僕と死神ちゃん／B面

リバース

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Ｂ面

「で、アンタ……どうすんの？　もう逝っちゃう？」

　彼女は両手を後頭部に回しながら、ややぶっきらぼうに言った。

　その瞳にはどんよりとした光が踊り、口ほどに『面倒くさい』と告げている。

　通学途中の僕の前に立ちふさがった彼女は、一言で表せば女子高生だ。地毛なのか染めたのか、ダークブラウンに輝くロングヘアー。ぱっちりとした二重に、厚ぼったさが色気を感じさせる唇。黒と見まちがうほどの紺色ブレザー、膝丈のプリーツスカート。対照的な真っ白いブラウスと、その胸元に飾られた鮮やかな赤いリボンか目をひいた。

　非常に愛らしく、好みの女子高生。僕の高校にもかわいい子はいるが、これほど目を奪われた子はいなかった。

　同時に、どこか懐かしさを感じさせる容貌が、心に棘のように刺さる。

　だが、違う。

　彼女は普通の女子高生にないものを持っている。

　この世に生きとし生ける者であれば、あるはずのないものだ。

　それは、真っ黒で巨大な翼。

　広げれば身の丈の二倍以上はあり、見る者を威圧する。

　そして同時に、禍々しさを否応なしに感じさせる。

　蝙蝠……いや、空想上の悪魔が生やした翼が、彼女の背中から生えていたのだ。

「さっさと決めて。早くしないと、駅前の限定メロンパンが売り切れちゃうから」

　その夜のような翼を広げて、彼女は苛立った調子で僕をせかしたのだ。

　僕の生死を――。

　――数分前。

　その子は、唐突に僕の前に現れた。否、正確には舞い降りてきた。

　友人たちに「無感情」と揶揄される僕も、これはさすがに顔色を変えた。なにしろ、悪魔じみた翼が生えた女の子なのだ。どうせなら、天使のような翼のが見たかったと場違いに動揺するほどには驚いた。

　それでもやはり、あまり表情には出ていなかったようだ。

　翼をはためかせながら、ふわりと優雅に舞い降りた女の子は、眉をしかめて開口一番に疑問を口にした。

「……アンタ、なんでワタシが現れてもそんな平気そうなワケ？」

「え、ああ。いや……ごめん。驚いたよ？」

「ウソくさ。ホントだとしても、すごい図太い神経してると思うよ」

「はあ、それはどうも。……で、何それ？　コスプレ？」

「はあ！？　コスプレで空なんか飛べるわけないでしょ？　死神よ！　し・に・が・み！　見りゃわかんでしょ！」

「死神……？　どう見ても女子高生がコスプレしているようにしか……。もっとこう、ガイコツの顔とか、ボロボロのローブとか……あと、ほら、鎌とか？」

「古くさッ！　アンタ、まだそんなイメージ持ってんの？　今、何年？　二〇一七年でしょ？　それって確か五百年前くらいの流行じゃん。今の女死神のトレンドはこういうのなの！」

「五百年前って……キミ、今いくつなの？」

「歳？　取るわけないじゃん。死神なんだから」

「はあ」

　つまり彼女曰く、コスプレではなく正真正銘の死神だという。

　そういえば今朝、ベッドから落ちてしまったが、その時に頭でも強く打ったのだろうか。

「あの、それで……その死神……ちゃん？　が、僕に何の用ですか？」

「死神ちゃんって……急に距離詰めてきたね、アンタ……。まあ、いいや。えっとね、アンタは今日、これから死んじゃうから、それを教えに来てあげたの。どう？　優しいでしょ？」

「え……僕、今日死ぬの？」

「……ねえ、やっぱびっくりしてなくない？」

「いや、心底驚いてるよ」

「ウソくさッ！」

　コロコロと表情の変わる死神ちゃんに、思わず微笑んでしまう。こんな女の子がクラスメートにいたら、楽しみが増えたに違いない。

「へえ～。アンタ、そういう表情も出せんじゃん」

「……それはどうも」

「で、アンタ、どうすんの？　もう逝っちゃう？」

　感情表現と同期しているのだろうか。死神ちゃんは暗幕のような翼を威嚇するように広げると、苛立った調子で続ける。

「さっさと決めて！　早くしないと、駅前の限定メロンパンが売り切れちゃうから！」

「ちょ、ちょっと待って。せめて、もう少し詳しく聞かせてくれないの？」

　死神ちゃんはため息混じりに腕時計を見ると、不承不承に口を開いた。

「……答えられる範囲でなら、ね」

　僕と死神ちゃんは、とりあえず駅前のファストフード店で話をすることにした。授業はとっくに始まっている時間だったが――

「いいのいいの、どうせアンタ死ぬんだから、行くだけ無駄だって」

――と死神ちゃんが言うので、お言葉に甘えてサボることにした。確かに死んじゃうなら、学校なんて無駄だろう。

　僕は女の子――と言っても死神だけど――と一緒にいる手前、飲めないくせにアイスコーヒーをすする。これはいわゆる、お約束。なんていうのか、心を落ち着かせるための儀式みたいなものだ。

