泥棒のすゝめ

泥棒のすゝめ



のどかなお昼の商店街。屋根の隙間から差す光に当たりながら、野良猫がひと鳴きした。やれ盗みだ殺しだと騒がれる世間とは、一線を引いたような風景である。

「逃がすな!」

その静かな世界に亀裂を入れるような大声。バタバタとせわしない足音に、野良猫が飛び起きた。

商店街を走る集団の先頭の青年は、もつれそうになる足を必死に動かしている。後ろをしきりに見ながら、商店街のかたわらにある空箱を見境なく追っ手に投げつけた。しかし数人の追っ手はそれをものともせず、じりじり青年との距離を縮めていく。

「確保!!」

「お、俺じゃない!先輩が詐欺やろうって言い出したんだ!俺じゃない」

追っ手に組伏せられた青年が叫ぶと、青年を囲んだ追っ手はそれぞれ顔を歪める。うち一人は青年に手錠をかけ、もう一人がスマートフォンを耳にあてた。

「はい、件の……今回は詐欺犯のようです」


「くそ!またハズレだ」

簡易テーブルに叩きつけられた黒い手帳は、くたびれていて年季を感じさせる。そして叩きつけた人物もどこかくたびれているようだった。

「なかなか尻尾が掴めませんね」

その人物に答えるように、若い男がホワイトボードにところ狭しと貼られた写真から一枚抜きとる。そこに満面の笑みで写るのは、あの青年に違いない。

「これで7件目だぞ?警察を馬鹿にしてんのか!」

「落ち着きましょう」

気持ちはわかりますが、ここで焦ったら相手の思うツボです。そう諭して、刑事課の新人は上司を宥めた。

「しかし……ここまで来ると、狐にでも化かされているみたいだ」



ここ最近、とある泥棒が世間を賑わせていた。

彼らは人を傷付けない、殺さない。人助けの為に盗みを働くのだ。

例えば政治家の賄賂を盗んだり、暴力団から盗んだ拳銃を警察に届けたり、銀行強盗から武器一式を盗んでみたり、ふらっと姿を現しては消えていく。しかもその姿を追ってみれば、泥棒とは何の関係もない痴漢犯や詐欺犯、カツアゲの常習犯だったりする。

更に警察が把握していない奴らばかりなのだから、メディアでは「正義の味方」などともてはやされていた。

証拠を不自然なくらい残さない彼ら。メンバーひとりの顔すらわからないのだから警察側も打つ手がない。

こうして奴らは今日も盗みをはたらく。

追っ手をひらりとかわし、余裕の笑みを浮かべ――まるで漫画や映画の中の大泥棒のように。



その頃、とある田舎の日本家屋。

「へぶしっ!」

「どしたキツネ」

キツネと呼ばれた少年は、くしゃみの余韻に明るい茶髪をふわふわと揺らす。幼い見た目の割りに複雑な表情を浮かべたかと思えば、なんとも気の抜けた声でむぐぐぐ、と唸った。

「だれかが僕の噂した」

「自称世紀の大泥棒がちっせぇなァ」

くつくつと喉で笑う男は、この世で振り向かない女性はいないだろう美しい顔立ちをしている。すっと通った鼻筋に、燐とした瞳、艶のある黒髪。喉から発する声も心地好いテノールだ。


「シュガーだってくしゃみぐらいするだろ」

「シュガーって呼ぶな」

俺はシュガーという名前が苦手だった。名前、というよりは名付けの過程が、ではあるが。

「いいじゃん、佐東でサトウでシュガーだよ?甘いマスクの君にぴったり」

「なにが『ぴったり』だ」

初めてキツネに会った日のこと、「佐東です」と名乗ったばかりに、言葉通り甘ったるそうなニックネームを付けられてしまった。シュガーも佐東と呼んでくれとは言っていないが、そんなネタじみた経緯付きの名前は少し遠慮したい。

「キツネ、あながち間違ってないみたい」

「シュガーの名前が?」

「馬鹿。くしゃみのことよ」

二人に話しかけたのは長い黒髪の少女だった。少女はうつむき背を向けたまま、言葉を紡ぐ。

「向こうで言ってるわ。『狐にでも化かされているみたいだ』って」

「わお!的確だね」

「確かに間違っちゃいねえな」

警察が自分たちを見つけるかもしれない、そんな期待をしているのだろうか。キツネは心底愉しそうに笑って、少女の背中に飛び付いた。怒らないところを見ると、少女も満更ではないらしい。

「さすがハニー。いつも助かるよ」

「ありがと」

この会話だけだと仲睦まじい恋人同士に見えなくもないが、ハニーもまたシュガーと同じニックネームである。お前はペットにお菓子の名前を付ける女子か。

そう言いかけた言葉を飲み込んで、シュガーは読みかけの本に目を移した。いつもの光景と化しているこれにいちいち突っ込んでいてはキリがない。


「そろそろ帰ってきていいよ」

「わかった」

ハニーがうなづくと、彼女の両の手のひらにまぶたが浮かび、それはするすると肩へ上っていく。のっぺらぼうな顔に辿り着くと、まぶたは元の位置に戻った。

「にしても、三つ目」

「三つ目じゃないわ」

「……ハニー」

シュガーに対し嫌悪感を露にするハニー。彼女は有名なあの妖怪、三つ目である。

これまたキツネの独断と偏見で「三つ目、みつめ……みつ……ハニー!」となったことは……言うまでもなかっただろうか。しかしシュガーとは違い、ニックネームをたいそう気に入っているようだ。

ハニーは偵察にはもってこいの能力を持っており、 一番重要なメンバーといっても過言ではない。

ほとんど彼女のお陰で、彼らが “この世ならざるもの” であることを隠し通せている。

――実のところ、キツネらはおよそ人の理解の及ばない領域のモノなのだ。


「警察が俺たちを見抜けるか?」

「まず無理でしょうね」

「えっなんで!」

「白昼堂々と盗みを行う犯人が幽霊と妖怪なんて、警察が思い付くはずもないわ」

ふてくされたキツネが畳に伏せて、そのままゴロゴロと転がり出す。見つけてほしいと願いながらも、仲間にさえ本性を現さないキツネの心境は計り知れない。こうして見せている今の姿も、きっとどこかの犯罪者なのだろう。

