カステラと手紙

探求快露店。

カステラと手紙

 ふわふわの生地に舌に残る甘ったるいザラメの食感。

 ああそう、そうだ。この味だ。

 食べやすいように切り分けられたカステラを口に放り込んで思わず懐かしさに浸っていると、口に合わなかったかと心配そうに眉を下げた相手に慌てて首を横に振る。

「中学の時のことを思い出して、少しぼんやりしちゃっただけ」

 美味しくて食べるのがもったいないくらいだと少し大袈裟に言えば眉を下げたまま、嬉しそうでもあり恥ずかしそうでもある表情に変わって、弧を描いた唇が控えめな笑みを形作った。

「大袈裟だよ」

 彼は中学の時、同じクラスに所属していた同級生だ。

 柔らかな物腰で物静かな雰囲気そのままに口数もそう多くはない。

 正直に言えばそう仲の良いと言える相手でもないのだけれど。

 長く尾を引いた冬の寒さがようやく去り、暖かくも優しい日差しに春を追い越して近付く夏の匂いを感じる今日この頃。

 葉桜の影でベンチに腰掛けて私は彼手製のカステラを頬張っている。

 運命と呼ぶには、どちらかと言えば記憶から抹消したい偶然の再会を果たしたのは丁度一週間前のこと――。


 どこかそわそわと落ち着かない男女がそれぞれの席で向かい合って話に花を咲かせている。

 はじめまして。趣味は。好きなことは。

 そんな会話から始まって、おおよそ五分。

 指定された時間を過ぎると次の相手へ。

 食事も出ないような酷く簡素な婚活パーティーで、まさか「久しぶり」なんて言葉を吐くことになろうとは彼も思っていなかったに違いない。

 お互い引き攣った愛想笑いを浮かべて無意味な五分をやり過ごし、気不味い思いを胸の隅に抱えながらもパートナー探しに励んだ。

 ……結果については、こうして彼と会っていることから察してもらえればと思う。

 誕生した数組のカップルを見送って、ただの知り合いに戻った独り身のままの私たちは改めて再会の挨拶を交わした。

 見なかったことにしたまま帰るという選択肢も勿論あった訳だが、会場を後にする際にチラッと視線を向けた先で目が合ってしまえば一言二言くらいは話さない方が不自然だろう。

 パーティーの参加者である以前に私たちは中学の同級生なのだから。

 立ち話で終わる雰囲気でもなかったので近くの喫茶店に入り、二人で紅茶を注文しつつ。当たり障りない話題から昔話に至り、彼手製のカステラを食べたことがあったのを思い出した。

 ――先に述べた通り仲の良いと言える相手ではなく、詳しいことは知らないし覚えてもいないが放課後の教室で彼が配っていたところに居合わせてお裾分けを頂いたのである。

 手作りということでレシピを尋ねてコツまで丁寧に教えてもらったにも関わらず一度も作らないままに今日を迎えていることは彼本人には言えない秘密である。

 あの時にもらったカステラはとても美味しかったと十数年前にもおそらく伝えただろう感想を、再び繰り返せば今度作る予定があるので次の日曜日にでもどうかと誘われて今に至っている。

 お菓子作りは彼の趣味だそうだ。

 作ったはいいが食べるのに苦労する……というのが常で、受け取ってもらえるのなら嬉しいと言われてしまえば断るに断れなかった。


 待ち合わせ場所は近所の公園。

 そのまま移動することなく広げられたカステラと、彼が水筒に入れてきた紅茶は優しい味わいで心まで満たしてくれるようだが、婚活パーティーに参加するような大人の男女が二人だけで集まったにしてはあまりに色気がない。

 あるのは私の食い気だけ……。

 いや、近所の公園を待ち合わせ場所に指定された時点で分かってたことだけど。

 そういう期待があって誘いに乗った訳でもないけれど。

 カステラ美味しかったよありがとう! だけで終わるの? 本気で?

 気不味い空気を繕うように交わされていた会話が不意に途切れて沈黙が落ちる。

 水筒のコップに注がれた紅茶を飲み切ってしまわないようにしながらちみちみと口を付ける。

 カステラはもうない。

 食べ終わってしまった。

「あー」

「…………」

「どこか、行く……?」

 伺うような視線を向けられて見詰め返す。

 首を縦に振って頷けば、バイクを出すという彼の家に一度寄ってから、宛てのないドライブに出掛けることになった。


     *


 それから彼とは何度か出掛けたものの進展らしい進展もなく、たまに広がる何とも言いがたい空気を除けば良き友人として連絡を取り合う日々が続いている。

 煮え切らないという言葉がもっとも当てはまるだろう。

 そう、煮え切らない。

 デートには誘われるし、それらしい空気になることもある。

 話してみれば気が合わないということもなく、一言、どちらかが切り出せば結婚を前提とした付き合いが始まるだろう。

 そう思っているのが私だけでなければ。

「あれから他の婚活パーティーには参加した?」

 ――再会を果たしてから約半年。

 今まで故意的に避けてきた話題を初めて口に出した。

 回りくどいのは重々承知の上であるが、彼の反応を見たかったから。

 アクション映画と思って気を抜いていたら不意に挟まった濡れ場に思わず身を固くした映画の帰り。

 お互いの顔を見るに見れないような空気に耐えかねて、というのも理由の一つだった。

 え、と間の抜けた声を漏らした彼は困惑を表情に滲ませた。

「……いや。そっちは?」

「行ってない。けど、そう悠長に構えてもいられないかなって」

 私たちは今年で二十六だ。

 晩婚も珍しいものではなくなったご時世であるから、周りからはまだ焦るほどの歳ではないだろうとも言われるが、いつかは巡り会えるなんて甘い考えでいたら婚期を逃して独り身のままよぼよぼのおばあちゃんになってしまう。

