3.最短撮影距離
「と・に・か・く、カメラを寄越しな!」
白いワンピースの美少女改め川上さんは、僕からカメラを奪い取ろうと迫ってきていた。
「いや、川上さんにも画面見せながら消すから! 渡すのはちょっと……」
「馬鹿野郎! それじゃパ……アレがちゃんと写ってたら、お前も見ることになっちゃうだろ!? だから、カメラごとあたしに貸せ!」
川上さんの主張は全くの正論だった。もしカメラにしっかりとパン……下着が写っているのなら、その画像は消さなければならない。そしてデジタルカメラの画像を本体の操作で消す際には、必ずその画像を視認することになる。
つまり、僕が操作して画像を消すということは、僕が画像を見ることと同義でもある。
だから、本来はカメラごと川上さんに渡して、問題画像を消してもらうべきなのだが……ちょっと渡し難い理由があった。
――先ほどのハプニングの直前まで、僕は川上さんの姿を何枚も何枚も写真に収めていたのだ。本人に無許可で。
そして、かなり想いの乗った撮り方をしているので、それを見透かされたら恥ずかしい、という気持ちもあるのだ……。
「いや、今付けてるレンズは最短撮影距離15センチのやつだから! さっきはどう考えても15センチよりも寄ってたから、絶対ピンボケだって! まともに写ってないから!」
これは嘘ではなく、デジタルカメラには「最短撮影距離」というものがある。これは、カメラのセンサーと被写体の間が最低でもその長さ離れていないとピンボケになってしまうというものだけど、今このカメラに付けているレンズは、それが15cmなのだ。
先ほどは僕の腕が半ば伸びた状態だったので、パン――下着までの距離は「最短撮影距離」を下回っていたように思える。だから、恐らくピンボケで写っていると思うのだが――当然、そんな言い訳は川上さんの知ったことじゃない。
「いいから寄越しなって! どうせ水着のオネーチャンでもパシャパシャ撮ってて、それを見られるのが恥ずかしいってんでしょ? その位、気に、しない、から――」
言いながら、むしり取るように僕からカメラを奪おうとする川上さん。僕も取られまいと必死に応戦したけれど、川上さんのパワーが予想外に強かったり、お互いの体が触れ合って彼女の体の柔らかさを感じて照れてしまったり、彼女からいい匂いがして何とも言えない気持ちになったりして、結局カメラを奪い取られてしまった。
「どーれどれ、問題の画像は、と……」
川上さんは再び眼鏡をかけるとデジカメをいじり始め、問題の画像をチェックし出した。僕はその様子を、裁判の判決を待つ被告のような気持ちで見守るしかなかった。すると――。
「げっ」
問題の画像を見付けたのか、川上さんが顔をしかめながら
その後も川上さんは、操作をする度に「うわ」とか「ひえ」とか様々にリアクションしながら画像をチェックしているようだった。多分、大半はハプニング画像ではなく、僕が普通に撮影したものだろうから……なんとも胃が痛い。
「あー、うん。問題の画像は……消しておいた。その、上手に撮れてるんじゃない?」
ひとしきりチェックした後、川上さんがちょっと照れた表情を浮かべながらカメラを返して来た。……これは、川上さんを激写したのも見られたな、と僕も羞恥で顔が真っ赤になってしまった。
そして、なんとなく気まずい空気が流れ、しばらくお互い無言になってしまった。が、いつまでもこのままという訳にはいかないし、何も言わずに別れてしまったら、今後川上さんとは気軽に話せなくなってしまうかもしれない。
ただでさえ三年になってから疎遠になっていたのだ、それはちょっと嫌だった。ここは一歩踏み込むべきだろう。
「えーと……川上さん、その格好、何?」
「え!? えーと、これはだな、そのー」
「コスプレ……?」
「違うわ! 普段着だよ、ふ・だ・ん・ぎ!!」
「なるほど……その黒髪ロングはウィッグ?」
「そ、この下はいつもの金髪だよ? 前も言ったかもだけど、本当はこういう髪型にしたいんだよなー! 服だってこーゆーのがいいのに、カーチャン買ってくるの虎の刺繍のスカジャンとかだぜ?」
――そう言えば、以前に話した時に川上さんが言っていたような覚えがある。「自分は好きでこんな頭をしているんじゃない」と。
「うちのカーチャンさ、まあ、いい人なんだけど? ちょっと偏ってるっていうかさー、やることとか趣味が極端なんだよね。自分の好きなものは絶対にいいものだ? みたいな?