「ところで今日は誰?」

「五股かけてる笹木くん」

どうやら日本のどこかにいる笹木は、可愛い外見を武器に女性たちをたぶらかしているらしいのであった。キツネも一体どこからそんな情報を入手してくるのか、謎は深まるばかりだ。

「シュガー、あなたの同類よ」

「俺は五股なんかかけてない」

「じゃあ何股かけたのかしら」

「まずかけてねェ……」

シュガーはうなだれて頭を抱えた。ここに来てからというもの、生きていたころより疲れている気がしている。いつも何様俺様お坊っちゃまなキツネに振り回され、唯一の女の子といっても妖怪三つ目。癒しどころか生気を吸い取られそうだ。……もう死んでいるが。

「あら、そう。なんたって女に刺し殺されたんだから、それくらい当たり前かと思ってたわ。女に刺し殺されたんだから」

「なんで二回言った!?」

「なんたって」

「もう言わなくていいから……」

ハニーの言う通り、シュガーは女性に刺し殺されて幽霊になった。あいにく本人には幽霊になる前の記憶はほとんどないが、シュガーの女好きはほとほと呆れるものだったのだ。

「笹木くんもそのうち刺されるかなあ」

「俺はいま初めて笹木に同情したよ」

名前と顔と浮気の数しか知らないが、勝手に刺される想像までしてしまうとシュガーも流石にかわいそうに思えてきた。

「同情したですって……認めたわね」

「認めちゃったね」

「浮気してないよ!?」

「じゃあ何したの?」

「俺は無実だ……」

まるでゴミを見るかのようにシュガーを見るハニーは、何故か罪がある前提で話を進めている。ただでさえ暇をもて余したキツネを相手にするのは疲れるのに、こんな話に乗ってこられるとシュガーの逃げ場が無くなってしまう。

「そっそういえば、今朝手紙が届いてただろ!あれって依頼じゃないのか?」

「おっ、良いところに気付いたねシュガーくん!実はもうすぐ大先輩がいらっしゃるんだ!」

咄嗟に笹木から話を逸らせばキツネは食い付いた。と同時に、ハニーはあからさまに舌打ちした。シュガーは俺どんだけ嫌われてるんだよ、と思ったが、埒があかない気がして思考の隅に追いやる。

「で、大先輩?」

「そーなのだよハニーくん!大先輩とは」

大先輩の名を高らかに叫ぼうとしたとき、玄関からノックの音が聞こえた。噂をすれば、とキツネが早足で廊下を駆けていく。

「大先輩って誰だと思う?」

「さぁ……九尾?」

九尾――つまり九本の尾を持つ狐の妖怪を想像して、シュガーは顔を青くした。

「もしそうだったら俺は無傷でいられそうにない」

「あなた無傷っていうか死んでるけど。でもキツネなら対等に渡り合えそうね」

「違いねぇや」

シュガーが込み上げる笑いをこらえながら廊下のほうへ目を向けようと顔を上げれば、真ん丸な黒い瞳とかち合った。

「……子供?」

「呪うぞ」

「いてっ、すんません」

ぺしりとシュガーの頭を叩いた子供、ではなく大先輩は彼の腰ほどまでの身長で、着物を着た長いおかっぱ頭の女の子だった。そして、この姿を見れば何者なのかはおおよそ予想がつく。

「あら、座敷わらし様でしたか」

「おお!おぬしはかわいらしい女子じゃの」

「すいませーん、シュガーって世間知らずで~」

「妖怪界の世間なんて知らねーよ……」

かわいいかわいいと褒められるハニーを横目に、貶されてばかりのシュガーは大人しくお茶を淹れる担当になってしまった。まさかこれが座敷わらしの権力だというのか、シュガーが先ほど隅に追いやったはずの思考が再開する。

「お茶です」

「うむ、ありがとう」

座敷わらしはシュガーからお茶を受け取ると、少し飲んで一息。それから勢いよく客間の机に湯飲みを置いて、静かに目を開いた。

「わらわには随分昔から憑いておった家があるんじゃ」


座敷わらしが住んでいたのは田舎の大きな家で、築百年にもなるところだった。そこには早くに夫を亡くし、子供たちとも疎遠になっていた千代というおばあさんが一人で住んでいた。

裕福な暮らしではなかったが、千代さんの作る着物はどれも美しく高値で売れ、そのお金だけで質素に暮らしていた。

しかしその千代さんが先日亡くなり、娘だと名乗る人物が家を壊して土地を売ると言っている。都市開発で周辺には大型店が建つことが決まっていて、家の解体はもう時間の問題である、とのこと。

「家を!壊すと言うのじゃ!あの馬鹿娘!」

「じゃあ、解体を止めさせますか」

キツネが腕捲りをすると、座敷わらしは小さく横に頭を振った。

「……いや、どうやっても解体は止められぬじゃろう」

「では如何いたしましょう?」

「理不尽なのは避けたいが、ちょいと痛い目に遭わせてやりたいのぉ」

「ほうほう」

キツネの口が綺麗な弧を描く。これまた愉快そうに何度もうんうんとうなづいて、座敷わらしに手を差し出した。

「わかりました!是非ともやらせていただきます」

「うむ、頼んだぞ」

客間の机の上で、座敷わらしとキツネの世にも奇妙な固い握手が交わされた。



シュガーは紙という紙をすべて集めたような棚に目を向けた。

「依頼、増えてきたな」

ポストカードや茶封筒はもちろんのこと、木の葉や巻物までもがきれいに並べられ、済の判子が押されている。これらはすべてキツネたちへの依頼の手紙で、ここ最近の増えようは尋常ではない。

