第1話

「痛っ!」

突然頭に衝撃を感じた。ついで、バサッという何かが落ちる音。慌てて顔をあげると目の前に本の壁があった。手には今の今まで読んでいた本。隣町の図書館の書庫で面白い本を見つけて棚の前で読みふけっていたんだった。ふと足元に目をやると分厚い本が床に落ちていた。どうやらこいつが棚から降ってきたらしい。頭をさすりながら本を拾い上げてみる。ずいぶん古そうな本だった。元は青色だったと思われるカバーもすっかり黒ずみ、書かれているタイトルもかすれてしまってよく読めない。とても分厚くずしりと重いその本をじっと見て、そして恐らくこの本が落ちてきたと思われる棚の一番上段を見る。自分の身長では梯子をとってこないとなおせそうにない。いつも梯子がおいてある方をちらっと見てみたが誰かが使っているのかそこにはなかった。仕方ない、借りて帰ろう。僕はその本を加え貸し出しカウンターへと向かった。顔馴染みの係りの人は一つ一つバーコードをなぞっていった。そして、件の落ちてきた本のところで手を止めた。

「変ねぇ。この本バーコードがついていないわ。」

「え、そんなことってあるんですか。」

「うーん、あっちゃいけないことだけどとても古そうだからシステム変えたときに漏れたのかしら。この本どこから取ってきたの?」

書庫からだとこたえると係りの人はなるほどとうなずいた。

「それだったらここ蔵書が多いから漏れていた可能性もあるわね。とりあえずタイトルと著者と、あなたの貸し出し券の番号控えさせてね。…はい、ありがとう」

書き終わり彼女は本を僕に手渡す。受け取り僕は外に出た。お昼を少し過ぎた日の光が降り注ぐ石畳の道を歩き、道沿いの気になる店を覗いて回る。僕の住んでいる島にはないような珍しいものがたくさんショーウィンドーに飾られている。店の中にもおしゃれなものが置いてある。来年島を離れ遠く離れた都会の学校に通うことになる僕はこうしていつも図書館の帰りに店を覗いて、島にいたのではわからない最近流行ってるものを見て回る。5軒目の雑貨屋さんをじっくり見ていたときだった。港の方で汽笛がなった。慌てて腕時計を見る、島へ向かう最終便の船そろそろ出るころだった。慌てて港へ走る。船はすでに少しずつ岸壁をはなれていっていた。慌てて走りなんとか飛び乗った。危なかった、この船を逃すと今晩家へ帰れなくなるところだった。船はゆっくりと夕焼け時の海を進み僕が暮らす小さな島の港町へと向かう。いつもの船縁に腰を下ろしさっき書庫で僕の頭の上に降ってきた本を鞄から取り出した。これはいったいなんの本なのだろうか、そう思いながらそっと本に触れる。その瞬間微かに本が赤く光った気がした。しかし、日の加減でそう見えただけだろうと僕は気にも止めなかった。やがて船は桟橋へたどり着いた。家路を急ぐ乗客がぞろぞろ列をなして船を降りる。僕も立ち上がりその列に並んだ。港を抜け寂れた造船所の横を通りすぎ坂を上る。一番上まで登りきった右手が僕の家だ。向かいの家は僕がここにすむ前から廃墟で、近所の子供たちの遊び場になっている。この日も家へ帰る子供たちが朽ちた門を乗り越え坂道をかけ降りていった。それを目の端にとらえながら自分の家の門に手をやる。長い間潮風にさらされた門はギィーッと音をたてて僕を迎えた。暗くなった部屋に電気をつけ夕食の支度を始めた頃には僕はもうあの不思議な本の存在を忘れてしまっていた。

 