金髪も化粧も、『良かれ』と思ってやらせてるんだぜ? 笑えるだろ? 小学生の時からさー、あんな頭と化粧してたから、そら担任教師も家庭訪問して注意するっちゅうの! でもカーチャン無駄に弁が立つから、逆に教師の方が論破されてスゴスゴ逃げ帰っちゃってさぁ……。
まあ、そのお蔭で『申し送り』っていうの? 先生達の間に『川上の家は難しい』って情報が流れてくれて、逆に学校じゃ先生達が色々気を使ってくれたり相談に乗ってくれたりするようになったから、全部が全部悪い訳じゃないんだけど……」
「お母さんには、その、違う髪色とか服装にしたいってのは、言ったことあるの?」
「ある。けどなぁ……本当にあの人あたまおかしくて、『お、男でも出来たか? 駄目だよ男の趣味に合わせて自分を変えるってのは! 一本筋の通った女になりな!』って、斜め下の答えをもらったよ」
「それは……また」
川上さんは努めて明るい口調で語っているが、それは暴力がないだけで虐待なのでは……?
「あとねー、参るのがメガネなんだよね……。あたし実は視力悪いからさ、授業とかもメガネ無いときついんだけど、カーチャン『メガネかけてると際限なく眼が悪くなる!』って言って、メガネ買ってくれねーんだよ……」
そう言いながら、黒縁メガネの弦をコツコツと叩く川上さん。お母さんが買ってくれないとなると、もしかしてそのメガネは……。
「もしかして、そのメガネって自分の小遣いで買ったの?」
「そ! うちシングルマザーで貧乏だけど、小遣いはちゃんとくれるのよ? だから、それを貯めてこのメガネとか、服とか、ウィッグとかも。カーチャンに隠れて買った。まあ、見つかっても取り上げたり捨てたりはしないと思うけど――」
「思うけど?」
「多分、泣く。『娘が言うこと聞いてくれない~』って。いやホント笑えない」
――予想以上に壮絶な川上さんの家庭環境に、僕は思わず絶句してしまった。
笑い飛ばすことも出来ない。理不尽を怒ることも出来ない。
何故って、川上さんは諦めて受け入れて、でもその中で出来ることを探して必死に「抵抗」しているんだから。ちょっと聞きかじった程度の僕に、何か言えることがあるとは思えなかった。
でも、それでも――。
「川上さん」
「ん?」
「僕に――僕にでも出来ることがあれば、言ってよ」
「はい~? なにさ、いきなり」
「大したことは出来ないけど……何か、あれば、さ」
正直、こういう言い方は我ながら卑怯だと思った。
「何か出来ることがあれば」というのは、結局具体的な解決策を相手に丸投げしているのに過ぎない。「心配はしている。けど、君の抱える問題について具体的な打開策は分からない」と言っているとの同義だ。
でも、それでも……「頼りないけど味方がいるよ」ということを、どうしても伝えたかったのだ。僕の自己満足――エゴでしかないとは分かっていても、それだけは川上さんに伝えておきたかった。
「何か、出来ること、ねぇ……」
僕の言葉をどう捉えたのか、川上さんが海を見つめたままオウム返しのように呟いた。
――桟橋の漁船が、風に揺られてきしんだ音を立てた。
「よし、そうだな――朝倉、ちょっとそこまで付き合ってよ」
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