イカロスの帰り道

@slicetomato

イカロスの帰り道

「はぁー。さすがにもう暗いねー」

「ああ。そうだな」

文化祭を控えた夏休み。

クラスで出し物をすることになった俺達は、遅くまで残っていたせいで季節外れの暗い通学路を歩くはめになった。


「文化祭、成功するといいね」

「きっと成功するよ」

俺が住む八番町から同じ高校に通う生徒は少ない。

お陰で俺は、真依と二人きりの時間を享受できていた。


「文化祭が終わったら、大学受験だね」

隣を歩く真依は少し寂しげに呟く。

「そうだな」

お互い、幸いにも頭は悪くない。

むしろ、真依は頭がいい方だ。

俺達が通う高校は県下ではかなり上位の高校であったが、真依は大した労もせず入学していた。

俺は真依と同じ高校に行きたい一心で、随分と努力をした記憶がある。それでも、薄氷を踏むような思いでここに入学をした。



「ねぇ。ケイちゃんはどこにするか決めたの?」

圭人からとってケイちゃん。

安直な渾名ではあるが、小学生の時からのものだから仕方ないか。


「俺は東京に進学しようかと思ってる。石田は?」

真依はどうするつもりなのだろう?

「私は国立かなー、地元の。一応、ここからなら通えるし」

「遠いけどな」

「まあねー」

県下の国立大も悪くはない。旧帝大でこそないが、レベルは高いし、学費も安い。


「そっかー。やっぱりケイちゃんは東京に行っちゃうのか」

残念そうに言う真依の言葉が嬉しい。

だが地元の国立は、理工学部のレベルが低いことで有名だった。

俺の学びたいことを学ぶためには、東京にいく他ない。


「まあ、まだ決まったわけじゃないし、進学しても長期休みには帰ってくるって」

「……うん」


少し会話が途切れ、二人の靴がコンクリートを叩く音だけが響く。

後ろから数分ぶりの車が通り抜け、あっという間に小さくなっていく。


「そういえば明日の花火大会には行くのか?」

誘えばよかったという後悔が頭をよぎる。


「うん。友達と行く」

「へぇ、誰と?」

「えと、まゆちゃんと、さきちゃん」

「そうか。楽しんでこいよ」

男がいないことに安心しつつ、そんな自分の矮小さに虚しくなる。


「ケイちゃんは?」

「俺は行かない。花火は家からでも見えるしな」

「ええー!絶対行った方がいいよ!」

「んーでも今更行く相手もいないしな。またにするわ」

「じゃあ……来年は私と行く?」

やや掠れた声で真依が尋ねる。

突然の提案に胸が締め付けられる。

相手に動揺が伝わらないといいのだが。

「……そうだな。そうしようか」

「決まりね!」


真依はブレザーのまま少し走るとこちらを振り向く。

遅れて跳ねた黒髪がさらりと背中に戻る。


「花火大会一緒に行くなんて、何年ぶりかしらねー!今から楽しみ!」

「小学生の時以来だから、七年ぶりくらいになるのか?」

「そうだねー。ケイちゃんたら中学生になった途端、私とは行かないって言い出して!」

そんなこともあったな。


「恥ずかしかったんだよ、いいだろ」

「ええー私じゃ恥ずかしいってこと?」

真依は少し怒気を孕んだ声をあげる。


「そうじゃなくて……」

俺は、真依と歩く自分が恥ずかしかったんだ。


真依は当時から頭がよくて、可愛くて。

まだ背も俺なんかより高くて、俺が勝てるところなんかなにもなくて。

だから、近所に住んでいるというだけで真依の隣に立っている自分が、恥ずかしかったんだ。

分不相応にも真依に恋をしている自分のおこがましさが、許せなかったのだ。


「ふーん。ま、そういうお年頃ってことかな?」

「恥ずかしいから勘弁してくれ」

「私と一緒にいるの、まだ恥ずかしいの?」

「それはもう慣れたよ」

「そっか」


随分長いこと一緒に過ごしてきた気がする。

小学校、中学、高校。

クラスが違うことはあれど、ずっと同じ学校の、同じ学年だった。


帰り道が同じだから、真依を避けていた中学時代ですら顔を会わせることはよくあったのだ。


でも、そんな関係にも終わりが近づいているのだろう。

大学に進学すれば、離れ離れになってしまう。

そしてもし俺が同じ大学に合わせたとしても、そこから先の就職先までは合わせられないだろう。


この関係には終わりがあるのだ。

しかし俺には、真依に思いを告げる勇気が無かった。


真依に告白をして、駄目だったら。

これまで築き上げてきた真依との仲をふいにするのは絶対に嫌だった。



「ここの河原よく遊んだなー」

真依は橋の欄干から川を見下ろす。

蛙の声と虫のさざめきが、心地よいハーモニーを作り出していた。


俺も足をとめ、真依の隣から川を見下ろす。

「そうだね」

小学校の頃は、住む場所が近い友達も多かった。

何度か、仲のいい友達数人で遊びに来ていた記憶がある。


「私、昔、ここで告白されたことがあるんだよ!」

「ここだったのか」

そう。話には聞いていた。

高橋が真依に告白をし、無事に玉砕したということを。


「え!なんで驚かないの?」

「高橋から聞いたからな。好きな人がいるって断られたって」

高橋は、お前のことだろ!と俺に突っかかってきた。

いたとしても俺ではないだろう。

ただの言い訳で、ほんとは相手なんかいないんだろうと思うが。



「ずいぶんと優しい断り方したみたいじゃないか。高橋のやつ、勘違いして俺に突っかかってきたんだよ」

「……へぇ。それはごめんね」

「いや、気にしなくていいよ。昔のことだし」

