舞蝶村の狂村
羊
第1話
ーーーーーーーーー〝帰ろう〟よーーーーーーーーー
呼び声が聞こえる。
ーーーーーーーーーねえ、まだ叶わないの・・・?ーーーーーーーーー
〝あの日〟からずっと、私にだけ届く呼び声。
ーーーーーーーーー〝帰りたい〟とは、まだ思えない・・・・・・?ーーーーーーーーー
それは〝私〟を縛る、呪いにも似た遠き呼び声・・・・・・・・・。
ーーーーーーーーー唄が聞こえるーーーーーーーーー
もうどれくらいの時間この電車に乗っているだろうか。
揺れる電車の中で座席に体を預け、電車の窓の外の移り変わる景色を眺めながら、ふとそんなことを考える。
しかしその考えを少女、遥睹和奏(ながみわか)はすぐに頭の中から追い出してかき消す。
どうせこの電車の終点である終着駅まで降りることはないのだ。だとしたらいつの時間からこの電車に乗っているかなんて意味をなさない考えだろう。
私はこの電車の終わりが〝あの場所〟に着くとわかっていたうえで飛び乗ってしまったのだから。
頭と思考がぼんやりする。何も考えられないし、考えたくもない。
ただ電車に飛び乗る直後からずっと、耳の奥、いやあるいは遥か遠くの〝あの場所〟から、〝唄〟がずっと聞こえ続けている。
「あの日」聞こえた童唄。
それは花一匁(はないちもんめ)、かごめかごめ、通りゃんせ等々、和奏の耳に届いて聞こえてくる度、様々な童唄へと変わってゆく。
そして耳に聞こえてくる度、和奏の思考を翻弄してゆくのだ。
まるで、そうまるで、
ーーーーーーーーー〝あの場所〟に早く戻っておいでと、誰かに手を引かれているかのような・・・・・・ーーーーーーーーー
「お姉ちゃん、綺麗だね。」
突然かけられた幼子の声が、深い意識の底に沈んでゆこうとしていた和奏の意識を引き戻した。
体をゆっくりと動かして声が聞こえた方に体を向けると、3歳か4歳ぐらいの一人の女の子が、いつのまに傍に来ていたのか、和奏の隣の座席に座って、輝かんばかりのつぶら
な瞳で和奏を見上げている。
体の気だるさを何とか振り払って、和奏は視線を女の子に合わせる。
「お姉ちゃんの髪の毛と目の色、海の色だ!とっても綺麗!!」
瞳をキラキラと輝かせながら、小さな女の子は和奏のショートに切り揃えられた髪と瞳を見続けている。
親と離れて電車内を探検していた子供だろう。
「お父さんか、お母さんは?」と和奏が小さな声で尋ねると、女の子は「あっちにいるよ」と、隣の車両の方を指さした。
「お姉ちゃんはどこから来たの?どこに行くの?」
「・・・終着の白露(はくろ)駅だよ。」
和奏に興味津々で、矢継ぎ早にいろいろなことを尋ねてくる女の子を静かに見やりながら、和奏は耳の奥でどんどん鮮明に強くなってゆく童唄に半ば意識を委ねていた。
ーーーーーーーーー君は此処に帰ってくるよーーーーーーーーー
戻ってくる、じゃなくて?
ーーーーーーーーー此処が君の魂の眠り場所なんだからーーーーーーーーー
自分の家じゃなくて?
ーーーーーーーーー必ず、必ず帰ってくるよ・・・ーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー振り返ってはダメ!!戻ってきてはダメ!!もう一度戻ってきたら、貴方は〝此処〟に囚われてしまう・・・!ーーーーーーーーー
〝そこ〟が、私の、帰る、場所なの・・・・・・?
