたほうが前に来るのは当たり前だ。何が言いたいんだ。


「言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)」

 何か言い換えた?

 同じ事をまた書いただけのようにしか見えないが。微妙に言い換えだけなら別にいらない。

 加えて「幾つ分かに当たる大きさ」の意味が分からない。

 掛け算の式から総数であることが想像できるだけで、突然「幾つ分かに当たる大きさとは何か説明せよ」と言われても分かりません。


「このときも,一つ分に当たる大きさを先に,倍を表す数を後に表す場合,「2mのテープの3倍の長さ」であれば2× 3と表す」

 大事なことだから2回書いたんですか?

 伝えることは「幾つ分」は「何倍か」と同じだということだけでしょ。

 サブリミナル効果を狙っているのか? としか思えない。


「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」という日常生活

 いや日常生活で求めるのは「総数」でしょ。

 全部で幾つあるのか? を求めたいのであって、「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさ」と考えてるやつはいないと思う。そもそも意味がよく分からん。

 ピンとこない表現を指導の手法とするのはどうなのか。


「一方,乗法の計算の結果を求める場合には,交換法則を必要に応じて活用し,被乗数と乗数を逆にして計算してもよい」

 書いてあることは逆でも同じ、というだけだが、

 問題は「乗法の計算の結果を求める場合」のくだりなんでしょう。

 逆にすると間違いだという人は「計算の結果を求める時だけ」逆にしていいのだから、書く時は逆にしては駄目だという意味にしたいんでしょう。

 でも式を書いて、計算する時だけ頭の中で逆にして計算するやついる?

 頭の中だけでしていい許可は何のための許可ですか?

 当たり前ですが、式は計算の結果を求めるために書くものだから、言ってしまえば普通に「逆にしてもよい」と書いてあるだけですね。



 とまあ普通に解説文として稚拙です。

 私が文章を添削してもこの程度のことは普通に言う。


 ただ文科省は小説新人賞ではないので稚拙なだけで弾かれたりはしないでしょう。

 要は間違った事を書いてないかどうかでしかない。

 間違ってはいないから認めはするんでしょう。


 でも学習指導要領にはなれない。稚拙すぎるから。



 以下完全に私の勝手な想像ですが、


「掛け算の順序を逆にするのは間違いという解説」

 ↓通らないので添削

「学習指導要領解説」

 ↓通らないので義務外の扱いにして添削

「学習指導要領」


 こういう関係性にあるものと仮定するといくつか合点がいく。

 下のものから上のものを読み取る事を「読解」と言っている。


 だからそれが分からない者を「読解力が無い」と言っているわけですが、削ぎ落とされてるんだから読み取れるわけがない。


 でも彼らは残しているつもりなので読み取れると思っている。


 読み取れるようでは通らないんですけどね。


 逆にして間違いだというのは数学的に誤りなのだから通るはずはない。


 通してしまうと「何が間違っていのか?」を指導する解説を作らなければならないが、それができないから。


 当たり前だが「便宜上特定の年代にのみ間違いとする」などという指導方法があるわけがない。


 現実にはそういう経緯で書かれたものではないと思うのですが、こう考えると彼らが何を言っているのかは分かったような気がするのですが、どうでしょうかね。

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