第4話 『心に残るモヤモヤ』

 今日を厄日と言わず、何というのか。

 抑鬱気にレオは胸中で毒づきながら帰路につく。

 眼前、そこはわりかし大きめのみすぼらしい一軒の宿屋。

 そこに泊まる大半は荒くれた冒険者云々、そして残り一部の客は多岐にわたる。


 ふと、入り口に佇む人影が目に留まる。

 艶のある奇麗な金髪。繊細な美しさを醸し出す白肌。そして思わず魅入ってしまう蒼い瞳。

 ――リナだ。リナ・アーティンス。


 訝し気に瞳を細め、レオは、俯き後ろ手に佇む金髪の少女を見据えた。

 歩みを止めることなく、彼女を案ずる内に、不意にリナはレオの存在に気が付いて顔を上げた。 

 微笑みなだらレオを見た。心なしか、その表情はどこか悲しげだった。


「お帰り、レオ」

「ああ、ただいま。それより、そうした? リナ、こんなところで」

「うん……」


 リナは俯いてしまった。

 悲痛な胸騒ぎを抑制しているかの様に、そっと胸元に右手を添えた。

 少しして、リナがおもむろに顔を上げた。

 その表情はどこか決然としていて、自然、速まる動悸が警鐘を鳴らす。――彼女の瞳を見ろッ! と。

 横目にレオはリナの瞳を窺った。……いつもと変わらぬ奇麗な蒼い瞳。


「少し……話があるの。それに付き合ってくれないかしら?」

「もちろんいいけど、場所変えるか?」

「いいえ……。ここでいいわ……すぐ終わるから」

「そうか」


 大きく息を吸ったリナ。

 そして点々と輝く無限の夜空を仰いだ。


 そして、リナは切り出した――。


「――私、レオの分隊を抜けようと思うの」


 ――と。


「――は? え……ちょ待てよ……何だよ、それ……」


 ガツーン、と側頭部をぶん殴られたような凄まじい衝撃にレオは軽く目眩を起こす。

 レオは絶句した。

 何か言おうと努めてみたが、呂律が上手く回らない。


 頭の中が、真っ白だ。しかし、片やリナはあらかじめ台詞を用意していたかのように微笑みながら言った。


「色々考えたんだけどね……。やっぱり、私が居ても何の意味もないというか…………寧ろ、足手まといになるから……」

「――誰がそんなふざけた事お前に言ったッ! ぶん殴ってやるッ!」


 リナが驚いた顔をする。

 そして昂るレオを宥めるように慌てて口を挟む。


「ち、違うの、レオ!」


 レオは小首を傾げる。


「これは……これは……――私が勝手に決めた事だから、別にみんなに害があるわけじゃないわ」

「……じゃあ何でッ! 余計意味分かんねぇーよッ!」

「ごめんなさい……」

「……何でリナが謝んだよ」


 リナは沈痛な面持ちで俯いた。


 ――そしてリナは無言で唇を固く結んだ。


 その時、レオの脳裏に電撃が走ったかの如く大きな衝撃を乗せた閃きが浮上する。

 転瞬、レオの追憶の扉が静かに開く。

 それは今日のピュラ討伐戦での事――。



 レオが背後のリナに声を掛けた。

 『頼むぜ、リナ! 俺らの命はお前に預けてっかんな!』

 言われ、リナは無言で唇を固く結んだ、、、、、、、、、、



 ――あ。 ……俺だ……俺のせいだ……俺がリナを知らず知らずのうちに追い詰めていたんだ……。


 そうだと悟った時、レオは自嘲していた。……何が、分隊長リーダーだ……これのどこが……。

 レオは嗜虐的な笑みを頬に張り付けて、視線をリナから逸らした。


「……いいや、リナ……俺の方こそ悪かった、お前の痛みに気づく事が出来なくて……」


 リナは目を瞠った。

 レオは暗澹たる気持ちになりながら歯噛みする。


 リナがレオに内心の本音を意を決して吐露した時の反応。

 それが欠片もリナの事を想っていなく、一つの分隊としての現状維持を真っ先に考慮したから嗤えた。


「でも……もう遅いかもしれねぇーけど……リナ。これからはお前の心の痛みも見通して分かち合えるように頑張るからさッ! ……何を頑張るか、とかそういう具体的な事は俺……馬鹿だから上手く言葉に出せねぇーけど、とにかく考え直してくれッ! ――リナッ!」