ーーーーーーーーー戻ってきては絶対に、ダメよ・・・・・・ーーーーーーーーー
「帰りたいの?」
いきなり問いかけられた言葉に和奏は再び、先程よりも意識ははっきりと現実に引き戻される。
和奏の視線の下の先には、和奏の髪と瞳の色を綺麗だと言った女の子が、和奏を心配そうに見上げていた。
「早く帰りたいの?お家に。」
女の子のその言葉に、和奏は何故か無性に笑いだしたくなった。
その衝動を抑え、自嘲めいた笑みを小さく漏らした後、和奏は今度はしっかりと今も自分を見上げ続けている幼い女の子の方に向き直る。
「御伽話は好き・・・?」
ーーーーーーーーーこれは気まぐれなのだろうーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー私にはもうそんな感情など残ってはいないはずなのにーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーただ誰かに、〝私〟を少しでも覚えておいてほしい、なんて・・・・・・ーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー待っているからね、君が〝此処〟に帰ってくるのを。二人でずっと、待っているよ・・・・・・ーーーーーーーーー
和奏にとって終着の白露駅に降り立つのはこれで数度目だった。
この白露駅を出た先に、山間に囲まれたひとつの村、季縄(すえなわ)村がある。
忘れもしない、初めてこの地に訪れた日のことを。
ちょうど2年ぐらい前、今日と同じ快晴の日で、9歳になったばかりの頃、和奏は小学校の遠足でこの季縄村を訪れた。
あのとき訪れた日から自分は随分と変わってしまった。
人としての考え方も、自身の雰囲気も、人との接し方も、何もかも。
自分に話しかけてきてくれた幼いあの女の子は、白露駅の数駅前で母親である女性と一緒に降りてしまった。
もう二度と会うことはないだろうと考えながら、別れ際、母親に手を引かれながら、自分に笑顔でもう片方の手を振ってくれた女の子の姿を思い出す。
純粋に誰かを想う気持ちが人間の中で一番大切な感情だと信じて疑わなかったあの頃の自分の姿と重なる。
耳の奥ではいまだ童唄が聞こえ続けているものの、それと同時に軽い目眩と頭痛に和奏は襲われる。
(・・・ああ、〝まだ〟、なんだ・・・。〝まだ〟私は〝戻れない〟んだ・・・・・・。)
わかってる、わかってるよ、〝童唄〟。だからそんなに責めないでよ。
〝戻らなきゃ〟、じゃ、まだダメだってことぐらい。
だから、だからそんなに私を責めないで・・・・・・・・・。
額を手で押さえながら、今にもその場にしゃがみ込みそうな体を何とか踏ん張らせて立たせていたが、それも長くは持たず、和奏の体は一気に崩れる。
刹那、
「和奏ちゃん・・・っ!」
男性の誰かの声が和奏のいる周辺に響きわたり、次いで、駅のホームの地面に一直線に倒れかけた和奏の体を、誰かがしっかりと抱きとめ、支える。
和奏を抱きとめたのは、少し寄れたスーツを着た、純粋にかっこいいと呼ぶに相応しい容貌をした、20代後半ぐらいの年齢の長身の男性だった。
駅の改札口からもう一人、これまたハンサムな容姿をした短髪で長身の、カッチリとしたスーツを着た男性が走ってくる。
「先輩っ!」
走ってきた短髪の男性が、心配を含んだ声を上げる。
「流(ながれ)、すぐに車を出せ、戻るぞ。」
具合の悪そうな和奏を横抱きにした男性は、短髪の男性にそう指図した後、足早に和奏を抱き抱えたまま、駅の改札口を出ていく。
短髪の男性もその後に続く。
すると、先程まで風ひとつなかったというのに、初霜(はつしも)山の方から生温かく、それでいて妙に静かな風が吹きはじめてくる。
先程までとは明らかに辺りの空気が変わりはじめているこの場所に、和奏を抱き運びながら、眉間に皺を寄せていく。
まるで和奏を連れていくなとでも、山が言いたいかの様に。
そんな辺りの空気に、男性は和奏の身を自分の胸に引き寄せることで意思表示をした。
「渡しはしない」、と。
渡しはしない、自身が惹かれている少女ならば、尚更に。
揺られているような感覚に、和奏はうっすらと目を開ける。
辺りに視線を泳がせて、すぐに自分が車の後部座席に寝かされている状態だということに気付く。
「和奏ちゃんは大丈夫ですか?」
「ああ、いまは意識がないというよりも、眠っていると言った方が正しいな。帰りに和奏ちゃんの掛かり付けの病院に寄ってくれ。」
前の方から聞き知った二人の男性の声が聞こえる。そこでようやく和奏は、耳の奥で聞こえ続けていた〝童唄〟が聞こえなくなっていることに気付いた。