「そりゃあ、僕は世紀の大泥棒だからね!」

「噂ごときでくしゃみするくせに?」

「そこうるさいよー」

いわゆる人間界という情報社会へ出現することによって、キツネたちは一気に有名人になった。

情報社会といえど、テレビを見ているのが人間だけとは限らない。その後ろから覗いている彼らや、電波を妨害するようなもの、近頃は長髪を垂らしながら画面から這いずり出てくるやつもいるとか。

妖怪界はまだクチコミが多いが、少しずつ近代化してきているということだ。


「ハニー、ちょっと出掛けてくるよ。留守番頼むね」

「お気をつけて」

「うん、ありがと」

そう告げたキツネはしれっと窓枠に手をかけていた。ではまずシュガーの問いである。出掛ける前に玄関の存在理由について答えよ。

「こっちから出たら近道なんだよ」

「俺が言う前に心を読むな」

「あなたがわかりやすいのよ」

「お前らが分かりにくいだけなんじゃねーの?」

ハニーはもちろん無表情、キツネは常に笑顔で何を考えているかわからない。シュガーが一番まともだと言える。……いや、妖怪界じゃまともの定義すら違うのかもしれない。

「あ、そうだシュガー。一緒に来てよ」

「は?どこにいくん、」

右手をぐいっと引っ張られ、そのまま勢いで窓の外に飛び出した。シュガーは死んでからというもの、重力の概念が全く存在しない。キツネのすばしっこい動きに逆らうことなど、どうしてできようか。



獣道ですらない背の高い草むらや木の上を進み、 なんだかよくわからない鳥居をくぐって行くこと約15分。

たどり着いたのは手入れの行き届いた小さな社だった。しかしこれは変だ。人が来るはずもない山奥の社が、なぜこんなに手入れが行き届いているのだろう。

「姐さん姐さん」

シュガーが辺りをきょろきょろ見回していると、キツネが社に向かって呼び掛けた。が、のどかな景色からはぴーちくぱーちくと鳥の鳴き声しか返ってこない。

「僕だよーキツネですよー」

「……なァんや、昼間っからやかましいわァ」

「嘘つけやい、来るのわかってたくせに」

ギィ、と不気味な音を立てて開いた社の扉。そこから出てきたのは、着物を大胆に着崩した絶世の美女だった。

「あらァ、君なかなかの色男やないの」

「ちょっと姐さん!? 僕は無視!?」

「あて、オチビには興味ないんよぉ」

ぎゃいぎゃいと騒ぐキツネの額を押さえ、姐さんとやらはシュガーに視線を移す。彼女は終始笑顔のままだったが、シュガーは背筋が凍るような気さえした。ただの妖怪があんな恐ろしい目をするとは思えない、そう考えてあることに気付いた。

「耳と、尾が、ある……」

「ん? ぼん、聞いてへんのか」

「ああ、そうだシュガー。紹介するよ。

こちらのサトリ姐さんは狐の妖怪……天狐さ!」

ばばん!なんて効果音が着きそうなドヤ顔でウィンクしたキツネ。まさか本当に妖狐と対等に渡り合っているなんて思いもしなかったシュガーは顔をひきつらせた。

しかも四つ尾の天狐とは千年生きた妖狐であり、全てを見通す千里眼を持つといわれている。九尾すら比べ物にならない大物の中の大物だ。

「……いやいやいやいや!納得できるか!」

キツネも命知らずというか、ただの馬鹿というか。しかし、どちらにしろシュガーにはもう捧げる命も頂かれる魂もない。

「そない警戒せんと、こっち来ィ。捕って喰うたりせぇへんて」

「えっ、うぉっ、ハイッ」

緩く手招きする彼女に従って、社に足を踏み入れる。扉を開いていた二人の子供にも、しっかり耳と一本の尾が付いていた。

「さ、座り」

サトリがそう言って床を指で叩くと、そこに二つの座布団が現れた。まるで手品だと極めて人間的な思考を働かせながら、座布団に腰を下ろす。

「で、今日は座敷わらしの件でええんね?」

「うん。できるだけ詳しくお願い」

いつもの通例行事というふうに淡々と話を進める二人。妖怪同士のそんな会話にシュガーが付いていけるはずもなく、ただ黙ってそれを見つめていた。千里眼を持つという話は本当のようで、サトリはつらつらと個人情報を述べていく。

