エピローグ:サンキューマッスル ビリーブオラクル

 夜明けで輝く東の空が美しい。

 トラックを走りながら僕はそう思った。早起きなどしたことのない僕だが、こんな景色が見られるならたまには早起きしてもいいのではないかと思う。

 早起き、そう早起きだ。パステルの告白の後、結局眠れなかったので朝早くからチ・キン地方のコロッセオに来て走っているのだ。海に来て泳いだことで体は結構疲れていたのだが、なんだか無性に走りたくなったのだ。

 適当に周回して、朝日が完全にできってから僕は『BAR CASEIN』に戻って、マスターの作った朝食をいただく。

 おいしくいただいている僕を見てマスターが言う。

「…………いい顔をしている」

「そうですか?」

「ああ。迷いがなくなった。いや、乗り越えたと言うべきか。やるべきことを決めた者の顔だ」

 よくわからないが、褒められているのだろう。ありがたく受け取る。

 マスター特製の朝食はおいしい。量もたくさんある。しかも栄養バランスも完璧だ。ついつい食べ過ぎてしまう。

 朝食を食べていると、パステルが客室からやってくる。

「おはようマスター……。あっ……」

「おはよう、パステル」

「お、おはよう、壮真」

 いたずらが見つかった子供のような顔をして、僕の隣に座るパステル。しかし、微妙にスペースを開けている。昨日の今日のことで気まずいと思っているのだろう。

 でも、僕には関係ない。僕はもう心を決めたのだ。

「パステル、今日はどこでトレーニングするの?」

「…………え、今なんて?」

「どこでトレーニングするのって言ったの」

 「ほう……」と感心するマスターの声をBGMに、パステルは叫ぶ。

「なんでよ! 昨日あんなに指示は聞かないって言っていたのに!」

「気が変わったんだよ」

 昨晩、とにかく考えた。僕はどうしたいのか、どうするべきなのか。一度考えたことを何度も考え直して、決めたことが一つある。

 彼女が現世で他クラスの生徒に絡まれている僕を助けてくれた、その恩だけは返したいということだ。僕が頑張ることで彼女への恩を返せるのなら、それが一番いいことだと考えたのだ。

