龍を殺した王様

ベーコン山田

第1話

俺は北の国の貴族の三男坊として産まれた。

貴族といっても、家には名ばかりの爵位と芋くらいしか作物が採れないような小さな領地があるばかりで、贅沢らしい贅沢をした記憶はない。

それでも食いものに困る事だけは無かったから体だけはどんどん大きくなった。


兄弟と歳が離れているせいで遊び相手のいなかった俺は、城を抜け出してよく領地の子供たちと遊んだ。

食堂からこっそりパンを盗み出して配ってやると痩せた農民の子供たちはみんな喜び、俺をおだててくれた。

味をしめてパンだけでなく肉や葡萄酒も持ち出すようになると流石にバレて親父にぶん殴られたが、俺は懲りなかった。

それが正しいことだと信じていたからだ。


仲間の中で一番力が強かったし一応は領主の息子だという事でなんとなくガキ大将にされた俺は、町や街道沿いで遊ぶのに飽きると仲間たちを率いて色々な場所に探検に出かけるようになった。

亜人がいるという噂の森に分け入り、鬼の骨を探して枯れた山に登り、ロバに乗って騎士団のまねごとをして草原を駆けた。

幾度か背の小さな魔物の姿を見かけることもあったが、奴らは俺達の姿を見かけるといつもキィキィと哀れげな鳴き声を上げて森に逃げ帰ってゆくだけだった。


俺は本を読むのが好きだった。

大きな体をしているくせに、と歳の離れた兄達にはバカにされたが、勇者が旅路の果てに魔物を打ち倒し囚われの姫を救い出すような冒険譚は俺の血を熱く沸き立たせた。

沢山の本を読むうち、いつしか俺はごっこではない本当の冒険がしたいと夢見るようになっていた。

騎士になり、銀に輝く鎧に身を包み華麗な剣技で攫われた王女を救うような……。


 だがこんな、野盗すらも滅多に出ないような辺境でくすぶっていては冒険もなにもない。

 だから騎士になるため王都に行きたい、と俺が言い出した時、父も兄達も一瞬呆気にとられた表情をしたがすぐに許可してくれたのは助かった。

 俺もいい歳になりつつあったし、丁度近隣の国と戦争になりそうな気運があった。

未だに冒険ごっこに明け暮れる大飯喰らいの三男坊が上手く手柄を立ててくれれば儲けものだとでも思ったのだろう。

今生の別れになるかもしれないからと言って父親から多めに路銀を巻き上げた俺は、仲間たちを集めて俺と一緒に兵士になりたいものはいるかと聞いた。

そして手を上げたもののうち、明らかに体が虚弱なものと女の子をのぞいた数人で俺たちは王都に向かった。

俺は餞別に痩せた馬を一頭もらっていたが仲間たちは徒歩だったので、内心ではもう従卒を引き連れた立派な騎士になったつもりになり幾度かにやけてしまう。

すれ違う旅の商人や芸人達がそんな俺を不審げに眺めていたが、これからの日々の事で胸がいっぱいだった俺はさして気にもならなかった。


 王都に着くと簡単な試験を受けて俺は従士となった。

 騎士の身辺に付き従い、身の回りの世話をする見習いのようなものだ。

 一緒に来た仲間たちはみな早くも兵士になって剣を振ったり、頭の良い者は学院に入って錬金術を学んだりと実戦的な事をしているようだったので俺は少し引け目を感じた。

 早く戦争になれば、戦場で手柄を立てることも出来るのにと思った。だが、そんな俺の願いとは裏腹になかなか戦争は始まらなかった。


 そんな風にして3年が経った。

 仲間のうち一番頭の良かった男は駆け出しだが錬金術師となり、ほかの仲間たちも一人前の兵士になっていた。

 俺も、剣だけはどうしても上達はしなかったが、なにせ力があったからその他の武器は人並み以上に扱えたし、意のままに馬を操れるようにもなっていた。

 俺たちは毎夜酒場に集まって、戦争がはじまったらどんな風に戦いどれだけ沢山敵を殺すかと言うことを語り合い気炎を吐いた。

 若い俺たちにとっては、戦争は想像上のもので、子供の頃の冒険ごっこと同じようなものだった。

 ある時村から頼りが届き、俺達は村に残った女の子が病で死んだ事を知った。

まっすぐな瞳をした、美しい少女だった。

