パンケーキに幸せと生クリームを添えて

叢雲前線

第1話 芳醇な香り

 右手を動かすと、自分の右側の手が動く。右手を動かそうとして、左手が動くことは基本的にはない。そう、私たちは基本的にやりたいことを好きにやることができるのだ。脳が命令を出せば、そのように体を動かすことができる。至極当たり前のことだが、現在私はそれができない。正確に言えばできない環境にあるといった方が良いだろうか?

 

 ここはジャパリカフェ。アルパカが経営する(経営と呼べるのかは定かではない)喫茶店だ。かばんの知恵によって顧客数も増加し、今ではジャパリパークのちょっとした名物となっている。特にアルパカ自らが入れる紅茶は、リピーターも多く、芳醇な香りと独特の甘みを感じることができる人気商品だ。その他にも、研究熱心な店主により、コーヒーや、パンケーキといった、いわゆる喫茶店で出されるような商品も数多く出されるようになっていた。

 恥ずかしながら、私も料理をするので(正確には博士、助手にやらされている)ジャパリまんだけにとどまらない、ちょっとしたグルメなのではないかと自負している。

 そんな、ジャパリカフェに今回は同じハンターである、リカオンとキンシコウと共にやってきた。うーん、これは博士たちに怒られそうだなぁ。絶対「なぜ、勝手に行ったのですか?」とか「私たちを連れて行かないとは良い度胸です」とか言われるんだろうなぁ。そんな後先を考えると気が重くなる。セルリアンと対峙するときとはまた違った、気の重さである。

「ヒグマさんみてくださいよ。こんなところにお花が咲いてる。店の人が植えたんでしょうかね? 」

「どうだろうなぁ、でも、こんな僻地でも咲いているんだから、良い根性してるよ」

 ここはかなり標高が高い。それに伴い、気温も下がるわけだから、植物にとっては過ごしやすい環境ではないだろう。そんな中でも、凛と咲いている白い花は、一種のサイキョ―なのかもしれない。

「あ、見えてきましたよ。あれですね」

 リカオンが指さす方向には、木造の建物が一つ。大きさはそれ程でもないが、木造ならではの温かい感じがした。木のいい匂いがする。中は、程よい明るさで、太陽の光を活かした設計になっているようだ。

「あ、今から三人入れるか?」

 奥の方からアルパカが現れた。白い体毛はもふもふでボリューミーである。しかし、案外暑いのが苦手とか。もしかしたら、夏場は大変なのかもしれない。

「うーん、そうだねぇ。あ、丁度今、席が空いたから。あそこに座ってねぇ」

「お、ありがとう。ここははじめて来るんだけど、大分、盛況のようだな」

「おかげさまでねぇ。口コミもあって、結構お客さんが来るようになったんだよぉ。ちょっと騒がしいかもだけど、ゆっくりしてってー」

 相変わらず愛想の良い感じだな。また、来たくなる雰囲気を醸し出している。

 さぁ、メニューを見ようか。文字が読めないフレンズも多いので、絵を使って視覚的に理解できるようになっている。このあたりはきっとかばんが手伝ったんだろうなぁ。サーバルは…… うん、きっと頑張ったんだろう。所々破れた、後ろのページは見なかったことにする。

「ヒグマさんは何頼みます? やっぱり、コーヒーですか? ヒグマさんって大人っぽいですもんねぇ。憧れます!」

「えぇ~、凄いですね! 私なんてまだ、砂糖を入れても飲めないのに! やっぱりリーダーの風格がありますね!」

 これだよ。所謂、ステレオタイプってやつだ。始めに言っておこう。私は大の甘党だ。しかし、残念なことに周りからは「大人の味がわかるフレンズ」として認識されているようだ。実際には苦いものは大の苦手で、大人の味なんて分かるはずもなかった。

「じゃあ、ヒグマさんはコーヒーで良いですね?」

 おいおい、ちょっと待て。なぜ勝手に話を進めている。私はまだ何も言ってないぞ。てか、なぜコーヒーをチョイスした。わざわざこの店で一番苦いものを選ぶとか、完全に倒しにかかってるだろ。

「あ、注文お願いします。あの~、このパンケーキ二つと紅茶を二つ。あ、ミルクも入れちゃってください。それからコーヒーをブラックで」

 ふぁ!? てか、同意も取らずに注文しちゃったよ。マジかよ。チームワークの欠片もないな。しかも、ブラックかよ。絶対無理だろ。

「あのなぁ、キンシコウ。同意も取らずに注文するのはモラル的にどうなんだ?」

「だって、ヒグマさんサイキョ―でしょう? それなら私たちに倒せない(飲めない)コーヒーを飲んでくださいよ~ それに大人っぽいヒグマさんにはコーヒーがよく似合いますよ」

「うんうん」

 うんうん、じゃねぇよ。それ趣旨違くない? 何、飲めないとサイキョ―じゃなくなっちゃうの? そうやってハードル上げていくの? やめてよ。その考え方、正直セルリアンより恐怖だわ。

「いや、サイキョ―って。物理的な強さだろ? 味覚的なのは違うんじゃないか……」

「ヒグマさんなら大丈夫ですよ。大人ですもの」

「そうですよ! ここはバシッと決めてください」

 お前らが頼まなきゃバシッと決める必要もなかったんだよ。これアレだろ。完全に私がコーヒー飲むの見たいだけだよね? ある意味見世物みたいになってるよね?