 しかし、それを言う必要はない。あくまで、僕の心の持ちようなだけだ。

 僕の言葉にパステルはきょとんとするが、すぐに表情を引き締めて言う。

「そうなの。だったら、容赦なくやるわよ」

「わかった。ごはんを食べたら、すぐに行こう」

「じゃあ、今日からは速筋を鍛えましょう。ソ・キンへ行くわ」

「了解」

 こうして、僕は引き続き体を鍛えることになったのだけど……。

「はい、ベンチプレス15回! 休みは2分で5セットやるわ!」

 普通にキツく、時にはやめたくなるときもあった。

「次ィ! ウェイトリフティング! ダラダラやってもしょうがないわ! さっさとやりなさい!」

 が、パステルの支えとマスターの援助でどうにかこうにか続けることができて、とうとう僕は現世へ帰ることができるほどの筋力は手に入れることができた。

 そして、ある日の朝……。

「さて、壮真。貴方は見事試練を乗り越えたわ」

 客室でマスター立ち合いのもと、僕が現世へ帰る儀式が行われることになった。儀式と言ってもそんな大仰なものではなく、ただ事務的な確認をするだけだ。

「これで貴方は現世へ帰れる。もうそろそろ貴方の番が来て、貴方が死んだ日の朝に戻れるはずよ」

「わかった」

「でも、その前に……私の番が来たみたい」

 そう言うパステルの体が白い光の粒子に包まれる。これまで女神らしいと思ったことは一切ないが、このときだけは彼女が女神のように見えた。

「私の使命もこれで終わりなのね。ちょっとさびしい気がするけれど」

「…………ありがとう、パステル。君のお陰で僕は現世に帰れるよ」

「な、何よいきなり……。別れの言葉としては、センスないわ」

「泣きじゃくって引き留めた方がいいかい?」

「別にそんなことは望んでないけど……」

「そうだよね。僕たちはまた会えるはずだ」

 なにせ、同じ学校のクラスにいるのだから。ここでの記憶はなくなってしまうだろうが、きっと巡り合う。そう思う。

「えっ……。壮真、貴方まさか……」

「また会おうよ、絵幡さん。お互いまた会えたら、いろいろなことを話そう」

 「!! …………細井、くん」

 彼女の目が見開かれた。そして、これまで以上に優しい笑顔になる。

 だから、彼女のその笑顔に応えて、僕は言う。

「今度こそ、君を助けるよ。君に鍛えてもらった、僕の力で。だから、これは別れじゃないって、そう思う」

「…………そうね。また会いましょう、細井くん」

「ありがとう、絵幡さん!」

 僕がそう言って彼女が満開の笑顔を浮かべた瞬間、彼女の体が全部光の粒子となって、天へと昇って行った。

「………………」

「いい言葉じゃないか、少年」

 それまで黙っていたマスターが僕の肩を叩く。

「そうですか?」

「今度こそ助けるか。それなら、私が彼女を助けた意味もあったな」

「えっ……。…………マスター、貴方は何者なんです?」

 僕は、これまで感じていたマスターへの疑問をぶつけてみる。

「なぜ、僕たちに最後まで付き合ってくれたんです? それに、貴方は……時々不自然だ。なぜかパステルが絵幡さんだということを知っていたし、人間を超えたとしか思えない動きをするときもあった」

 いつの間にか近くに来ていたコロッセオの時とか、泳ぎながら喋ったりとか、ジェットのように陸地へ上がったときとか。

 そんな僕の疑問を、マスターは笑って誤魔化す。

「私はいちバーのマスターだよ。それだけさ」

「…………誤魔化さないでくださいよ」

「真実だよ。君は生き返ることができる、それと同じようにただの真実さ。それ以上のことは意味を持たない。…………ほら、迎えが来たようだぞ」

 マスターの言うとおり、パステルの体と同じように僕の体も光の粒子となっていく。細胞の一つ一つが体から離れていっているような、少し不安になる感覚だ。

「これ、本当に現世に戻れるんですか?」

「戻れるとも。私が保障しよう」

「いちマスターに保障されたって心配ですよ!」

「私が言うんだ、信じろ」

「信じろったって……うわっ!」

 ついに、体すべてが光になる。そして、天へと誘われ―――

『小娘に使命を与えた甲斐があったよ、面白いものを見せてくれてありがとう、少年』

 最後に聞こえた言葉は、たぶん幻聴なんかじゃないと思った。




 ―――リリリ

 ……………………。

――リリリリリリ

 …………ぅーん。

ーリリリリリリリリリ

 …………ん? この音は……。

ジリリリリリリリリ!!!!

ムクッ

「もう朝か……」

 ガバッと上体を起こし、軽く体を伸ばす。そして、ベッドから出てカーテンを開ける。今日もいい天気、何か素晴らしい一日になりそうだ。

 僕はぐるりと自室を見渡す。真上から見ると縦長の長方形の部屋で、左上の頂点から時計回りにそれぞれ角A・角B・角C・角Dとすると、辺ABにベッドが、辺BCに机とテレビが、辺CDに本棚と出入口が、辺DAにクローゼットが存在する。窓は机の正面にある。特にこれと言って説明するまでもないような部屋だ。

 さて、そんな部屋の一角、テレビの近くに鎮座している据え置きゲーム機を僕は見る。昨日までの大型連休の初めに発売された最新の据え置き機だ。

 ロンチソフトは大人気シリーズの最新作であり、発売前からかなり期待されていて、当然僕もそれを買った。僕はこの大型連休、ずっとその最新のゲームを楽しんでいたのだ。

 無限にも思われた大型連休、それは昨日終わりを迎えてしまった。それと同時に、あのゲームの世界を心行くまで楽しんでいた僕も終わりとなってしまった。

 エンディングを見た、という意味ではクリアはしたのだが、むしろやりこみ要素はここからだ。僕の中でこのゲームは終わっちゃいない、むしろまだまだ続く旅の途中とも言える。

