異世界平和のためならば_3


「俺はエミを許嫁として領地会議に連れていく。明日あしたにでもこんやくけいやくしよの作成をり行う。ヨアヒム、おまえは司祭の資格を持っていただろう? 儀式を執り行え。それをもって先日おまえのおかした罪を許そう。デトレフは立ち会い人としてそばにつき、契約書の内容を認めろ」

「か、しこまり……まし、た」

 ヨアヒムさんが白目をむきそうな顔で言う。虫の息だった。

 デトレフさんはそんなヨアヒムさんを横目にしようしながら「拝命いたします」とおをした。

「簡易で構わない。参列者は不要。最低限、金のさかずきの準備を。たとえ相手が人間であろうとも、これは俺、ルイス・シュテルーンの婚約の儀であるのだからな」

 厳格に執り行え、というルイスの命令に、かしこまりましたと二人は頷き部屋を出て行った。

 流れで婚約することになってしまった私は部屋に取り残されて、ばくばく音がする心臓を押さえていた。

「こんやく」

「ああ、許嫁ということだ」

「いいなずけ」

「……顔が赤いぞ、エミ。俺と二人きりでいるのだから、演技は不要だ」

 二人きりだなんて言われたから、ますます顔が熱くなるのがわかった。

 演技で顔が赤いわけじゃない! え? 本当に婚約しちゃう感じなの?

 婚約しましたって言うだけじゃなく、契約するの? 婚約届とかがあってそれを役所に出しちゃうの? 私はほっぺを押さえて叫んだ。

「わ、私、ホントに婚約しなくちゃ駄目? うそとはいえ契約書とかが出てくる婚約なんて……!」

「役所に書類が回っていないとどんななんくせをつけられるかわからん」

「竜のとうの外で待ってちゃ、駄目なの!? そもそも、会議場に入る時、本当に竜の姿にならないと? 今日はたまたま体調不良ですーとか言ったら許してもらえない?」

「不可能だな。弱みを見せた時点でそこをかれて俺はこの地位から引きずり下ろされるだろう」

「領主様の地位から? それは、その、絶対に守らなくちゃ駄目な地位なのかな? ルイスのことが、いやなわけじゃないんだけど……!」

 本当に、どうしても、どうにもならないんだろうか? ちょっと一日具合が悪かったぐらいで、おこられるような仕事なんて、私だったら絶対にやりたくない。でも、ルイスはちがったみたいだ。無言でスッと視線をらして、立ち上がった。怒らせた、と思った。

 ルイスはたなの上に置かれていたびんを取り上げると、あめいろの液体を杯に注いだ。その杯を持って窓を開けるとバルコニーに出て行ってしまった。

 夕方の風はすごく寒かったけれど、とつぜんの無言がこわくて私はそっと後を追いかけた。

 手すりに寄りかかり杯をかたむけ、一口飲むと、ルイスはやっと私の方を見てくれた。

「──おまえがどういう性格かは、この数日である程度理解はしたつもりだ。だから、領主の座を降りろとでもいうかのようなその言葉の真意も、ある程度はわかっている。とうてい受け入れることはできないがな」

「わ、私、悪いこと言っちゃった、ね……」

 頑張っている人に言うべきことじゃなかった。本人がたとえつらくて苦しそうでも。辛くても苦しくても頑張りたいと思っていることなんだって、わかってもよかったはずだ。

 妹だって体中があざだらけになっても、くつれで足がタコだらけになっても、それでもバレーの練習をしているのはバレーが好きだからなのだ。

「なあホシノエミ、おまえ、親に愛されているか?」

「へ?」

 とうとつに変わった話題に、私はきょとんとしてから、あわてて答えた。

「愛されてる、と思うよ?」

「……そくとうか」

「えっ、だって、親でしょ? そりゃうちはちょっと、両親が家を空けてることは多いけど、でもそれはお仕事だからだし。昔はかなり嫌だったけど、今では二人が私のことすごく心配してて大好きだってことも、仕方ないんだってこともわかってるもん。うん……たぶん」

「俺は父親ににくまれている」

 ルイスはそう言うと、のどを鳴らして杯の中身をあおった。

 しようげき的なカミングアウトに、私はごくりとなまつばを飲んだ。

「そん、なことは」

「父上は俺の出生に関して母のていを疑っている。その母は俺を産んだ時にかかった負担で死んだ。母を愛していた父上のぞうはすべて俺に向かった。しかしそれでも父上は俺を殺さなかった。なぜか? そうしてもよい、だれにもとがめられない権力を持っていたのに」

 風が寒くて、寒くて寒くて、その場にいるのがすごく辛い。

 思わず、バルコニーからげ出してしまいそうになった私の手を、ルイスがつかんだ。

 そして、引き寄せた。摑んだ私のてのひらくちびるを寄せて、ルイスがささやく。

「俺がひいでた力を持っていたからだ」

 掌にキスされるのかと思った。

 ルイスの熱いいきが掌にかかり、私はふるえた。

「力を持った者こそが正義。それが我ら竜族の、とりわけシュテルーン領の伝統だ。父上は先祖から引きがれたこの訓示に忠実に従っている。ゆえに俺は生き延びて、力ある者がくべき地位にいる。その俺の力がうばわれ、人間のむすめにぎられていると知られたら? ──俺はいのちいをする間もなく殺されるだろう。実の父親に、もなく」

「ルイス……、っ!」

 摑まれたうでにかかる力が強くなり、痛んだ。

 ルイスは笑った。

「泣きそうな顔をしているな? ホシノエミ……おまえが飲んだのは、愛した女を奪われ憎悪にたける男でさえも、竜族にとっては失えないと考えるほどの強大な力だ。自分が何を手にしているのか少しは理解できただろう? 何に巻き込まれているのかも。それを自覚させた俺が、おそろしいか? それとも、その強大な力の持ち主たる俺が恐ろしいか?」

