第45話 エピローグ
桜の季節を迎えていた。
森崎叶美は化学準備室から校庭を見下ろしていた。無数に咲き誇る薄色の花びらが、風に煽られて一斉にざわめく。彼らの声が聞きたくなって窓を開けた。外はまだ肌寒いが、風は確かに春の匂いを運んでいた。
しばらく風景と静かに対話をした。様々な出来事が駆け抜けていった一年だった、そんなことを話してみた。
「叶美先輩」
勢いよく扉が開くと、佐々峰多喜子が姿を現した。小さな制服の胸元が波打っていた。教室から走ってきたようだ。
「タキちゃん、そんなに慌てなくてもよかったのに」
叶美は笑顔で言った。
「あれ、みんなはまだ来てないのですか?」
部屋を見回して、不満そうに言った。
「ええ、今日はタキちゃんだけ。ごめんね」
「いえ、ちっとも構いませんよ。ああ、そう言えば、探偵部の初会合は放課後でしたね」
すぐに予定を思い出したようだった。
「あのね、タキちゃん。これから言うことをよく聞いてほしいの」
「はい?」
叶美は少しも目を逸らさず、ゆっくりと口を開いた。
「今まで黙っていたけれど、タキちゃんのお母さんの交通事故は、私の父のせいなの」
多喜子は無表情に聞いている。
「私、これまでずっと罪の意識が拭い切れなくて、それでタキちゃんに必要以上に優しくしていたのかもしれない。いつか真実が知られて、タキちゃんが私から離れていってしまうのではないか、心のどこかでそんな不安を感じていたの」
春風によって花びらが一枚、部屋へと届けられた。直ぐさま多喜子は指で摘むと窓の外へ逃がしてやった。
「いつかはタキちゃんに本当のことを打ち明けて、謝らなければいけないって思っていたけれど、今までずるずると引き延ばしてしまったの。勇気がなくてごめんなさい」
叶美は多喜子の手を取ると頭を垂れた。
「先輩、顔を上げてください」
意外としっかりした声だった。
「私、最初から知っていましたよ」
叶美は弾かれたように顔を上げた。
「先輩と初めて会った時、私を抱きしめて泣いてくれたでしょ? だからその時分かったのです。先輩は死んだ母と何か深い関係があるんだろうって。でもそんなことどうでもよかったんです。むしろ独りぼっちの私を、これほど気に掛けてくれる人がいたと知って嬉しかった」
叶美は涙を拭った。
「そうそう、私、沢渕くんに言われたことがあるんです」
「沢渕くんに?」
意外な言葉に自然とオウム返しになった。
「はい。先輩には先輩としての生き方がある。だから私がいつまでも心配掛けてばかりではいけないって。もっとしっかりして、先輩の不安を減らしてやるべきだって」
叶美は涙がとめどなく溢れた。晶也と出会って、事件を解決するまでの出来事が走馬燈のように蘇った。彼と知り合えて本当によかったと思った。
「先輩、そんなことより聞いてくださいよ。私、今年度の家庭部の副部長を務めることになったのです」
多喜子は身体を弾ませるように言った。
「あら、そうなの?」
「そうですよ。顧問の先生からのご指命です。これってみんなに自慢できますよね」
多喜子はこの一年で強くなった。もう昔の彼女ではない。それが探偵部、いや晶也のおかげだとしたら、彼には感謝の言葉もない。
「先輩、これからもよろしくお願いします。なるべく心配掛けないよう頑張ります」
彼女はおどけて敬礼した。
森崎叶美は端正に制服を身にまとい、凜とした足の運びで校庭を抜けた。一時は短かった髪も今ではすっかり肩まで伸びている。成績も学年一位に返り咲き、再び教師、生徒の人望を集めていた。
新入生の女子二人が立ち止まって会釈をした。叶美も笑顔で返す。
花びらの舞う校門の下に一人の女性が佇んでいた。時々校内を見て、誰かを待っている様子だった。
叶美は足早に駆け寄った。
見覚えのある顔、辺倉祥子だった。
「お久しぶりです」
先に声を掛けた。
「あら、森崎さん。先日は片比良さんのお見舞いに来てくれてありがとうございました」
そう言って頭を下げた。
「その後調子はいかがですか?」
「かなり回復したのですよ。もう普通に喋ることができるくらいに」
「それはよかった」
あれから半年。被害者のうち、まだ六名が入院中と聞いている。片比良もその一人であった。
「身体の方はともかく、精神がかなり参っていて、夜一人でいると怖いのだそうです」
身近な友人にとって、それはさぞかし辛いことだろう。
「また、お見舞いさせてください。今度は他の部員たちも連れて行きます」
そう言うと、気配を感じて後ろを振り返った。
「噂をすれば、ですね」