「はい、どーぞ。紅茶とパンケーキ二つずつとコーヒーね」

 迷うことなくコーヒーは私の元におかれた。底の見えないカップはもはや、この世の終わりであるかのように真っ黒だった。あぁ、もうダメだ。私はこの黒い液体に飲み込まれるのだ。私がこれを飲むのではない。コーヒーが私を飲み込むのだ。頭からゆっくりと飲み込まれていき、最後には存在が消滅する。

「わぁ、美味しいですね! 生クリームと紅茶の相性が絶妙です。ほんのり甘くて、それでいてしつこすぎない。素材の味を存分に引き立たせている感じがして、これはもう芸術ですよ」

 おい、なんでそんなに旨そうに感想言うんだよ。酷だろ、私が。しかも無駄に文学的だったし。こっちは黒いのと格闘してるんだぞ。死の危機だっていうのに、暢気なもんだ。

「うん、美味しいですね。盛り付けもセルリアンみたいだし、味もよく分からなくて美味しいです」

 下手!めっちゃ下手! なんでこうもギャップがあるんだよ。さっきキンシコウの聞いてなかったのか? なんだよ、「味がよく分からなくて美味しかった」って。矛盾してるだろ! 盛り付けがセルリアンに関してはもう、意味が分からないわ。お前の発言の方がよっぽどセルリアンだよ。ほら、アルパカさんめっちゃこっち見てるじゃん、絶対怒ってるよ。あれ、ハンターがセルリアン狩るときの目だよ。

「わぁ、嬉しいなぁ。感想ありがとね」

 なんで、喜んでるんだ!? あ、そうか。あれだな。場を上手く取り繕ってくれてるんだな。

「いやぁ、どうもうちの者が失礼をしちゃって。申し訳ない」

「うーん、私としてはコーヒー出してるのに、全く飲まないヒグマの方がよっぽど失礼だと思うんだけどなぁ」

 え~!? 好きなタイミングで飲ませてよ。それさえもダメなの? あ、でも二人が食べている時にずっと見ているだけだったからな。そりゃ失礼だよ。うん、そうだ。

「申し訳ない。もうちょっと冷めてから飲もうかなぁと思ってたんだ。猫舌なもんでね」

「へぇ、ヒグマさんってクマなのに猫舌なんですね」

「そ、そうだよ。悪いか?」

「あ、そうなの? ごめんねぇ、てっきりお気に召さないのかと。まぁ、ゆっくりしてってね」 

 ふぅ、これでようやく、コーヒーと対面できる。うん、思ったより香りは悪くないな。きっと味も美味しいんだろう(自己暗示)ほら、黒く透き通って見るからに…… 苦そうだ……

 私は覚悟を決めて黒い怪物と対峙することを決めた。まずは一口。苦い。この世の苦虫を全て噛み潰した味がする。一言で言うなら絶望。並の者では到底耐えられない一撃だった。

「なぁ、リカオン。アライさんが言ってたぞ『困難は群れで分け合え』と」

「私達、群れだったんですか?シラナカッタナー」

「見え透いた嘘つくなよ、もういい。二人とも先帰ってくれ。私はコイツを仕留める」

「でも、私達仲間じゃ……」

「いいから、帰れって。邪魔なんだよ!」

「……」

 二人は、とぼとぼと店を出て行った。いつもは頼れる背中が今日はやけに小さく見えた。二人のいなくなった席は酷く虚しく、むしろ圧力として私の心を締めつけた。

「強く言いすぎちゃったかな……」

 