 俺は彼女が好きだった。

 彼女に危険な事をしてほしくなかったから、俺は彼女を連れては来なかった。

 いつか立派になって、彼女を迎えにいくつもりだった。こんな事なら彼女も連れてくれば良かった。

 しかしもう全ては遅かった。


「彼女が好きだったんだろ?実は俺もだ。綺麗な子だったな。……なあ、でもお前の方が俺よりあの娘のハートに15cmほど近かったよ。朴念仁、気付いていたのかい?」


 俺は錬金術師の男にそう言われた。

 そして二人で死んだ少女の事を思い出して泣いた。


 ある日、事件が起こった。

 王女が巨大な赤い龍にさらわれたのだ。

 その時王女は真っ赤なドレスときらきらする宝石と王冠を身に着けて城のテラスから街を見下ろしていた。

 龍は人里に来ることはあまりないが、そのくせ黄金や光輝く宝石には目がないのだ。

 巨大な影がテラスを覆ったかと思うと、龍はあっという間にそのかぎ爪のついた足で王女を掴んで飛び去ってしまった。

 御付きの召使いや騎士たちは腰が抜けて何もできなかったそうだ。


 老いた王はたった一人の血のつながった娘を失ってひどくうろたえた。

 彼は王女の傍に仕えていたにもかかわらず何も出来なかった(何か出来る人間がいるとは思えないが)召使いと兵士を残らず処刑したあと、全軍を王女奪還の為に出軍させようとした。

 今、龍のために軍を動かせばその隙きを突いて隣国が一気に攻め込んできてこの国は滅ぶかもしれない。

 それにこの国の軍隊全てでかかっても龍に勝てるかは分からないのだ。

 矢を通さない鋼鉄の鱗を持った巨大な体で自在に空を飛び、灼熱の吐息で岩をも溶かす龍を倒したといわれているのは、おとぎ話の中の伝説の勇者だけだった。

 今は重臣たちが必死で王を止めているが、それもいつまで持つか分からない。


 俺はいつもの酒場に仲間たちを集めた。

 王女が龍にさらわれたことと、王が軍を使って王女が取り戻そうとしている事。

 その噂は既に王都中に広まっていて、民の中には家財をまとめて王都から逃げ出すものも出始めていた。

 普段より人気のない、しんとした酒場で俺は仲間たちに言った。


「俺たちで王女を助け出そう。付いてくる奴はいるか」


 あの時のように誰かが手を上げたりはしなかったが、そんな合図がなくとも俺には皆が一緒に行くつもりなのがわかった。

 誰もが真剣な表情で、だが興奮を抑えきれない様子で俺を見つめていた。


「決まりだ」


 俺たちは真夜中にこっそりと王都を抜け出すことにした。

 錬金術師の男が、行くにしても準備は必要だと言うので、とりあえず彼に言われた通りの物と、それに各々好き勝手な装備を持って集まった。

 皆金が無かったから、装備は使い古した中古品か、戦場跡から拾ってきた穴空きの鎧や錆びた槍といった有様だった。

 戦う前から既に一戦終えた後のようなくたびれ具合だ。

 俺は悩んだが、どうもやはり剣には自信が無かったから、戦槌を担いでいく事にした。

 鎧ごと相手を叩き潰す巨大なハンマーだ。全力で振るえば鉄の城門だって破壊できる自信があった。


 軍馬を一人一頭引いて俺たちは街の広場に集まる。

 もちろんまだ馬を持てる身分ではなかったからこっそり連れてきたのだ。

 夜中に叩き起こされて連れてこられた馬たちは機嫌が悪くなだめるのが大変だった。

 俺は自分でこの計画を言い出したくせに途中でばれるんじゃないかとひやひやしていたが、このときはもう国中がてんてこまいだったから一応は軍の装備をしていた俺たちを不審な目で見る人間はおらず、かえって拍子抜けするくらいだった。


 そしていよいよ出発しようか、となった時に仲間の一人がついでだからあれも持って行こうと言って広場の中央を指さした。

 そこには石の台座に深く突き刺さった一振りの剣があった。

 それはかつて龍を倒してこの国を作った英雄が使っていたとされる剣だったが、もちろんそんなおとぎ話を信じている者はいなかったし、今は丁度いい待ち合わせ場所の目印くらいに使われているだけだった。

