終章
「智君。智君」
智は妃美の声で目が覚めた。
「よかった。びっくりした」
「あ、俺……」
智は声を出したのが、何年振りかの様に感じた。
妃美のほっとした顔、そして声も、懐かしく思えた。
智は横を向いた。智の玄武は、すました様に浮かんでいた。
大きなサイズの四神ばかりを見ていたためか、大きな玄武が、普通の様に思えた。明日香村に来てから大きくなった玄武に感じていた違和感は、すっかりなくなっていた。
智は何年も、何年も、旅をしてきたように思えた。
智はきょろきょろと周囲を見渡した。
伝飛鳥板蓋宮跡だ。雑草に覆われ、建物はない。石畳だけの宮。
3人のおばちゃん達は、宮跡のそばにある、説明の木の看板を大きな声を出しながら読んでいた。
自分は石畳にしりもちをついたように座り込んでいた。体もだるく、息も切れる。
智はやっと、自分のいる場所と時代と状況が理解できた。
妃美と、3人のおばちゃん達と一緒に、明日香村を観光していたのだ。
「ねえ。私達、加夜奈留美神社にいたのよね。大郎さんと白虎はどこに行ったの?」
「妃美さんは、どこまで覚えていますか」
「えっ?」
妃美は智の質問の意図が分からなかった。
「たしか俺達、大郎さんときららと加夜さんと話をしていましたよね。
そして、四神の事を聞かせてもらって、それから、妃美さんが帰りたいって、泣き出して」
「うん。そしたら、智君がまた黒く光ったと思ったら、突然ここに 戻ってきていたから、びっくりしたの。
大郎さんが戻してくれたのかな」
「それだけですか?」
「えっ。他に、なにかあるの?」
(やっぱり、俺だけなんだ。大郎さんの過去とか見たのは)
「はい。色々あったんです」
智は神妙な顔をして妃美を見つめた。
「お二人さーーーん!
そんなとこ座って、見つめ合ってないで!
告白するんなら、もっとムードあるとこにせんと」
二人は同時にたため息をついた。
「おばちゃん達って、その手のからかい、好きよね」
反論する気もなくなった。
「なぁなぁ。止めてある車が気になるからさぁ、早よ車んとこ、行こ」
3人は走って車を停めた所まで移動した。
智は体が思うように動かなかった。妃美に支えてもらいながら、必死で歩いた。
車の中に入って、座ると、さらに疲れが出たように思えた。
「なぁなぁ。ホンマに大丈夫なんかい?
観光、どないすんねん」
仁子は智の青白い顔を見ながら言った。
「あ、すみません。迷惑かけて」
「そんなん、気にせんとき。
T大生やもん。きっと、日ごろの勉強の疲れがでたんよ」
「いや。だから、それ、関係ないですって」
「おや。鋭い突っ込みや。それができるんなら、大丈夫や」
朋子が親指を立てた。
「次な、石舞台古墳に行こうと思っとったんやけど、無理かな。
時間がもう遅くなってしまったもんな」
かおりが時計をみた。4時30分になろうとしていた。
太陽は傾き始め、夕暮れが始まっていた。
かおりはスマートフォンを取り出し、慣れない手つきで検索し始めた。
「ああ、17時までやって。そんなら、明日にしよか。ゆっくりできんもんな」
「うちら、駅の近くのペンションに泊まるんやけど」
「えっ。まさか、飛鳥ペンションですか?」
「そやそや。あれ? 知っとんの?」
「はい。だって、私達もそこに泊まるんです」
「えぇっ?
出会うたばかりなのに、もう、一緒に泊まるん?
ありえへんって!」
「違います!」
智と妃美がシンクロした。
「部屋は別々です!」
夕食の時間。5人はテーブルを隣合わせて食べた。
「かおりさん。大化の改新の後って、どうなったんですか」
「智君。どうしたん。急に。歴史に興味出てきたんやね」
「まぁ。そんなとこですかね」
そういうわけではなかったが、それを説明するのは無理だと思い、あいまいに返事をした。
「で、あの、大郎……いや入鹿でしたっけ。彼が殺された後って、中大兄が大王になったんでしたっけ」
「ほんまに、智君が歴史少年になっとる」
仁子と朋子も驚いた。
「中大兄皇子が天皇になったことはなったけどな、すぐに天皇になったんやないんよ。
乙巳の変のあと、皇極天皇の弟が即位して、その後、も1回、中大兄皇子の母親が即位するんよ。その後に、天智天皇になるん」
「鎌足は?」
「天智天皇と仲良う飛鳥を治めたんや。
で、天智天皇が行った政治ってのが、班田収授とか公地公民とか租・庸・調って、覚えとる?」
「なんか、テストに出るから、丸暗記した記憶はあるけど。そんだけや。なぁ」
仁子は智と妃美に同意を求めた。
智は苦笑いするだけだった。
「つまり、土地や人は天皇のものにするとか、戸籍つくるとか、税金とか兵役とかの義務を負わせるとか、そんな感じや」
(それって、大郎さんがやろうとしていた改革だ。
大郎さんの案を、パクったってことか?)