 結局、店が閉まるまで、私はコーヒーを飲むことができかった。黒い液体は依然としてそこにあり、誰もいない空間と相まって悲しみを増加させてくる。

いや、もしかしたらコーヒーと向き合うことすら出来なかったかもしれない。頭の中はあの二人のことでいっぱいで時間が止まったようだった。

「あれぇ? まだいたの? 今日はお店おしまいだよぉ? コーヒーも全然減ってないし」

 そうだ、全然減ってない。むしろしょっぱくなってしまった分、量が増えてしまったかもしれない。

「ちょっと話を聞いてくるかい?」

「あぁ、いいよぉ。どうせもうお客さん来ねぇから」

「恩に着る」

 奥の方から心配したのか、アルパカが出てきてくれた。それだけで若干、心が楽になった。

「実はなぁ、私って、大の甘党なんだよ」

「そんなのぉ、最初から知ってるよ。なのになんでコーヒーなんか頼むのかなぁって不思議に思ってたんだぁ」

「え、知ってたのかよ」

「そりゃあね、このお仕事についてちょっと慣れてきたからね。大体お客さんが頼むモノってわかっちゃうんだ。でも、頼まれたもの持って来なきゃダメでしょ? しょうがなかったんだよね。一声かけてくれればよかったのに」

 うぅ、そうだったのか。

「でもなんか、自分のイメージを崩したくないっていうか。ここで私が声をかけたら、周りからの評価が下がってしまう気がしたんだ。リーダーとしての風格が損なわれるような……」

「ぺっ」

「うわ!? いきなり何すんだよ。危ないだろ」

「そりゃあね、間違ってるよ。カフェっているのは気軽に休憩できる所でしょ? それなのに変な見栄ばっかり張ってるのはね、なんか違うと思うなぁ」

「それでも、弱いところを見せたくないっていうか……」

「別に、良いじゃない。味の好みはフレンズによって、それぞれだよぉ。それに、折角チームでいるんでしょ? 変なプライド守るために、仲間に偽りの姿を見せるのって逆に失礼なんじゃないかな? それとも、仲間を信頼してないの?」

 信頼していないわけがないじゃないか。これまでにも三人で様々な死線をくぐり抜けてきた。この前だって、巨大なセルリアンと戦った。この二人のためなら、代わりに死んでもいいと思っている。でも、でも……

「わかない子だねぇ。はい、どーぞ。これでも食べて元気だしなよ。甘いの好きなんでしょ? あと、そこの柱の影のところ。二人ともいるんでしょ? 盗み聞きなんてしてないで出てきなよ。」

「あ、ばれてましたか?」

「キンシコウ! リカオン!」

「そりゃ、自分の店だからね。ちょっとしたことでもすぐに気付くよ~。それに、折角だからみんなで食べてってー」

 黄金色の土台に、白い塔。皿の上にはメープルの川が流れ、ミントの木が植わっている。

「ごめんなさい。私、ヒグマさんが甘党だなんて知らなくて。勝手なイメージで注文しちゃいました……」

「笑わないのか。子供っぽいって……全然イメージと違かっただろ。コーヒーも飲めないようじゃ……」

「そんな、笑うわけ無いじゃないですか。むしろ、可愛いじゃないですか。普段はちょっとおっかない所があるけれど、甘いのが好きなんてとっても可愛いですよ」

「そうですよ。好みなんてフレンズによって違うんですから。気にする必要なんてないですよ! というよりむしろ、調子に乗っちゃって申し訳ないです」

 ……どうやら私の勘違いみたいだったようだ。変なイメージを押し付けられていると思っていたが、私が二人を信頼できていなかっただけだったのだ。一言、私は苦いのが駄目だと伝えればよかったものの、変なプライドで言うことができなかった。結局戦っていたのはコーヒーではなく、自分の臆病な自尊心だったというわけか。

「ほら、冷めちゃうよー。早く食べなー」

 目の前には、宝物が沢山ある。どれも、素晴らしいものだが、ぼやけてよく見えない。

「じゃあ、食べようか」

『「はい!」』

 そのパンケーキはほんのりと甘く、しょっぱかった。それでも忘れることのできない味だった。あっという間に幸せな時間が過ぎ去る。

「もしかして、私が悩んでるのずっと見てたのか!」

「ふふ、あの時のヒグマさんの顔ったら、見たことない顔してましたよ」

「セルリアン相手にも動じない、ヒグマさんが、眉毛ひん曲げて悩んでるんですよ。面白くて面白くて」

「お前らなぁ!?」

「うわ、いつものヒグマさんに戻った!?」

 でも、こいつらも帰らないで、ずっと待っててくれたんだな。もしかしたら二人も悩んでいたのかもしれない。

 皿の上の料理は無事に無くなった。しかし、宝物は沢山残っている。これからはこの宝物をなくさないように、そして見落とさないように精進していきたい。


近くにいるからこそ、見えるものがある。

  近くにいるからこそ、見えないものがある。   

    近くにいるからこそ、見せたくないものがある。


  でも、その虚栄が鎖となり、体を縛るなら、さらけ出してしまおう。

 鎖は強固な縄となり、近くにいる者と自分を繋ぐ懸け橋になるかもしれない。

 

  見えなかった私がまた見え始めた。


 

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