　死神ちゃんは、チョコサンデーをぱくぱくと口に運んでいく。

　もちろん、チョコサンデーは自分で店員に頼んでいた。つまり、ほかの人にも彼女の姿は見えているということだ。そうなると、気になることがある。

「死神ちゃんも、普通に食べたりするんだね……」

「そりゃ、そうよ。現界にいる時は、普通の人間と変わらないもの」

「じゃあ、普通におなかすいたり、冷たいと感じたり、殴られれば痛かったりもするの？」

「そうそう。人間のフリをしている今はね」。

「でも、翼は……？　なんかほかの人、誰もつっこまないけど」

「見えるべき人にしか見えてないのよ。翼が見えるのは、その死神が担当する相手だけ。つまり今、ワタシの翼が見えてるのは、全世界でアンタだけ」

「ふーん……。みんな、死ぬときには死神が来るの？」

「ううん、そんなことない。抽選だよ、抽選。今回はアンタが当たった。それだけ」

「抽選って……」

　チョコサンデーを平らげて、スプーンをカランとならした死神ちゃんは、頬杖をついて僕をまっすぐ見つめてきた。見つめかえせば吸いこまれるかのような、深くて大きな黒い瞳が僕をとらえる。

「改めて説明したげる。おめでとーございます。今回アンタは、晴れて当選しました。当選したアンタには、ある権利が与えられまーす」

「……権利？」

「そ。……アンタに死ぬタイミングを選ばせてあげる」

「死ぬ……タイミング？」

「普通さ、死ぬのって突然なワケよ。事故、病気、エトセトラエトセトラ……。でね、抽選に当たった人は死神が一日付いて、その人を死から回避させてあげるの。事故だったら、そこに近付けさせない。病気だったら、その原因を一時的になかったことにさせる。でも、『アンタが今日死ぬ』という事実は変えられない。今日の二十三時五十九分五十九秒までに、必ず死んでもらうから、そのつもりで」

　とてもじゃないが、信じられない話だった。でも、僕をとらえる死神ちゃんの明眸は、それが真実だと僕の意識に焼きつけてくる。否定などできやしない。できるわけがない。背中の黒い翼が、すでにそれを物語っている。

「あと、当選者への特別サービスとして、苦しまずに死ねまーす。よかったね」

「……そっか、お得だね」

　僕がそう呟いた瞬間、死神ちゃんはこれまた大きなため息をついた。

「……アンタさ、ずっと気になってたんだけど……ゼツボーとかないワケ？」

「……絶望？」

「普通さ、自分が『今日、死ぬ』って知らされたら、もっと抵抗したり、喚いたりしない？　今までワタシが担当してきた人、みーんな『死にたくないー！』とか『許してくれー！』とか、泣き言ばっかで大変だったんだ、け……ど……」

　散々、まくしたてた死神ちゃんは、ずいっ、とこちらに顔を寄せて囁いた。

「……アンタ、死にたいの？」

　その言葉の衝撃に、僕は死神ちゃんの瞳から逃れられた。

　そして僕の視線は、ガラス越しの外へ逃げていく。

　いい天気だ。こんな日に死ねる人は、素晴らしく幸福かもしれない。

「死にたい……のかも、しれない」

「はあ！？」

　死神ちゃんの驚愕に、店内の他の客が一斉にこちらを向いた。

　僕はその集まった視線に気まり悪く愛想笑いをふりまく。

　そしてふりまきながらも、自分に問う。死にたいというより、死ぬべきかもしれない。分からない。わからないが、僕には悩むべき理由がある。

　僕は視線を死神ちゃんに戻し、黒い瞳を正面から見つめた。底の見えない闇のような穴を見つめていると、ふわっとした恐怖感が胸に巣食う。そして、僕の闇を疼かせる。

「……死神ちゃん。死ぬタイミングは僕が決めていいんだよね？　……だったら、行きたい場所があるんだ」

　昼下がり。

　僕たちがついたのは、街の郊外にある、とある墓地の入口だった。

　背中にチリチリとあたる日差しを受けながら、僕は立ち並ぶ墓石を眺めながら、死神ちゃんへ懺悔するように口を開く。

「……僕の時間は、三年前からおかしくなっているんだ。……大好きだったあの子が死んでから」

「……あの子？　……ねえ、その子の名前は？」

　僕は死神ちゃんにあの子の名前を告げた。

　すると死神ちゃんは、どこからかスマートフォンのような端末をとりだし、操作を始める。

「んーと……ああ、この子か。三年前に事故か……」

「うん。ボクはその事故の現場にいたんだ。死の間際……抱き上げた彼女の苦しむ顔……を……見て……僕は……僕は……」

　奥歯をかみしめて、崩れそうな顔に力を入れる。

「好きだった。でも……」

「…………」

「……馬鹿だよね、僕は。あの瞬間、やっとわかったんだ。死って……簡単なんだって。生きている間に、伝えたいことを伝え、やりたいことをやっておかないといけないんだって。だから僕は、それからも好みの女の子を見つけて、頑張って仲良くなったりして。でも……」