「あ」

「あ?」

いきなり声をあげたサトリに、シュガーが釣られてクエスチョンマークを浮かべた。

「なんや……あの家えらいことになっとるわ」

「えらいこと?」

「一人娘が誘拐されとるみたいやね。人数は五人、目的はお金……どこぞの安けないドラマかいな」

ふふふ、と笑ってみせる姿は妖艶そのものだが、どう考えても笑える状況ではない。

「依頼どころじゃねぇだろ、キツネ」

「まぁ、そうだね。おばあさんの娘こらしめるはずが、既に報い受けちゃってるみたいだし」

あっけらかんと言うキツネに、深刻そうな様子は見られなかった。それはシュガーが元人間であり、キツネが異形のものである差なのかもしれない。

「た、助けないのかよ」

「助けるって……なんで?」

真顔で首をかしげたキツネを見て、シュガーは底知れない恐怖を感じた。これは冷徹でも非道でもない、キツネの純粋な疑問だ。

お前には情ってものがないのか。子供に罪はないだろう。かわいそうだとは思わないのか。

まくし立てそうになって、シュガーははっとした。

この世界は妖怪の世界。人間の“まとも”は通じない。

全ては人間だった自分の、死んでもなお人間でありたい自分のエゴなのではないか。

「……俺一人で、助ける」

両手をきつく握りしめ、シュガーは決意を口にした。いくらここが妖怪の世界だろうと、ただのエゴであったにしろ、子供を見捨てることなどできるはずもない。

「シュガー……君は……」

キツネが静かに顔を伏せる。シュガーはどきりとして、一歩二歩と後退りした。


「…………あの冗談信じたの?」

「ぶっふぉ!あんた、それ、迫真の演技やったわ、ふっはははは」

「…………えっ」

涙目で大笑いしながらシュガーを指差すキツネと、うずくまって震えながら床をばしばし叩くサトリ。シュガーはいまだに状況を飲み込めず、目を白黒させるばかりだ。

「だからさー、あーもー笑いすぎた」

「なんだよ俺の決意を返せ!無駄に恥かいたわ!」

ひとしきり笑ったキツネは眉を下げて、これまた涙目のままおかしそうに言う。

「シュガーのことだから、どうせ『人と妖怪は相容れないんだ』とか『俺しか助けようとは思わないのか』って感傷に浸ってたんでしょダサい」

「なんでバレてんの!? あとキツネ、どさくさに紛れてダサいって言うな!」

「シュガーわかりやす過ぎるよ」

「こないな会話あんたらさっきもしたやろ……っぶはははは!」

言われてみれば、ここに来る前にもハニーに指摘された気がする。というかこの場面で千里眼を使ってしまうサトリに、もはや呆れを感じつつあるシュガーだった。


「じゃあ姐さん、またね」

「おん、ひと仕事してき」

「えっと、ありがとうございました」

「また来ぃやー」

社を出て一礼をすれば、サトリはこちらに向かって優雅に手を振っていた。まるで昔の遊郭を見たような心地になっているシュガーに、キツネは笑いかける。

「サトリ姐さん、いい妖怪でしょ」

「まぁ…悪い妖怪ではなさそうだけど」

「ふふふ、僕の最初のオトモダチだからね」

自慢気に言うキツネは本当に嬉しそうに社を振り返る。そこにはもうサトリの姿はなく、たくさんの鳥居が連なるだけだった。




「さぁ!では僕らの出番といきますか」

古民家の畳を踏みしめ、腕捲りして意気込むキツネ。目的はもちろん、誘拐された子供の救出だ。

「まずはハニーの見せ場だね」

「ええ、もう完璧」

部屋の隅で正座をするハニーの顔はすでにのっぺらぼうだった。完璧ということは、もう犯人の様子はハニーに筒抜けだ。

「さすが、仕事が早いねハニーさん」

「ただの女好き幽霊と比べないでちょうだい」

「わー厳しい」

始めはのっぺらぼうに恐怖を感じていたシュガーも、今ではこの風景にすっかり慣れている。毒舌にはいまだに悩まされるが、まあそれもハニーなりの愛情表現であるとシュガーは諦めることにした。

「状況はどう?」

「全員で五人だったわね……

二人は奥の部屋で子供の監視、一人は手前の部屋で休憩してるわ。そこであとの二人もテーブルの上でケータイ囲んでる……身代金の交渉かしら」

シュガーがそれを聞きながら、部屋の見取り図に犯人に見立てたおはじきを置いていく。見取り図はサトリが筆で書いてくれたものだ。

「OK。じゃあ次に電話が掛かったタイミング、行こうか」

にやりと笑ったキツネが見取り図の真ん中に座る小さなテディベアの鼻をつまむ。人質の子供に見立てたそれの、大きな丸い瞳がうるうると揺らいでいる。

「家の様子も見えてるのか?」

「だから舐めないでって言ってるでしょ能無し」

「痛った!あれ、なんか胸も痛いよ!」

正確に狙いを定めて飛んできた座布団を顔面に食らい、錯覚で痛い心臓を押さえてうずくまった。のっぺらぼうの状態でどうやって狙ったのか、シュガーには謎だ。これも愛情……は、さすがに無理がある。