 だが、この剣の力が発揮されるとしたら今なのではないかという思いが、非日常の世界に足を踏み入れかけていた俺たちを支配した。

 俺たちは興奮し、かわるがわる剣に手をかけ台座から引き抜こうと試みた。

 伝説では勇者の血を引くものが剣に触れれば、台座から引き抜けるはずだったのだ。

 だが誰がやってみても剣を抜くことは出来なかった。

 俺が試した時にも、手ごたえはあったのだが。

 しかしなんだか剣が抜けるよりも柄の方がすっぽ抜けてしまいそうな気がしたのでそこで諦めてしまった。

 はしゃいでやりはじめたものの結局誰も剣を引き抜くことが出来なかったので、仲間たちは目に見えて意気消沈した。

 そこで俺は槌を振り回して台座を粉々にぶち壊し、砕け散った台座の瓦礫の中から剣を取り出してみんなに向かって高々と掲げて見せた。

 誰かが笑いだし、つられて俺も笑い、最後は全員で大笑いした。


 俺たちは都を出て、いくつかの川と村を越え、あっさりと龍のねぐらを見つけ出した。

 巨大な龍は人間など歯牙にもかけぬといった調子で悠々と飛んでいったため、村人や商人がみなその姿を見ていたのだ。

 龍は森の奥にある巨大な鍾乳洞をねぐらにしているらしかった。

 姿を見た者の話によると、龍は洞窟の小さな入り口ではなく、地震かなにかで岩盤が崩れてできた天井の大穴から出入りしているらしい。


 いよいよ龍の洞窟に近づいた時、地鳴りのような恐ろしい声があたりに響く。

 龍の唸り声だ。

 それまで意気揚々と、軽く龍を退治してやるつもりだった俺たちは情けない事に竦み上がった。

 声を聞いただけで理解してしまったのだ。

 この先にいるのはとても人間が敵う存在ではない、と。

 ――ひょっとして、王女はもう死んでいるのかもしれない。

 俺は仲間たちにそう言おうと思った。

 怖気づいただけでそう言いたかった訳では無い。

 俺は確かに、ここに来て初めて恐怖を感じていた。

 だが、それは自分自身の死に対する恐怖というよりも、ひょっとしたら仲間達がみんな死んでしまうかもしれないという恐怖だった。

 幼い頃から一緒に下らない事をやりつくし、野山を共に駆け回っていたこの仲間たちが、いつのまにか俺にとって自分の命よりもかけがえのない存在になっていた事に俺はこの時はじめて気付いた。


「眠り薬を使ってみよう。うまいことに洞窟は風下だ」


 俺がやっぱりやめよう、と言おうとする直前に錬金術師の男が先に口を開いた。

 彼は大きな麻袋を担いできていた。

 学院からありったけの秘薬を盗み出して来たらしい。

 念の為と言って俺たちを遠ざけると、彼は火打を使って麻袋に火を付けた。

 朦々とした白煙が立ち上り、やがてそれは風に流されて洞窟へと流れ込んでいった。

 俺は龍が怒って暴れだすのではないかと心配になったが、やがて聞こえてきたのは怒りの咆哮ではなく巨大ないびきだった。


 俺たちは煙が霧散したのを確認してから錬金術師の元に駆け寄った。

 彼は草の中にうつぶせで倒れていたが、どうやら予想以上に強力だった眠り薬の煙を誤って吸ってしまい昏倒しているだけのようだった。

 俺は錬金術師をかついで安全と思われる木陰に横たえておいた。


 龍はどうやら目論見通り眠ってくれたようだが、錬金術師の持ってきた眠り薬がどの程度効果があるかは俺たちにはさっぱり判らない。

 だから、なるべく早くカタをつけなくてはならないだろう。

 俺が目配せをすると仲間たちは各々が武器を構えた。

 そして俺たちは洞窟の奥へ、地を揺るがすようないびきのする方へと歩を進めた。


 洞窟の通路は象でも通れそうな程巨大なものだったが、それでも一番図体の大きい俺は肩や槌の柄が出っ張った岩や木の根にたびたびひっかかり進むのに難儀した。

 この洞窟からは閉所特有のじめじめとした湿気などは感じられず、それどころか時折新鮮な風が吹き抜けていく程だった。

 どうやらこの先に吹き抜けになった場所があるというのは本当らしい。


 やがて光の差す広間に出る。

 天井には直径15メートルほどの大穴が空いており、その真下で巨大な赤い龍が僅かな土に生い茂った草の上に丸くなり寝息を立てている。

 俺たちはその偉容に息を呑んだ。

 魔物といっても俺達の故郷にいたあのキイキイなく小さな奴となんて違うんだろう、と俺は思った。

 その真っ赤な体はぬらぬらと光輝く金属のような鱗が合板のように重なったいかにも強固そうなものであり、見るからに力強い咢から飛び出した牙は龍の力を持ってすればどんな鎧でも容易に貫くだろう事が想像できた。

