4.江ノ島にて

 ――僕と川上さんは江ノ島へとやって来ていた。


 流石は県下でも有数の観光地だけあって、江ノ島の混雑はかなりのものだ。もしかすると、肌寒さに海水浴を諦めた人達の一部が、目的を江ノ島観光に切り替えてやって来ていて余計に混んでいるのかもしれない。


「うっひゃー、流石に人多いなぁ。朝倉ぁ、はぐれんなよ?」


 川上さんは何故かテンション高めだった。「久々に江ノ島行きたいから付き合ってくれよ」と言うからここまでついてきたが、そんなに江ノ島に来たかったのだろうか?


 江ノ島のメインストリート、江島神社の参道は大賑わいだった。特徴的な青銅製の鳥居をくぐり抜けた先には、飲食店や土産物屋が軒を連ねている。飲食店は既にお昼時を大分過ぎているというのにどこも満員だ。


 川上さんはそれらの店を冷やかしつつも、ずんずんと参道を進んでいく。僕はついて行くので精一杯だ。周囲は仲良く手をつないで歩くカップルだらけだというのに、それとは大違いだった。


 参道をしばらく進んだ所で、川上さんがようやく立ち止まった。見れば、江ノ島名物の一つ「たこせん」屋の前のようだ。


 「たこせん」と言うのは、プレス機のような鉄板でタコを丸々潰してそのまま焼く、という豪快なせんべいの事だ。地元のスーパーにはパックされた出来合いのものが売られているが、ここでは焼く様を実演して見せているらしい。先程からたこせんを焼く時に出る「プシュー!」という、蒸気が噴き出すような音が聞こえている。


「ほい、あたしのおごり」


 川上さんがたこせんを二枚買い、一枚を僕に差し出した。女の子におごらせるというのは少々気が引けたけど、ここは有り難く頂いておこう。


 たこせんをバリバリかじりながら再び歩き出す。この先は江島神社で、殆どの観光客はそちらに吸い込まれていくのだが、川上さんはそちらへは行かず、脇道の方へと進んでいった。


「神社には行かないの?」

「んー、ここの神社は、ちょっとね……」


 珍しく口を濁す川上さん。この神社に何か嫌な思い出でもあるのだろうか? 等と考えていたら、ふとこの神社にまつわる都市伝説のことを思い出した。


 江島神社には複数の神様が祭られていて、その内の一柱・弁財天は非常に嫉妬深い神様なんだとか。だから、カップルで神社をもうでると、そのカップルは弁財天の嫉妬を買い高確率で破局する――というものだけど、ただの都市伝説だし、そもそも僕と川上さんはカップルではない。


 でも、もし川上さんが神社を避けた理由がそれだったら――等と一瞬考え、すぐに首を振った。女子がちょっと仲良くしてくれたからと言って勘違いするのは、男子の悪い癖だ……。


 江ノ島は山がちな地形なので、道の殆どが急な坂道か階段だ。


 川上さんが履いているのはデザイン重視のサンダルで、とても歩き難そうなのだが、全く苦になっていないのか坂道もなんのその、先へ先へとずんずんと進んでいく。スニーカー履きの僕の方がむしろ遅い位だった。


 そうこうしている内に、僕達はいつの間にか、江ノ島で一番高い辺りまで辿り着いていた。四方が開けていて、遠くの海や陸地が良く見通せた。そしてすぐ傍に江ノ島のシンボルたる江ノ島タワー(正式名称は「江ノ島シーキャンドル」らしいが、そう呼ばれているのをあまり聞いたことが無い)がそびえている。


「タワーは……登らなくていいよね?」

「だね……」


 立派なタワーだけど、地元民にはそれほど愛着が無い。僕も、学校行事か何かで一回だけ昇ったことがあったようななかったような、という状態だ。だから、今回も僕達はタワーには行かなかった。


「タワーに登らなくても、ある程度景色は見えるしね」


 そう言うと、川上さんはタワー近くにある「亀ヶ岡広場」の展望スペースへと向かった。


「わぁ、絶景かな絶景かな!」


 展望スペースからの景色に、思わず川上さんがはしゃいでいる。


 確かにかなりの絶景だった。南には相模湾の海とその先に浮かぶ伊豆大島、西には伊豆半島が見える。湿度が高いのか、ちょっとだけもやがかかっているように見えるが、それでも十分に良い見通しだった。冬場ならもっとクリアに見えるのかもしれない。