堀元直貴と佐々峰多喜子が歩いてくる。二人は何やら一生懸命話し込んでいたが、叶美に気づいた多喜子が駆け出してきた。
「叶美先輩!」
すぐに、木陰にいた辺倉祥子の存在に気がついたようだ。慌てて会釈をした。
叶美は部員二人を紹介した。
「クマとミヤちゃんは?」
「二人はクラブの部長会議に出席してるんだ。会議は終わったというのに、二人だけで白熱した議論を戦わせていたよ。もうすぐ来るだろう」
直貴の言う通り、久万秋進士と橘雅美が姿を見せた。いつものように二人は何かを言い争っているようだが、それでも身体を寄せ合って歩いている。何とも不思議な光景だった。
「あの二人は仲がよいのか、悪いのか、どっちなんですか?」
多喜子が訊いた。
「何でも橘は毎日クマの見舞いに行ったおかげで、回復も早まったらしいんだ」
直貴が答える。
その二人が合流した。
「おい、生徒会長よ、聞いてくれ。我が柔道部の予算が体操部の半分なんだってさ。あり得ないだろ、そりゃ」
「お金が掛かるからしょうがないでしょう。衣装だってエレガントだから値が張るの。どっかの裸でやっている部とは違うんだから」
「おい、柔道だって服着てるっての。裸じゃないんだよ」
「ああ、あの雑巾みたいなやつ?」
「お前ねえ」
叶美は両手を出して、
「まあまあ、お二人さん、落ち着いて」
と言って、祥子に引き合わせた。
「みなさん、その節は本当にありがとうございました」
祥子は勢揃いした部員を前に深々と頭を下げた。
「でも、辺倉さんのメッセージがあったからこそ、人質みんなを救出することができたのだと思います」
「タキの言う通り。捜査に行き詰まっても、苦しんでいる人質のことを思い浮かべて、諦めずに踏ん張れたんだ」
「私は途中からの参戦だったけど、探偵部の本気を感じたわ。何だか私にだけ温度差があるようで焦った。でも、最後はみんなに追いつく仕事をしたでしょ」
雅美はくるりと一回転した。
「カッコつけるなよ、この放火娘」
「何ですって!」
みんなは一斉に笑った。
「ところで、辺倉さん。あの雑誌のメッセージはどのくらい書き続けたのですか?」
直貴が訊いた。
「かなり書いたと思います。犯人の目を盗んで、あそこにあった雑誌のほとんどに書いたのじゃないかしら」
「そのうちの一冊に、僕らの心が動かされたんだね」
と感慨深く言った。
「正直、みなさんがうらやましいです」
祥子が突然そう言った。
「私たちは当時高校三年生でした。ちょうどみなさんと同じ年齢です。歳はとってしまったけれど、精神はまだあの日のままで止まっているんですよ。だから自然とみなさんの輪の中に入っていける気がするのに、実際はできないんだって自分に言い聞かせるのです。可笑しいですよね」
話しているうちに祥子は涙混じりになった。
すかさず叶美は彼女の肩を抱いた。
「そうだ、辺倉さん。これからご一緒にカラオケ行きません?」
「カラオケ、ですか?」
「ええ、私たちこれから行くところなのです」
「でも、私、最近の歌を全然知りませんよ」
「大丈夫ですよ」
叶美は笑顔で応えた。
「そういえば、一人姿の見えない奴がいるな」
クマが気がついた。
「あら、本当だわ」
雅美も気づいたようだ。
「多喜子さん、何か聞いてないかい?」
直貴が訊く。
「いいえ、何も。でも最近勉強頑張っているみたいだから、図書館にでも居るのかしら?」
「何で急に勉強に目覚めてるんだ、あいつは?」
「生徒会執行部を狙っているんじゃないですか?」
「まさかあー」
全員の声が見事に重なった。
「そうだ、お姉ちゃんに電話しておきますね」
多喜子はみんなの輪から少し離れて電話を掛けた。
「お姉ちゃん、今から行くけど、いつもの部屋空いてる?」
それから大きな声を上げた。全員の視線が彼女に集まる。
「何ですって、沢渕くん、もうそっちに居るの? 一人で読書して待ってる?」
それを聞いた祥子は、
「では、ご一緒させてください」
と言った。全員から拍手が生まれた。
坂道を下り始めた部員たちの後ろを、叶美と祥子が並んで歩いていた。
「部長さん、一つ訊きたいことがあるんです」
「はい」
「私たちを助けに飛び込んで来たあの子、沢渕さんっていいましたっけ? 彼はひょっとして叶美さんの恋人なんですか?」
叶美は腕を大袈裟に組んでから、
「さあ、どうでしょう。私もそのうち教えてもらおうと思ってます」
彼女の長い髪に、またひとひら桜の花びらが舞い降りた。
完
こちら山神高校探偵部 ぽて @pote82_69
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