 この怪物が翼を持って自在に空を駆け、鉄をも溶かす炎を吐きかけてくるとしたら、どんな精強な騎士団も蟻の群れに等しいというのも道理だ。

 龍は眠っているのに、立っているだけで手足がどうしても震えて仕方なかった。

 情けない事に俺は、ここまできてやっぱり帰ろうかと考えていた。

 今度こそ、俺の心は本当の恐怖で一杯になっていた。

 誰もが硬直する中、仲間のうちで一番素早く目端の利く男が小さく驚きの声を上げたかと思うと、龍の元へと駆け出して行った。

 彼の目指す先、龍の前足の影には良く見ると赤いボロ切れのようなものが転がっていた。

 彼はあっという間に龍の懐に駆け寄ると、そのボロ布のようなものをかつぎあげて戻って来た。

 それは攫われた王女だった。

 体中すり傷だらけでかなり衰弱しているようだが、まだ息はある。

 俺はか細い呼吸を繰り返すその少女を見て自分の弱い心を強く恥じた。


「先に王女を連れて戻っていてくれ」


 仲間2人にそう告げ、眠ったままの錬金術師と王女を医者の所まで運んでくれるように頼む。

 2人は何か言いたげだったが、俺がそれ以上何も言わないでいると、死ぬなよとだけ言って来た道を戻って行った。

 それからしばらくの時間、俺たちは洞窟の中で眠る龍と一緒にいた。

 薬の効果がいつ切れるかは分からなかったが、不思議ともう怖くは無かった。

 そして仲間2人が安全な所までいけるくらいの時間が経った辺りで、俺は槌を構えて未だにいびきをかいている龍の眼前まで移動した。

 硫黄と腐った卵と血が混じり合ったようなべっとりとした生臭い鼻息が俺の髪を撫でる。

やがて残った仲間たちも武器を構えて龍の眼前に並んだ。


 誰も、何も言わなかった。

 龍の荒々しい鼻息と、俺たちの押し殺した息遣いが組み合わさり、俺は洞窟の中に奇妙な音楽が流れているように錯覚した。


「やるぞ」


 俺は槌を固く握りしめ、上段に大きく振りかぶってから仲間に問いかける。

 それはどちらかと言えば自分を鼓舞するために言った言葉だったし、俺の目はもう龍の頭蓋に固定されていてそれ以外のものは見えていなかったのだが、誰もが頷いたのが俺には分かった。


「ゥおオオオッ!!」


 俺は雄叫びを上げて踊りかかった。

 その時、俺の心の中には龍が目覚めるのではないかなどといった不安も仲間が死ぬのではないかといった恐れも最早存在せず、人生で初めて抱いた焼けつくような真っ赤な殺意で満たされていた。