　そこでフッと全身から力が抜ける。きっと今、僕の顔は情けないことだろう。でも、僕は構わず、その顔を死神ちゃんに向けた。

「でもさ……僕はきっと呪われているんだ。僕が好きになった四人、みんなもうこの世にいないんだよ。そしてもう好きな人も現れてくれなかった。そのせいかな。ここ最近、心から笑えなくなっちゃったんだ。この先、僕はまた別の恋をするのかもしれないとも思った。……でも、今はそんなこと、どうでもいい気分なんだ」

「……それで、死にたいのかもしれない、なんて言ったわけね」

「僕は今日、死神ちゃんが来てくれて嬉しかった。また、やっと……逢えるって思ったから……」

　そこまで言ってから、僕は墓地の中に足を進める。

　背中に、死神ちゃんがついてくる気配を感じながら。

「……アンタさ、その子にまた逢えるって、思ってる？」

「……逢えないの？」

「いや、逢えるよ。逢えるには逢えるんだけど……すぐには無理かも」

　僕は首をかしげる。あの世に行けば逢えるなんて、今までは信じてなかった。けど、死神ちゃんと出会ってからは、ありえると思っていたんだ。

「……言い忘れてたけど、アンタが行くの、地獄だから」

「……地獄？」

「うん。理由は言えないんだ。規則だから。私も教えてもらえないし。……でも、でもね？　最近は地獄もすごい良くなって、昔は血の池だー、針山だー、とかなってたけど、そういうの古臭いねってなってね。今は、アンタたちで言う刑務所？　みたいな？　罪の重さ如何によっては、ちゃんと働けば天国に行けるから」

「……あの子は――」

「さっき端末で見たけど、最初から天国にいるよ。だから、あんたが頑張って地獄で更生すれば、いつか、きっと逢えるよ」

　そっか、と呟いたころには、目的の場所に着いていた。

　あの子の眠る、お墓。

　冷たい鼠色に石に、難しく長ったらしい名前が彫ってある。

「花ぐらい、持ってくればよかった……」

「アンタ、別れの挨拶に？」

「ん、そうかな。でも、死神ちゃんの話を聞いたから、彼女に別のことを伝えることにするよ。また、君のあの素敵な顔が見たいって……」

「……そっか」

　今なら信じられる、感じられる。

　あの世も、悪くはないのかもしれない。

「死神ちゃん」

「ん？　なに？」

「僕って、本来であればどう死ぬ予定だったの？」

「んー、ごめんね。それも言えないんだ。……ただ、ホント、苦しまずにあっちへは行けるから。それだけ安心して」

「……ん」

　あの子の墓を後にした僕たちは、最寄駅のホームに戻っていた。

　心地よい風で熱くなり始めていた体を冷やされ、僕はやっと気がついた。僕に生死は関係なかったんだ。ただ、あの素敵な顔をもう一度、見ることさえできるなら、あの世でもこの世でもどこだって……。

「……アンタ、もういいの？」

「うん。ありがとう。……もう、大丈夫」

「そ。仕事が早く済むから助かるわ……って、ああ！」

「な、なに！？」

「駅前の限定メロンパン……買いそびれた……」

　思わず笑い声が出た。

　たぶん、それはただのきっかけ。不思議と、笑いが止まらなくなった。

　ああ。こんなにちゃんと笑ったのは、いつ以来だろうか。ううん。これほど開放的に笑えたのは初めてかもしれない。

　僕はこの後の最高の喜びに思いをはせ、心から笑えたんだ。

「笑いすぎ！」

「……ご、ごめん……。ねえ、死神ちゃん」

「もう！　今度はなーに？」

「……僕もさ、死神になれる？」

「アンタ、こんな仕事したいワケ！？　試験に合格すればなれるけど……試験だってそんなに簡単じゃないんだからね」

「……大丈夫だよ」

　ホームに列車接近のアナウンスが流れる。郊外の、しかも平日の真昼。ホームに人はいない。

　列車がどんどんと近付いてくる。

「だって、あの世に送るのが死神の仕事なんでしょう？　だったら――」

　大きく息を吸い込む。緑の香りが、体いっぱいに蓄えられる。

「――僕にもできる。それじゃ……先に逝ってて！」

　それを一気に吐き出すのと同時に、僕は死神ちゃんの体を思い切り突き飛ばした。

「――なっ！？」

　咄嗟すぎたのか、その体が翼を広げる事もなく電車の前で舞い踊る。

　僕が死ぬわけでもないのに、全てがスローモーションに見える。

　――ああ、そう！

　その顔だよ……。

　絶望、苦痛、恐怖……。

　歪んだ眉……。

　理解できず恐怖する瞳……。

　震える唇……。

　なんて素敵な顔なんだろう。

　五人目が見つからなくて絶望していた僕に希望を与えてくれた、死神ちゃん。

　その表情に、あの子の面影が重なる。

　それが電車の正面にぶつかって……ああ、ぐしゃっと弾ける。

　……ああ……飛んでいく……あの世に……。

　死神ちゃんのその表情を脳裏に焼きつける。

　ああ……イク……。

　――僕も後から逝くからね。

　みんなも待っていて。

　あの世でもまた、あの素敵な顔にさせてあげるから……。

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