また〝戻ること〟は叶わなかったようだ。和奏は小さく自嘲の笑みを漏らす。
運転席に座って車を運転している20代前半の男性が宝田流(たからだながれ)、助手席に座っている男性が鹿渡啗樹(かどくらいつき)という名で、2年ほど前から顔見知りに
なった2人の刑事だ。
2人とも和奏が目覚めたことには気付いていないらしく、会話を続けている。
「わかりました。それにしても今日の朝、和奏ちゃんの様子見に行って正解でしたね。今日は学校は休みのはずなのに、朝の7時くらいに和奏ちゃんの家を訪ねても誰も出ない
んですから。すぐに先輩が嫌な予感がするって言って車に飛び乗ったおかげで、和奏ちゃんより先に白露駅に先回り出来たんですから。」
鹿渡啗は無言のまま、助手席の窓から見える流れる景色を眺めている。
「でも今日和奏ちゃんのご両親は2人とも仕事ですかね?」
宝田のその言葉に和奏は何故か無性に笑いだしたくなるのを堪えた。
「あの2人」は今日は共に仕事は休みで、昨日の夜から「お互いの相手(つまり不倫相手)」のところへ行っている、と言ったら、宝田はどんな顔をするだろうか。
もっとも隣の鹿渡啗はそのことに気付いている、もしくは知ってはいるだろう。
それでも何も言わないのは、自分を気遣ってくれているのだと和奏には分っている。
ーーーーーーーーー恋をしなさい。〝此処〟ではない「外」の場所で。そんな相手を探して、巡り合いなさい・・・ーーーーーーーーー
鹿渡啗の背を見つめながらふと、あの〝別れの日〟に言われた言葉を思い出し、小さく自嘲の笑みを漏らす。
それは鹿渡啗に僅かでも惹かれているであろう自分への、嘲りの笑みだった。
そんな感情を僅かでも抱いても無駄だということを和奏は知っている。
それは年の差とか、そういうことではない(だいたい、いまどきそんなことを言う人間は激しく遅れているし、古い)。
だって知っているのだ。鹿渡啗が何故自分を気にかけるのか、その訳を。
目覚めていることを気付かれないうちに、再び眠りの底に入るべく、和奏は静かに目を閉じた。
「でもあの初霜山って本当、曰くつきの場所ですよね。先輩のお姉さんも十数年前にあの山で行方不明になっている場所なんですから。」
宝田のそんな言葉を耳に聞きながら。
「さっき電車の中であのお姉ちゃんと何のお話してたの?」
母親が幼い女の子の手を引き、歩きながら、先程のことを尋ねる。
「内緒っ!あのお姉ちゃんとあたしだけの秘密なんだっ!」
女の子がとても楽しげに母親に答えた。
一つの御伽話を貴方に教えてあげる
お母さんにもお父さんにも絶対に話しちゃ駄目だよ
そうすれば今から話すお話は、貴方〝だけ〟の御伽話になる
9歳になったばかりの一人の女の子がいたんだ
どこにでもいる普通の女の子だった
あるとき小学校の遠足で、ある山をその子は訪れた
自然に囲まれたごく普通の山だとその子は思ってた
でも遠足の自由時間のとき、山の奥の方から〝唄〟が聞こえて来たんだ
最初は空耳かと思ったんだけど、確かに山の奥から〝童唄〟が聞こえてくる
でも、他の遊んでる子達には全然聞こえていないらしい
誰もその〝唄〟に気付かない
女の子は好奇心の誘われるままに、その〝童唄〟に誘われるように山の奥へ奥へと進んでいった
どれぐらい歩いただろう、ふと少女が気付くと、そこは山の中と呼ぶにはあまりに不釣り合いな景色が広がっていた
田園風景がどこまでも広がり、大きく豪奢な館が一軒一軒建ち並び、季節は秋のはずなのに花々は咲き乱れ、幾千もの蝶が舞っていた
そのあまりの幻想的な光景に言葉もでてこなかった少女の前に、一人のそれは美しい女性が現れたんだ
その女性は少女を見つけるなり、慌てたように元来た道を引き返せと背中を押してきた
少女が訳が分からずにいると、数人の男達がいきなり現れて、その女性に暴力と暴行を突然振るいはじめた
あまりに突然のことに、少女は頭がパニックを起こしへたり込んでしまっていたが、女性の「逃げろ」の一声に我に返り、一目散にその場から走りだしていた
しかし逃げ出した先で見た光景に、少女はさらに混乱とパニックに陥ることになる
村と呼ぶに相応しいかどうか分からない場所に走ってきた少女の眼前に広がっていたのは、生きた蝶を貪り食う女性、大人の男性を奴隷のように傅かせている子供達、獣と呼
ぶべき生き物と全裸で性交を交わす人々など、とにかく異常としか言えないような光景がそこには広がっていた
あ、ここら辺の意味はわからなくていいよ、わかったとしてもいいことじゃないからね
お話を戻すけど、少女はあまりの諸々の出来事に、ついに絶叫を上げて意識を失い倒れてしまったんだ
