第3話 あのさ

 いつもとは違う朝を過ごし、いつもと同じ道を通って学校へ向かう。毎日の登校は、あの心臓破りの坂を下るところから始まる。

 帰りは大変だが、行きは下りなのでそれほど疲れない。それだけが唯一の救いか。

 今通っている高校は、家から歩いて15分程度の場所にあった。受験でこの高校を選んだのも、それが理由だった。それ以外には、これといって理由は無い。

 まぁ、今日は遅刻しないように下り坂をダッシュする羽目になったので、いつもの恩恵は受けられていないが。

 坂を下りきってから数分歩くと、一番近い駅から歩いてくる連中と合流する交差点が見えてくる。この場所で信号待ちをしていると…。

「うっす」

 結構な確率で、こうしてクラスメイトが挨拶をしてくる。

「うっす」

 俺も適当に答えて、信号が青になるとまた歩き出す。

 どうやらいつもの時間に間に合ったようだ。


 幼なじみとかそういった関係の奴は居ない。

 それもそのはず。俺が中学3年生だった夏休みに、俺たち家族はここに引っ越してきたのだ。幼なじみなど、ここには1人も居なかった。

 中学までの友達とは、無料のチャットアプリで今でもやり取りをしているが、引っ越して一年が経とうとしている最近では、かなり回数も減ってきていた。

 距離が離れ、普段から会話をする距離に居なければ、そんなものなのかもしれない。別段、寂しさを感じることはなかった。



 校門をくぐって下足室で上履きに履き替え、教室へ向かう。

 1年3組。それが俺の所属するクラスだ。担任は、俺を病院まで車で送ってくれた福原という保健体育の教師だ。暑苦しいだの熱血だのと、生徒たちに好きに言われているようだが…葬式で見た福原は、かなり落ち込んでるように見えた。

 大丈夫だろうか、と少し心配な気持ちがあった。

 自分の恩師が事故で亡くなるというのは、やはり辛い事なんだろう。

 俺の親父は、福原が高校生の時の担任だったらしく、不良だった福原に根気強く関わって教師の道に導いたらしい。福原曰く、恩師なのだそうだ。まぁ親父から直接この話を聞いた訳ではないから、美化されてる部分も結構ある気がするが。


 自分の席に座り、1時限目の古典の準備をして、窓の外を見るふりをして教室を軽く見渡してみた。

 クラスメイトたちは遠巻きにこちらをチラチラ見てるだけで、誰も俺のところに何かを言いに来ることはなかった。

 俺の両親が事故にあったことや、この土日で通夜と葬式を済ませたことは、全員知っているだろう。来てくれた奴も、それなりに居た。

 クラスで浮いている訳でもなく、特に仲が良い友達がいる訳でもない。

 そういった理由ではなく、ただ単純に、両親を亡くした友人にかける言葉をどう選んで良いのか分からず、途方に暮れたままでも気にはなる。

 そんな空気が、クラス中に充満していた。

 若干、息苦しい。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 俺の重苦しい気持ちをサクッと割って話しかけてきたのは、隣の席に座るクラスメイト、沢渡光司さわたりこうじだった。クラスの中では、まぁ…仲が良い方だろう。

「あのさ」

「ん?」

 沢渡が、目線をチラチラと外しながら話しかけてきた。

 隣の席で、クラスでも一番俺と話をしている。そんな沢渡にクラスメイトの圧力がかかっているように俺は感じた。沢渡もそんな空気を感じたからか、とにかく何か話しかけようとして声をかけた…という感じだった。

「俺、友達がこんな状況になったの、初めてだし、なんて言っていいのか分かんねぇんだけどさ…」

 正直な奴だな、そう思う。俺が沢渡とそれなりにうまくやれてるのも、こいつのこの性格があってこそな気がする。

「あのさ、その…いつも通りに話して、良いかな」

「……」

 答えに詰まった。

 いや、なんというか、完全に予想していた言葉から外れていたからだ。

 斜め上と言うか、死角からと言うか…。

「あー…」

 俺が黙っていたからか、沢渡の頬が少し痙攣しているように見えた。

「なんだよ、気にすんなって。てか…サンキュな」

 俺はそう言って、笑った。

 それを見たからか、沢渡は心底安心したという表情で、よかったぁ、と小さく言ってからハハハ、と力なく笑った。


 たぶん、俺がこんな風に笑顔で答えられたのは、親父とオフクロが家に居るからだろう。

 姿かたちは猫と犬だが、会話ができた。これは本当に大きかったと思う。

 突拍子もない事で、バカみたいな状況だから、昨晩も今朝も深くは考えなかった。

 いや…今は深く考えたくない。それが本音だ。


 沢渡と俺の会話を聞いたからか、教室に充満していた重苦しい空気がかなり薄くなっていた。

 後ろの席の奴も、前の席の奴も、席に着きながら挨拶を交わす。

 そんな何気ない、いつもの朝に少し、近づいた気がした。


 ショートホームルームの時間になって、福原が教室に入ってきた。

 入るなり俺の方を見てきた福原は、俺が軽く笑ったのを見て、何度も細かく頷いた。

 日直が起立、と言葉を発した。いつも通りに全員がダルそうに立ち上がり、礼、の言葉でおはようございますと良い、着席の言葉で座る。

 いつも通りだ。

 が、福原はいつも通りではなかった。

「大塚。落ち着いたか?」

「まぁ、とりあえずは」

「そうか。何かあったら先生に言え。俺じゃなくたって良い。大人を頼れ。皆もそうだからな? 別に大塚だけに言ってるわけじゃない。お前たちは生徒で、色んなことを学んで、経験して、悩んで、毎日を生きてるわけだ。

 俺たち教師は、そんなお前たちと同じ高校生だった時期をなんとか乗り越えて今この学校で教師をしている。

 だから、頼ってくれ。俺たち教師は、その為に居る。そうでない教師が居たら、俺に言え。その時は、俺が文句言ってやる」

 福原が暑苦しいとか熱血とか言われているのが良く分かる。

 ただその時の教室は、その言葉を茶化す奴が1人もいなかった。俺も、そんな気にはなれなかった。

「大塚には悪いが、今回の件はみんなが命について考える良い機会だ。生きているってことが、どれだけありがたい事なのか。先生も今回、改めて考えさせられたよ」

 葬式に来たクラスメイトは、泣いている福原を見ただろう。

 福原の言葉でその姿を思い出した奴も、居たと思う。俺もその1人だった。

 福原は言葉をつづけた。

「だからこそ、大塚。良く学校に来たな。お前は強いな」

 顔が熱くなった。

 まさかそんなことを言われると思ってなかった俺は、どんな表情をしていいか分からないまま、しきりに頭を掻いていた。


 そこで、チャイムが鳴った。

 慌てて出ていく福原の代わりに、古典の北中が入ってくる。

 また日直の号令。

 1時限目の授業が、始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うちの猫は札束が大好きなのだが 龍宮真一 @Ryuuguu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