 翌朝、朝御飯の買い出しをしに市場へいくと、不思議な話で持ちきりだった。なんでも昨日の夜突然沖の方で季節外れの霧が発生したらしい。

「嘘じゃないさ、ほんとにいきなり霧が立ち込めて前が見えなくなってな」顔見知りの魚屋のおじさんが言う。なんでもその時に沖にイカ釣り漁に出ていたらしい。

「そしたら、妙な音が聞こえてくるのよ。なにか軋むような、ギィーギィーっていう不気味な音がな。…それで何が現れたと思う?」

「お化けー?」

「おっきいカニ!」

おじさんの問いに前にならんで面白そうに話を聞いていた子供たちが答える、それに気をよくしたのかおじさんは得意そうに続けた。

「そうそう、お化けだ。今時見ないような何百年前の船だっていうくらいの古い船ボロボロの船がな、音を立てながら近づいてくるのよ。それでな、」

おじさんの話は途中だったけど僕はその場を離れた。と、港の方にいくとこれまた顔見知りの、この島で一番高齢のおじいさんがタバコをふかしながら座っていた。おじいさんはふと僕の方を振り返り

「市場で噂になってる話もう聞いたかい?」

と僕に聞いた。聞いた、と言うと

「ありゃあ、昔っからこの港町で語り継がれてる幽霊船に違いねぇや」

と言った。確かにこの港町には昔から語り継がれている話がある。

「太陽が月を隠す夜、然るべき者が然るべき物を持って港に立つと沖に古の船が現れる。」

僕は小声で呟いた。この島で育った子供なら寝る前に親が語ってくれたり、あるいはおじいちゃんの家に遊びに行けば必ず聞かされる、そんな誰でも聞いたことのある話だ。だから、僕みたいに何回も聞かされたせいですっかり暗記してしまっている人も多いだろう。でも、と僕は思う。あり得ないし今時そんな話流行らない。霧だって異常気象のせいに違いないのに、なんで子供だけならまだしも大人たちまで騒いでるんだか。全く理解できない。そんな大人たちに呆れながら自分の家に帰り昨日借りて帰った本を手に取る。そういえば中を見ずに借りたけどこの航海日誌、どんなことが書いてあるんだろう、気になって手に取る。あれ、開けない。まるで糊、いや接着剤でくっついているかのようにどれだけ力を込めて引っ張っても開かなかった。仕方ない、借りたものだし引っ張りすぎて破れたり壊れたりしてもなんだ。諦めて他のものを読もう、その本を机のすみにおき僕は他の本を読み始めた。

 

その夜僕は夜中にふと目を冷ました。朝の話が気になって眠りが浅かったようだ。とりあえず何か飲もうとベットから抜け出そうとした僕は驚いた、机の上に出していた昨日借りてきた航海日誌が、赤色にぼんやりと光っているのを見てしまったから。すると、僕が見ている目の前で風も吹いていないのに突然ページが…今朝どれだけ引っ張ってもあかなかったページがひとりでにパラパラとめくれだす、なんなんだこれは…気味が悪くなった僕は部屋の明かりをつけた。心なしか航海日誌が発する光が弱くなったような気がした。それを見て僕は恐る恐る本に近づき手に取ろうとした、が、本に手が触れるか触れないかのうちに本が強い光を放った。思わず目が眩む。手を引っ込める。しばらくして僕がまた目を開けると航海日誌は何事もなかったかのように机の上で沈黙していた。こわごわと手を伸ばしつついてみる。何も起きない。目を擦ってみる。何も変わらない。やれやれ、寝ぼけて夢でも見ていたのだろうか。そう思いながら台所へむかう。喉が乾いていた。コップにお茶をつぎ時計を見やる。夜中の2時。お化けが出るにはもってこいの時間だ、いや、そんなもの信じてはいないけれども。お茶をのみほし僕はまた自室へと戻りなにごともなかったかのように寝ることにした。しかし、先程の出来事が気になりすぎて眠気はなかなかやってこなかった。

 

 翌朝寝不足の僕が市場へ降りていくと、そこではまた昨日と同じ不思議な現象の話で持ちきりだった。どうやら昨日の夜も沖の方で霧が発生したらしい。ただ、今回その現象は昨日よりも近いところで起きたようで海に出ていた人だけではなく港にいた釣り人も霧の中に不気味な船の影を目撃したらしい。しかもその船は淡く赤く光っていたという。さらに驚いたことにその現象が起きた時間が航海日誌が光はじめた時間とほぼ同じだったのである。

