丘の上の小さな図書館

春田康吏

第1話

チリン、チリン、チリン

大学生の潤さんは、緑に囲まれた小さな図書館に自転車で通っています。

丘の上にあるので、坂道を上っていかなくてはならないのですが、

潤さんはこの道のりがとても気に入っています。

それは周りの木々から通り抜けてくる風が、とても心地良く感じるからです。

赤レンガで作られた古い図書館ですが、ここにはいろんな人が訪れます。


七十歳になる繁造さんも、その一人です。

でも繁造さんは、なぜか本を読みません。

お昼近くにやってきて、テラスでおにぎりをほおばるのです。

そのあとは、そのままベンチでお昼寝です。

たまに、小鳥にパン切れをやっているときもあります。

司書の田中さんは、朝早くやってきてカギを開けます。

長い間働いているので、田中さんに聞けば、どこにどんな本があるのかすぐに探し出してくれます。

お母さんになったばかりの陽子さんは、ベビーカーに息子のコウスケ君を乗せて、よく散歩に来ます。

コウスケ君の機嫌がいいときは、図書館の中に入って絵本を読み聞かせたりする時もあります。


さて、この図書館には、来る人誰もが知っている一匹の猫がいます。

誰かが飼っているわけでもなく、玄関の横で昼寝をしていたり、図書館に訪れる人を眺めたりしています。

どうやらこの図書館に住み着いているようです。

彼、もしくは彼女には、いろんな名前があります。

潤さんは、天文学を勉強していることから「ガリレオ」

繁造さんは、昔飼っていた猫から「タマ」

田中さんは、図書館にいる猫だから「本吉」

陽子さんは、息子のコウスケ君が猫を見つけると、ミャアミャア、ミャアミャアと叫ぶことから「ミャア」と呼んでいます。

しかし、この猫はみんなから何と呼ばれようと、

なついてくることもなく、我が道をいくといった様子です。

それでもみんな、ここに訪れる人は、この猫が大好きです。


ある日、サラリーマンの木村さんは、お昼ご飯を買うために近くのコンビニに出かけました。

そしてその帰り道、お弁当の入った袋をぶら下げて歩いていると、

わき道から突然、一匹の猫が飛び出してきました。

「わあ!」驚いた木村さんは、持っていたコンビニの袋を落としてしまいました。

すると、その猫は袋を口にくわえて、走り出しました。

せっかくの昼食を猫に取られたのではたまりません。

木村さんは、必死で追いかけました。

「待てー」猫は、せまい路地を右へ行ったり、左へ行ったりしました。

そして、坂道を上りきったところで、猫は口から袋を落としてどこかに消えてしまいました。

ハア、ハア、ハア。

何年ぶりかに走った木村さんは、息が切れてしまいました。

でも、お弁当は取り戻すことができて、ホッとしました。

呼吸が落ち着いてきたとき、ふと前を見上げると、目の前には小さな建物がありました。

何だろう。前に来たことがあったような気がします。

「そうだ、図書館だ」

木村さんは、子どものころ、ここでよく遊んでいたことを思い出しました。

広い芝生もあって、友だちと駆け回っていました。

「懐かしいな」木村さんは、図書館に入っていきました。


高校生の美咲さんは、どこにでもいる普通の女子高生です。

今日は、友だちの祐子さんと映画を見るために駅前で待ち合わせです。

「遅いな」と思いながら、ふと遠くを見ると、

美咲さんは一匹の猫がこちらを見つめていることに気がつきました。

ちょうど道路を挟んだ向こう側です。

猫と目が合ったその時でした。

「付いてくるといい」

どこからともなく、声が聞こえたような気がしました。

少ししわがれた声です。

猫は、まだこちらを見つめています。

美咲さんは、あの猫だと確信しました。

すると猫は、その意思を読み取ったかのように歩き出しました。

「あ、待って」横断歩道を急いで渡って付いていきます。

猫は、賑やかな商店街から、静かな住宅街に入っていきます。

美咲さんは、少し不安になってきました。

「大丈夫だ」

また声がしました。

そして、木々に囲まれた坂道を上っていきました。

頂上に着くと、そこには祐子さんが立っていました。

「あれ、祐子どうしたの」

「美咲こそ、どうしてここが分かったの」

「いや、猫に付いてきたら……」

「私もよ」

二人は、辺りを見回して猫を探します。

けれども、猫はいませんでした。

変わりに、小さな建物が二人の目に入りました。

「ここは、図書館みたい」祐子さんが言いました。

「じゃ、今日はここにしようか」

二人は、にっこり笑いながら図書館に入っていきました。


どうやら、また新しいお客さんがこの図書館にやってきたようです。

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丘の上の小さな図書館 春田康吏 @8luta

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