第7話 大郎ときららと加夜
加夜奈留美命神社。
大郎は完全に脱力したまま白虎の背中に乗っていた。傷から流れる血液は止まることなく、流れ続けていた。
瀕死の状態で加夜の前に横たわった。
大郎の生命の灯は、まさに今、消えようとしていた。
大郎は必死に目を開けた。表情を失った加夜奈留美の顔がそこにあった。
大郎はかすかに微笑む。
「加夜。笑って。いつもの。もう……。これ、最期……」
大郎は最期の言葉をふり絞った。
大郎はそう言うと、目を閉じた。徐々に、徐々に、呼吸が弱くなる。
がおぉぉぉぉぉ。
白虎が天に向かって吠えた。
白虎から白い光が発せられた。白い光の道が完成した。強制的に歩かされる道。そして、戻ることも許されない道。
白虎は光に乗った。そして畝傍山に向かって歩き出した。
大郎と加夜奈留美だけが、そこに残された。
「大郎!」
加夜奈留美の叫びが響き渡った。
神である加夜奈留美。人の世界に干渉することは許されない。しかし、彼女は大郎を失うことを、是としなかった。
加夜奈留美は目を閉じた。
飛鳥川の水、川のほとりの草木、草木を生やす大地、飛鳥を照らす太陽の炎。
加夜奈留美は、飛鳥の自然の気を吸収した。
次の瞬間、加夜奈留美の体から、キラキラとした光が発せられた。光は動かぬ大郎の体に降り注いだ。
光と共に、加夜奈留美の体から
十個の神宝は宙に浮き、円を描いた。神宝は横たわる大郎を囲んだ。
加夜奈留美は言葉を紡いだ。
「
十種神宝から白色の閃光が発せられた。
光は大郎の体に吸い込まれていった。
大郎の体が白く光った。光は徐々に大郎の体に吸収されていった。
ゆっくりと、大郎の目が開いた。
大郎が最初に見たのは加夜奈留美だった。最期に会いたいと願った、愛しい人の顔があった。
「加夜」
大郎が呼んだその名には、愛おしさが込もっていた。
「大郎」
加夜奈留美は涼やかな声で、大郎の名を呼んだ。
「加夜の声が聞こえる」
大郎は加夜奈留美に手を伸ばした。加夜奈留美の肌が、大郎の手に触れる。
いつもならば、すり抜けてしまう、加夜奈留美の体。大郎は起き上がり、加夜奈留美を抱きしめた。
「加夜。加夜」
大郎は加夜奈留美の体を確かめた。加夜奈留美は大郎の背中に腕を回した。
時間をかけて、大郎は加夜奈留美の体を離した。加夜奈留美の姿を見つめる。
そして、自分の手をじっと見つめた。
「そういえば、俺。死んだはず……」
「大郎」
今度は背後から、名を呼ばれた。その声に、大郎は聞き覚えがあった。
「きらら!」
白虎が立っていた。大郎は白虎の首筋を撫でた。
白虎は嬉しそうに大郎にすり寄ってきた。
「大郎。我の声が聞こえるのか」
「ああ。聞こえる。きららと話す事ができるとは、やはりここは夢の中なのか」
「いや。夢ではない。
だが我にもわからぬ。白い光に導かれ、畝傍の山に向かったのだ。
それなのに、山まで辿り着けなかった。一歩手前で呼び戻されるようにして、大郎の元に帰ってきたのだ。
このような事は、初めてだ」
白虎は大郎の隣にいる、加夜奈留美に気が付いた。
「あなたか。加夜奈留美命」
白虎の問いかけに、加夜奈留美はうなずいた。
「私が、術を使いました」
加夜奈留美は大郎と白虎をかわるがわる見つめた。
「私には十種神宝と布留の言が封印されていました。
守屋様が、私に封印したのです。
この術は饒速日様が天孫降臨される際に、天照大神様から授けられた神宝です。
死した人も蘇る術です」
「やはり、俺は死んだのか。
そして、その術で蘇ったと」
加夜奈留美はこくっとうなずいた。
「饒速日様の末裔である物部一族が、この術をずっと守っていました。
物部の中で一番お強かったのが、守屋様です。
守屋様は私の姿を見る事ができました。そう、大郎と同じ力があったのです。
守屋様は私に言いました。