目が覚めたとき、少女は豪華すぎる造りの部屋の大きなベッドに寝かされていて、傍には先程の女性が包帯だらけの姿でその子を看病してくれていたんだ
するとその部屋にもう一人、逞しさを感じさせる男性がにこやかな笑顔を浮かべて入ってきたんだけど、少女を怯えさせたのは、その男性の体にべったりとついた返り血らし
き血と、部屋の外に転がされていた血まみれの男達の姿だった
少女はすぐにその男達が、先程自分の傍にいる女性を暴行していた男達だと悟る
笑顔を絶やすことのない男性は、少女に此処は〝舞蝶(まちょう)村〟という名で、「外」の季縄村では別名〝狂村(くるいむら)〟と呼ばれる村であるということを教え、
さらにこの村は外界の人間は決して辿り着くことは出来ない古の村であることも教えた
ではなぜ自分は辿りつけたのかと問うた少女に、男性はただ笑みを浮かべ、女性は少し悲しげに顔を俯かせるのみだった
「外」に帰る術がわからぬまま、舞蝶村で幾ばくかの日を過ごした少女は、自身が滞在している館の主人のような男性が舞蝶村の村長であること、自分の世話をしてくれてい
る女性が、自分と同じく「外」の世界から来た者であるということを知る
男性は少女に様々な知識を教えてくれては、少女に問いをする
普通とは、狂うとは、異常とは、生きるとは、死ぬとは何だ?、と
女性は少女に惜しみない愛情を注いでくれながらも、諭すように言い続ける
貴方はまだ引き戻れる、今ならまだ間に合うはずだ、と
男性と女性が少女に注ぐものは、自分ではなく己の仕事しか見ていない少女の両親からすらも与えてもらうことはないものだった
そして少女は気付く
この村で毎日のように起こる狂った事柄を、自身の中で異常とは感じなくなりはじめていることに
それに気付き、自身に怯える少女を見た女性は、その夜、少女の手を引き村を出た
走りながら村を出る道すがら、女性は舞蝶村に入ることができるのは、〝山に選ばれた者〟だけだということを話して聞かせる
何故舞蝶村が存在するのかはわからない、何故皆があんなに狂った様でいるのかも、もしかしたら理由などないのかもしれないと
ただ一つわかるのは、自分達のような山に選ばれ続ける者がいる限り、あの村は存在し続けるのだ、と
ならば共に「外」に帰ろうと口にする少女に、しかし女性は緩く首を降り、自分はもうそれが出来ないのだと少女に告げる
そして薄暗がりの中、一本の道を指さし、この道を進んでゆけば「外」に出られる、この〝帰り道〟は満月の晩にしか現れることはないのだと教えながら少女の背を押す
女性の言うとおり少し進んだ少女はためらいがちに後ろを振り返り、つかの間呼吸をすること忘れてしまう
そこにはいつの間にか女性を愛おしげに抱き締める村長の男性がいて、女性は男性の腕の中で、少し悲しげな、けれどとても幸せそうな表情をしていた
夜風に花々は揺れ、幾千もの蝶の翅が光の粒をまき散らせるかのように光り輝いている
心奪われてしまいそうなほどの幻想的な光景に呆然と立ちすくんでいる少女に、男性と女性の言葉が重なって届く
必ず君は帰ってくるよ・・・・・・
決して帰ってきては駄目・・・・・・
気付いたとき少女は遠足に来ていた山に帰ってきていた
少女は「外」の世界で数週間行方不明になっていたらしく、警察やら捜索隊やら来ていて、大変な騒ぎになっていた
おかしいね、少女が舞蝶村で過ごしたのはたった数日のはずなのに
少女は舞蝶村のことを誰にも言いはしなかった、記憶がないと嘘をついた
何故嘘をついたのか少女本人にもわからなかった
警察に保護された後、少女が山の下にある村の住人から聞いた話によると、その山では数十年に一回の割合で、必ず行方不明になる者が出るらしい
不思議なことに、数週間後ぐらいには行方不明になった者は必ずと言っていいほど発見されるらしいのだが、何故か皆行方不明になっている間の記憶を失くしているのだと言
う
そしてその行方不明になった者は数年後、再びこの山を訪れ、山に入った後、二度と見つかることはないということだった
村のお年寄り達は言う、〝狂村〟に誘われて行ったんだ、と
村に生きる命ある全ての者が一人残らず狂っているとされる、この辺りの山間地方に古くから伝わる古の村
時折山が人間の中から誰かを選んでは、〝狂村〟へ捧げているのだという
そんな嘘みたいな御伽話のような言い伝えを、しかし少女は自分を保護してくれた者達のように笑い飛ばしたりなどせず、ただ静かに考えていた
自分に残されている「外」の世界で生きる時間は、後どれぐらいなんだろうか、ってね
お話はここで終わりになるんだけど、実はその女の子はそれ以来、ちょくちょくその山を訪れているんだ
え?どうしてか、って?