 今思い出しても、どうして自分が直接恨みを持っているわけでもないあの巨大な生き物にあれほどの殺意を抱けたのかわからない。

 あるいは、あれが俺という人間の本質なのかもしれない。

 とにかく、俺はその破壊衝動を狂ったように龍の巨大な頭蓋に叩きつけ続けた。

 何度も、何度も。

 最初はゴムの塊を殴りつけたような手応えだったのが、次第に柔らかいものに変わっていく。

 生暖かい何かが俺の体に付着する。それでも俺は槌を振るのをやめない。

 殺す。とにかく俺はこいつを絶対に殺す。


 ……いつ龍にトドメをさしたのか、はっきりとは覚えていない。

 気付けば俺は湯気の立つ生臭い血だまりの中に立っていた。

 目の前には砕けた骨の中に浮かぶ巨大な灰色の脳の残骸だけがある。

 それはもう呼吸をしていなかった。

 鱗に弾かれたのか、折れた剣や槍を持った仲間たちが呆気にとられたように俺を見ている。

 何か言わなくてはいけない、と俺は思った。


「――やったぞ!!」


 もう少し気の利いた言葉の方が良かったか。

 声に出してから俺は後悔した。

 子供の頃に読んだ物語の勇者は、屠った敵にどんな言葉を送っていたのだったろうか……。


「「「おおおおおおおお!!!!」」」


 だが、仲間たちは皆一様に壊れた武器を掲げて勝鬨を上げてくれた。

 様にはならない姿だったが、それでやっと俺にも実感が湧いてきた。


 俺が、俺たちが龍を殺したのだ。


 眠らされ目覚めることなく死んだ巨大な生物を少し哀れに思ったが、そんなささやかな感傷も次々に飛びついてくる仲間たちの相手をしているうちに薄れ消えていった。


 その後は大変だった。

 仲間の一人が折角だから龍の死体を持って都に凱旋しようと言い出したからだ。

 だがどう考えても巨大な龍の死体をまるごと運ぶのは不可能だったため、砕かれた頭部を切り離して持っていく事にしたが、数人がかりで斧や剣をやたらめったらに叩きつけまくっても鋼鉄のような鱗に弾かれて全く切断できる気がしなかった。

 仕方がないので首周りの鱗を1枚ずつそぎ落としてやっと刃物が通るようになったが、その肉や骨もありえないほど固く、全身血まみれになるほど作業してやっと龍の首が胴体から離れたのは真夜中を過ぎてからだった。

 俺たちは龍の頭を洞窟から引っ張り出し、解体作業中に仲間の一人が調達してきた馬車の荷台に載せた。

 馬車の持ち主らしい商人風の男は揃って血塗れの俺達が砕けた龍の頭を洞窟から引っ張り出してくるのを見て腰を抜かしていた。


 帰りは都まで続く街道を使った。

 整備されているとは言いがたかったが、ここを通れば足の遅い馬車を連れていても3日のうちには都に着く。

 一体どうやって伝わったのか、街道沿いの町や村にはどこも人だかりが出来ており、龍の頭を引いた俺達が通りかかると小さな悲鳴と大きな歓声が上がった。

 特に子どもたちはまるでおとぎ話の中の騎士を見るようなきらきらとした瞳で俺たちを見つめていた。

 仲間たちは照れながらも歓声に答えて手を振ったりしていたが、都が近づくに連れて俺は不安になってきた。

 結果的に龍を退治できたとはいえ、俺達は勝手に軍を抜けだしたのだ。脱走兵として処刑される可能性だってあった。


 しかし都に入り、そんな俺の不安も消え去った。

 都では驚いたことに、王が自ら外に出て俺たちを待っていたのだ。

 どうやら先に引き返した仲間が医者と王女を連れて前日に王都に戻っていたらしい。

 王の姿を見て俺たちは慌てて馬から降り、膝をついた。

 仰々しい労いと賞賛の言葉がかけられたが、それは貴族にありがちな儀礼的なものでなく本心からのもののようだった。

 王は涙を流していた。

 王の言葉が終わると、人々の熱狂が俺たちを包んだ。

 王女の奪還と竜退治を祝う宴が催され、その主役の俺たちはいささか夢の中のような気持ちでそれを受けた。

 血まみれの上にボロボロの武具に身を包んだ俺たちは、余程の激戦を生き抜いたように見えたのだろう、誰もが俺たちを讃え、そして戦いの様子を聞きたがった。

 居心地の悪さを感じた俺が本当の事を話そうかと悩んでいると、調子のいい仲間の一人が龍がどんなに凶暴で手強かったか、俺達がそんな怪物を相手に怯まずどれほど勇敢に戦ったのかを滔々と語り出したから思わず閉口してしまった。

 そいつの話の中では、ずっと眠ったままだったあの龍が縦横無尽に空を飛びまわり俺たちに容赦なく火炎を吐きかけていたのだ。


「……ふっ。――ま、そういう事にしておこうぜ」


 聞き覚えのある気障っぽい笑いと、そして低い声が耳元で囁く。

 振り返ると錬金術士の男が悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。

 それでも俺はまだ釈然としない思いだったが、彼がそう言うならと思い結局黙っておく事にした。

 調子よく架空の戦いを喋り続けている仲間の話の中では、龍の灼熱の吐息を紙一重で躱した俺が台座をぶち壊して持ち出した挙句に結局一度も使わないままだったあの伝説の剣で龍に一撃を与えている所だった。




