未来の話をしよう   

 青い清々しい空に、ワタのような入道雲。そこにたかが舞飛ぶ。整えられていない道にりすが駆け回り、建物にはつばめが巣をかけている。

 バルダーナが、三か月してからやってきたのはやはり鍛錬所だった。額の傷はすっかりふさがった。痕は残ったものの市井人として生きていくのに困るほどではない。

「おーいタング、来てたんだな!」

 そういうと、バルダーナはパタッと寝てしまう。

「こりゃ! また床などに寝て! ふーむ。それもこれも呪いのせいなんだな?」

 バルダーナはすっかりふっきれたように、

「だろー? オレ様キンベンだから、逆転してダラケてんだ」

 カーッとあくびをして、ボリボリと頭をかく。

「やる気満々だった証拠じゃねーか」

「だな。しかし才能のなさは今更だな。どうしたことやら」

「タング……おまえな」

 バルダーナはそれでも眠たげだ。

 鍛錬所はグレードアップしていた。奥の壁にはヘラジカの角が飾ってあり、団員が休む席が設けられ、窓からは光が入り、清潔に保たれている。すみの方には黒塗くろぬりの物騒ぶっそうな道具類が並んでいる。

「お! 久しぶりだな、三か月ぶりか、バルダーナ?」

 ミランダが第一声、挨拶してきた。

 バルダーナはスッとてのひらをミランダに向けて断りを入れる。

「オレアもう、暗殺者なんて、目指さねーんだ。どうせ誰にも認められねーし。そんなんいやだし。ラクシュだって軽蔑する」

「ラクシャーサ様はご立派だ」

「オメーもタコだな」

「呪いの勾玉、まだとれないのか?」

「んなこと聞いてくるのもタコだ」

 宿屋の入り口に、丸い大きな影が、日光を遮って近寄ってきた。

 バルダーナとミランダは床の上で問答している。面倒くさそうな顔のバルダーナ。

 ギギムが入ってきながら中を見回すと、

「ここもずいぶんと幅をきかせるようになったな。暗殺集団などという厄介者の塊のくせに」


     ×   ×   ×


 国は平和だ。とりたてて言うこともない。人々も、たまには愚痴やボヤキをもらすが、いたって穏やかだ。……いや、そう見えていた。

 しかし、今や不穏にきしむ空気があたりを包み込んでいた。

 ミランダは急いで琥珀村の村長に知らせに走った。

「おい! サンタナ!! たいへんだ!!!」

「え? バルダーナがどうしたと?」

 ミランダは歯ぎしりして、

「じーさんめ! のんびり茶なんかすすってる場合か!」


     ×   ×   ×


 暗い森の中、小動物の気配も、小鳥たちの鳴き声もしない。木漏れ日すらない。

「おまえの親はどういう了見で、この私にたてつくような子供を育てたのだ。おや、親さえいなかったのか? おまえは」

「……!!」

 茂みから男たちが一部始終を覗き見ていた。

「おい助けてやれよ!」

「冗談じゃねえ、おまえが行けよ!」

「もとはと言えば、バルダーナの奴がいけねんだ。国のみやつこなんかに逆らうから!」

 首をつかまれ、正面からにらまれて、唾を吐くバルダーナ。

「そのきたねえ手を離せっつんだ!」

 大の男の腕をふりほどき、

「だれがてめーの言うことにおじけづくか!!」

 ギギムはさも不思議なものを見たかのように、顎をさすった。

「おっと、なぜそのように食ってかかる。私は国のみやつこさまだぞ? 王の次にえらいのだ。わかっているのか? え?」

 ギギムは首からかけた珠の飾りを見せつけた。彼が嗤うと同時に白刃が一閃した。

「くっ!」

 バルダーナは傷痕の上に傷を負い、前髪を散らした。そして流血。

「ちくしょう!!!」

「口だけはご立派なことだ。この神殿の犬めが!」

 ギギムはもてあそぶように手にした短剣を逆手に持ちかえた。

「てめー! コノヤロー!!!」

「わかっておらんなア。最悪女王がいなくとも国はたちゆくであろうよ。この私がいれば」

 バルダーナはわめきながら向かっていく。

「おまえが大酒くらってる間、苦しんでる奴らだっているんだよお! それを助けるのがえらい奴のすることなんじゃあないのか!?」

「それがどうした。民草などは踏みにじるためにいる」

「なんだと!」

 ギギムの腕力に押されて、木の幹に押さえつけられたバルダーナ。

「それで? オマエは私にどうしろと指図しようというんだ?」

「死ね! 死んでラクシュにわびろ!!」

 茂みの中で男たちがささやきかわす。

「どうして国のみやつこに逆らうんだ。おっかねえ親衛隊が控えているっていうのに、あいつ!」