その女の子もはっきりとした明確な理由はもっていないんだ
でも多分、その子はその村に「自身の魂の眠り場所」、みたいなものを見出してしまったんだろうね
ごめんね、私も何を言ってるのかよくわからないんだ
ちなみにその子は、まだ〝その場所〟には戻れないでいるらしいんだけどね
さあ、もう大切な人のところへ戻らないとね
いま話した御伽話は忘れてくれてもいいからね
・・・覚えていてくれる、の?
・・・・・・ありがとう、貴方は優しい子だね
「あのお話の女の子・・・、もしかしてあのお姉ちゃんなのかなあ・・・・・・?」
先程和奏に聞かせてもらった御伽話を思い出していた女の子は、ふとそんな考えに行き当たる。
「どうかした?」
女の子の手を引いていた母親が、女の子が口からもらした言葉を耳にとめ、声をかける。
「ううん、なんでもない!」
女の子は母親に笑顔でそう答え、母親の手を強く握り返し、歩みを速めた。
もう会うことはないであろう、和奏の姿を頭の隅にとどめながら。
車に揺られながら、和奏は眠りに落ちる寸前、〝懐かしい声〟を耳の奥で聞いた。
ーーーーーーーーー私には弟がいるの、「外」にね。もう会うことは叶わないだろうけどーーーーーーーーー
不思議なものですね、巡り合わせというのは。
ーーーーーーーーー「樹」という名前なのよーーーーーーーーー
貴女の弟といま私は関わり、知り合いになっています。
貴方はいまも、あの村長の方の腕の中にいるのでしょうね。
貴方方二人と別れた満月の夜の晩の光景を、忘れることは私にはどうしても出来ないのです。
私が再び舞蝶村に〝帰れた〟ときは、私と弟さんが出会った話からどうか聞いてくださいね。
一人の美しい女性が、自身の人差し指に止まらせた蝶を見つめている。
女性の足元には大輪の花々が咲き乱れ、木々の間を吹く風が女性の灰色に近い腰まである長い髪を揺らしてゆく。
女性の周りには幾千もの蝶が舞い飛んでいた。
まるで美しい一つの絵画を見ているかのような幻想的な光景の中、逞しい体躯をした一人の男性がその女性に近づいてゆく。
「あの子が近くまで来たみたいだね。」
男性のその言葉に女性が蝶に向けていた視線を男性に移す。
「〝山〟が喜んでるよ、あの子が〝此処〟をずっと忘れないでいてくれてるって。〝山〟だけじゃない、〝この場所〟の蝶も花も木も風も皆喜んでる。君も感じてるだろ?」
男性のその言葉を肯定するかのように、女性の人差し指に止まっていた蝶が、女性の指を離れて空に飛んでゆく。
「あの子は〝此処〟に帰ってくるよ。」
男性のその言葉に顔を俯かせた女性は、小さく首を振る。
「あの子は帰ってくる、必ずね。」
もう一度言葉を繰り返した男性は、女性の腕を掴むと、女性を自分の腕の中に閉じ込める。
「本当は君が一番わかっているはずだよ、朝陽(あさひ)。」
女性は男性の腕の中で少し悲しげな表情をして目を閉じると、ポツリと言葉を紡いだ。
「・・・もし、あの子が帰ってきたときは、あの子を私達の子供にしてください、甜亭(てんてい)。」
男性の腕に手を添えながら紡がれた女性の言葉に、男性は穏やかな笑顔で言葉を返す。
「最初からそのつもりだよ、あの子は俺達の子供に相応しいからね。」
男性のその言葉をまるで喜ぶかのように、風が一際強く吹き、花びらと幾千もの蝶が天高く舞っていった。
ーーーーーーーーーいまはまだ、空ろな「外」たる現し世の、浅く儚き夢を見ているーーーーーーーーー
舞蝶村の狂村 羊 @akishino
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