※ ※ ※




 あの冒険から20年が経った。

 仲間たちは王女救出と龍討伐の功績を認められたのを切っ掛けに、ある者は軍の要職に就き、またある者は爵位を得て地方の領主となった。

 10年前と3年前にそれぞれ流行病と怪我が原因で2人が死んだ。

 錬金術士の男は大分前に旅に出ると言って姿をくらましたきり行方が分からない。

 なんにせよ、皆歳を取り若さと自由を失った代わりに地位と名誉を得た。

 それにどれほどの価値があるのか俺にはまだ分からない。

 最近はもう、俺達は殆ど言葉を交わすこともなくなってしまった。

 特に何かがあったわけではない。

 ただ、どうやら俺に気を使っているらしいという事だけがなんとなく分かった。


 俺はあれからすぐに王女と結婚した。

 王女は年頃の少女らしい軽率さで、自分を救った俺に恋をしたらしい。

 流石に王も最初はかなり渋ったが、一応は俺が貴族の子弟だった事、そして圧倒的な国民の声がそれを可能にした。

 俺は龍を倒した英雄として他の国にまでその名が届くほどになっていたのだ。


 しばらくして子どもが産まれ、年老いた王は孫と娘にみとられて満足して世を去った。

 そして何故か俺がその後を継いで新たな王となった。

 俺は王女と結婚したとはいえ俺は王族とは血縁関係がないため、彼女が女王となり国を統治するのかと思っていたのだが、どうでっち上げたのか宮廷の中に俺の祖先が王族と血のつながりがあるとかいう胡散臭い資料を持ち出してきた連中がおり、そいつらに担がれる形で俺が王位を継ぐ形になってしまった。

 国民は熱狂をもって新王を迎えた。

 なんといっても俺は龍を殺して王女を救った一騎当千の英雄(だとほとんどの人間は信じていた)で、国内国外問わず絶大な影響力を持ち、そしてずぶの政治素人だった。

 担ぐ神輿にはうってつけだと思われたのだろう。

 そしてそれは事実だった。


 俺は殆ど政治に関知せず、実際の事は俺を担ぎ上げた派閥の連中が取り仕切っていた。

 俺は明らかに民衆に負担になるような法だけは却下し、あとは連中の好きにさせていた。

 俺の仕事といえば一日中玉座に尻を押し付けて謁見に来る人々の相手をしたり他国の人間に龍を倒した時の戦いの様子を話して聞かせるくらいのもので、そして俺は連中の聞きたい話を聞きたいだけ話す事ができた。

 もうこの頃には嘘を付くことに何の躊躇いもなくなっていたのだ。


 妻とは大分前からほとんど定型以外の言葉を交わさなくなった。

 子どもが産まれたあたりで彼女の熱病も覚め、俺が力が強いだけで貴族的な品格やマナーというものを殆ど持ち合わせていない朴念仁だという事に気付いたようだった。

 実際俺はダンスもろくに踊れやしなかったし、見てくれだって褒められたもんじゃない。

 取り柄と言えば頑丈な体くらいのもので、お姫様の気を引けるようなものなど最初から持っていなかったのだ。


 まあいいさ、と俺は思った。


 もともと上手くいくはずがなかったんだ。

 俺はただ、騎士になって仲間たちと戦場で手柄を立てられればそれで良かった。

 王女と結婚するつもりも、ましてや自分が王になる事なんてこれっぽっちも望んでなんかなかったのだ。


 俺はこれが幸福なのだと信じようとした。

 確かに上手くいかない事もあるが、それでも俺の周りにはかつての俺がどうやったって手に入れられっこないような素晴らしいもので満ち溢れている。

 地位、名誉、金。

 俺は満たされたはずだった。



 日々の何もかもが空虚で無意味に思えた。

 ひどく昔が懐かしかった。

 そして実際、眠ると昔の夢ばかり見た。

 夢の中の俺はまだ若く、そこにはどんな下らない思いつきにも乗ってくれる仲間達がいた。


 あの頃が戻ってきたのだ、あの素晴らしい時代が!


