――允武狂躁編――

第八幕


 風がおうおうとこずえを揺らす。

 広葉樹の森が造り出す樹冠じゅかんの内部で、暗い空の色と猛り狂うかのような突風に、小動物たちが震え縮こまっている。

 鳥も虫も羽搏はばたきをやめ、その身を密やかに。


 太陽は中天――最も高い位置にあるにも係わらず、その輝く真円のふちが次第に浸食されていくかのように欠けていく。


 日食が起こっているのだ。


 雲もないのに次第と薄暗くかげっていく空の色。

 それに呼応するかのように無分別に強い風が巻き起こっている。森端の木々を斜めにかしがせ、平野の草花をむしり取る勢いで吹き荒れていた。


 大気そのものが怒り狂ったかのようなその場所――森を見渡す平野の只中に配された大岩の上に、影が一つ。

 その自然石の台座の上にて、白き獣が吹き荒れる風を一身に受けつつもまるでたじろかずに立ち臨んでいた。

 

 その体毛は皚々がいがいとし、まさに新雪のような汚れ無き白さを纏った獣だった。

 一見すれば大きな犬のようだが、その上腕からの橈骨とうこつにかけての太さや上下の顎骨の厚さは虎や獅子を彷彿ほうふつとさせる佇まいである。


 白き獣は大岩の頂上から、眼前に広がるその森を視界へと収めている。


 しかして、見つめるそこは森ではない。

 森の最中に、まるでもやが立つかのような黒い吹き溜まりがある。それも一つや二つではない。

 木々の合間に、得体の知れぬ、こんもりとうずくまる影が無数。


 鳥や動物たちが姿をひそめてっと動かぬでいるのは、果たして荒れ狂う風でも空の所為でもなかった。

 そこには、黒々とした内にらんと光る赤い眼を宿したおぞましき”異形”共がいたのだ。

 

 その姿は実体を持つようでいて、しかし、霧に包まれたかの如く確然とはせず、ただその魔性の瘴気だけがその場にわだかまって形成を得たかのよう。

 

 白き獣は微動だにせず、こちらへと次第に広がり迫るかのような無数の影をただ見据えている。 


 やがて、その影共の中から、さらに異質なるものが姿を現した。


 さながらその暗色の霧が凝固し、確たる実体となりて顕現したかのような一体。

 木々と草地のその境界を越え、おぞましきもたくましい足取りで、今まさに太陽がどっぷりと黒く染め上げられたその下に立った。


 ひぐまを優に凌駕するかのような体躯を持った、やはり黒色の獣であった。


 体毛は黒々と太く、針のように鋭く尖っている。しかし、縞模様のように所々で禿げ、薄紫に変色したその地肌を見せる。毛が抜け落ちているというよりは、皮膚そのものが剥がれ落ち、ケロイドと化したその箇所を垣間見せるかのようであった。

 背中に、巨大な鉄杭が中ほどまでは突き刺さっている。それらが計七本。連なる鉄環にて一繋ぎとされたまま、何かの儀式か刻印かのようにびょうされているのだ。


 その黒色の獣が二本足で立ち上がる。

 まるで人がそうするかの如く、肩幅に後ろ足を開いて、前腕を左右に大きく広げた。


 そして、とどろく暴悪なまでの咆哮ほうこう

 

 後ろの森に控える靄ついた影共もそれに呼応するかのように、その実体かも定かでない夢幻の身を震わせた。


 未だしばらく、その様子を窺い待つかのようだった白き獣。

 ここに来て、彼もまた嘯吹うそぶき、天空に向けて高らかなる声を上げた。


 それは狼たちの遠吠えとひとしかった。

 雄々しく、どこまでも勇ましく、けれども月夜の空に響くそれとたがわず、ひどく物悲しげなものであった。



 今まさに――

 おうおうとく風の声をまとい、二色の獣が、陰と陽が混合せしめしその機に在りて、ただ己が肉体同士をぶつけ合おうとしていた。





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人狼口碑――リカントロープ―― 猫熊太郎 @pandlanz

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