 バルダーナはなおもわめいた。

「おまえが巫女を遊び女同然に扱うなんて……絶対に許さない! とりけせ!」

 ミランダに呼ばれた琥珀一族の村長が、老体をおして駆けつけた。

「まつのだ。バルダーナを許してやってくれ。頼む」

「ハ!」

 ギギムが眼光鋭くそれを睨んた。

 村長はおどおどとして平つくばった。

「村々から選ばれたとはいえ、至らぬ娘もいたかもしれん。そのときは神職からとき、自由にしてやってくれ。私からお詫びする」

「サンタナじーさん!」

 ギギムはそんな村長の態度を褒めた。

「ものがよくわかっているな。琥珀一族の村長だったか。……しかしこいつは国のみやつこさまに逆らったのだ。私はこれを許さん」

 脂ぎった顔にいやらしい笑みを浮かべて、バルダーナをつまみ上げ、ぺちゃぺちゃとしゃべった。

「これが知られたらメンツが立たぬ。大層ふゆかいだ」

「オレは間違ったことは言ってない」

「そうまで言うなら、とっとと悪鬼に食わせてやるか」

「なに!?」

「バルダーナ!」

 殺気立つ空気もつき破ってミランダが叫ぶ。

 サンタナ村長はさらに平つくばった。

「頼む。命だけは助けてやってくれ」

 そのときラクシャーサがさまよい出るように現れた。

「一体、どうしたのです?」

 彼女は額に汗して、息を切らせている。

「また……! あなたはギギム。国のみやつこですね?」

「ラクシャーサ様!」

 ラクシャーサは空気を素早く読んで、

「バルダーナ、狙いあやまたず、一息に敵の首をとるのではなかったのですか?」

「くっ……!! オレだって……!! 好きでやってんじゃねーや!」

 バルダーナは身じろいで、血と汗とが目に入ったのでしばたいた。

「これは……巫女の正装。気づきませんでしたぞ。大層見違えられた。さすが、遊び女候補!」

 卑猥な顔をしたギギム。

 貴族の子息が集まるにしては、やくざな親衛隊が吐き捨てる。

「いい加減に目をさませや。女王候補ったって、いくらでも集まってくるんだぜ?」

 頭がギギムなので、部下の程度がしれるのも仕方がなかった。

「忠告はした。国のみやつこさまに逆らうとどうなるか……ヒッヒヒ」

 そう言うとギギムは丸い鉄の塊のような拳をバルダーナのみぞおちに叩きこんだ。

「ふっへっへ……どうだ、みたことか」

 ラクシャーサが草をわけて駆け寄る。

「私があなたに逆らえないと思っているのですか?」

「あん? なんなんだア? この嬢ちゃんはよォ。巫女様だからって無事で済むと思ってんのか」

「私に脅しなど、通じません」

 黒衣の男たちが影のように素早く動き、暗闇色の剣で親衛隊の全員を切り伏せた。息つく暇すら与えず、一息に。

 跳ねとんだ隊員の血しぶき。

 一瞬で精鋭部隊の呼吸をつかんだラクシャーサに、ミランダと村長はあまりのことに絶句。

 あっけにとられて息をつめ、目を見張るバルダーナ。

「神殿に仕える身で国のみやつこさまに逆らうというのかね……!?」

「そういうあんたらは、神殿長の配下に手出しした……」

 タングが言うと、ニヒルに構えてグレン。

「ラクシャーサ様を愚弄したようだったが……」

「神殿を穢すのは女王を穢すも同じです」

「こうなったら、クーデターだ」

 ラクシャーサは言って聞かせるように低く言った。

「およしなさい」

 バルダーナは失血にぐったりしている。

「この都は表の神殿、裏の精鋭せいえい部隊でなっているのです」

「ラクシュ、知って……いたのか!」

 バルダーナは泣きっツラである。

 ギギムはニタニタとし、眉間に黒いかげ宿やどした。

「ハッハッハ。そうか? そうだったか? 神殿に仕える巫女様がそういうのでは仕方あるまい。それは真実だろうよ」

 と、高笑い。

「しかし……表は国のみやつこ、裏の親衛隊がこの国を、女王という駒を動かしているのだ……試してみるかね?」

 新たに駆けつけた親衛隊員が雄叫びをあげた。

「オオリャー!」

 戦斧をふりまわす。

「ドオリャー!」

 それらをスっとかわし、再び踏みこんだグレン。

「参る!」

 彼は最小限の動きで相手の関節をキメてしまい、動きを封じた。いくつもの戦斧が草地に重く散らばる。

 ギギムの配下はひっくり返ってわめいた。

「こんな、こんなア~~!」

 グレンはその身体能力をもって相手の武器を潰してしまう。実践に基づく動きだ。

「ぐうう、おのれー!」

 ラクシャーサはひきつった表情で息をのみ、見守った。


 ゴキィ!


