作るひと
二人は、生まれたときからマンションのお隣さんだった。家族ぐるみで仲がいい。
祐希がたったの二日先に誕生した。そのせいか、やたらに威張る。実際頼りにはしているが、そのせいか保護者のようだ。
眞弓は自宅のかぎを開ける。鍵につけたクマのマスコットは自作だ。
「あたし、仕上げなきゃいけないから。ご飯出来たら呼んでね」
3LDKの家に入ると、祐希はすぐにキッチンへ。間取りは祐希の家と同じだ。眞弓はすぐに自室へ向かう。
「少しくらい休めよ」
「時間がもったいない」
溜め息が聞こえてくる。眞弓は無視して、部屋の扉を閉めた。
身軽なジャージに着替えると、机の前の椅子に腰を下ろした。眞弓の机は勉強のためではなく、テディベア制作のためにある。
去年の文化祭、手芸部の展示作品として並べたぬいぐるみを気に入ってくれた人が、自分のショップで売りたいと、買い付けをしてくれた。
PCメールをチェックする。新たにぬいぐるみの製作の発注と、現在進行中の作品の納期についてだ。大丈夫、余裕で間に合うと、カレンダーを見てひとりうなずく。
睡眠は夜、ベッドに横になるだけでいいけれど、特に用意が必要な食事は一番嫌いだった。食べると、歯を研かなくてはいけないし、動くのも億劫になる。面倒なことばかりだ。
常々、必要な栄養が一粒でとれる薬が出ないものかと考える。食欲中枢がおかしいのでは、と思う程、あまりお腹もすかないから、食べるのもさして楽しくない。
テディベアの完成は間近。あとは仕上げと梱包だけ。
毛足の長い薄いピンクの生地に、丁寧にブラシをかける。余計な糸屑がついていてはいけない。我が子を最高に可愛い状態にして送り出すのが親の役目だ。首に赤いリボンをかける。幅を調節しながら、何度かリボンを取り替えやり直し、ようやく、一番可愛く見えるリボン結びになる。
「可愛がってもらってね」
ぽつりと呟くのは、いつもの癖だった。その度、自ら生み出した愛くるしいクマはうなずいてくれる気がする。
「眞弓」
突然声がかかる。見つめていたテディベアがしゃべったのかと思い、自然に悲鳴があがる。
「出来た、って言ってんのに来ないから、部屋のぞいたら案の定」
「ごめん、没頭してた」
ぬいぐるみに声をかけていたのを見られ、いささか体裁が悪い。恥ずかしさを押し殺し、なにげなさを装って言う。
「眞弓のぬいぐるみって、なんか生きてるみたいだな」
ミントグリーンのテディベアを手にした。
「売り物なんだから、あんまり触らないで」
「可愛い我が子だもんなぁ。ほら、角度を変えると笑って見えたり、怒って見えたり」
テディベアの角度を変えて見ながら、普通の調子で言う。ふざけてはいないようだ。
ぽん、と頭を撫で、机に戻す。
眞弓はその的外れな言葉が嬉しかった。ただのぬいぐるみではなく、大切なものと認識してくれている証拠だから。
「ご飯、出来たよ。まずは自分が食べなきゃ、この子らも安心してオヨメにいけないだろ」
気が付くと、窓の外は暗闇に包まれていた。また時間を忘れていた。のろのろと、栄養のまわらない頭に命じ、不承不承立ち上がった。
食べなけりゃ死んじゃうって面倒なシステム。
体に布きれや糸屑をつけたままリビングに向かう。テーブルには、すでに色とりどり、見た目も美しい料理が並べられていた。
「祐希の料理なんて、テンションあがんない」
椅子につくと、ワイシャツを腕捲りした祐希が正面に座る。
「誰のだってあがらないだろ、どうせ。しばらく食べていないっていうから、体に優しいものにした」
しぶしぶ手前にあった雑炊のようなものを、レンゲで口に運ぶ。味付けは中華ダシのようだ。ニンジンの彩りが目に眩しい。わざわざ星の形にしてある。
味わってみて、あれ、と首をかしげたくなる。
別の皿に手を伸ばす。こちらは根野菜の煮物だった。箸を持ち、口に入れる。
前と違う、と味オンチの眞弓にもわかった。もちろん、髪の毛とは雲泥の差。
「祐希、腕あげた?」
尋ねると、にか、と笑顔になる。
「さすがの眞弓でも気付く程、俺の腕もあがったか」
スーパーに通い慣れた姿を思い出す。
「……やっぱ、キモくね?」
「は? なんだって?」
眉をしかめられ、慌てて言いつくろう。
「だって、料理ベタの祐希が、理由もなく料理なんてしないでしょ。わかった。好きな人に食べさせてるんだ」
言ってから少し落ち込む。
そっか、いるんだ。そういう人。
口からの溜め息を隠すように、にんじんを口に押し込んだ。
その問掛けには答えず、祐希も食事を始めた。出来には満足そう。
「家でも夕飯用意されてるんじゃないの?」
「別腹」
「その食欲わけてほしい」
祐希は軽く笑った。
思いつきで母親は旅に出てしまうし、父は仕事人間。眞弓はレンコンを口に入れた。歯ごたえのある食材に、あごがきしんだ気がした。
「おばさん、今度はどこ行ったの?」
「うーん、ナントカ遺跡とか言ってたけど、難しい横文字で忘れちゃった」