 その日の夜、今朝の話を思い出し、もう一度航海日誌を手に持ってみた僕は慌てて本を放り投げた。今日は雨なんか降っていないし、本はずっと屋内に置いていたはずなのに紙がじっとりと湿っている。恐る恐るページをめくる。ピラリと1ページ目が開いた。文字が掠れていないところを読んでみる。

「…月10日 晴れ。時々曇り。北西の風。待ちに待った船が完成した。…号と名付ける。それに伴ってこの航海日誌を書き始める…島の人たちによると…嵐が来るようなので近日中には出航したいものである…」

どうやらこの本は航海日誌のようだ。なんだ、掠れているところもあるけどだいたい読めるじゃないか。そう思い次のページを開こうとする。昨日と同じで開かない。なんなんだよ、そう思いながら本を隅にやろうとしたとき、本が淡く赤く光はじめた。ぎょっとして固まっていると開け放した窓から外にいる人たちの声が風にのって聞こえてきた。おい、また沖の方で霧が発生したぞ!今日はやけに近いじゃないか。慌てて窓の方をみる。確かに沖の方で霧が発生していた。ちらりと航海日誌を見る。まだ淡い光を放っていたがだんだん弱くなり、やがて消えた。それと同時にまた窓から、おい、霧が晴れたぞ!という声が聞こえてきた。今のはなんだったんだ。つまり、季節外れの霧を発生させていたのは異常気象ではなく、この航海日誌のせいということなのだろうか、そう考え僕は身震いした。だとしたら、昨日の出来事も夢じゃなかったのか。心なしか部屋の気温が下がった気がした。僕は震える手で机の引き出しから封筒を取りだしベットの上で本を借りた図書館へと宛名を書く。霧のせいで陸へむかう船はしばらく運休になっていて図書館へ自分の足で向かう手だてはないが、こんな気味の悪いものできるだけ早く手放したい、そのために図書館へ郵送しようと考えた。もちろん郵便物を運ぶ船も運休になっているが郵便ポストにいれてしまえばなんとかなる。宛名を書き終えた封筒に航海日誌を入れ外に出た。ポストがある港町の外れの郵便局まで一目散に走る。船着き場まで差し掛かったときだった。突然目の前が真っ白になった。前が全く見えなくなり僕は立ち止まる。嘘だろ、この港町がこの季節に霧に包み込まれるなんて聞いたことないぞ。はっとして手元の封筒を見る。航海日誌は部屋で光っていたときより何倍も強く光を放っていた。やがてその光は一筋の線になった。あわてて封筒を放り投げ逃げようとした。ダメだ、吸い付いたように手に引っ付いて離れない。なんなんだよ、この本いったいなんなんだよ!焦ってわけもわからず走り出す。どこでもいい。もうこの際海に落ちたって構わない、とりあえず一刻も早くこの場所から離れたい、と、足がもつれた。そのまま地面に倒れこむ。膝が震えて立ち上がれない。と、微かに不思議な音が聞こえてきた。何かが軋むような音…ギィーギィーと言ったような音。と、そこまで考えて昨日の朝の魚屋のおじさんの話を思い出した。まさか…。恐怖でへたりこむ僕の目の前にそいつは姿を現した。ガラガラっと大きな音をたてて錨が下ろされる。手元の航海日誌がカッと光った。それに答えるかのように現れたそれ…ボロボロの帆船も不気味に淡く赤く光はじめる。くいっと手を引かれる感じがした。手元を見る。誰もいない。ただ、航海日誌がその船に近づこうというかのようにひとりでに動き出していた。当然航海日誌から手が離れなくなった僕も一緒に引きずられる。

「ギャァァァァっ!!」

僕は絶叫した。一瞬その声に驚いたかのように航海日誌が動きを止める、が、すぐにまた船へと僕を引きずりはじめる。

「ちょっ、ちょっと待って、本気で待って、無理無理無理!」

言っても止まらないとわかっていても、僕はそういわずにはいられなかった。気がつけば船はもう目の前だった。上からするすると縄ばしごが降りてくる。航海日誌は急き立てるように上へ上へ行こうとする