 俺は幾度となくそう叫んだ。

 だがもちろん、そんなものはただの夢の中の出来事に過ぎなかった。

 天幕のついた豪奢で無駄に大きい下らないベッドで目覚める度、俺は深い絶望のため息をつき続けた。


 そんなある日、付近の村の娘が龍に攫われたらしいという知らせが入ってきた。

 龍、といっても様々な種類がおり、娘を攫ったのはその中でもかなり小型の龍らしい。

 村の近くの洞窟に巣を作ってたまに家畜などを襲っていたのが、なにかの拍子に娘を攫っていったという話だった。

 どのみちもう娘は生きてはいないだろうから、救出の兵などは出さない事にしました、と俺の質問に答えていた政務官は言った。


 俺は驚いてそいつを見た。

 そいつは、いつも顔を合わせているのはずなのに、その時俺には全く知らない人間のように見えた。

 そこにいるのは小太りで、いくらか頭の禿げた、濁った目をした中年の男だった。

 だが俺はそいつの目にだけは見覚えがあった。

 それは俺の目だった。

 そう、以前ふと鏡で自分の顔を見た時、たしか俺もこんな濁った目をして……


 ――その時、あの龍退治の夜の、仲間達の歓声が聞こえた気がした。


 ――お前にならなんだって出来るさ

 懐かしい幻の中で、錬金術師の男が少し恥ずかしげにそう言って笑っていた


 俺は政務官に何も言わずに踵を返すと自室に戻り剣を手に取る。

 あの時台座をぶち壊して手に入れたやつだ。

 もう槌を振り回すほどの力は残っていなかった。

 俺があの時使っていた槌は今、龍の頭蓋骨付きの新しい台座に根本から埋まっている。

 あれもいつか、英雄の血を引くものだけが引き抜ける伝説の槌という事になるのかもしれない。

 息子の事だけが気がかりだったが、妻が自分とは違って息子の事は愛している事を思い出してそれ以上考えるのはやめにした。

 見張りもいない城内の武器庫に行って使えそうなものを漁った後に、一番頑丈な軍馬を選んで俺は王都を立った。

 軍のものと同じ鎧兜を全身に纏っていたために誰も俺を不審には思わないようだった。


 村に到着した俺は、龍を討伐に来たとだけ告げてそのねぐらまで案内するように頼む。

 そして馬を預けてすぐ、案内の少年と二人でそこへ向かった。

 日は傾き、周囲は暗かったが、今度も見つけるまでそう時間はかからなかった。

 それはじめじめとした、いかにも魔物が好みそうな陰気なほら穴だった。

 俺は兜を脱ぎ、王が一人で龍のねぐらに向かったと近場の兵士にでも伝えてくれと少年に頼んで穴の奥へと進んだ。

 まだ若い、そばかす面の少年は俺の顔を見てひどく驚いたが、次に顔を紅潮させて俺を讃え、最後は何もかも心得ているという感じで頷いて急いで引き返していった。

 まるで英雄を見るような顔をしていたその少年の顔を思い浮かべて、俺は歩きながら苦笑いを浮かべた。

 彼が必死に俺を称える言葉を並べ立てている時、そんな男はいないのだと教えてやろうかとも思ったが、結局それは言わないでおいた。

 かつて自分がそうだったように、あの少年にはあの少年の信じるおとぎ話があるのだ。

 それを壊す権利は俺にはない。


 穴はおもったよりも奥に続いているようだった。

 松明をかざして食い荒らされた家畜やらの骨が転がる地面を進んで行くと、猫が喉をならすような低い唸り声が聞こえてきた。

 あちらも侵入者に気付いたらしい。

 構わずに進み続けると、民家の居間ほどの半端な空間に龍はいた。

 確かに背は小さい。

 昔退治した奴に比べればトカゲくらいのものだ。

 が、それでもロバくらいの大きさはあるか。

 龍は唸り声を上げながら、体勢を低くし緑色の瞳で油断なくこちらを見つめている。

 娘はそのすぐ側に倒れていた。

 生きているかは分からないが、少なくとも食われてはいないようだ。

 赤い頭巾を被っている。

 龍は光る物以外にも赤い色が好きなのかもしれない。


 俺は杭のようになっていた松明を柔らかい地面に突き刺すと、龍から目線を外さないよう注意しながら荷物を地面におろしゆっくりと鞘から刃を抜き払った。

 松明の光に刃が鈍く煌めく。

 それでこちらがやる気なのが分かったのだろう、一際鋭い叫びをあげて龍は躍りかかってきた。


 俺の力任せの横薙ぎを、龍は姿勢を低くして潜るように避けた。

 かなり素早い。