眞弓の母は、世界を旅する『旅人』だ。数ヵ月に一度はふらりとどこかへ行き、その間眞弓のことは忘れられてしまう。
「味どう?」
「うん、おいしい」
深く考えずうなずいた。レンゲで雑炊をすくい、口に含む。ダシの香りを感じながら、優しい味付けに心が温まる。
「眞弓がおいしいって、言った」
「祐希と食べる時って、いつも美味しい気がするけど今日は料理自体美味しいかも」
マジか、と呟き、何がそんなに嬉しいのやら、鼻をすすりながら笑顔で涙をぬぐっている。
「あのさ、テディベア作り、あんまり無理しなくていいんじゃないか。生活に困っているわけじゃないだろ」
父は人並みに稼いでくるし、母も旅行費用はパートで稼いでくる。だから眞弓が一生懸命になることはない。それは祐希も知っている。
「お金の問題じゃないよ。あたしの作品を、汗水たらして働いたお金で買ってくれる人がいるのが嬉しいだけ。ゴハンを食べるより有意義な事を見つけたの」
思わず熱を入れて話す。これが真実で、それ以上でもそれ以下でもない。体調管理が出来ないのは自己責任だ。ぬいぐるみ製作や、まして親が悪い訳じゃない。
「まぁ、眞弓がそう言うなら……うーん」
納得していないようだが、そこで会話は終わる。それと同時に眞弓の脳が満腹を知らせる。
「お腹いっぱい。ごちそうさまでした」
箸を置くと、急に眠気が襲ってきた。久しぶりのエネルギーを受け止め、体が休むことを思い出したようだ。
椅子から立ち、リビングのソファにころんと横になる。
祐希はテーブルを離れ、ソファの端にちんまり座る。眞弓は寝返りを打ち、顔を横にする。
「こうして、祐希とずーっと幼なじみでいられたらいいね」
今の関係はとても心地いい。だるい体は、素直な言葉を吐きだしていく。
「なぁ、眞弓」
「なぁに」
うつらうつらした目で見上げる。あまり見たことがない程、憂色を漂わせている。そんな顔をされると、眞弓まで不安になる。
「俺の彼女にならない?」
寝惚け眼を見開く。頭の中で、今作り上げたものが一瞬にして木端微塵に。幼馴染で、いつかお互い恋人が出来たら疎遠になる、そんな関係だと思ったのに。
「待ってよ。今更恋人なんて無理じゃ……」
「無理じゃない。眞弓には、俺がいなきゃダメなんだ。テディベアを優先するなんて言うから!」
そんなに頼りないか、と言い返したかったけれど、確かにその通り。祐希はこわばった顔のまま。緊張しているらしい。
「……だけど」
甘い雰囲気になんかなれない。祐希のカッコ悪い所を嫌という程見ているから。逆に、眞弓のカッコ悪い所も沢山見せてきた。それでもいいなんて、変。
「あたしは、恋人みたいに波のある付き合いは嫌だ。祐希とはずっと一緒にいたいから、今のままでいい」
「でも、俺は眞弓に彼氏が出来るなんて絶対嫌だ」
その言葉にはっと目が覚める。
「それは、嫌、だけどさ」
さっきの、誰かのために作られたと思って食べた料理を思い出す。あの時の、苦い気持ちを。
「今日の料理、うまかっただろ。また食べさせたい」
「うん、食べたい」
いやに素直に言葉が出る。酒じゃなくて、食べなれない料理に酔ったかもしれない。もしくは雑炊に酒を盛られたか。頭はぼんやりしたまま。
「だったら、俺の彼女になれ。じゃないともう作らない。生きるために食べなきゃいけないなら、少しでも美味しい楽しい方がいいだろ」
そうきたか。胃袋をつかむなんて姑息な真似を。なんとも歯がゆい。
あの料理が、自分のためだったなんて。お腹がじんわりと温まる。
眞弓はゆっくり体を起こすと、固い表情の祐希と目があう。
祐希は、眞弓と恋人同士になりたいがため、幼なじみの立場を捨てる覚悟をしたのだろうか。絶対嫌だといったら、この関係はなくなるかもしれない。それでも、気持ちをぶつけてくれた。
だったら。
「じゃあさ、結婚しよ」
眞弓の言葉に、今度は祐希が目を丸くした。
「け、けっこん?」
「恋人は嫌だけど、家族ならいいよ」
そうだ、それが一番だ。面倒臭そうだけど、祐希と一生一緒にいられる方法じゃないか。祐希の家族とは、すでに本物の家族みたいなものだし。今とたいして変わらない。
なんだか心臓が早いな。もしかして緊張していた?
眞弓はそれに気付き、顔を赤くした。満腹の勢いでとんでもないことを言ったかもしれない。あったまったせいか、体中から汗が滲んでいるのを感じた。
まいっか。眞弓は目を閉じた。考えるのが面倒臭い。
「本当か、眞弓。眞弓寝るな!」
そのまま、眞弓の頭は祐希の肩に崩落した。
自分が作ったぬいぐるみと遊ぶ赤ちゃんが脳裏に浮かぶ。その側にはキッチンに立つ祐希の後姿。
なんだろう、このイメージは。わからないけど、幸福な夢を見ていることはわかった。
了
キッチンに立つ幸福な夢 花梨 @karin913
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