9話 『第1回定期試験』
穏やかな春の日差しの下、その心地よく過ごしやすい気候とは裏腹に道を歩く学生のほとんどはピリピリとしている。
週初めの登校日に定期試験が行われるのだから当然なのだろうか。そんな中を1人、悠馬も面倒くさそうに歩いていた。
もっとも彼の場合、原因は試験ではなくチームメイトであり同居人でもある紗乃との関係についてだが。
土曜の夜に会話をしてから2人が必要以上に言葉を交わすことは無かった。日曜の予定も紗乃側からキャンセルが入り、その直後教務部から定期試験の日程を月曜日に設定したという旨のメールが来たりとなかなか慌ただしく、単純に話す機会がなかっただけと言われればそうなのかもしれない。
だが悠馬としては意識的に距離を置かれている気がしてならなかった。
「まあ、考えたところで仕方ないか。とりあえず試験だ」
この学園の定期試験は特殊。下手をすれば悠馬の持つMPもごっそりと減ってしまうかもしれない。そういう危険を孕んでいるのだから。
教室へと着いた悠馬はゆっくりと自分の席に向かった。
試験前特有の緊張した空気に八木たちと目が合ったときの気まずさ、そして隣に座る紗乃の存在。その全てが居心地が悪く、悠馬は吐き気を催しそうになる。
そんな気持ち悪さをなんとか堪えていると担任の牛尾が教室へ入ってくる。
「昨日の連絡通り20分後、第1回定期試験を始める。場所は32号トレーニングドーム。試験形式は訓練用
淡々と試験の説明をした牛尾は目の前で固まっている生徒達を見回す。そして
「そう緊張せんでもええ。まあ頑張ってくれや」
と笑顔で言い残した。
牛尾の説明を聞いた悠馬は右隣に座る紗乃の方を盗み見た。こうやって紗乃の方をこっそりと見て様子を伺うのも何回目だろうか。気難しい紗乃を相手にしているのだから仕方がないことなのかもしれないが、それは長年の悠馬の癖だった。
2日前悠馬が受けたものと今回の試験の内容はまったく同じ。彼女は何らかの方法で今回の試験内容を知り、悠馬にその予行演習をさせたのだろう。
当の本人は涼し気な顔で悠馬と目を合わせようとしないが、そうとしか考えられない。
普段なら軽口を交えて紗乃に直接聞いてみる悠馬だったが今の雰囲気ではそれも叶わないだろう。そう判断した悠馬は仕方なくぞろぞろと訓練棟へと向かうクラスメイトの列の最後尾へと加わった。
Cランク用のトレーニングドームの中心部に置かれているのは2日前、悠馬が戦ったものと同じ白く美しい身体を持つ
その手脚の美しい曲線とそこに反射する光が何処か不安を煽る。そんな
「柊崎くん」
「柊崎くん?・・・ちょっと」
「うぐっ!?」
周囲の反応を気にしていた悠馬は後ろからかけられた紗乃の声に気付かず、その報復として誰からも見えないよう横腹に手刀を入れられた。
「なんだよ・・・理不尽な暴力には反対だぞ」
「頑張って」
「ああ・・・」
"頑張って"その一言だけ伝えると紗乃は遠くへ歩いていく。一体なにがしたかったのだろうか。やはり本当に彼女は分からない。
分からないこそ悠馬はまた深く考えてしまう。彼女が他人と距離を取る理由、
彼女からは何か信念のようなものが感じられるのだ。それは普通の人間が持たないものであり、複雑な経験から悩み考え抜いた末に出されたような確固たるものであり、悠馬が憧れるものに近い。
それは彼女が抱えているであろう過去と関係があるのだろうか。
彼女がもっと単純で簡単な人間であれば分かり合うことができるのだろうか。
そんなことを考えていた悠馬の耳に担任の声が聞こえてくる。
「今回の試験の順番は現時点での累計RP順とする。名前を呼ばれた者はすぐにドーム内に入るように」