「よく、わかんない……」

「わからない?」

「ルイスがりゆうになるところ見たことがないから、その力が恐いかどうかなんて、わからないよ」

 らんらんかがやかせていた赤いひとみをぱちぱちとしていたかと思ったら、ルイスがかたを落とした。

「まったくおまえは……ならばなぜ泣いている?」

 腕が痛いだけではなかった。

 ルイスがお父さんととても仲悪そうなのが、わいそうで、なみだが出た。

 でもきっと、ルイスは同情されるのとかすごくきらいそう。

 だから私は全然別のことを言った。

「すごく寒くて……寒すぎて泣けてきた」

「さっさと中に入れ。とうしそうならそう言え!」

「凍死はしないけどー、中に入ろうとしたらルイスが腕を引っ張って邪魔したんだよ?」

「それは悪かったな。湯を用意させるから毛布にもれていろ」

 身体からだしんから冷え切っているのは本当だったから、中に入るとソファの上で毛布にくるまりぷるぷるとふるえていた。デトレフさんと、その後ろからお手伝いのりゆうぞくの人たちも来て、おの準備をしてくれたので、ありがたく暖まらせてもらった。

 お風呂に入っている内にいた疑問があって、出た後でルイスにたずねた。

「竜族にとって人間とこんやくするっていうのがその、弱点? みたいになったりはしないの?」

「確かにこうげきはされるだろうな。だが、力を失うことよりははるかにましだ。……人間をはんりよに選ぶこと自体は、他の領ではまれにある」

「竜族と人間のカップル? あるんだ?」

「ああ……シュテルーン領ではちようしようべつの対象だがな」

 ルイス、私といると笑われちゃうんだ……。

 笑われないようにしてあげたいけれど、はなれるわけにもいかないから困ってしまう。

 ソファにひざかかえて座ったら、バサリと毛布をかけられた。

「ありがとう、ルイス」

「俺に力を返さずに死なれては困る」

「うう……そうだよね。早く返したいけど、私の身体から力を取り出す薬、手に入らない?」

「今のじようきようでは難しい。俺には役目があり動けない上、事情を話せる者も近くにはいない」

 ヨアヒムさんとデトレフさんにも話せない。

 いつもいつしよにいる人すら信用できないなんて、すごく辛いことだと思う。

「……犯人、どこにいるんだろう?」

「領地会議で俺が議場に入るのを必ず見届けようとするはずだ。……そして、俺が竜になる力を失っていないのをの当たりにした犯人は、次の行動に出るだろう」

かくれちゃって出て来なかったらどうしよう?」

「いいや、行動に出るはずだ」

「そうなの? 一度失敗してるのに」

「──領地会議が終われば、竜王選挙に入る」

「りゅうおう……竜王! だね!」

 耳慣れない言葉だけれど、意味はわかる。確かルイスがなりたかったもので、きっと竜族の中で一番えらい人のことだろう。

 選挙ということは大統領みたいなものだろうか。

「四つのこうしやく家の者が領主となり、その領主の内から竜王が選ばれる。恐らく犯人は俺が竜王になるのをしたいのだろうな」

「選挙かぁ。竜族の人たちしか投票できないとか?」

「投票できるのは竜族の中でも元老院議員だけだ。しかし元老院議員には……人間もいる」

「そうなんだ!」

「ああ……俺が竜王になったあかつきにははいじよしようとしていたが」

「ええっ、なんで!?」

いまさら理由を論ずるまでもないだろう。すぐに風邪かぜをひく、凍死しそうになり、しかける。そんな生き物を重職に就けておけると思うか?」

「風邪以外は言いがかりだよ!」

「……それを嫌った者の犯行か? しかし、たかが人間のために危険をおかす竜族がいるか?」

「犯人がわかりそう?」

「いや──俺の力をねらう者の心当たりは他にもいくらでもある。犯人はいまだ不明だな」

「そっかあ……残念」

 心当たりのある人たちみんなと仲直りできたら一番いいけれど、きっとそういうわけにはいかないんだろう。

 難しい立場に立たされている人なんだと思い知るたびに、少しでも力になれたらいいなという気持ちが強くなる気がした。




 ばんさんはデトレフさんが用意してくれた。

 自分で用意したんじゃないばんはんを食べるのはこれで何回目だろう?

 もし知らない内に私の世界の時間が進んでいたらどうしよう。そうしたら、弟と妹は私を心配して泣いちゃうかな? 案外、口うるさいお姉ちゃんがいなくなってせいせいするのかもしれない……ぐぬぬ、ご飯を食べずにおばかり食べていたらお姉ちゃんは、おこるよ!!

「何を百面相をしている」

「ひゃっ……弟と妹のことを考えていただけだよ!」

 大きなテーブルを囲んで、向かい側に座るルイスが興味なさそうな顔をして言った。

「仲がいいのか?」

「ものすごく仲いいよ! あ、でも弟は今、はんこうなんだけど! ぶっきらぼうだけど、お姉ちゃんのことが大好きなのはちがいないね!」

「そうか……それはいいことだな」

「うん!!」

 ルイスは、ナイフの先にあるお肉を見つめながらだけれど、そこから始まる私の可愛かわいていまいトークを文句を言わずに聞いてくれたし、あいづちも打ってくれた。

「おまえの世界は、平和だな」

 しようかべるルイスは、心臓がおかしな音を立てちゃうぐらい、こわいぐらいかっこよかった。その言葉にはせんぼうにじんでいて、胸がぎゅうっとめつけられるように苦しくなった。








続きは本編でお楽しみください。

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異世界で竜が許嫁です/山崎里佳 角川ビーンズ文庫 @beans

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