「しっかし、久しぶりにここまで来たけど、やっぱり結構歩くね。流石に暑いかも」


 川上さんがワンピースの胸元を引っ張って、手をパタパタさせて風を送り始めた。……ちょっと目の毒なので止めて頂きたいが、暑くなってきたのも確かだ。肌寒いとは言えやはり七月の気温、ちょっと動けばすぐ汗だくだ。


「何か飲み物買ってくるよ。何がいい?」


 さっきのたこせんのお返しとばかりに、今度は僕がおごることにした。


「ん~、じゃあブラックコーヒー!」


 そして川上さんのセンスは非常に渋かった――。


 ――近くの自販機で缶コーヒーを二本買って展望スペースへ戻ると、ちょっと困った事になっていた。


「ねぇねぇ、お姉さん一人?」

「俺達東京から来たんだけどさ、一緒に回らない?」


 二人組の「いかにも」な男達が、川上さんをナンパしようとしていた……。

 今の川上さんは、確かに見た目ウルトラ美少女なので、ナンパされてもおかしくないのだが、二人で一人の女の子をナンパして、一体何をどうしようと言うのだろうか? 中学生の僕でも、いかがわしい目的だとしか思えなかった――いや、そもそもナンパ自体がいかがわしいという説もあるけど。


 さて、本当に困ったことになった。


 ナンパ男二人は中々のガタイをしている。対する僕は……実はクラスでも小さい方だ。運動もろくにやっていないので、ガリガリでもある。


 ついでに言うと、僕よりも川上さんの方が背が高い。平均より少し上、くらいだろうか? 更に顔立ちが大人びているので、女子高生と言っても十分に通じる見た目だ。実際、僕も彼女のあの姿を初めて見た時は「ちょっと年上」等と思ってしまったのだが……。


 ――それはともかくとして、川上さんをこのまま放っておくわけにはいかない。彼女のことだから自力で何とかしてしまいそうなものだが、それでもやっぱり川上さんは女の子で――僕は男なのだから。


「あのー、僕の連れに何か用ですか?」


 意を決して、ナンパ男達と川上さんとの間に割って入る。最初からケンカ腰だとあちらも腕力に訴えてくる可能性があるから、あくまでも低姿勢だ。


「え、何? 弟くん?」

「悪いねー、ちょ~っとお姉ちゃん貸してくんない?」


 案の定、僕がチビなのでナンパ男達はなめてかかって来た。


「いや、弟じゃないんですけど!? 僕らもう帰るんで、どいてくれませんか?」

「……いや、空気読めよチビ。『消えろ』って言ってんの」


 こちらがちょっと語気を強めると、それに呼応するようにナンパ男も高圧的な態度に出た。しかも周囲にトラブルを察知されないように、脅し文句は僕にだけ聞こえるような小さい声だ。顔も笑顔のまま。何とも悪知恵の働く連中らしい。


 ――正直、怖い。実際に暴力を振るってくるかは分からないが、自分よりデカいガラの悪そうな男二人に凄まれているのだ。何とかこらえているけど、さっきから足がガクガク震えそうだった。


 でも、引く訳にはいかない。だって、僕は――。


 ――僕とナンパ男達とのにらみ合い(相手にとっては一方的な恫喝)がしばらく続いた、その時だった。


 川上さんが無言で僕の手から缶コーヒーをひったくると、プルタブを開けおもむろに飲み始めたのだ。


 川上さんはそのままコーヒーを一気飲み。僕もナンパ男達も、突然の出来事に目を丸くする。しかし、本当に驚くべきはその次だった。


 川上さんは満面の笑みを浮かべると、ナンパ男達の目の前にコーヒーの空き缶を差し出した。ナンパ男達がその意味を計りかねて首を傾げたその瞬間――川上さんが。アルミ缶ではない、スチール缶をあっと言う間に握りつぶして見せたのだ。


 そして満面の笑みを浮かべたままこう言った、「おとといきやがれ」と。

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