5.その距離の先
――結局、ナンパ男達は「ゴリラは御免だ!」という捨て台詞を残して逃げるように去って行った。結構な駆け足だったので、本気で怖かったのかもしれない。
川上さんは、ケロリとした何でもないような顔をしていたので、僕は思わず「握力、凄いんだね」等と言ってしまった。だけど川上さんは気にした風もなく、「握力は普通だよ? あれは、コツがいるんだ」と答えてくれた。
……全くの余談だが、スチール缶を握りつぶすには、成人男子の平均握力でも足りないらしい。川上さんのコツとやらが凄いのか、それともやっぱり握力が凄かったのか。真相はうやむやのままの方がいいのかもしれない。
僕達はその後、相変わらず展望スペースで海を眺めていた。
そう言えば、今日最初に川上さんを見付けた時も、彼女は海を眺めていた。……とっても物憂げな表情で。
一体、何を考えていたのだろうか?
チラリと彼女の様子を盗み見る。
今の僕達の距離は、近いようでいて遠い。肩と肩との間の距離は、目算でおおよそ15センチ――奇しくも、僕のカメラの最低撮影距離と同じくらいだ。
最低撮影距離より近付くと、写真はピンボケに――台無しになってしまう。
それはどこか、僕と川上さんとの距離感にも似ていた。
正直に白状すると、僕は川上さんのことが気になっている――もちろん、女の子としてだ。以前から、彼女に対してもやもやとした気持ちを抱いていたが、今日、この姿の彼女に「一目惚れ」したことで、自分の気持ちの正体に気が付いた。
だから、本当はもっと近付きたい。肩と肩が、触れ合いそうになる距離まで。彼女のことを、もっと知りたい。
でも、不用意に近付けば、今の丁度良い距離感は失われてしまうかもしれない。被写体に近付き過ぎれば、写真がピンボケになってしまうように。
『――だから、あんたも教室ではあたしに話しかけたり、庇ったりするなよ?』
あの日の彼女の言葉と表情が蘇る。あれはきっと、僕を気遣っただけの言葉ではなく――。
「――ねえ、朝倉」
「ん?」
不意に川上さんが口を開いた。
「朝倉の志望校って今ん所どこなん?」
「……ギリギリ江ノ高ライン、ってところかな」
「江ノ高」とは県立の「江ノ島高校」のことで、近隣の公立校の中では、そこそこのレベルの学校だ。名前に反して、江ノ島の中にある訳ではなく、やや離れた場所にある。
「マジ? あたしは江ノ高がドンピシャなんだけど」
「え、そうなの? うっわ、本当に成績はいいんだね……」
「まーねー。教師の覚えもめでたいし? ま、その代わり友達いねーけど」
ニシシと笑う川上さんに、思わず「僕がいるじゃん」と言おうとして、寸前で我慢した。その言葉は今、相応しくないような気がしたのだ。
――だから、代わりに別の言葉で答えることにした。
「そっか、川上さんが受けるんなら、僕も本格的に江ノ高目指して勉強しないとなぁ」
我ながら何とも姑息で卑怯だと思う。結局僕は、川上さんとの間に「友達」というラインを引きたくないのだ。かと言って、「友達」というラインを越えて一歩踏み込むこともしない――そんな
だから、どうとでもとれる言葉を放って、川上さんがどう食いついてくるのか待っているのだ。果たして、彼女の答えは――。
「いいねいいね、一緒に江ノ高で青春を
どうとでもとれる言葉には、どうとでもとれる言葉で返す――川上さんはやっぱり甘くなかった。僕の微妙な心持ちなんか、全てお見通しなのかもしれない。
「――さて、そろそろ帰ろっか?」
そして告げられる最後通告。この日、僕らが出会った偶然はこれでおしまい。明日からはまた、いつのもの関係が始まる。
何度か話したことがあるだけの――教室ではお互いに関わらないようにしている――ただのクラスメイトに戻るだけ。
――本当にそれでいいのだろうか?
僕が自問したその時、不意に風が強く吹いた。川上さんは小さく「きゃっ」と可愛らしい悲鳴を上げたが、帽子はしっかり手で抑えられていて、宙を舞うことはなかった。
偶然はそう何度も起きない。都合の良いチャンスなんて、そうそう無い。だったらきっと、待っているだけでは駄目なわけで――。
「――ねえ、川上さん」
展望スペースを去ろうとしていた彼女に呼びかける。
「なぁに?」
彼女が振り返る。ウィッグの黒髪が僅かに揺れ、ワンピースが風に舞う。
「僕も、川上さんは今の髪型とか格好の方が、良いと思う」
「えっ!? ……あー、えーと……ありがとう?」
僕のあまりにも直球すぎる褒め言葉を予想もしていなかったのか、川上さんはちょっと照れた様子だった。
「でね、ちょっと面白いことを考えたんだけど――川上さんさ、高校デビューしてみない?」
「……はぁ?」
「普通、高校デビューって言うと、中学まで地味だった人が派手な髪型にしたりするらしいけど、それとは逆でさ。家では今まで通りの格好をして、外や学校ではウィッグ被って化粧も落としてってやってみたら……面白いと思わない?」
「いや、普通に考えて無理だろ、それ」
「やってみなくちゃ分からないじゃん! 一緒に江ノ高入れたら、僕も手伝うからさぁ~。せっかく綺麗なんだし、僕の頭の中やこのカメラの中だけに収めとくのは、もったいないよ!」
「――き、綺麗って、あんた……いきなりどうした!? さっきまでとテンション違うぞ!?」
川上さんの顔は真っ赤だった。盛大に照れているのだ。
そうでなくては困る。僕だって物凄く恥ずかしいんだ。きっと川上さんに負けず劣らず真っ赤な顔をしていることだろう。
「という事で、来るべき川上さんの高校デビュー作戦に向けて、相談があるんだけど」
「……って、あたしはやるだなんてまだ一言も――」
「――連絡先さ、交換しない? 今後の為に」
そう言って、彼女に自分のスマホを差し出す。「高校デビュー作戦」も決して嘘ではないが、本命はこちらだった。
姑息な僕らしい、遠回しな「これからも川上さんと関わっていきたい」というアプローチだ。
川上さんは、しばし難しい顔で僕のスマホを眺めていた。でも――。
「……ったく、しゃーねーなー」
心底「困ったなぁ」といった様な表情を浮かべながら、自分のケータイを取り出すのだった――。
――その後、僕達はめでたく揃って江ノ高に合格。そして色々あって、ただの僕の思い付きだったはずの「高校デビュー計画」を実行に移すことになる。
そのせいで、沢山の人を巻き込んだ、とても賑やかな日々が始まることになるのだが……その話は、また別の機会に。
(了)
麦わら帽子は、二度飛ばない 澤田慎梧 @sumigoro
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