「わかった!わかりました!上ります、上りますから!」

誰にともなく僕がそう叫んでみると突然片方の手が航海日誌から離れた。そっと後ろを振り返り今の隙に走って家まで帰ってしまおうか、と思った。しかし後ろは一面の白でもうどこに何があるかわからない。前に進むしかない、そう覚悟を決めた僕は縄ばしごに手を伸ばし怖々と足をかけよじ登る。今にも切れそうなボロボロ具合だったがなんとか縄梯子は持ちこたえ僕は甲板まで上がりきった。周りを見回す。誰もいない。甲板の板は船の見かけから想像がつく通り所々腐っていた。下手に歩き回ると床板を踏みぬきかねない。そんなところ歩くのはごめんだ、上がったからもういいだろう、と降りようと上ってきた縄ばしごを振り返り固まった。どういうわけだか縄ばしごが勝手に動き上に上がってくる。そのまま船の縁にとぐろを巻くようにぐるぐると重なり、やがて止まった。僕が絶句していると霧が晴れてきたのか甲板を月明かりが照らした。

「ひっ。」

甲板には僕以外誰もいないはずである。なのになぜ、人の影があちこちにあるんだ、しかもなんでそれが動いているんだ。バサッと音がした。はっと音がした上を見る。さっきまでマストにダラリと垂れ下がっていたボロボロの帆がピンと張られていた。描かれている髑髏が不気味に嘲笑う。嘘だろ、幽霊船でしかも海賊船とかなんの冗談だよ。真っ青になりながら僕はあわてて船から飛び降りようと船縁に駆け寄る。溺れるとか骨折するとか言ったことはすっかり頭からぬけ落ちていた。しかし、まるでそれを阻止するかのように甲板を動き回っていた無数の人の影が僕の回りに集まってきた。それに余計に恐怖心を煽られる。と、何もないはずなのに突然何かにぶつかり僕は足を止めた。はっと足元を見る。僕の影の前にもうひとつ別の誰かの影がある。恐る恐る手を伸ばす。何もないはずなのにある程度伸ばしたところで何かに当たった。その状態でもう一度足元の影を見る。

「っつ。」

僕の影は前にいる何かの顔辺りをさわった格好で僕の足から延びていた。つまり僕の手は今幽霊に当たったと言うことか?得たいの知れない怖さで力が抜け尻餅をついた。そんな僕を囲むように人の影が迫ってくる。よく影を見てみるとなにやら物騒な武器を持ったものもある。触れるということはその武器で攻撃されでもしたらどうなるのかと怖い考えが脳裏をよぎる。僕はこれからどうなるのだろうか、このまま幽霊船でどこかに連れ去られてしまうのか。だんだん目の前が暗くなっていき、僕は古びた甲板に倒れこんだ。薄れていく意識の中でガラガラと錨を引き上げる音が聞こえた。

 

 気絶した彼の前に誰かが立った。その人は他の甲板を動き回っていた人影とは違い実体があった、が、暗くて顔は見えない。長い風がその人物の髪を揺らす。それは屈んで、気絶した彼が落とした航海日誌をそっと拾い上げ、はぁっとため息をついた。

「やっと、探してたやつが条件を満たし現れたと思ったのだが…早々に気絶とは。」

それは呟く。中性的で、しわがれてるようにも若々しいようにも聞こえる不思議な声だった。それは気絶した彼を担ぎ上げる。そのまま暗い船内へと歩き出しながらその人物はもう一度本を開く。先程まで開かなかった2ページ目が開く。そのまま誰にともなく呟いた。

「5月12日 曇り時々晴れ、北西の風。 港を出航す。」

欠け始めた月の明かりに照らされながら船は港を離れゆっくりと海の彼方へと漕ぎだした。

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タイトル未定 風音 @Kazane0729

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