 それとも俺がノロマなだけか。

 長年の城暮らしで俺の体は醜い贅肉で包まれていた。

 だがそんな思いが去来する間もなく、脇腹に痛みと衝撃が走る。

 龍の爪が鎧とその下の鎖帷子を貫いて肉を切り裂いたのだ。


 「ぅん!」


 俺は、刃を返すと仕返しとばかりに龍の横腹にそれを突き立てようとした。

 しかし角度が悪かったのか龍の鱗のせいなのか、それは龍の表面に少しだけ食い込んだかと思うと、まるで鉛で出来ているかのようにぐにゃりと折れ曲がってしまった。


 それでも反撃が予想外だったのか、龍は飛び退って距離を取った。

 低い唸りを続けながら、感情の無い緑の瞳でじっとこちらを睨んでいる。

 こちらの傷はおもったより深いようだ。血の流れ出る感覚が、心臓の鼓動が。

 今までの人生で一番はっきりと分かった。時間をかけるのはまずい。

 しかしこちらからいっても奴を捉えるのは難しいだろう。

 第一、武器がないのだ。


 ――何が伝説の剣だ


 思わず俺は笑ってしまう。

 こんな状況でも笑いがこみ上げてくるのだから不思議だ。

 小さな、息を呑むような声。

 見ればいつの間にか娘が起き上がりこちらを見ている。

 良かった、生きていたか。

 ならもう躊躇う理由もない。

 俺は松明を背にするような位置に移動すると使い物にならなくなった剣を投げ捨て、龍に向かってゆっくりと両手を広げる。


 果たして、龍は誘いに乗った。

 武器を捨てた俺が諦めたと思ったのだろう。

 キィと小さく叫ぶと再び躍りかかってくる。

 俺は少しだけ体をずらした。

 狙いは首か、それとも再び腹か。

 なんにせよ、やられてからでは遅い。

 やつは腹はダメだと考えているはずだ。

 なら首だ。

 俺は自分の首筋に龍が噛み付く瞬間をイメージしながら、何もない空間を羽交い締めにするようなイメージで腕を眼前で交差させる。

 直後、首に熱を感じた。

 狙い通り龍が首に噛み付いたらしい。

 俺は龍の首らしき部分を抱えるように締め上げながら、奴の勢いを利用してそのまま後ろに倒れ込んだ。

 上手くいくかは分からない。

 全ては運任せだ。


 ジュ……


 火に水をかけた時のような音が聞こえ、続いて獣の断末魔が一瞬だけ聞こえた。

 洞穴に血の匂いが充満する。

 松明は持ち手の部分だけでなく、上部で燃える布の下の部分も尖らせておいたのだ。

 そこに龍の脳天を突き刺せるかどうかは完全に運任せだったが、どうやら上手くいったらしい。


「……ッ」


 誰かの声――のようなものが聞こえる。

 娘が何か言っているのかもしれない。

 俺の荷袋の中に火打ちとロウソクが入っている、と娘に教えてやる。

 上手く声が出なかったので指差しで教えた。

 松明の火はまだ完全には消えていない。

 見つけられるだろう。

 しばらくして火がつく。

 そしてロウソクの火に照らされた娘の顔が、はっきりと闇の中に浮かび上がる。

 まっすぐな瞳をした、赤毛の美しい娘だった。

 娘は俺の首や脇腹に、自分の服を裂いた布をあてがって止血しているようだった。

 俺は手を振って、声の出ない口を動かしてもういいから行けと言った。

 娘は俺を引っ張ったり、担ぎ上げて運ぼうとしているようだったが鎧を着込んだ肥満体の大男を動かせる訳がない。

 俺は再び娘に、手振りでもういいから行けと伝えた。

 娘の大きな瞳から、大粒の涙が零れた……ような気がした。

 そして、やがて何かを決心したように、娘は走り去っていった。


 ――転ぶなよ


 最後に、娘にそう言いたかったが、もう口も動かない。

 娘の去った後、目を閉じて、俺は、何故ここに案内させた少年にあんな事を頼んだのだろう、と考えた。

 そして、その理由に思い当たり――

 静かに、また笑った。


 ……ああ。

 意識が段々霞んできた。ゆっくりと、そして素早く、世界が俺から遠ざかってゆく。


 そういえばあの娘、誰かに似ている気がした。



 ――だがもうそれが誰なのか、俺には思い出せない



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龍を殺した王様 ベーコン山田 @b-yamada

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