「――そろそろ出番よ、能無しさん」

「おっ、来た来た」

「がんばるよ!がんばればいいんだろ!」

涙を誤魔化しながら叫ぶシュガーの手をキツネが引っ張る。シュガーは今から起こるであろう……世で言うテレポート、に覚悟して目を固く閉じた。

「5」

何度かキツネに連れていかれたことはあるが、三半規管が狂うようなあの感覚には慣れられそうもなかった。

「4」

「そういえば、シュガーに話したことなかったよね」

お構い無しにハニーのカウントダウンが続く。

「3」

「何だよこんな時に!?」

シュガーは思わず目を開く。

「2」

「僕はこれを仲良しジャンプ、と呼んでいる!」

世界が反転する直前に見えたキツネは、最高の笑顔だった。

「1」


なんてひどいネーミングセンスだ。




「うぇぇぇお前ぎゃぁぁきもちわる一生怨むうぇぇ」

「もう一生終わっちゃってるけど」

「そうだよ俺死んでるじゃん……もうやだ…おうちかえる……」

古いマンションの一室、その廊下に無事転がり落ちたキツネとシュガー。あくまで幽霊と妖怪の彼らは見られようと意識しなければ、少々騒いでも人に見つかることはない。

「イケメンキャラ崩れてるよ。しっかりしてよね!これから能無し返上するんでしょ」

「お前までやめろよッ!」

女好きの次は能無しのレッテルが貼られたシュガーが声を上げる。今のは普通の人にもラップ音くらいには聞こえたかもしれないよ、とキツネが頬を膨らませた。

「ほら!シュガーは人質の方よろしく!」

キツネがシュガーの背中を思いっきり叩く。

「……よし」


思いっきり扉が蹴破られた音が聞こえたところで、シュガーも部屋の扉を開けた。紳士的に、普通にドアノブを回して。

「こんにちわ、誘拐犯さん」

シュガーが極上の作り笑顔を浮かべる。

キツネたちの中での暗黙のルール、盗みを働くときは常に余裕の表情でいることだ。

部屋の奥のソファに子供がいるのを確認した。手足の拘束と目隠し、目立った外傷はない。

「だ、誰だお前!」

「どっから入ってきやがった!?」

「え……古民家の居間から?」

「はぁ!?」

「なんだテメェ!」

正直に話せば犯人は気味悪がったらしく、すぐに殴りかかってきた。逃げ場のない壁際にいたシュガーの顔面にに拳を叩き込む――

「いっ…てええぇ!」

はずが。

「壁を全力で殴ればそりゃあ痛いよ」

シュガーは幽霊。人間が触れるはずもなければ、もちろん殴れるはずもない。

「通り抜けた……!?」

「なっ、なんなんだお前っ」

「知りたい?」

怯えた一人は拳を隠してシュガーから後退りした。もう一人がナイフを構えて切りかかる。扱いに慣れているわけでもなさそうな動きは、シュガーにも簡単に見切れた。

「う…うわぁぁあああ!」

シュガーはそのナイフを手でわし掴み、目の前の犯人ににこりと笑いかけた。

「男には教えてあげないけどねぇ」

「ば、化け物……」

「ほざけクズ」

恐怖で身動きのできない相手のみぞおちに拳を一発叩き込む。床に転がった犯人を見て少し強かったかな、と思ったものの、シュガーは気が済んでナイフをぽいと放り投げた。

「ころさないで……!殺さないでくれっ!」

「えぇ?命乞い?」

鋭利なナイフは床へ垂直に、容易く突き刺さる。

「やっぱり痛い気がするなぁ」

既に死んでいるシュガーが刃物を素手で握ろうと、血が出ることはない。傷もまた然り。

「ひいぃっ!すいませんっ許してください!」

威勢の良かったさっきまでとは正反対に、壁際に追い詰められて震える男。もう歯向かう気もないらしい。

「なんでもする!なんでもするから!」

「あのさぁ……」

その土下座を横目に見て、シュガーは溜め息をついた。素人な上に小心者すぎて話にならない。警察に任せとけばよかったかも。

シュガーは床に手を伸ばし、フローリングに刺さったナイフを引き抜く。謝り続ける男はこちらに気付いてすらいない。

「そろそろ顔上げなよ」

「たっ助けてくれるんですか!」

「やだ」

男がこちらを見上げたところで、顔面にナイフを振り下ろす。目前に迫った刃物の鈍い光に、男の表情が凍りついた。

「ぐさっ!」

シュガーのかけ声と共に、ナイフはするりと男の頭を通り抜ける。しかし男はその真実を知ることなく、意識を失って床に倒れこんだ。

「刺すかバーカ」

シュガーは軽く笑って、犯人を部屋の隅に引きずる。

そろそろキツネも来る頃だ。


「こっちも終わったよー」

「おー」

キツネが残りの三人をズルズルと引きずって連れてきた。シュガーはキツネから縄を受け取り、犯人を縛る。

「わあ、その人顔真っ青だけど何したの」

「頭にナイフすかってした」

「ぎゃはははそれはひどい」

げらげら笑うキツネだが、キツネの自由奔放な暴れ様にはシュガーも足元にすら及ばない。


「大丈夫?姫奈ちゃん」

手足の拘束と目隠しを解くと、少女は眩しそうにうっすらと目を開いた。とりあえず無事だったことにキツネとシュガーは安堵の表情を浮かべる。

「……お兄さん、だれ」

「お兄さんはねー、通りすがりのただのお兄さんだよ」

「無理がある!」

口出ししまいと黙っているはずだったシュガーも、つい口を挟んだ。サトリによれば少女は11歳。そんな誤魔化しが効くかどうか。かと言って、正体を明かしたところで信じてもらえらるかも定かではないが。

「ええと、とりあえず……痛いところはないか?」

「ない、けど……」

シュガーは妙に歯切れが悪いのが気になった。ただ怯えているのか、他に何かまずいことでもあるのか。

「じゃあさっそく、君をお家に帰してあげよう!」

「……い、嫌だ」

強い意思ではっきり「嫌だ」と口にした少女。キツネはシュンとして眉を下げた。

「え、そんなに嫌? 実は僕には必殺技があってね、仲良しジャンプと」

「そのくだりはいい」

シュガーがセリフを遮る。キツネがブーイングをしているが、それも気にしない。

「理由があるのか」

「……みんなをもっと困らせなきゃ」

「どうして?」

「おばあちゃんの家が、壊されちゃう……」

真っ直ぐな瞳とかち合って、シュガーは目を見開く。座敷わらしの綺麗な瞳に少し、似ている気がした。

「困らせたらどうにかなる事なのか?」

「普通に頼んだって聞いてくれないもん……」

誘拐犯に遭遇したときも、本当は逃げられたのだ。でももし誘拐された自分が頼んだのなら、狡い方法であっても家を守れるかもしれない、そう考えた。

「それ、しようか」

「は?」

「え?」

笑顔で言い放ったキツネに、二人分の疑問符が投げかけられる。しんみりした空気がものの数秒でかき消された。言うのは簡単だが、それが成功しないから姫奈は悩んでいるのだ。

