2.夏の魔物
期末テストが終わって最初の日曜日。
本当ならば、仲の良い友達連中とどこかへ遊びに行きたいところだったが、残念ながら僕の周りは進学校を目指している連中ばかり。僕以外は皆、日曜日も塾通いだった。
仕方なく僕も自宅で勉強に勤しんでいたのだが、どうにも集中力が続かない。そこで、気晴らしの為に海まで写真を撮りに行くことにした。
写真は僕にとって唯一の趣味と言えた。――と言っても、叔父さんから
――愛用のママチャリを飛ばして十数分、地元の
既に海開きして何日か経つ。なので、さぞや海水浴客でごった返しているのだろうな、等と思っていたが、今日は七月にしては珍しいくらいに肌寒く、その為か人の姿はまばらだった。
僕は適当な場所にママチャリを停め砂浜に降りると、カメラをバッグから取り出し適当に撮影し始めた。
日差しを受けて青緑色に鈍く輝く海。
白とは程遠い、くすんだ色の砂浜。
近くにそびえる江ノ島の
海水浴を楽しむ若い男女――は流石に怒られそうなので撮らないでおいた。撮影にもマナーと言うものがある。
そんな配慮もあり、少しずつ
コンクリート製の古い桟橋には、何隻か漁船が停泊している。せっかくだから失礼して、漁船でも撮るか? 等と思った、その時だった。
――目の前の光景に、思わず息をのんだ。
一人の少女が、桟橋から静かに海を眺めていた。
僕よりも少し年上だろうか? 長く
やや野暮ったい印象を受ける黒縁メガネの奥に光る瞳には、気のせいか
気が付けば、僕は彼女の姿を写真に収めていた。本人に無断で撮影するのはマナー違反だが、そんな事も忘れるほどに夢中でシャッターを切り続けた。
少女と僕との間には多少距離が有ったので、彼女が僕に気付く様子はまだない。そのことで調子に乗った僕は、彼女の表情を撮ろうとレンズのズームリングを回し倍率を上げた。液晶モニターに映る彼女の姿がぐっと拡大され顔がクローズアップされる。その薄化粧の様子まで分かる程に――。
「――ん?」
そこで僕は、奇妙な違和感を覚えた。ズームして見ると、ますます彼女が美人であることが分かったのだが……気のせいか、彼女の顔にはどこか見覚えがあった。
はて、一体どこの誰だっただろうか? 等と僕が考え始めたその時――不意に突風が吹いた。
「きゃっ――」
少女が小さな悲鳴を上げる。見れば、今の突風でカンカン帽が飛ばされてしまっていた。
帽子は空高く舞い上がり……僕の方へと飛んできた。反射的に手を伸ばすが、ちょっと届かない。飛べば届くかな? 等と僕が思っていると――
「そこの人、そのまま動かないで! 足踏ん張って!」
そんな声が聞こえてきた。
「え?」
状況を掴めぬまま声のした方を見やると、猛スピードでこちらに駆けてくるワンピースの少女の姿が目に入った。そして――。
「肩借りるよ!」
その声と共に少女は跳躍し――少し遅れて僕の肩に謎の重圧がかかる。ジャンプした少女が僕の肩に手をつき、その反動で更に高く飛び上がったのだと気付いた時には、僕はすっかりバランスを失い、後ろに倒れ込もうとしていた。
後頭部を強打しないよう咄嗟に顎を引き、カメラを庇う為に腕を伸ばす。刹那、背中がコンクリートの固い地面に叩きつけられ一瞬息が止まるが、頭もカメラも無事守られた。
そして、倒れ込んだ事で空を向いた視界に飛び込んできたものは、高く舞い上がり見事に帽子をキャッチした少女の姿だった。
抜けるような青空の中にあって、その姿はどこか幻想的な美しさでもって僕の目に映ったのだが――一つ問題があった。
少女は、僕の肩に手をついて、ほぼ真上へと飛び上がった。だが、ご存知のように運動する物体には慣性と言うものが働く。