累計RP順。それはクラス内で実力が高いもの順ということだ。
「九条 紗乃」
当然、文句無し学年1位の実力を持つ紗乃は最初に名が呼ばれた。
すぐに
「
牛尾の声に従い、前回同様
全員の視界上で100秒のカウントダウンが始まった瞬間、
「Phase2
周りで紗乃に注目していた悠馬以外の全員が目の前で起こっていることを理解しようと意識を集中させるが、まるでリプレイのように飛んでいく
紗乃の刀から超高速の斬撃が放たれているであろうことが分かっている悠馬でさえ、紗乃が手を動かす動作すら見えないのだ。彼女の能力を知らない普通の人間にはほとんど魔法のように思えるだろう。
開始1秒と経たない間に
「
牛尾の声と共にまたしても同じ光景が繰り広げられると思っていた悠馬たちの予想に反し、紗乃は空中へ高く跳び上がった。
初めて身体を大きく動かした紗乃と一瞬にして姿を消した
数分後に控える自分のテストのことなどもはや忘れたのか、ここからどんなバトルが繰り広げられるのかという興味と期待でクラス全員が紗乃の姿を凝視する。
紗乃の身体が上向きの加速度を失い、自由落下を始めるまでのほんの一瞬。ピタリと身体が宙へと止まったところを狙い、
それを読んでいたのか彼女は
土煙が晴れ、紗乃が降り立った隣に現れたのは頭から上半身を地面へとめり込ませた
「九条 紗乃、Phase10クリア。1,500pt」
始まる前から分かっていたことだがやはり学年1位の呼び声は伊達ではないらしい。文句無しの満点だった。
目の前で見せられた力と自分の差を痛感したのか、さっきまでの熱気が嘘のように周囲の反応は静かだ。
「お疲れさん。なにが徒手格闘は専門外だよ、普通に強いだろ」
ゆっくりとドームから出てきた紗乃に悠馬は労いの言葉をかけた。
「あれくらいは当然よ。せいぜい頑張って」
「お、おう・・・」
無意識で声をかけたが、やはり紗乃はまだどこか悠馬と距離を置きたいらしい。おそらくしばらくはこんな感じが続くのだろう。
「ってそんなこと考えてる場合じゃないな」
この試験の例年の平均点は650点前後。紗乃が満点の1,500点というよく分からない点数をたたき出したがそんなやつがゴロゴロいるとも考えにくい。
「だとするとPhase5までは最低でもクリアしないとな」
ボーナスpt込みの150pt×5の750pt。それだけあれば平均越え、MP減少という最悪の事態は避けられるだろう。だが悠馬はその程度で終わるつもりはなかった。
(絶対に前回の900ptを越えて九条に一泡吹かせてやる・・・)
密かにそんなことを思う悠馬は自分の番を待ちながら対策を考えるのだった。
「柊崎 悠馬」
まだ名前も分からないBランクのクラスメイト5人の番が終わり、呼ばれたのは悠馬だった。どうやら42人いるクラスの中でもまだ
紗乃を含め入学時から特例的にRPを支給されているメンバーを除けば悠馬はなかなかの実力者なのだろうか。以前、紗乃が試験についてはなんの問題もないと言ったのはこれが理由なのだろう。
自分がおそらく平均よりも上の力を持っているということに少し安心した悠馬は
「
担任の牛尾の声で例のごとく黒く色を変えた
やはり前回同様、Phase5までは問題なくクリアした悠馬の姿に驚くクラスメイト達。
そんな彼らの視線を身で感じながら悠馬は
単純な作戦だが短調な動きかつ身体が大きく重い相手には効果的だ。
横振りへ相手が対応し始めたところで悠馬はにやりと笑うと突然上へと大きく跳び上がった。その予想外の動きによって