「二兎追う者は一兎をも得ず――どうせ一兎は逃しちゃったんだ。今さら二兎追ったって罰は当たらないさ」

キツネの言葉に、シュガーと姫奈はそろって首をかしげた。





『早く警察呼べよ!死にたくない!』

『た、助けて!助けてくれぇっ‼』

『ぎゃあああああああ』

その断末魔を最後に、途切れた犯人の声。

しかし電話は繋がったままという異様な状況に、誰もが冷や汗をかいた。

誘拐事件の担当に回された青年、同時にキツネらを追いかけていた彼はスピーカーの雑音に耳をすます。

仲間割れ、犯人の演技、それらの可能性はある。だが可能性はあっても、必要性が感じられない。

まだ身代金の受け渡しを伝えている途中だった。犯人側に仲間割れの原因になる金はない。

「何が起こってるんだ……?」


静かな時間は、それからしばらく続いた。

突然ブツッ、という音が入り、やっと雑音以外をマイクが拾いあげる。

『お待たせしました!』

「ひ、姫奈は、娘は無事なんですか……!?」

『元気ですよー。声聞きます?』



キツネ自称必殺技「仲良しジャンプ」で古民家に戻ったキツネとシュガー、そして姫奈。彼らは言葉通り、二兎を追って二兎を得る作戦に出ていた。

「あ、それと身代金なんだけど、いらないや。代わりの条件を姫奈ちゃんから!どうぞ!」

姫奈がごくりと唾を呑む。怪しまれたら、そこで作戦失敗だ。

「……お母さん」

『姫奈!大丈夫なの!? 怪我はない!?』

スマホを緊張した面持ちで見つめて、姫奈は覚悟を決めた。

「あのね……おばあちゃんの家を、壊すなって」

『どうしてあんな家なんか……』

「わ、わからないよ……でも、じゃなきゃ、わたし――」

「はーいここまで」

キツネが小さな手からスマホを抜き取り、名演技だと姫奈にピースサインを送る。あともうひと押し。

『姫奈‼』

「と、いうことです」

生き生きした顔のキツネが偉そうに胸を張った。仮にも脅迫している立場で持ち前の明るさを発揮していいのだろうかと、シュガーはこめかみを押さえる。

『わかりましたっ、家は壊しません……壊しませんから……!』

「え?ほんと?」

電話を傍らで聞く姫奈の瞳が輝いた。シュガーと小さくハイタッチして、交渉の行く末を見守る。

『本当です!』

「ではそちらに姫奈ちゃんをお帰ししまーす」

ばいばーいの一言を最後に、キツネは通話終了のボタンを押した。

「姫奈ちゃん最高!女優になれるよ!」

「あ、ありがとうっ」

確かに姫奈の演技はなかなかだ。刑事ドラマのワンシーンを彷彿とさせる緊張感が漂っていた。

「キツネはいつも通りすぎる……絶対怪しまれた。まず要求が家屋の取り壊しをやめるだけとか、誘拐犯アホか」

ノリと勢い、なんて飲み会さながらのテンションでやってしまった作戦。シュガーは上手くいっていること自体が不思議でたまらない。

「いちいち細かいなぁシュガーは。粉砂糖?粉佐東なの?」

「ケーキとかにかかってるやつ?あははは、おもしろい」

「姫奈ちゃんも笑うのやめよう!?」

すっかりキツネになついた姫奈がお腹を抱えて笑うのをシュガーは不満げに見る。女好きや能無しも何も、不憫キャラが板についてしまったようだ。

粉砂糖か……少しでも上手いと感じている自分が怨めしい。

「ハニー、向こうの様子は?」

「みんな唖然としてるわよ」

怖がらせまいと障子の裏にいるハニーがひらひらと手を振る。さっさと行けと言いたいらしい。

「さぁ時間だ」

「仲良しジャンプ?」

「そう。仲良しジャンプ」

キツネと顔を見合わせて笑って、それから姫奈はキツネの服の袖を引っ張った。

「あのね、本当は秘密なんだけど」

「なになに?」

キツネが腰を曲げて、少女の顔の位置まで屈む。

「おばあちゃんのお家には、お兄さんみたいな女の子が住んでるの」

「その子が心配で、お家を壊したくなかったんだね」

「うん!だって私の友達だもん」

キツネは嬉しそうに笑う姫奈に、頬を緩めて微笑みかけた。キツネは常に笑ってはいるが、優しく微笑むところなど見たこともない。シュガーは目を疑って、まばたきを繰り返した。

「はい、シュガーくん」

「はい、シュガーさん」

頭が混乱しているうちに、目の前に差し出された二つの手。仲良しジャンプ、だ。

「はいはいわかりましたよ!」


やっぱりこのネーミングセンスはひどい。





「もしもし!もしもし!?」

「切れましたね……」

電話に出たのは声からして、若い男だった。友達と話すかのような気軽い口調、明るい声音。

ふと、いつまでも正体の掴めない泥棒が頭をよぎった。頭を振ってその考えをかなぐり捨てる。今は泥棒のことなど気にかけている場合ではない。

「姫奈はどうなるんですか!?」

「奥さん、落ち着いて」

いきなり切れた電話に取り乱す母親。警官たちはそれを宥めるが、正直この状況に思考は追い付いていない。男は電話口で姫奈ちゃんを返すと断言した。方法も何も告げずに、だ。

誰もが最悪の事態を想定せずにはいられなかった。


「たっ大変です‼」

一人の警官が静まりかえっていた部屋のドアを勢いよく開け放ち、飛び込んできた。青年は思考を止めて、警官に目を向ける。

「どうしたんですか?」

「玄関に姫奈ちゃんが!」

警官が廊下から小さな手を引く。そこに現れたのは間違いなく、拐われたはずの姫奈本人だった。

「姫奈!」

「お母さんっ」

母親が娘に駆け寄り、その体を抱き締める。感動的な再開を横目に、青年はまた思考を巡らせた。

「怪しい人影も見えたんです!今すぐ追いかけて――」

「待て」

『怪しい人影』を追って、部屋を出ようとした警官を呼び止める。青年の刑事の勘、とやらが正しいとすれば。

「君は、誰だ」


「……あれ、ばれた? やっぱりルーキーは一味違うね」

こちらを振り返り、警官帽を外したその人物。にこりと笑った顔は、青年と瓜二つだった。

「えっ……え?」

「同じ顔が――二人」

「な……なんだこれ」

度重なる不可解な出来事に、警官たちが思わず立ち尽くす。全く同じ顔が対峙する様子は異様である。

「やっと見つけた……!」

したり顔の青年を前にして、キツネは驚きを隠せなかった。お気に入りの新人が動揺するのを楽しむ予定だったのに、とんだ誤算である。

「ええ!?ドッペルゲンガーなんだから少しくらい怖がってくれても」

「捕まえろッ!」

「最後まで言わせてよ!」

飛びかかってくる警官を避け、リビングを抜けた。大きな窓からベランダに出て、空中とマンションを遮る柵に猫のように飛び乗る。家の中に風が吹き荒れた。

「僕の名前は“キツネ”!

そして僕の仲間は“ハニー”と“シュガー”だ!