『これは人の世にあってはならぬもの。人の命には限りがあり、いつかは死ぬ。それが人の道。これを使うことで、人の道を外れてしまう。人の道は外してはならぬ』と」
大郎に遠い昔の記憶が蘇った。上宮の家で、厩戸から言われた話。
「約束しておくれ。決して人の道を外れないと。
これだけは、しっかりと覚えておくのだ。人の道を間違えないと」
そしてもう一度。厩戸は今際の際にも、大郎に人の道について説いた。
「これが、人の運命。この世に産まれ、死す。
大郎。忘れるな。これが人。外れるな。人の道」
「厩戸様は神宝の事を、ご存じだったのだ。
丁未の戦の時。守屋様が亡くなる前。お二人は言い争いをされていた。禁断の術はお前のものにはならないとか。
そう、そうだ。神に封印したって、言っていた」
「それで、厩戸は気が付いたのだ。
物部は飛鳥川、つまり加夜奈留美命を守る一族。守屋の言う神とは、加夜奈留美命だろうと。
つまり、守屋は加夜奈留美命に十種神宝と布留の言を封印したのだと」
白虎の言葉に、大郎は大きくうなずいた。
「だから、俺に、あんなに強く加夜に会うなと言われたのだ。
それなのに、俺は、厩戸様との約束をやぶってしまった……」
「私はの中に封印されたものは、解かれるはずはありませんでした。
でも、神である私が、人である大郎を愛してしまった。
大郎を失いたくなかった。
あなたの魂が、体から離れようとした時、私の心は壊れてしまったのかもしれません。
その時に封印も解かれたのだと思います。
自由になった術を私は使い、大郎を蘇らせてしまった」
「守屋も、まさか神が人を愛するなど、考えもしなかっただろう」
白虎の言葉に、加夜奈留美はうつむいた。
「我は、まだ、畝傍の山に辿り着いていなかった。
眠りにつく前に、大郎が生き返った。それで我は呼び戻されたのかもしれぬ。
四神が眠りにつくと同時に、主とのつながりは消えるのだ。
我は間に合ったのだ。大郎が復活した時、我の主はまだ大郎だった。だから、大郎の元に戻って来られたのだ」
「よかった。きららが戻ってきてくれて」
大郎は白虎の首を、くしゃくしゃと撫でた。
「大郎。
あの術は人を蘇らせるだけではないのです。
この術によって、蘇った者は、永遠の命を得るのです」
大郎は息を飲んだ。しばらくの間、時間が止まったように、静まりかえった。
「俺に、永遠の命が? という事は、俺は死なないという事か」
加夜奈留美はこくっとうなずいた。
大郎は瞬きを頻回にしながら、自分の腕、胸、そして顔に触れた。
白虎はため息をついた。
「その様な術があると知れたら、欲深き人はそれを欲するだろう。
それを争って、戦や殺し合いが起きるやもしれぬ」
「はい。守屋様は私に言いました。
『これは人に悪用されてはならないのです。きっと、争いの元となります。
長きにわたって、物部が守ってきたものですが、飛鳥の平穏のためには、人の手に留めておくべきではないと思います。
だから神である、加夜奈留美命様に託します。神は永遠。飛鳥のために、永遠にこの神宝を守ってください』
そう言われたのに、私は、その言葉を裏切った。大郎を生き返らせ、永遠の命を与えてしまったのです」
「俺に、永遠の命……」
大郎は実感がなかった。自分の手を見つめる。何も変わった所はなかった。
「加夜」
大郎は名を呼び、加夜奈留美命を抱きしめた。
「これは人の道から外れた、間違った事なのかもしれぬ。
しかし、俺はうれしいのだ。
こうやって加夜に触れる事ができ、そしてずっと一緒にいられるようになった」
大郎は腕をほどき、加夜奈留美の瞳をまっすぐに見つめた。
「しかし、加夜のことを守るって言っておきながら、守られたのは、俺だったな。
だが、これからは、俺が加夜を守る」
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