 グレンはスルリスルリと身をひるがえし、相手の急所をことごとくキメていく。

「いけません。いけませんねえ……ラクシャーサ様の前でこのような汚い唾を吐かれては……」

 ギギムの配下は膝をついて項垂れた。

 その中でグレンは無表情に彼らを見下ろしている。

「いかがいたしましょう、ラクシャーサ様」

 バルダーナは、またギギムに首を捕らえられ、それでも感嘆するようにつぶやいた。

「なんだ。人の命なんて、簡単なんだな」

「ああ、そうだよ」

 軍団長ミランダが言った。


「まて! ここまでするつもりはなかった!」

「そちらから刃をむけてきておいて、抵抗されたら言い逃れするのですか」

 恐怖に青くなるギギム。彼はぶるぶると震えて、バルダーナを捉える手に力をこめた。

「ちいッ!」

 今や、正義はこちらにあり、とばかりに黒衣の男たちが声をあげた。その叫びがいんいんと響く。

「バルダーナを放せ! こんちくしょーめ」

「ええい、おまえを人質にしてやる。こい!」

 バルダーナは抵抗するもあえなく陥落。

「やめ……!?」

 周囲はざわつく。森もざわめく。


「バルダーナ!」

 ラクシャーサは全身から絞り出すような声を出した。


「ああ、私が手をこまねいていたばかりに、バルダーナが!」

「ラクシャーサ様、うろたえている場合ではありません! 追うんです!!」

「ラクシャーサ様……」

 この方はまだ少女だったのだ、と改めてグレンは息をつき、彼女を気遣う様子を見せた。




 薄暗い部屋の奥の祭壇さいだんに、丸みを帯びたシルエットが見える。布をかけられてはいるが、背面には四神ししん青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶ)がきざまれている。高い天井に巨大な勾玉の絵画が描かれ、窓は一つとしてない。飛ぶ鳥の羽ばたきひとつ、さえずりさえも聞こえない。

「フフフ。まさかここが隠れ場所とは気づかれまい」

 そこは神殿の宝物庫。

「ここは悪鬼の巣でもある。知っているか? ここの秘宝は人を喰らうのよ。おまえもにえにしてやる」

「んのやろ……っ!!」

「馬鹿め。恐れ知らずは得策ではない。フフフ。さあ、さよならだ」

「くそ! ちくしょー!」

「フッハハハ。馬鹿め」

「ふざけやがってー!!」


 ☆   ☆   ☆

 

 数時間前。

「ヌアッハハハ!」

「いやー、軍の組織とは名ばかりのたいしたことのない連中でい!」

「次期女王がたったの十四の小娘とは、おべんちゃらが苦しくてかなわん!」

「野卑な連中のことですからな。軍と呼称するのも惜しい」

「私が王になれば、組織など烏合の衆だ。代わりに近衛親衛隊を引き立てようぞ」

 かん高い声が叫びをあげた。

「てめーら! 好き勝手言ってんじゃねえぞ!」

 ギギムはようやくその存在に気付いた、という顔で、

「そういうおまえに何ができる!? この国の巫女なぞ私の遊び女。組織は烏合の衆だ」

「あいつら精鋭部隊をナメんじゃねえぞ! 何が烏合の衆だ。あいつらは最強の戦士だ。おまえたちと一緒にするんじゃあねえ!」

 ミランダがその肩をつかもうとして、逃す。

「よせ、バルダーナ!」

 バルダーナはまっすぐにギギムへとつかみかかっていった。


 ☆   ☆   ☆


 今、宝物庫でギギムのふてぶてしい笑いがわんわんと響いていた。

「ぐっ、ああ、あ……!」

 と、バルダーナは苦しい息の下で、薄布うすぬのを破ってけこんできた影に気づく。

 その影は子供には一抱えもある丸い銅鏡を手にしていた。大きかった。そう、子供には。

 その鏡を抱えた姿が急速に輝いた。

 すると巨大な黒い影が暗がりの中に金色の目玉をぎょろりと光らせて、ギギムの背後に迫ったではないか。

 気づいたギギムは、

「馬鹿な!? だれが悪鬼を呼びだしたのだ!? ええい、私は贄ではないぞ!」

 だが巨大な影は彼を一飲みにした。

「うああー!」

 黒い悪鬼は今度はバルダーナに狙いを定めたらしい。迫りくる不気味な金の目に、バルダーナは身動きできない。

「うあっ。あっ! 助けてくれー!!」

 バルダーナは助けを求めて手足をばたつかせた。

 悪鬼は大きく鉤爪をふりかぶった。

 バルダーナの絶望の叫び。

「ラクシュ――!!」


 ギャリィィ!