「……私は分隊のサポーター。けど、あろうことか魔術師のくせに魔力総量が少ない」


 リナが首を振って震える声帯から無理やり絞り出した声は、ともすれば聞き逃すかと思うほど擦れていた。

 不意にリナの目尻がキラリと輝き、そして二筋の涙が静かに頬を伝る。

 そしてリナは、一瞬、躊躇う素振りを見せ桜色の唇を開閉して喘ぐように続けた。


「……私を切り捨て、そして私以外の優秀な魔術師を招くのが賢明だわ……」


 突然、リナは甘やかな温もりを感じて「あ……」と声を漏らす。

 気が付けば、レオはリナを強く抱きしめていた。

 そして苦しみに耐えかねたかの様に「やめてくれよ……そんな事言うの……」とレオの囁きが耳元で聞こえた。


 顔を離し、レオが大声で叫んだ。


「リナッ! 俺はお前の事が好きなんだッッ! ……お前じゃなきゃ嫌なんだ……頼む……リナ……俺の傍にいてくれッ!」


 一瞬、呆気に取られてレオが何を言っているか分からず当惑するリナ。

 しかし数秒後、再び思考がフル回転して理解に至り、か~~~~とリナが一気に赤面して、おろおろと狼狽える。

 リナの豹変ぶりに、レオは様子がおかしいぞと思い小首を傾げる。

 リナはレオから視線を逸らし、何もない斜め下を向く。

 不意にリナがボソリと呟いた。


「……れ、レオ……それって……どういう意味……?」


 眉間にしわを寄せて、レオは間髪を容れずに答えた。


「は? そのまんまの意味だろ、俺がリナを好きって事だ」

「な! なななっ!」


 あれ、何だか様子が変だぞ、と懸念してレオは胡乱な瞳でリナを射抜いた。

 目を、合わしてくれない。


 沈黙が降り下りた。


 焦れを感じたレオが切り出した。


「リナ、俺達と頑張って傭兵として生きていこうッ!」

「…………はい」


 釈然としないながらも、レオは胸中で安堵の溜め息をついた。


---


 エルフ・ニコラスは猥雑とした道を当てもなく歩いていた。

 宿屋の借り部屋に、リナ、セリカと共に和気藹々と会話を弾ませていたが、突然、リナが立ち上がって外に出て行ってしまった。

 少しして、それに釣られるようにエルフもリナの後を追って部屋を出た。

 宿屋を出ると、すぐにリナはいた。表情が酷く暗かった事は今も鮮明に覚えている。


 一瞬、声を掛けようか迷ったものの、何と言っていいのか分からず手をこまねく。

 「どうかしたのかい? リナ」――駄目だ、これじゃあ露骨過ぎる。

 そもそも内気なエルフは他人を案ずる勇気をあいにく持ち合わせていない。

 エルフは過度な人見知りなのだ。レオとリナとは幼少期からの付き合いだから故に、今の慣れ親しんだ会話が出来るものの、同じ分隊のセリカとはまだ目を見て話せない。

 そして最近、リナを見詰めているとどぎまぎしている自分がそこにいる事をエルフは自覚していた。

 もとい、あるいはもっと、ずっと前から想っていてそれが最近になってもう限界だと悲鳴を上げているのかも知れない。


 エルフは、リナを一瞥をしてそのままそそくさと歩き出した。

 ――……何をやっているんだ……僕は……。


 人垣を掻き分け、エルフは夜道を散歩する。

 点々と夜空には星々が姿を覗かせていた。その煌々とした輝きはとても奇麗だった。

 ふとエルフは思う。

 ――もっと星がはっきりと、そして奇麗に見える場所で、レオと一緒に見てみたいなあ……。


 無二の親友。

 それがレオ・スペンサー。


 幼少期、ひ弱で内気な性格なエルフは同い年の悪童達の格好の的だった。

 しかし、その性格故かエルフは仕返しという邪心を一切抱いた事はない。

 いつも、ぎこちない作り笑いを浮かべるだけで――それが悪童達にとっては面白くなく、逆に癪に障ってしまい――完膚なきまでに叩きのめされ、まさに火に油を注いでいただけだった。


 ――英雄レオと出会うまでは。


 ふらふらと無意味に王都を巡回するのもそろそろ飽きて来たので、エルフは宿屋に帰る事にした。

 猥雑とした道々を大勢の人が行き交う。

 肩身を縮めて、他人とぶつからぬよう歩く。


 遠目に、自分達が泊まっている宿屋が確認出来た。

 リナはまだ、俯きながら立っていた。


 今度こそ――……――声を掛けるんだッ!


 不意にリナに動きがあった事に気が付き、自然、エルフの足取りが緩む。

 リナを視線で辿ると、「あ……」と思わず声を上げていた。


 赤髪。幼さが残る反面無邪気な顔立ち。一見華奢な体躯だが、実は頼もしい体つき。

 ――レオだ。


 何と無しにエルフの足がピタリと止まった。

 レオもリナを視認したようで、彼女の方に首を巡らせた。


 何かを話しているようだったが、しかし、ここからでは聞こえない。

 何やらリナがそわそわしている。

 ――何を話しているんだ?

 と、悠長に思ったその時、眼前の衝撃にエルフは眦も裂けんばかりに瞳を限界まで見開き、まじまじと見遣った。


 ――――――――――。


 エルフは絶句した。

 レオが、リナを抱き寄せたのだ。

 ――……え……ええ? 嘘だ……だって……。

 激しく狼狽しながらも、エルフは自分が知る限りのレオの記憶を思い返す。

 ――……だって……レオはそういう恋沙汰に鈍感じゃないか……。

 しかし、それは突然エルフの耳を劈いて脳内を駆け巡る。


「リナッ! 俺はお前の事が好きなんだッッ! ……お前じゃなきゃ嫌なんだ……頼む……リナ……俺の傍にいてくれッ!」


 その言葉に、周囲を行き交う人々が一瞬ピタリと足と止め、興味本意でレオとリナを凝視していた。

 しかしすぐに興味が失せたのか、人々はそのまま歩み始める。

 が、エルフの体感時計は今だ止まっており――。


「……え?」


 朽ちた声が喉の奥から零れた。


 目眩がして、危うくその場に倒れそうになった。

 リナの顔が赤らんでいて、心臓を握り潰されるように胸苦しい。

 無意識の内に踵を返したエルフの顔は、まさに没我の形相だった。


 再び、エルフ・ニコラスは猥雑とした道を当てもなく歩いていく。

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幻想と神域のマカナアイランド 歌古夜 @utauta0606

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