「うん」


真依はいくぶん勢いの減った返事をし、黙る。


生ぬるい風が川の上流から吹き、橋下の夏草の、生臭い臭いを俺達へと運ぶ。

蛙と虫の合唱が大きくなる。


「そろそろ帰ろうか」

「そうね」

真依は名残惜しそうにそう言うと、欄干から離れ、歩きだした。


「石田は、まだ好きな人いるの?」

「え?」

「さっきの話。好きな人いるって断ったんでしょ?」

「ああー」

真依は少し考え込むように歩き、そして答える。

「……いない。ケイちゃんは?」

「俺かー」


好きな人は、いる。目の前に。

そう言えば答えが出るのだろう。

すべてを失うか、すべてを得るか。

でも、俺はその答えを見たくなかった。

惨めに負けるくらいなら、最初から戦いたくはない。

手の届かない太陽へと手を伸ばす者は、その欲望に身を滅ぼされるものなのだ。


「俺は、いないかな」

「そうなんだ。ま、そうでもなきゃ一緒に花火大会なんていけないもんね」

「そうだな」


橋を渡り終えると、住宅地に差し掛かった。

もうすぐ我が家だ。


この帰り道のような楽しい時間を、俺はあとどれくらい過ごせるのだろう?


大学へと進学すれば、他に好きな人ができるのだろうか?

俺にとって身の丈に合うような相手が。

そして真依もまた、彼女にふさわしい相手と出会うのだろう。

俺の知らない、俺よりも能力の高い人間と。

そう思うと、胸がチクリと痛んだ。


「なに考えているの?」

真依が隣から尋ねる。

「大学行ったら、好きな人とか出来るのかと思ってさ」

「んーどうだろうね」

真依は少し困ったような顔をして、そう言った。

「ケイちゃんは東京行くんだから、そういう相手も出来るんじゃないかな?」

「……そうかもな」

「うん」

そう言うと、真依は小さな声で呟く。

「ケイちゃんも、こっちに残ってくれればいいのに」


俺だって、真依と同じ大学に行きたい。

だが俺にも夢がある。

そもそも真依とは釣り合わないしな。


お互い、何も喋らない。

少し気まずい時間が、二人を包んでいた。

前方を見ると、曲がり角がある。

ここを曲がれば、俺と真依の家は近くだ。

さらにもう一つ進んだところで俺は曲がり、真依は直進する。


「今日はどうする?うちにご飯食べに来る?」

「いや、俺んちももう作ってるだろうからな。また今度お邪魔するわ」

「そっか」

もう少しすれば、俺は曲がり、真依は直進する。

それはいつものことなのに、なぜか胸が苦しかった。


「今日はいろいろ話したねー。こんなにいろいろ話すなんて久しぶり」

「そうだな。楽しかったよ」

曲がり角が近づく。俺はこのまま曲がっていいのか?


真依との時間をここで終わらせていいのだろうか?


「石田、ちょっといいか」

「なに?」

真依は怪訝そうに、しかし素直に足を止めた。

思わず声をかけてしまったが、どうしようか?


「俺はさ、なんというか。いままでの自分を裏切ることを恐れているみたいなんだよね」

「……え?」

「自分がいままで築いてきたものとか、プライドとか。そういうのに振り回されちゃうというか……」

だめだ、全然まとまらない……

それでも真依は、俺の顔を真っ直ぐに見つめて、静かに話を聞いていた。


「それで俺はさ、いま持ってるもので満足して、上を目指すことを避けてたんだ」


真依は依然として真剣な眼でこちらを見つめている。


「でも気づいたんだ。満足している現状がいつまでも続くとは限らないって。今がいいなら今を続ける努力をしなくちゃいけないって」


俺は今の生活が、今の関係が大好きだ。

でも今の生活を維持するためには、踏み出さなくてはいけない。


「さっきはああ言ったけど、俺には好きな人がいる。俺は」


真依は大きく目を見開いて、頬を上気させている。

その様はとても可憐で、この人を好きになってよかったと思えた。


「真依のことが好きだ。ずっと前から真依のことが好きだったよ」


言ってしまった。

その事実が怖くて、逃げ出したくなる。

答えを聞きたくない。

でも、いま聞かなければ絶対に後悔するような気がして。

混乱が足を硬直させ、恐怖が目を見開かせ、俺は、直立不動のまま真依を見ていた。


「……私も、ずっと好きでした。小学校の、告白されたときも。ううん、そのもっとずっと前から、あなたのことが好きでした」


そう言って真依が抱きついてくる。

手の届かないと思っていた存在。近づこうとすれば身を滅ぼすと勝手に思っていた眩しい太陽が、心地よい暖かさで腕の中にいる。



「これからよろしくね。ケイちゃん!」

「おう!」

いつもよりも近くでみた真依の顔はいつもよりも美しかった。



それから一年が過ぎた。

昨日帰郷して荷ほどきを終えた俺は、外出の支度をしていた。


「母さん、行ってくるから」

「いってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね」

「おう」


家を出ると遠くに人影が見える。

浴衣を来て頬を赤く染めた様子は、ひどく艶やかだった。


近づいていくと、こちらを見て手を大きく振ってきた。


「真依、待たせたか?」

「ううん、いま来たところだよ。ケイちゃん!」

真依はそう言うと手を差し出してくる。俺はその手を握り、歩き出した。



今日は晴れ。

絶好の花火大会日和だ

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