 悪鬼はすんでのところで標的を外した。

 バルダーナがかたくつぶった目を開けると、ラクシャーサが前に立って光る剣をかまえていた。

「ラクシュ……!!」

「バルダーナに手を出すことは……この私が許じまぜん……!」

 聖剣の一太刀を受けて横転する悪鬼。

 バルダーナは何もできずにへたりこんでいた。

 ラクシャーサはなおも、聖剣を手に悪鬼ににじりよる。

 悪鬼はひきつった表情で立ち上がり、逆にラクシャーサを切り裂いた。

 ラクシャーサは自分の血と悪鬼の血に染まりながら、壁際まで追い詰める。

「ハァアアア!」

「グアアー!!」

 肩で息をしながら、ラクシャーサは背中越しのバルダーナに語った。

「ありがとうバルダーナ。いつも私のために……私はあなたに守られ、強くなれました……」

 バルダーナは混乱して泣いた。

「ちがう。おまえの強さは、こんな……こんな……」

 ラクシャーサも涙ぐみ、けれどそっとほほえんだ。

「でも、強いって、本当は誰かを傷つけることではないよね……」

 ラクシャーサの名を繰り返し呼ぶバルダーナ。

「ああ! そうだよ。オレはおまえに手を汚してほしくなかった。オレが……代わりに……なれたならと……」

「わかっているわ。いいえ、わかって……いたわ。姉さま」




 ラクシャーサは清らかな巫女の血を犠牲にしてバルダーナを救った。

「バルダーナを助けられるなら、この身など、どうなっても、汚れたって、巫女でなくなったって、かまわない……」

「このオレが、おまえにこんなことをさせるくらいなら……一万回死んだ方がましだった!」

 バルダーナが泣き崩れる。

 同時に呪いの勾玉の魔力が発動し、バルダーナの身の内に神々の力が脈々とあふれた。

 運命はバルダーナを戦士に選んだのだ。

 悪鬼を自ら呼び覚まし、あまつさえ神殿の一部で血を流した罪で、ラクシャーサは神殿を追われた。神職をとかれ、故郷の琥珀の村で余生を過ごすこととあいなった。

 バルダーナは神殿の掟を知らなかった。

 一つに穢れを負ってはならないこと。二つに秘宝にみだりに触れてはならないこと。最後に、神殿内で血を流してはならないこと。

 そして誰もが「守ってやらねば」と思っていたラクシャーサは、自分で答えを出し、強くなったのだと、バルダーナは思った。


 ☆   ☆   ☆


 ラクシャーサは眼を覆うのをやめた。まるで何かがふっきれたようだった。

「この反転の勾玉はもう、とれないんだな!?」

「そうですね。そういうものだから仕方ないわ……それではこれで。私は琥珀村へ。おいとまいたします」

「オレさ、戦う前は逃げようと思うことにした。そしたら反転の魔法で前に進める!」

「あら、心から私を助けようとは、もうしてくれないのね」

「するさ! だけど、運命が反転しちまったら、助けられないだろ。だから……」

 バルダーナはふっとうつむき、すぐに顔を上げて言った。

「いつか、戻る!」

「バルダーナ、約束……これは一族の秘宝の一つ。珠の守りです。少しでもバルダーナを守ってくれますように……」

 バルダーナは逡巡したが、ラクシャーサはその手を捉え、その掌にぎゅっと握らせた。

「いつかまたお会いしましょう。バルダーナ。……姉さま」


「うん……うん……!」

「瓜二つの私たちですもの、行き着く先も、未来も、きっと一緒に……」

 バルダーナはラクシャーサを守るだろう。たとえ地の底からでも。

 苦しいときは終わった。

 そして。

 戻ったときは、未来の話をしよう、そうかたく誓い合って二人は別れた。

 バルダーナは王都を離れ、琥珀の村も飛び出し、はるかな地へと、その生きる道を求めた。

 ただ、ひたすらに。

 遠くへ……。


                 了

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二人の一歩~バルダーナとラクシャーサ~ れなれな(水木レナ) @rena-rena

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