少女は助走をつけて飛び上がった。と言う事はつまり、彼女の体には助走分の慣性が働いており、その落下地点は踏切位置ではなくそれよりもやや前方にずれることになる。
――そう、踏切位置からやや前方、有り体に言えば僕の顔面の辺りに、だ。
「うわぁっ!?」
彼女の体が僕の顔面めがけて自由落下を始めたことを認識し、叫びながら咄嗟に手で顔を庇うが、僕の手にはカメラが収まっている。見ようによっては、顔の前でカメラを構えているような姿勢だ。
そこへ、少女の体が降ってくるが――。
「よっと!」
当然、僕の存在に気付いていた彼女は、寸前で両足を左右に大きく開き、僕の頭をまたぐように着地した。足元はおしゃれな感じのサンダルだったはずだが、信じられない身軽さだ。
「良かった。踏まれなかった」と安心した僕だったが……すぐに自分が危機的状況から全く脱していないことに気付いた。
少女は、僕の頭をまたぐように着地した。つまり、僕の頭は彼女の股下を――スカートの中を見上げる位置にあったのだ。しかも、カメラをスカートの中に突っ込んだような状態で。
『あっ』
僕と少女の声が見事にハモる。
何とも気まずい空気が流れた。事故だ、これは事故なんだとお互いに理解しつつも、今の状態をどう処理していいのか分からない、そんな空気が。
――そのまま、どれ位の時間が流れただろうか。一分? 三十秒? いや、ひどく長く感じただけで、実際には数秒しか経っていなかったのかもしれない。
「このままではいけない」と決意した僕が、彼女の股下から逃れようと身をよじったその時、更なる悲劇が起こった。
『カシャカシャカシャッ』
場違いな程に無機質な機械音が、辺りに響いた……言うまでも無く、僕のカメラのシャッター音だ。どうやら、緊張で手がこわばっていたせいか、身をよじった時に間違えてシャッターボタンを押してしまったらしい。しかも連写モードというおまけ付きで。
「な、なななななな、なに撮ってんの!? あんた!!」
今度は固まることはなく、少女が素早い動きで僕の顔面の上から飛び退いた。
僕はと言えば、「あーこれどう言い訳しよう?」等と考えながらも、うまい言い訳が思い付かずに地面に寝そべったままだった。
……とは言え、このまま弁明も何もせずにいたら、警察に突き出されても文句は言えない。僕は仕方なく起き上がり、ようやく少女の方を見やった。
少女は、怒りと羞恥がないまぜになったような表情で僕のことを睨んでいた。よほど警戒しているのか、帽子を盾のように構え、口元を隠している。
「えーと……ワザトジャナイヨ?」
「わざとだったら警察呼んでるわよ! ……って、あれ、あんた……?」
そこで少女は、何故か僕の顔をまじまじと眺めはじめた。どうやら向こうも僕に見覚えがあるらしい。やはり、どこかで会ったことがあるのだろうか? しかし、こんな美少女なら一度会えば忘れないと思うんだが……。
彼女はそのまま、僕の顔をしげしげと眺めていたが、ふと何かに気付いたような様子を見せると、おもむろに眼鏡を外し、もう一度僕の顔を見た。
「あんた……
朝倉大地というのは、僕のフルネームだ。
「確かに僕は朝倉だけど……どこかで――」
「お会いしましたか?」と言おうとして、僕はあることに気付き仰天した。
彼女が眼鏡を外したことで、ようやく気付いた。確かに僕は彼女の顔に見覚えがあった。あったが、普段と違い過ぎて全く気付かなかったのだ。
――普段の彼女は黒髪ロングではない。化粧もこんなに薄くない。
普段の彼女は……金髪ショートに厚化粧なのだ。
「え……もしかして、川上さん?」
そう、白いワンピースの美少女は、クラスメイトの川上咲綾だったのだ。
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