第2話 転機
1
コンビニで買ってきたパンを頬張りながら、旭は休憩室のソファに腰を掛けた。
午後六時を回っても、まだ窓の外は暗くない。段々と伸びていく日の長さが、春の訪れを告げつつあった。
そんな時、スーツのポケットの中で、携帯の着信音が鳴った。掛かってきた電話は妻の美紀子からだ。
「どうした」
「お父さんが倒れたの。いま救急車で、心肺停止してる」
さっと血の気が引くのがわかった。手から取り落したパンが、静かに床に落ちた。
「え?」
電話の向こうからは、焦りを隠せない美紀子の声が聞こえてくる。
「とにかく、今すぐ来れる? 向島の総合病院に向かってる」
「分かった」
旭は上着を羽織って休憩室を出ると、部長に急を告げ、すぐに会社を飛び出した。
「向島の慈生会病院まで。急ぎで」
玄関を出たところで旭はタクシーに飛び乗った。嫌な冷や汗が額を伝っていく。
タクシーは首都高に乗ったところで、夕方の渋滞に捕まった。信号待ちの時間も惜しんで高速に乗ったものの、真っ赤なブレーキランプの群れは、二車線の道を埋め尽くして進もうとしなかった。
ようやく病院に着いたとき、すでに夜が空を覆っていた。
煌々と電気の灯る救急外来の入り口でタクシーを降りると、インターホンを押して中へと入った。現れた看護師が案内したのは、外来の一番奥の病室だった。
カーテンを開くと、美紀子と拓海がベッドの横で静かに立っていた。智の体には、白いタオルが掛けられている。
「残念ですが、間に合いませんでした」
出迎えた医師は、旭を前にして静かに告げた。
「父さん」
旭は耐えられなくなったように俯くと、ベッド柵に手をついてガタガタと揺らした。
「父さん! 嘘だろ?」
タオルにくるまれた智は、再び動き出す気配もない。点滴やモニターを外された身体は、物体のようにベッドに横たわっているだけだった。
「何か言ってくれよ……」
旭のすすり泣きが、狭い病室に満ちた。冷たい涙が、ぽろぽろと頬を伝って落ちていく。美紀子と拓海は、俯いて沈黙したままだった。
病室の窓からは、雲に覆われた月が見える。晴れ渡っていたはずの空は、いつしか分厚い雲に覆われ、いつしか雨が降り始めていた。
2
「これでいい?」
太いマジックペンを片手に、美紀子が一枚の紙を差し出した。
桜湯スプリング @mirai182
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