 そして、そのテレビの反対方面、そこにはトレーニング器具がある。ベンチプレスやバランスボール、ランニングマシンとか。僕はゲームと同じくらい筋トレもよくする。筋トレは健康的な体を作るのにとても大切だ。基礎代謝を増やしたり、睡眠の質をあげたり、ゲームで勝てないストレスなども解消することができる。健全な肉体に健全な魂は宿る……使い古された言葉だが、僕もそう思う。

 おっと、そのあたりの話はこれくらいにしておこう。今は7時を回ったころの時間だ。時間に余裕はあるが、あまり遅くに投稿するのは良くない。

 パジャマを脱ぎ捨て、着慣れた制服を着こむ。今日は夏日になると昨日の天気予報で美人の気象予報士が言っていたが、まだ制服は夏服ではない。暑いが、がまんできないほどじゃない。

 ワイシャツOK、スラックスOK、ネクタイOK、ブレザーOK。登校フォーメーション、承認だ!

「そーまー。朝食ができたわよー」

 階下から母の声が聞こえる。バッグを持って降りることにした。

 朝食はごはんと焼き魚とサラダ。シンプルだが、母の手が入った素晴らしい朝食だ。

「いつもありがとう、母さん。いただきます」

「どうぞ、ゆっくり食べなさい。…………それだけで足りるの?」

「足りない。おかわり」

「はいはい、食べるのが早いのはいいけど、体に良くないわよ」

「気を付けるよ」

 その後、ゆっくりと朝食を食べると、学校に行くのにはちょうどいい時間になった。

「あら、そろそろ学校に行く時間じゃないの?」

「そうだね。じゃあ今日も行ってくるよ」

「はい、いってらっしゃい」

 その言葉を背に、僕は学校へと向かうのであった。




「おはよー」

「おはよう」

 学校についてすぐ、僕はクラスメイトの女子に挨拶を返す。当然、始業ギリギリなんてことはなく普通の登校時間だ。途中、いつもの道が工事中で通れなかったものの、遠回りの道を走って来た。ちょうどいいランニングにはなったと思う。