さぁ!捕まえてごらん!」

両手を広げ、堂々と自らのグループを宣言したキツネ。

体がぐらりと傾いたかと思えば、そのまま空中へと落下していく。

「馬鹿な、何階だと思ってる!?」

ここは高層マンションの43階。どんな手を使おうと強風は避けられない、自殺行為だ。

ベランダの向こうを覗きこんでいた警官が狼狽える。まさか本当に落ちでもしたのかと注目すると、有り得ない答えが返ってきた。

「き……消え…ました……」

その言葉に耳を疑った。消えたとは、どういうことだ。

「消えただと!?そんなことあるはずが」

一人が声を荒げる。長年警察にいてもこんな事件には出くわしたことがない。

「本当ですッ、落ちている途中に!こう、すっと消えたんです!」

「見間違えじゃないのか」

「自分にも、何がなんだか……!」

警官は頭を抱えて、呆然と地面を眺めた。やはりそこには何もない。

「他の階に逃げたかもしれん。捜すぞ!」

ベテラン警官の指令で警官たちが一斉に動き始める。その中で青年は、ブルーのスマートフォンが床に落ちているのを拾いあげた。誰が落としたんだ、と横の電源ボタンを押す。画面が明るくなって、その全貌は映し出された。

スマートフォンの待ち受けは、縄で縛られる五人の男とピースサインでこちらを見る少年の写真だった。下のほうには丁寧に編集ツールで、男たちがいるであろう住所が記入してある。

「捕まえてごらん、か」

キツネの見事な逃げ様に、赤いジャケットを着た泥棒のキャラクターが重なる。俺もキツネの名前を叫びながら生涯追いかける羽目になるかもしれない、なんて想像して苦笑を浮かべた。




数日後、キツネたちの家に座敷わらしが訪れた。

「この度は世話になった」

玄関先に出向いたシュガーは、深々とお辞儀をする座敷わらしにぎょっとする。依頼してきた日とは比べものにならない態度の良さだ。

「いや、そんな、大袈裟ですよ」

「わらわはおぬしを舐めておったようじゃ。許せ」

また深く頭を下げた座敷わらしにシュガーが反応に困っていると、横からキツネが顔を出した。

「いらっしゃいませ、座敷わらし様」

キツネは愛想良く(といってもいつも通りなのだが)笑顔で客間へと座敷わらしを招く。三人が座蒲団に座ったところに、ハニーがお茶を運んできた。

「どうぞ」

「うむ、ありがとう」

お茶を受け取った座敷わらしは前と同じように茶を一口すすって、静かに目を開く。

「本当に心から感謝する。まさか家が残るとは思わなんだ……」

「いえいえ。依頼とは違う結果になってしまいましたが、ご満足いただけたようで良かったです」

家はその後、和菓子屋として開店することになったらしかった。キツネがサトリから得てきた情報なので、まず間違いない。

そして二兎追って二兎を得た、つまり座敷わらしの元の願いも姫奈の願いも叶った今回の仕事。シュガーもそこまで喜ばれるとは思いもよらなかった。

「……シュガー、顔」

「えっ」

ハニーに指摘されて初めて、自分の顔がにやけていることを知る。慌てて顔を引き締めた。

「依頼料じゃが、これでどうじゃろうか」

そう言って座敷わらしが差し出した一つの着物。子供用らしく、布の量は多くない。しかし言葉にできない美しさを纏ったそれは、千代さんが縫ったものだと一目でわかった。

「充分ですが……本当によろしいのですか?」

「うむ、良い」

清々しい表情でうなづいた座敷わらし。シュガーとかち合ったその瞳には、寂しさが宿っているようでもあった。

「では、こちらを依頼料としていただきます。

ご依頼ありがとうございました」

キツネの一礼で、座敷わらしの依頼は終わりを迎えた。


「またのご利用をお待ちしてます!」

キツネが座敷わらしの背中に元気よく手を振る。その隣でシュガーは納得がいかないまま、小さな着物姿を見送っていた。

「シュガー」

「なんだよ」

ハニーが呼ぶと、少し不貞腐れた声が返ってくる。

「気になるなら行ってきなさい」

「……行くべきなのか」

シュガーが戸惑いを口にした。座敷わらしの背中が遠くなる。

「毎回そうやって消化不良で終わるつもり?あなたの馬鹿正直な性格はわかりきってるのよ」

「――それもそうだな」

ハニーはもちろんシュガーの背中になど触れてはくれない。それでもシュガーは背中をしっかりと押された気がして、一歩目を踏み出した。


「あのっ」

「なんじゃ?」

座敷わらしが首をかしげてこちらを振り向く。シュガーは覚悟を決めた。

「今回、姫奈ちゃんって子に会いました。依頼を受けたんです。俺らと同じような女の子がいる、あの家を壊したくないって」

「ほう」

「その子は姫奈ちゃんの大切な友達、らしいです」

「……ふん」

くるりとそっぽを向いた座敷わらし。少しの絶望がシュガーを襲った。

「覚えていませんか」

座敷わらしの返事はない。妖怪が人間のことを覚えていないことなんて、きっとざらにある。

「……そうですよね。引き留めてすみませ、」

「あの着物はな、千代ばあがわらわの為に縫ったのじゃ」

座敷わらしはシュガーに背を向けたまま、ぼそりと言葉を紡いだ。うつむいた背中はいっそう小さく感じる。

「……馬鹿じゃ。わらわは家以外は何もいらんのに。あの子供も……これは夢じゃ幻じゃとあれほど諭したというのに、まだ覚えておったのか」

「遊んであげたこと、あるんですね」

呆れた、それでいて嬉しそうな座敷わらし。シュガーはハニーに見つかればまた注意されそうな、緩んだ顔だった。

「人は馬鹿ばっかりじゃ。馬鹿ばっかり……

……馬鹿は、嫌いになれん」

座敷わらしは下駄でコツコツと地面を蹴る。いじけ方はどうやら人の子と同じらしい。

「文句あるか!」

「いえ、なんでも、ないです!」

かっと目を開いてシュガーを怒鳴りあげるが、耳まで真っ赤な座敷わらしは微笑ましいとしか思えなかった。

「わらわはもう帰る!」

「はいっ!ありがとうございました!」

今度こそシュガーは小さな背中に手を振って、座敷わらしは森の中に消えていった。


シュガーが家に戻ろうと踵を返したところで、足元に何かが貼り付いた。もこもこしたそれを抱えてみれば、それは本物のキツネである。伝書鳩さながら首に巻かれていた手紙をほどく。