「相手のアルゴリズムが完成した瞬間に別の動きに変えて崩しにかかる。なかなかやるわね、人間相手には効果が薄そうだけれど」
外で悠馬の姿を見る紗乃は素直に関心していた。
そんな彼女の賞賛の言葉など聞こえるはずもない悠馬は落下時のエネルギーを加えたかかと落としを相手の頭部へと食らわす。文句無しの有効判定が入り、
(今ので900pt。平均は越えた。でも、ここからが本番だ。一瞬も気は抜けねぇぞ・・・)
前回の悠馬はここで相手の姿を見失うという痛恨のミスをしたのだ。
だからこそ今回はしっかりと
振り返り、目の前の敵と相対し続く殴打をほぼ直感で避けながら悠馬は時間が過ぎるのを待つ。
今回の試験ではまだ前回のような遠距離攻撃が行われたことはない。だからといって距離を取り続けるのはナンセンスだ。
そして何より、遠距離攻撃が今回の試験の対象から外れていない可能性は拭えない。
だからこそ悠馬は近距離の間合いでひたすら攻撃を避け続けることに徹する。
悠馬の前に試験を受けたメンバーは撃破するかされるかという立ち回りをしてきた。
だからこそ忘れがちだが、別に今回の試験はまともに戦わなくても良いのだ。制限時間の100秒間をひたすら耐え抜く。そんな"逃げるが勝ち"戦法が通用する。
やけに長い100秒が経過し視界にはPhase7クリアの表示。なんとか悠馬は大台である1000pt越えを果たした。
周りから送られてくる期待の眼差しと、その期待に応えられない多少の申し訳なさを感じながら、Phase8を棄権した悠馬はドームの外に設けられた観客席へどかっと座った。
「つっかれたー・・・」
「お疲れ様。よくやったんじゃないかしら」
「九条っ!?」
「人を幽霊かなにかを見るような目で見ないでくれるかしら。不快だわ」
独り言のつもりで呟いた一言に後ろから返事がくれば誰でも驚くだろう。未だ驚いたまま動けない悠馬の隣へ紗乃はゆっくりと腰掛けた。
「な、なんか用か?」
朝まで全く話しかけてこなかったと思えば試験前に突然話しかけてきたり、軽く無視されたりと紗乃の微妙な態度に悠馬は率直な疑問を投げかける。
「特にこれといってなにもないのだけれど・・・」
「は?お前らしくないな」
「そうかしら」
悠馬の言う通り今日の紗乃はどこかいつもと違った。常にまっすぐで良くも悪くもブレない彼女にしては歯切れが悪い。
「それでどうかしたか?」
「さっき冷たい態度を取ってしまったことに少し──」
「いや、待て待て。熱でもあるのか?拾い食いでもしたか?」
「どうしてそうなるのかしら、斬られたい?」
「おかしいだろ、お前が謝るとかさ。お前は常に鋭くあるべきだ。それこそ触れれば切れる刀みたいにな」
「そう・・・」
紗乃はほんの一瞬悲しげな顔をするとすぐに振り返り悠馬から離れていってしまう。
(悪いな・・・お前には冷たく鋭く、孤高でいて欲しい)
そんな映画のワンシーンのように美しい紗乃の後ろ姿を見ながら悠馬はそう胸の中で呟いた。
ランクが下がれば下がるほど、到達できるPhase数も段々と下がってくる。必然、試験の回転率は人数を重ねるごとに上がっていく。
悠馬がドームの中へと視線を戻したときは牧田、逢田、鳴瀬、坂井、大宮の残り5人というところまで進んでいた。どうやらまだ1回も
見た目から運動神経の良さそうな牧田は苦戦しながらもなんとかPhase5中盤まではクリア。前の2人、八木と長谷川も同じようなところだろう。
そんな中、残る4人がとった行動によってその場の雰囲気はガラッと変わった。
「逢田、鳴瀬、坂井、大宮、Phase1棄権。以上で今回の試験は終了とする──」
担任の牛尾の声が頭上のスピーカーから響く。