 自分の席につくと、前の席のクラスメイトが話しかけてくる。

「よっ、細井。…………ちょっと汗かいてないか?」

「走ってきたんだよ。いつもの道が通れなかったから。それより、そっちは朝練どうしたんだよ」

 彼は野球部だ。当然今日も朝練があるはずだが。

「今日は休みだぞ。昨日大会あったからな」

「なるほど。結果は?」

「バッチシさ。この調子なら甲子園も見えてくる」

「ふーん、まあ頑張ってね」

 興味なさそうにそう言うと、彼は顔をしかめる。

「お前が入ってくれれば、盤石なんだけどな。もったいないぜ、それだけ鍛えているのに何にも使わないのは」

「いやー……、球技はあまり得意じゃないし……」

「お、細井。なら、とうとう柔道部に入るつもりになったか?」

 野球部の彼と話していると、後ろから話しかけられる。後ろの席の柔道部の生徒だ。彼は今朝練から戻って来たのかバッグを持っている。

 僕はへっ、と笑って言ってやる。

「そのつもりもないよ」

「なんだと、このやろー」

「ちょ、やめてよ」

 柔道部の彼は笑いながらヘッドロックをかけてくる。だから、僕は席から立ってそれを避け続ける。

「お前が柔道部に入るんならやめてやるぞー」

「そのつもりはないってば!」

「ならば捕まれ!」

 ちょっとガチになっているが、いつものじゃれあいだ。クラスメイトもそれをわかっているからか、笑って見ている。でも、ひとりだけ僕に話しかけてくるクラスメイトが。

「細井くん、彼がそう言っているんだから入ってあげれば?」

 窓枠に寄りかかっている女子生徒が笑いながらそう言った。サイドテールが特徴的な彼女は絵幡彩音、このクラスの委員長だ。

「やだよ、僕は武道も得意じゃないの! というか危ないよ、窓に寄りかかっていると」

「平気よ、頑丈につくられているもの」

「おらー、細井ー! おとなしく捕まれー!」

「断る!」

 そんな日常風景、こんな時間が続くと思っていたが、その時は訪れた。

 さっきまで絵幡さんと話していた方向からバキッ、という音がした。

 音に反応してそちらの方を見ると、

「えっ……」

 窓枠が壊れ、後頭部から落ちそうになっている絵幡さんの姿が。

「いやっ」

「危ないっ!」

 僕は思わず駆け出す。この教室は二階にあるが、頭から落ちて助かるような高さじゃない。あのままでいたら彼女は間違いなく転落死する。

 そう分析ができたかどうかは定かではないが、とにかく僕は無我夢中で彼女に向かって走り、そして……

「あっ……ああっ……」

「ぐっ……くっ……」

 体半分すでに外へ落ちていた彼女の腰を両腕で思い切り抱きしめる。

 人間って案外重い。しかも重力のおまけつきだ。長時間支えるのは無理に思えた。

「ほ、細井くん……!」

 が、死の恐怖に強張る絵幡さんの顔を見て、なんとか助けなければならないという使命を感じた。僕は思い切り彼女の体を引き上げる。

「細井! 大丈夫か!?」

「言ってねえで手伝え!」

「お、おう」

 クラスや登校途中の生徒が驚いて見つめる中、僕は友人と協力してなんとか絵幡さんを引き上げることに成功した。

「はーっ……はーっ……。あーしんどかった……」

 僕と絵幡さんは教室に座り込んでしまった。僕は疲労で、彼女は恐怖で。

「………………」

「絵幡さん、無事? 怪我とかない?」

「………………」

 彼女は黙ってうなずいた。

「ならよかった……。目の前で死なれちゃ嫌だしね」

「うん……。ごめんなさい」

「いやいや、別に気にしないでいいよ……」

「ほらよ、細井」

「お、ありがとう」

 僕は友人から手渡されたスポーツドリンクを飲む。気を利かせて買って来てくれたのだろう。

 ゴクゴクとスポーツドリンクを飲む僕を見て、絵幡さんが言う。

「あっ……。ほ、細井くん。貴方もしかして……」

「ん? 何?」

「昔、私と会ったことある?」

「え?」

 昔会ったことも何も、一年生の時も同じクラスだし、そもそも今日会っているではないか。

「そ、そうよね。その……昔、細井くんに私も飲み物を手渡した覚えがあって……。なんでかわからないけど、そんな気がするの」

「ふーん、前世ってやつかな」

「前世……。前世ね……」

「そうだよ、きっとね。僕は神様とかお告げとか信じるタイプなんだ」

「ふふっ……」

 彼女は何が面白いのか優しく笑う。

「どうしたのさ」

「細井くんって、面白いわね」

「そうかな……」

「そうだな、こんなに鍛えているのにそれを生かそうとしない面白い奴だよな!」

「なんだとこの野郎!」

 僕らのコントじみた会話にクラス中が笑いに包まれる。それは、担任が教室にやってくるまで続いた。

 この一件から、僕と絵幡さんはよく話をするようになるんだけど、それはまた別の話。

 今はとにかく、彼女を救えたことと、彼女とこうして笑いあえることを、神と筋肉に感謝したい。

 僕は立ち上がって、絵幡さんへと手を伸ばした。



                 『ハローマッスル シーユーオラクル』 完

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ハローマッスル シーユーオラクル 永久部暦 @Koyomi_T

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