「お前、サトリさんの遣いか」

キツネの首を撫でながら手紙を読む。手にすり寄る毛がくすぐったくも気持ちいい。

『依頼達成ヲ祝フ

コチラハ何時モノ品望ム

運ンデ参レ』

漢字とカタカナの混ざった読みづらい文章だ。

「いつもの品?」

「ああ、お酒だよ」

キツネが手紙を覗きこんで、人差し指をピンと立てた。紛らわしいが、こちらは自称のキツネだ。

「へぇ、情報と引き換えに酒を望むってことか」

「君のところに遣いがやって来たんだ。シュガー、君が運ぶんだよ」

「……は?」

キツネは遣いのキツネを撫でて、右前足を持ち上げる。

「案内役だコン、よろしくだコン」

「アテレコすんな」

気に入られているのか、体のいいパシリなのか。シュガーは戸惑いながらも、キツネから旨そうな地酒を預かった。



遣いの案内に従って森を進めば、サトリは社の前で既に待ち構えていた。

「おお、来たねェ」

「お望みの品、持ってきましたよ」

意外と重みのある木箱に包まれた酒。それを側に仕えていた子供に持たせて、シュガーを手招く。

「まだやることがあるんですか?」

「ちゃうよ、ただのお話や」

言葉の響きに胡散臭さを感じながらも、シュガーは社の階段に腰を下ろした。一段上にサトリが腰掛ける。

「あの子らとはどう?」

「どうって、知ってるんじゃないですか」

千里眼を持つサトリであれば、この世の万物を知っていたとしても何ら不思議はない。それこそあのキツネの心情を見透かすことだって簡単だろう。

「さすがにそないなとこまでは視てへんけどなァ」

心外だわ、そう言うかのようにサトリは眉をひそめた。シュガーが訝しげな視線をサトリに向ける。

「なんやったら……あてのとこに転がり込んでもええんよ?」

妖艶に頬を撫でた指先がシュガーの耳をたどり、首筋をなぞっていく。顎をくいと持ち上げ、サトリは愉しげに形のいい唇で弧を描いた。

「顎クイって、男がやるものですけど」

「あらァ、女好きなら引っ掛かるもんやないの」

目を丸くして大袈裟に芝居がかった仕草をするサトリ。シュガーはいたって平静に、細い手を掴んで立ち上がる。覆い被さるようにサトリの顔を上から覗きこんだ。

「正直、よくわからないです……サトリ姐さんのことも」

憂いを含んだ笑みが、サトリの瞳に映る。予期しなかった動揺がサトリの全身を伝っていった。

「なぁ……」

耳元で囁く寂しげなテノール。吐息が耳をかすめる。

「ちょ、ちょっと待ち」

はっとしたサトリはシュガーの胸を押し返して目を覆った。これはもう負けを認めざるを得ない。

「あかんあかん、不覚にもどきっとした」

「いくら姐さんでも、異性の扱いで俺に勝とうなんて百年早いですよ」

「あてもまだまだ未熟やねェ。百年後にまた出直すわ」

サトリは艶やかに微笑み、真っ青な空を仰いだ。シュガーもそれに倣って上を見やる。


「あの子らはな、ほんまは人が大好きなんよ」

「そうですかね」

正直わからない。その言葉は演出として少々脚色はしたものの、シュガーの本心であることに変わりはなかった。キツネが人のために動いたとしても、それは興味本意なのではないか。シュガーはそんな疑いが拭えずにいる。

「人の心を理解するんは難しい。言葉にしてくれんとわからへん。せやからキツネはあないに真っ直ぐやろ」

「……まぁ、真っ直ぐなのは認めます」

キツネはどんな物事も正面から捉えていた。純粋な子どもみたく、疑うことを知らない。

「キツネがずっと誰かに化けとるんも、水子いうてなァ、きちんと産まれられんかった人の子のお化けやから、自分のほんまの顔を知らへんのや」

毎日、事あるごとに姿を変えていたキツネ。勘繰っていた本性なんて、どこにもなかった。

「やかましいし空気は読めんへんし、迷惑ばっかりかけるんやけど」

まるで子を心配する母親のようだと、シュガーは刮目する。いままで見たどんな妖艶なものよりも、美しく優しい瞳がシュガーをとらえた。

「どうか、あの子らをよろしゅう頼んます」

そう言って頭を垂れたサトリに、思わずシュガーは絶句した。言葉にならない気持ちが頭いっぱいに浮かぶ。

「あの、キツネの。こう、手を繋いで、やるやつ」

「……仲良しジャンプ?」

「そう、それです。そのネーミング、」

シュガーが続きを言わんとしたその時。

「あーっ!シュガーが姐さんといい雰囲気なんだけど!」

「アホが来よった」

鳥居を抜けてやって来たキツネの乱入で、シュガーは口を閉じた。やかましいし雰囲気は読めへんし……サトリの発言を思い出して心の中でうなづく。

「ちょっと近くない?なになに?シュガーは姐さん狙ってるの?」

「うるせぇな」

「え?本気?本気と書いてマジと読みますか」

少しでも心配しようとした俺が馬鹿だった。シュガーは頭を掻きむしって唸る。

「なにか言ってよ粉佐東くん!」

「お前本当になんなの?いつまでそのネタひっぱるの?」

「飽きるまで~」

にこやかに告げたキツネの頭を、シュガーは仕返しだとばかりにぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「遠慮を覚えろアホ!」

「んにゃあああ」


仲良しジャンプっていうの、やっぱりちょっと、いいと思った。

きっとそんなことは一生言わないだろう。

まぁ、俺はすでに、死んでいるけど。

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泥棒のすゝめ @tohma_twin

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