棄権。それ自体はなにも問題ではない。現に悠馬も最後は棄権したのだから。しかしそれがPhase1からとなれば話は別だ。
Phase1の訓練用
「単純にやる気がねぇってか」
群れてヘラヘラと笑い合う4人の姿を目にしながら、悠馬はどこからか生まれる怒りを抑えることが出来ない。
そして気づけば談笑する逢田たちの前に立っていた。
「お前らさ、ふざけてんのか?」
「は?なに?」
「やる気はあるのかって聞いてるんだよ」
眉間にシワを寄せる悠馬の顔が面白かったのか、それとも怒る悠馬自体が面白いのか4人はケラケラと笑っている。
「どうせ悪い結果になる試験、やる気出す方が馬鹿でしょ?何熱くなってんの、気持ち悪っ」
「お前らな・・・」
思わず感情のまま殴りかかりそうになった悠馬の腕は見えない力に止められた。
「柊崎、校内での暴力は校則違反や」
「すみません・・・」
牛尾の巨躯に腕を掴まれ、校則を持ち出されては悠馬は謝ることしか出来ない。
「試験の棄権は個人の判断の下認められた正当な権利。誰も文句は言えんわ」
その言葉は正しい。しかし、かといって許せるものかと言えば違うだろう。
「クラス平均は374.6点。昼頃には学年平均の発表、点数によるMPの増減処理が行われる。解散」
事務的に告げられた牛尾の言葉で、第1回定期試験は意外にもあっさり終わってしまった。
自宅へと戻ってからも悠馬の中の逢田たち4人の行為への怒りが完全に消えることはない。
「行儀が悪いからちゃんと座ってくれる?見ててあまり気持ちのいいものではないの」
リビングのソファに寝転がる悠馬に紗乃は相変わらずそんな言葉をかけてくる。
2人で同じ空間を共有し始めて2時間。もう話しかけられることはないと思っていた悠馬はそれで少し機嫌が良くなったのか、しっかりと座り直すと顔だけを紗乃の方へと向けた。
「1つ聞いてもいいかしら」
「なんだよ」
「どうしてさっき怒ったの?別にあなたが気にする必要はないでしょう?」
その問いに対する答えを考える悠馬はこれといった答えを持っていない。
「気づいたら怒って文句言ってた。ムカついたんだよ、ああいう態度に」
「それは自分でなにもやろうとしないところに?」
「そんなとこだろうな」
「あなたも同じじゃないの?出来ないことは他人におまかせがスタンスなんだから」
それは少し前に悠馬が自らの口から発した言葉だ。
「人間"出来ないことは出来ない"んだよ。それは仕方ない。でもそれと努力しないことは違うだろ」
「"出来ないことは出来ない"ね・・・。なら出来るようにもっと努力するという気はないのかしら。あなた、それでよくこの学園にいるわね」
そう言い残し自室へと消えていく紗乃の姿を横目で見送り、ドアの閉まる音を感じると窓の外へと目を向けた。遠くの空には雲がかかっている。明日の午後は雨だろう。
「出来るようにする・・・か」
この学園は理を越えし者、デュナミスの育成機関。そこに通う生徒は程度の差こそあれど、自らのイメージで自然の摂理を
つまり紗乃は悠馬にもっとデュナミスであることの自覚を持たせたいのだろう。それが未だ能力を使えない悠馬への皮肉なのか、単に考え方、心構えに対する文句なのかは分からないが。
「言い訳したが、あいつら4人とオレが一緒ってのは間違いない。だからこそオレはオレが嫌いだ──」
悠馬は遠くに浮かぶ雨雲を見ながら、誰に言うでもなく自分に向けてそう零した。
デュナミス・コンフリクト D/R 黒蓮 @kokuren
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