妖精の朝食
波際から森へ戻ってきた妖精は、花の蜜で朝食をとることにした。このあたりには、蝶や蜜蜂、蟻やてんとう虫などが花粉にまみれながら蜜を愉しんでいる。細長い管を伸ばした蝶はいろいろな種類がいて、誰もが思い思いに羽根をめぐらせては花弁や空を彩っていた。まるで飾りのように木の葉にとまって休憩したかとおもうと、ふわっと番で飛び立って太陽に透かされて美しい。軽やかに、わりと安定した流れで蝶は羽ばたいていく。
妖精も潮風をさらさらと森を駆け抜ける風に拭わせながら、花畑へとやってきた。野の花はいろいろなものが咲き誇り、薫りのあるもの、薫りのないもの、鮮やかな色のもの、または白だけれど純真な雰囲気をまとったものなどがある。
風がそよそよとして、微かに伝える。水の記憶を辿ってやってくる話では、島の女性、アルダールが船を出してもらうようで船頭が準備をしていたようだ。カモメに乗る練習をしていたから見逃していた。
まあ、目に見える島から島までならこの小さな羽根でも飛んでいけるのだが、ときには気ままに誰かの羽にのっかって海の青さをただただ愉しみたいし、やはりカモメの気ままな飛行とその速さは妖精にはなかなか出来ないものだから。そしてあのふわふわと柔らかな羽毛に包まれてそれを寝台にする飛行もいいものだ。とはいえ、そんな生易しく乗っかってるだけでは振り落とされるからしっかりと小さな小さな両手で掴まっているのだが。
さて、今日はどの花の蜜を愉しもうかな。ふよふよと舞うように飛んでいくと、どれも愛らしい顔を妖精に向けてきている花々。向こうでは野兎が跳ねて花の間から見え隠れしている。柔らかい色彩の草にまみれた狐が兎に気づかずに背を撫で付けていて、遠くの木の上ではリスが顔を覗かせて狐をじっと見ていた。心地よさそうに狐は草にまみれている。
妖精は花から花に蜜を愉しみ始めていて、だんだんと高くなっていく陽に透かされて花弁に花弁の陰が降りて芳しい薫りを広げる。
「……?」
妖精はふと、顔を草地に向けた。何か、ころころとした音が耳に届いたからだ。
すると、そこには見たことのない女の子がいて花の庇の下で眠っていた。
その女の子の妖精は眠っていて、時々その頭のてっぺんにつけた木の実の楽器がころころという音を立てているのだが、それは蟻が妖精でも巣に運んでやろうと身体を揺らしているからだった。蟻は妖精からみたら人間でいう中型犬ぐらいの大きさなのだが、妖精は気づかずにまだ朝の眠りをむさぼっていた。
「ねえ。あなた、食べられちゃう」
やんちゃな風貌をした妖精で、腕も頬も浅傷だらけだ。そうとう冒険好きらしい。来ている葉っぱの服などはぼろぼろでところどころ枯葉になっていて、草の香りがする。もしかしたら葉っぱに擬態する昆虫を飼いならして身体にまとっているのかもしれない。それならどちらも、自分は妖精にのっかって遠くまで飛んでいけるし、妖精は昆虫に身体を護ってもらえる。ときたまそういう妖精もいるのだ。
「ねえってば。起きないとどんどん運ばれていってるんだけど」
顔に花粉をいっぱいつけたまま妖精はやんちゃそうな妖精の腕をぐらぐら揺らした。
「うーん。あたいはまだ眠いんだよ。だってもう五日間ぐらい眠らずにいたんだからね……五日前までなんて、松の針葉で悪い妖精と決闘してやって松ぼっくりの甲冑を着て戦ってやったんだ」
「夢でも見ているの? たったの五日でそんな遠くの島にいけるなんて筋肉むきむきにすごいじゃない」
うるさそうに女の子の妖精は手のひらでふるふると払ってきて寝返ったけれど、頬を乗せる腕の上から目をひらいて見て来た。深い深い緑の目をした子で、にっこりと太陽のように微笑んだ。
一気に妖精の内側に力がみなぎって、女の子n妖精から発された元気の魂が身体を包んで、他の魂の欠片たちと交じり合って光彩のようにゆらめいた。
「あんた、身体の周りにいろんな光りがついてる。何か修行してんの?」
蟻が逃げていくのを、その一匹の背中に頬杖をついて女の子の妖精が言った。当の蟻はじたばたしていて、それごとにフェロモンを撒き散らしている。
「うーん! ま、いいや! むずかしいとこなんかわかんないし、せっかくだから飛ぼうよ」
ぐんと手を引っ張られていっきに空に舞い上がった。島の上空を駆け巡る風にのっかってぐるぐる旋回しながら、妖精は目をまわして腕をひっぱられて回転した。
「気持ち良いわね! ほらしっかり目を開けて、行くわよ」
妖精にはもう何がなんだか、どんどん手から伝わってくるみなぎる力が交互に行きかってだんだんと彼女も目がはっきりしてきて、島を高速に巡って湖面を滑ったり滝をくぐったり洞窟を疾走したり岩と岩の間を縫ったり動物の歩く脚の下をくぐって飛んでいったり蛇の背をなぞっていったり蝶の群れと飛び交ったりと、いつのまにか妖精は隼になったかのようにはしゃいでいた。彼女らは疾風となって、いろいろなその場所ごとの薫りを身体に吸い込んでいく。水の薫り、花の薫り、土の薫り、木々の薫り、野生動物の薫り、草の薫り、森も変わるごとに薫りも表情もころころと変わっていく。女の子の妖精は飛んでいきながら木の実をもぎ取って口にほおばって彼女の口にもつきつけて彼女も食べた。
女の子の妖精の魂にあてられて、妖精は草にまみれて一緒にごろごろころついて、次第に昼前の眠りにおちていった。
夢ではまん丸の松ぼっくりを着てどんぐりの笠をかぶった笑ける格好の妖精が、松葉を持って悪い妖精と戦っていた。悪い妖精は黒いオーラをしていて、悪辣と笑っていたけれど、妖精隊の松葉攻撃でやられていって、妖精たちはどんぐりを割った盾で黒いオーラから自分たちを守りながら攻めていった。悪い妖精は負けてじゅうじゅうと音を立ててたちどころに消えていった。
妖精が目を覚ますと、すでにあの女の子の妖精はどこかに飛んでいったのか横には眠っていなかった。妖精は肩を振り向いた。あの悲しげな魂は、今は心地よさ気に駆け巡った風と太陽の勢いに包まれた記憶をいだいてまだまだ眠っていた。それがいまに瓶を送った人やその送った人に、水の記憶として魂から空気を伝って届くのかもしれない。
マルスの朝陽 人 @rosenjasmine
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