「どうしたの。智君、なに怒っているの?」
妃美が心配そうな瞳で智を見ている。智は妃美と目が合うと、やはりどきっとした。
「えっ。あ、俺、怒っていましたか?」
「うん。怖い顔してたわよ」
「すみません。
なんでもないんです」
智は頬をさすって、表情を和らげようとした。
「じゃ、物部雄君って、知っていますか?」
「物部って、守屋とかやろ」
「うん。しかし、智君、すごいとこついてくるなぁ。
雄君とか、うちも知らんねやけど。ホンマにおった人なんか?」
「えっ。たぶん。でも、かおりさんも知らないって事は、マイナーな人なんですね」
「調べてみたら、いいやん。
若い人なんか、スマホでちょちょいのちょいやろ」
「そうか」
智はそれに気が付かなかった事に、自分のことながら呆れた。
さっそくスマートフォンを取り出し、検索を始めた。
「おぉ。さすが、さくさくやなぁ」
おばちゃん達は、素早く動く指に驚いている。
(そんな事、感心されてもなぁ)
「うわっ。字ばっかだ」
「当たり前やんか。絵で説明なんかないって。
でも、あったんか。その雄君とやらは」
「あ、はい。えっと、
って……」
智は天武天皇に、なにか聞き覚えがあった。
「天武天皇は、天智天皇の弟や」
かおりの話に、思い出しそうな事が、飛んでしまった。
「あ、あの。中大兄皇子の弟って事ですか」
「そやね」
「中大兄皇子と、大海人皇子は天皇の座とか、
仲の悪い、兄弟やったんよ」
智はじっと考え込んだ。
(雄君は、鎌足とかと組むのかと思ったけど違うんだ。
敵対する方と一緒になったんだ。って事は、雄君も中大兄とか鎌足は嫌いだったのかな)
「そうだ。キトラ古墳」
智は唐突に思い出した。
「キトラ古墳に埋葬されている人が、天武天皇の子供って言われているって」
「ああ、そう言えば、そんな事、四神の館に書いてあったな」
「えっ。皆さんも四神の館に行ったんですか?」
「もちろんや。壁画の公開やろ」
「って、まさか、11時45分の予約でした?」
妃美は指差して、尋ねた。
「あら。何で知っとんの?」
「私達も、その班だったんです」
「なんやて。そらま、えらい偶然やな」
「ああ。あの、にぎやかな、大阪弁のおばちゃん達!」
「なんや。智君。また、失礼な言い方やね」
「すみません」
顔を赤くして謝る智をさかなに、3人は楽しそうに笑った。
「もしかして。昼ごはんも、ここで食べていました?」
「そやけど。まさかあんたらも、ここで食べたとか?」
「そうなんです」
「ああ、あの……」
智は「うるさかったおばちゃん達」と、言いそうになったが、すぐに思いとどまった。
そこへ、メインディッシュのステーキが運ばれてきた。3人は拍手をすると、おいしそうに食べ始めた。
3人の話は、肉と、料理の話に変わった。
智は妃美に顔を近くに寄せて、小声で話しかけた。
「あの、後でゆっくり話しますけど、俺、大郎さんの時代、飛鳥の時代の事、見てきたんです。
つまり、過去の世界に行ってきたんです」
「えっ。どういう事?」
やはり、とっさには信じてもらえない様子。
「これ、本当なんです。
それで、大郎さんの生きていた時代、飛鳥時代には、物部雄君が朱雀を連れていたんです」
「えっ?」
妃美はまた、間の抜けたような声を出した。
「本当に俺が見て来た事なんです。信じて下さい」
「そう言えば、大郎さんが、智君は過去が見られるのかって、そんな事言っていたわよね。
本当なの?」
「はい。そうなんです。
それで、今、思いついたんですけど。雄君は後に、天武天皇に仕えたんですよね。それで、キトラ古墳には天武天皇の子供が埋葬されていると。
もしかすると、雄君があの古墳の壁画に関わっていたって、考えられませんか。
あんなに、はっきり四神の事を描けるなんて、四神が見えていた人じゃないかって、そうとも思えませんか」
「……」
「だから、朱雀を従えていた、雄君があの絵を描いたから、妃美さん、あの壁画を見て、泣いちゃったとか」
妃美は目を見開いて、隣にいる朱雀を見つめた。
「四神は前の主の事、覚えているらしいんですよ。
それで、四神が懐かしく思ったことが、妃美さんにリンクしたのかもしれないって、思ったんです」
「うん。あの絵を見て、懐かしいって感じたのは事実。見たこともないのに」
妃美はもう一度、朱雀を見つめた。
部屋に戻る途中、智は朋子に話しかけた。
「朋子さん。
俺、喘息、なめてました。
発作が続く様なら、ちゃんと医者に行きます。
本当に、喘息で死んでしまうんですよね」
「そう! ホンマ、その通り!