 半年も進展のなかった相手とダラダラ友好関係を築いている場合ではないのだ。

 そっか、と相槌を打った彼はそれ以上何も言わなかった。

 ……私たちの関係はここまでらしい。

 はっきりとした言葉にしなかったのは私も同じだけれど、女が動かなければ関係一つ明確に出来ないような男なんて願い下げ。

 その程度の相手と早まって一緒になるくらいなら結婚しないでいる方がマシである。


 次の予定はスケジュールがはっきりしないからと先延ばしにした上で忙しくて都合がつかないと断って、遠回しなさよならを告げた。

 次に彼と会うことがあるとすればいつ開催されるとも知れない同窓会でのこととなるだろう。

 ほんの僅かに重たくなった心から目を逸らしてベッドにごろんと寝転がりスマートフォンを操作して婚活サイトのページをめくる。

 夢物語のお姫様のように完成された美貌と非の打ち所が無い性格を持って生まれることが出来たなら、こんなに必死にならなくても引く手数多で相手も選びたい放題だったろうに。

 パーティーの参加条件、開催日時、参加費。

 並べられた文字を目で追うも頭に入って来ない。

 画面を見詰めるばかりの作業となって、結局、ため息と共にスマートフォンを放り出した。

 そんな日曜日の正午。

 ――ピーンポーン。

 天井の木目を見詰めるともなしに見詰めていればインターフォンが来客を告げた。

 家族の誰かが応対するだろうと気に留めずにいたが数秒が経っても物音一つ聞こえて来ないことに、仕方なく起き上がって急ぎ玄関に向かう。

 宅配だとすると再配達の手続きが面倒だ。

 ご近所のおば様が回覧板を届けに来てくれたのなら受け取らなければ。

 ガラガラと音を立てる引き戸を開けて出迎える。

 しかし、そこに立っていたのは配達員のお兄さんでもご近所のおば様でもなく、次に会うのは同窓会だろうと考えていた彼で……。

 思わず目を見開いた。

「え」

「あ」

 なんで。

「あー……突然ごめん、これを渡せたらと思って……ええっと、寝起きだった?」

 差し出された紙袋を受け取りつつ、寝起きという言葉で今の自分の身なりを振り返り、瞬間的に血の気が引く。

 手櫛で撫で付けただけのボサボサの頭に寝間着代りにいまだ使用している高校のジャージ。

「ご、ごめん。こんな格好で……!」

「いや。連絡を入れなかったのは俺の方だから」

 それとなく頭のてっぺんからつま先までを眺められて縮こまる。

 失態だ。穴があったら入りたい。

 何か用があるなら着替えてくるので少し待っていてもらいたい旨を伝えると彼はすぐに帰るので構わないと言った。

 お茶くらいは飲んでいくかとも尋ねたがやんわりと辞退しされて、何か言いたげに口を開いたり閉じたりしながらも別れの挨拶だけを述べて踵を返した彼の背を見送る。

 ……うん、完全に引かれた。

 泣き出したいような気持ちで頭を抱えつつ、とりあえず自室に引き上げてから紙袋の中身を確認する。

 入っていたのは愛らしくラッピングされたカステラと一通の手紙。

 この歳になって、通信機器も発達している時代に、まさか受け取ることになろうとは考えもしなかったラブレター。

 ――面と向かっては気恥ずかしく、言葉に出来ないまま今日を迎えて、このような形となったことをどうかお許し下さい。

 そんな一文から始まる。

 したためられた真摯な求愛の言葉に頰が熱くなる。

 けれど先程のことが頭を過れば、文面そのままに受け取っていいものかは悩みどころだ。

 これを書いた時の彼はだらしのない格好で休日を過ごす私など知らない。

 きっと幻滅しただろうし、それで今頃、渡してしまったことを後悔しているかも……。

 言い淀んでいたのは十中八九、この手紙のことだ。

 だとすれば返事を伝えることの方が迷惑になるのでは?

 そんな風に考える私に、放り出したままでいたスマートフォンが着信を告げた。

 電話だ。

 画面に表示されているのは彼の名前。

 思わず身構える。

 何を言われるのだろうと考えると、すぐには出られなかった。

 けれど、無視も出来ないので意を決して通話ボタンを押す。

「もしもし……」

『あ、俺だけど……その、中は見てもらえた?』

「うん……」

 緊張で声が固くなってしまったのは仕方のないことだったと思う。

 これは後から聞いた話となるが、あまりに私の反応が優れなかった為、彼は断られることを確信したそうだ。

 その確信は間違ったものだった訳だけれど。

 それでも、断られると諦めながらも彼が続けた言葉は次の通り。


『カステラの感想と手紙の返事、待ってます』

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カステラと手紙 探求快露店。 @yrhy

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