でも、いきなりどうしたんねや」
「はい……」
智は垂目を思い出していた。
(彼は喘息だったんだったんだよな。
最期のとき、メプチンしてあげたかった。それがあれば、彼も助かったのかもしれないし)
「喘息で死ぬのって、苦しいんだろうなって、思ったんです」
その夜。
智は妃美に、飛鳥の時代の出来事を語って聞かせた。
明日香村の長い、長い夜が更けていった。
翌朝。
快晴だった。雲一つない、紺碧の空。
「ほらぁ。
うちの晴れ女伝説。未だ健在や」
天気が良いのは、自分のおかげと言わんばかりに、朋子はドヤ顔をしていた。
「最初から、晴れの予報やんか」
おばちゃん達は、朝から元気だった。
それとは正反対に、智と妃美は寝ぼけた顔をしていた。
昨夜、遅くまで話をしていて、さらに、ベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。
二人とも、目の下に大きなクマを作り、あくびを連発させた。
結局、今日も5人で観光に出かける事になった。
「今日は、石舞台古墳やろ。岡寺と、飛鳥寺。亀形石造物に酒船石ってとこかな。
智君たちは、どこか行きたいとこあるんか」
かおりは手書きの旅行計画書を見ながら言った。
「あっ。今日はお任せします」
「車まで乗せてもらって、観光案内までしてもらって。
それだけでも、助かっているんですから」
「そんなん、いいけどな。
そんなら、こっちの計画で行かせてもらうわ。
ところで、今日は、何時に、ここ発つん? 時間はあるんかいな」
「うちらは、お昼食べたら、出発しようと思うとるんやけど」
おばちゃん達に尋ねられ、智と妃美は顔を見合わせた。
「俺達は、別に飛行機も予約していないし、予定も立てていないんです。
俺、大学は春休みに入っているんで、急ぐこともないし」
「学生は、いいなぁ」
「妃美ちゃんは? 妃美ちゃんは仕事やろ」
「はい……」
あいまいに返事をした妃美は、意味ありげな視線で、智の方を見た。
「なんや。その目くばせ!」
早速、おばちゃん達の厳しいチェックが入った。
「あ、はい。
実は、私、仕事辞めちゃったんです。昨日」
「はぁ?」
「私は夜のお仕事していたんです。アルバイトってとこですかね。正社員でもないから、急にやめても問題はないんですよね。
でも、マネージャーには、怒られましたけどね」
妃美はくすっと、笑った。
「私、東京に行く事にしたんです」
「智君のとこか!?」
おばちゃん3人の声が揃った。
「はい」
妃美はあっけらからんとほほ笑んだ。
「俺達、明日香村に住もうと思っています。
まずは、俺が大学を卒業しないといけないから、もう少し先ですけどね」
「でた! 結婚宣言」
「うーん。そういうわけではないですけど。でも、しないとも言えないし」
智は妃美の顔を見て、ニコッと笑った。
「昨日までの自分らとは、大違いやな。
なにがあったん?」
智と妃美は、玄武と朱雀をかわるがわるに見つめ、最後にお互いの目を見て、微笑んだ。
四神は明日香村で本来の姿に戻る。
やはり、ここにいるべきなのだと、智と妃美は考えた。
現代のこの時代。飛鳥を守るという役目を果たすべきなのかは、智達にはわからない。
しかし、二人は明日香村で、四神と共に過ごすことに決めたのだ。
5人と2匹を乗せた車は、快調に飛鳥の街道を走った。
飛鳥の守護神 葉月みこと @asukanoyume
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